294.魔王城激震


 ――その日、魔王ゴルドギアスはいつも通り政務に追われていた。


 前線からの戦況報告もあるが、多くは部族間の揉め事の仲裁だ。やれ家畜が盗まれただの、やれ役人と癒着し横領する部族がいるだの、やれ部族間のいがみ合いからの流血沙汰だの、枚挙にいとまがない。


(魔族的な)公正さを重視する魔王は、裁きに関しては前例主義だ。初代魔王時代の裁定を参照し、似た事例があればそれに倣った対処を、まったく前例がなければ頭を捻り、改めて公正な裁きを下す。


「そろそろ休憩するか……」


 途絶えることのない陳情者の列にうんざりしながら、一旦茶でも飲もうかと執事の悪魔に声をかけたところで。


「なんだと……ッッ!?」


 執務室の外から、上ずった叫び声が響いてきた。間髪入れず「伝令! 伝令!」とドアが激しく叩かれる。


「入れ」


 魔王は顔を引き締め、入室を促した。執務室の前で常時待機している、イザニス族の連絡員。緊急性の高い報せは彼らの【伝声呪】で伝えられるのだ。


「ご報告、いたします……ッ!」


 入ってきた連絡員は顔面から血の気が引き、今にも卒倒しそうなところを、必死に意志の力で踏ん張っているような状態だった。いったい何事か――表情には出さないまでも、魔王の緊張もにわかに高まる。


「――エメルギアス殿下とジルバギアス殿下が、武力衝突に至った模様!」


 ……なんだ兄弟喧嘩か、とは、ならない。


 わざわざ連絡員によって伝えられた、ということは――


 洒落にならない状況を指す。


「我が止めに行く、どこだ?」


 立ち上がる魔王だったが、連絡員は額から汗を滲ませながら続けた。


「――アウロラ砦です、しかしッ……エメルギアス殿下は討ち取られ! イザニス族戦士6名、およびドラゴン族4名も死亡したとのこと……ッ!」

「な……」


 雷に打たれたように硬直し、そのまま、すとんと腰を下ろしてしまう魔王。


「……ジルバギアスは、どうなった……!?」

「先ほど、ドラゴンで城にご帰還されたようで……無傷、とのこと、です……ッ」


 絞り出すように、職務に忠実に、イザニス族の連絡員は告げる。


 まさか。なぜ。ジルバギアスとエメルギアスの仲が、険悪になっていたことは認識していた。しかし、昨日今日で殺し合いにまで発展するとは、露ほどにも――


 茫然とする魔王だったが、続く報告に麻痺した思考を張り倒される羽目になる。


「さらに、ジルバギアス殿下の支配下にあったハイエルフも戦闘に巻き込まれ、現在行方不明とのこと!」

「…………警報発令!」


 椅子を蹴倒しながら魔王は再び立ち上がった。


「近衛兵を招集、即応部隊とともにアウロラ砦周辺地域に展開し、ハイエルフ捜索に当たれ。ドラゴン族にも同様に哨戒飛行を指示。魔王城守備隊は城下町にて、市街を防御せよ。各員、ハイエルフを捕捉し次第、報告すること。可能ならば仕留めても構わんが、必要とあれば我が出る」

「はっ! 近衛兵を招集、即応部隊とともにアウロラ砦周辺地域に展開し――」


 復唱した連絡員が【伝声呪】で指示を飛ばすのを待ってから、続ける。


「周辺都市および前線にも伝令、捜索と警戒に当たらせろ。特に前線は、国外脱出を阻止するため警戒を厳に引き締めろ! それから――」


 いかめしい表情を維持しながらも、魔王はギリッと拳を握りしめる。


「――ジルバギアスを呼べ。事情を聞きたい……!」



           †††



「……騒がしいな」


 自室で書き物をしていた第1魔王子アイオギアスは、居住区が何やら、慌ただしい気配に包まれたことに気づく。


 卓上の鈴を鳴らして召使いを呼ぶまでもなく、足音が迫ってきた。


「殿下っ、大変です! エメルギアス殿下が……っ」


 子飼いの部下が、ノックもせずに転がるようにして部屋に入ってくる。


「落ち着け、みっともない」


 部下をたしなめながらも、溜息ひとつ。


「あのバカがまた何かやらかしたのか?」


 自派閥の問題児、愚弟の顔を思い浮かべながら尋ねる。末弟相手に浅はかな嫌がらせを仕掛けて以来、体調不良などと抜かして会合にも顔を出さない不届き者だ。


 この期に及んで愚行を重ねたというのならば、厳しく、己の立場というものをわからせてやらねばならない、などと思うアイオギアスだったが――


「お亡くなりになられました!」

「は?」


 ぽかん、と口を開けた。


「エメルギアス殿下は手勢を引き連れ、アウロラ砦にて、ジルバギアス殿下と交戦。討ち死にされたとのことです……ッ」

「…………」


 もはや言葉もない。アイオギアスの手から、羽ペンがポロッとこぼれ落ちた。



         †††



「エメルギアスが死んだぁ?」


 自室のソファに腰掛け、召使いに髪の手入れをさせていた第2魔王子ルビーフィアは、副官の報告に素っ頓狂な声を上げる。


「はっ! 詳しい状況はまだ不明ですが、ジルバギアス殿下が例の別荘――アウロラ砦にいるところを、手勢6名およびドラゴン4頭を引き連れて襲撃し、もろとも返り討ちにされたそうです」

「ジルバギアス側の戦力は?」

「情報が錯綜しており、現時点では不明です。ただ、飛竜発着場の人員は、いつものように白竜の娘と、ペットのハイエルフしか連れていなかった、と証言しているようですな」

「あはっ」


 ハキハキと答える副官に、ルビーフィアは足を組み替えながら笑った。


「ザマぁないわね。多勢で奇襲しておきながら返り討ちにされて、しかも全滅だなんて……くふふっ。末代までの恥だわ、所詮はイザニス族ねぇ、あっはっは……」

姫様ひいさま、笑ってる場合じゃありませんよ」


 おてんば娘を叱るように、「めっ」という顔をする副官だったが、ルビーフィアの言葉そのものは否定はしなかった。内心、同感なのだろう。


「そうねぇ」


 口元の笑みはそのままに、ルビーフィアの目が獰猛な光を宿す。


「……父上はどう動くかしら」

「わかりませんな。ひとまず、ジルバギアス殿下から事情聴取されるようですが」


 赤毛のあごひげを撫でながら、副官。


「アイオギアス派閥の動きは」

第1魔王子アイオギアスとイザニス族が活発にやり取りしているようです。それ以外に目立った動きはありません。第5魔王子スピネズィアおよびサウロエ族に至っては、普段以上に静かですらあります」

「ふぅん……面白くなってきたじゃない」


 さらに笑みを深めるルビーフィア。


姫様ひいさま……笑ってる場合じゃありませんよ、


 似たようなセリフを繰り返す副官だが、いくらか含みがある。


「ええ、そうね。自領ウチにも使者を送っておきましょうか――『槍の手入れをせよ』、とね。

「はっ! 、ですな」


 敬礼し、副官が部屋を出ていく。


 それを見送って、ソファに身を預けたルビーフィアは思いを馳せる。


 エメルギアスが欠けたのは大きい。派閥間のパワーバランスが大きく崩れる。


 あとは、ジルバギアスがだが、ことと次第によっては――


「ふふ」


 ルビーフィアは凄絶に笑った。


「面白くなってきたわね」


 抑えきれない魔力が、炎のように揺れている――



         †††



『馬鹿な……』


 アウロラ砦に急行した闇竜王オルフェンは、グリーンドラゴンたちの死体を前に、愕然としていた。


 魔王子間の抗争に巻き込まれ、イザニス族に同行したグリーンドラゴン4名が全て死亡した――とは聞いていたが、にわかに信じがたいことだった。



 なぜなら、ドラゴンを殺せる魔族というのは、実はそう多くないからだ。



 ドラゴン族は確かに、魔族に臣従している。しかしそれは、あくまで孵卵場を制圧されているからで、武力を恐れているのは魔王個人ぐらいのもの。


 空を飛び、強靭な鱗に覆われ、高い魔力を誇るドラゴン族は、開けた場所であれば大公級とさえやり合えるほど戦闘力が高い。


 だから、ジルバギアスを相手取ったところで、グリーンドラゴン4名が全員死亡というのは考えられないことなのだ。


 ジルバギアスはレイジュ族で、血統魔法は【転置呪】と【名乗り】のふたつと判明している。竜形態ならば、体の構造が違いすぎて【転置呪】は効きづらいし、呪詛は距離が離れるほど弱まることから、空を飛ぶグリーンドラゴンが撃ち落とされる道理はない。


 ないのだが。


 現に、グリーンドラゴンたちの死体は転がっている。


 そしてその惨状を見ると――恐るべき事実が浮かび上がってきた。


『長……これは……』


 同行してきた部下が、困惑したような声を上げる。


『ああ……同士討ちしているとしか、思えん……!!』


 そう。グリーンドラゴンたちは、互いに争ったような跡があるのだ。


 その上で3名は喉笛を食い千切られ、残り1名は落下死したらしく、全身の骨肉がひしゃげて、しかも翼が焼け焦げている――


『レイラが……あの娘が、やったというのか』


 馬鹿な。ありえん。そう思いつつ、オルフェンはつぶやいた。


 同士討ちは、【魅了】の魔法によるもの。焼け焦げたような痕は光のブレス。そうとしか考えられない、だが――


 だが!!


『どうやって学んだ!? なぜだ!?』


 レイラにはずっと人化を強いてきて、もちろん竜の魔法もブレスの吐き方も、飛び方さえも教えなかった。使用人としてこき使い、アイロンがけだけはやたら上手いとみなで嘲笑していたものだった。


 ジルバギアスに引き取られ、なぜか寵愛を勝ち取ってからは、地道な訓練で飛べるようになったようだが――


 ブレスは、まあいい。練習すれば吐けるようになるだろう。


 それでも魔法は、生来備わっている能力とはわけが違う。


 教わらなければ、身につかないはずなのだ! 


『どんな手品を使った……!?』


 まさか――独力で、魔法さえも身につけたというのか。しかもグリーンドラゴンの成体4名を相手取って、一方的に蹂躙したというのか。


 だとすればレイラは、あの娘は、ホワイトドラゴンとしてとんでもない才能を秘めていたことになる――


 さらに、この傷跡。


 噛み千切られたグリーンドラゴンたちの喉。狙いすましたように、神経と血管が通る急所を、一口で抉り取っている。同族と争った経験なんてレイラにはないはずなのに、不気味なほど正確で躊躇いがない。


『…………』


 オルフェンはただただ、愕然としていた。


 そんな才能の持ち主が、ジルバギアスの忠実な部下と化している現状が、なぜか、ひどく不吉なものに感じられて仕方がなかった。



         †††



「なんだと!? 『犬』が逃げ出した……!?」


 夜エルフの居住区。部下からの報告に、シダールは思わず盃を取り落した。


 クリスタルガラスの盃が床で砕け、赤い葡萄酒が血痕のように撒き散らされる。


「は、はい……殿下が第4魔王子と交戦した際、巻き込まれて行方不明になったとのことで、死体は確認されず……!」

「アッ……ぅ、な、……なんと……!」


 言葉にならず、わなわなと震えながら、顔面蒼白になるシダール。


 これまで、ジルバギアスの個人的な治療枠の采配を任され、大いに権勢を振るってきたシダールだったが、それもこれもすべてハイエルフの元『聖女』リリアナの再生力があってのことだ。


 それが、失われてしまった。当然ながら治療枠の提供も終わるだろう。まだ予約が詰まっていたのに……それを餌にした交渉中の案件もあったのに……


 何より、ジルバギアスとの関係が終われば、シダールは完全に後ろ盾を失うことになる。


 一族で我が世の春を謳歌してきたシダールだが、現状、何の役職も持たない状態なのだ。コネで自治区の役人にねじ込んでやった、甥っ子のニチャールの方が、今では立場は上という有様。


「ま……まずい……!」


 強引な交渉も何度か押し通したため、シダールには敵が多い。


 どうすればいい!? どうすればいいのだ!?


 聡明なるシダールは、自問して即座に答えを導き出す。


 ――どうしようもない。


「ア、ぁッ……ぅ、わァッ……!」


 これまで煮え湯を飲まされてきた連中が、ここぞとばかりに攻勢を仕掛けて来るだろう。眼前の部下でさえ――いや、部下でさえ、気の毒がるような、憐れみの目を向けてきている――


 自身の暗澹たる未来を悟ったシダールは、へなへなと床に座り込み、そのまま抜け殻のように虚空を見つめることしかできなかった。




「殿下が討ち死に……!?」


 一方、同じく夜エルフ居住区。


 イザニス派の夜エルフたちは戦々恐々としていた。


「そんな……全滅!? 嘘でしょ……」


 ぺたん、と尻餅をついたのは、エメルギアスに『高速通信技術の可能性』を注進しに行ったメイドだ。


 あの情報を届けたのは、間違いなくエメルギアスを焚きつけるためだった。一族の立ち位置を脅かしかねない技術の存在を示唆されれば、エメルギアスは何かしら行動を起こすに違いない、と踏んでいて、事実狙い通りになった。


 魔界で成長し、さらなる力を身に着けつつあるエメルギアスならば、ジルバギアスを屈服させられるかもしれない――それが叶わなくとも、高速通信のヒントだけでも手に入れば、同盟圏における諜報活動の自由度が飛躍的に上昇し、一族内のイザニス派の地位が向上するかもしれない。


 そういった目論見があってのことだったが。


 まさか、エメルギアスが敗れるとは。


 敗れるどころか、部下ともども殺されてしまうとは……!


「しかも、『犬』が逃げ出したって話だ……シダール派が蜂の巣をつついたみたいな騒ぎになってる……」


 仲間が震える声で付け加える。


「そんな……」


 注進メイドは、めまいに襲われていた。シダール派が勢いを増し、ジルバギアスの影響力が拡大しつつあることに、危機感を抱いていたのは確かだが。


 それでも、個人的な治療枠に救われた者が多いのは事実。それが失われてしまったとなると――治療を受けられなかった者たちの恨みが、イザニス派に向けられる可能性は非常に高い。


 今のところ、例の注進については他のグループに悟られていないが、詳しい調査が始まればそれも時間の問題で。



 何よりも恐ろしいのは――



「おい」



 さらに別の仲間が部屋に入ってきて、強張った顔で、注進メイドの肩を叩く。



「……ネフラディア様が、お呼びだ」



 ひっ、とかすれた声が喉から漏れる。



 ――イザニス族の怒りが、はけ口を求めるであろうことだった。

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