293.別れと餞別


 ――魔王国の、とある山岳地帯。


「ここでいいわ、あとはひとりで行けるから」


 ありあわせの旅装に身を包んだリリアナが振り返る。イザニス族の死体から剥ぎ取った服や、無理やりサイズ調整したブーツ、俺が使っていた革のリュック、彼女の好物のドライフルーツの袋……


 リリアナが生み出した植物をレイラのブレスで焼き払ったり、イザニス族の魂を滅却したり、色々と証拠隠滅を図る間に、ドタバタで用意を整えて。


 ドラゴン族の哨戒飛行を避けるため、隠蔽の魔法を使いながら、2時間ほどの超低空飛行でここまでやってきた。強襲作戦のせいで高高度は警戒されているので、裏をかいた形になる。


 それでも、警戒に警戒を重ねて、極力人口の少ない土地を選んで飛んだ結果、距離はあまり稼げなかった。


「悪い。本当は自治区の東端くらいまで送りたかったんだが……」


 エメルギアスの襲撃から俺が『失踪』しても、理由をつけて誤魔化せる空白の時間は、4~5時間がせいぜいだ。時間内に砦に戻ることを考えると、このあたりが怪しまれずに飛べる限界だった。


「ここまで飛んで来れただけ上等よ。緑が続いてるし、地図までもらったし。あとは森が導いてくれるわ」


 トントンとリュックを叩きながら、リリアナは笑ってみせる。


 ここからリリアナは、独力で森や山林を踏破し、国境突破を試みる。森に愛され、高度な魔法と奇跡を使いこなし、身体的にもタフなリリアナなら可能だろう。




『――戦闘中行方不明、が妥当じゃろうな』


 話し合いの結果、リリアナの扱いはそのように偽装することにした。


『超強化されたエメルギアスの魔法攻撃が直撃したリリアナは、致命傷を負ったように見えたが、戦闘中は確認が困難だった。エメルギアスと決着をつけたあと、改めて探したが、その姿は消え失せていた――』と。


 そうして俺は、リリアナを失ったという現実が受け入れられずに、レイラに乗って周辺を探し回っていた――。リリアナが自我を取り戻して脱走した恐れあり、と報告してしまえば、山狩りが始まってリリアナが殺されてしまう可能性もあることから、独力で何とかしようとした、というカバーストーリーだ。


 ぶっちゃけ、トチ狂った行動としか言いようがないが、現に兄のひとりがトチ狂って戦争をしかけてきた直後だし、何よりこの行動はダイアギアスが強力な味方となってくれるだろう。


『自分の女が消えたんですよ! 探しますよね!?』

『そりゃあ探すよ、もちろんだ!!』


 即答するダイアギアスが目に浮かぶようだ。頼りになる兄貴だぜ。


 この筋書きなら、万が一リリアナの姿が同盟圏で目撃されても、おかしくはない。


 ただ、まだ魔王国内に潜伏しているかもしれない――と思わせた方が、魔王国内の混乱を誘えるし、何よりリリアナの情報で魔王国に損害が出た場合、俺がいちゃもんをつけられて責任を問われる危険性もあるため、リリアナは極力表に出てこない方が都合がいい。



 ハイエルフとしての容姿だけじゃなく、その強大な魔力ひとつ取っても、リリアナはすこぶる目立つ存在なわけで、どうやって同盟圏でもバレずに行動するかが課題だったが――



「これで、だいじょうぶかしら」


 最後の確認に、俺の前でリリアナの姿が変わった。金髪はくすんだ茶髪に、尖った長い耳はちょっと短めに、肌はこんがりと日焼けして浅黒く。


「完璧だ。どこからどう見ても普通の森エルフだな」


 その魔力までも、弱体化している。



『――レイラ。あなたの血をちょうだい』



 鍵となったのは、レイラの血だ。



『私も人化の魔法を習得したいの』


 魔族の俺が習得できたのだ。ハイエルフのリリアナにできない道理はない。


 あっという間に人化をマスターしたリリアナは、魔法を完璧に使えば人族になり済ませるし、中途半端に使えば――レイラが人化しても角だけ残しているように――耳はちょっと短く、魔力もほんの少し弱くなり、普通の森エルフにも偽装できることがわかった。


 必要に応じて姿を切り替え、普通の森エルフとして里に帰還。周囲に諜報員が確実にいない状況になってから、初めて自らの正体を明かす。


 そして、リリアナの母――ハイエルフの女王に面会する。


 という段取りだ。



『――アレクのことは、ひとまず女王にのみ教えるに留めた方がよかろう』


 最高機密である俺の存在については、ひとまず国のトップたる女王にのみ伝える、ということになった。聡明と名高いハイエルフの女王――リリアナからも、彼女の人柄は聞いている。


 俺という奇貨の価値を、そして露見すれば致命傷たりうる不安定さを、女王は即座に理解するだろう。情報を明かす相手は、女王自身が限りなく慎重に選んでくれるに違いない。



「――リリアナ。これを」


 俺は、ハイエルフの姿に戻ったリリアナに、ノートを手渡した。


「俺が知る限りの死霊術の情報だ。何かの役に立つかもしれない」


 別れ際の餞別がとは、あんまりにもあんまりな気がするが……俺が渡せるものは他になかった。まともな旅装さえ、用意してあげられなかった……


 魔王が脅威なのは事実として、エンマも大概厄介だ。魔王国が滅んだあと、次なる敵はヤツになる。そのとき森エルフたちとも歩調を合わせられれば理想的。


 それまで、俺が生きていればの話だが。


「うん……」


 ノートを大切そうにリュックにしまい、リリアナが、俺たちを見つめる。


 ……ひとたび里に帰れば、リリアナは厳重に匿われ、守護されるだろう。俺たちが再び顔を合わせられる可能性は、限りなく低かった。


 今生の別れ――その言葉が頭を離れない。名残惜しい、なんてもんじゃなかった。



 だけど、もう、時間がない。



『ホントに短い間だったけど、達者でね』


 俺の腰のベルト、刺突剣からフワッと霊体化したバルバラが、言った。


「ありがと。何度も浄化しそうになっちゃって、ごめんなさいね」

『あはは。ありゃあ仕方ないって!』


 申し訳無さそうに笑うリリアナに、屈託なく笑い返すバルバラ。わんこ状態のリリアナはアンデッドの天敵だった。ふたりがまともに言葉をかわしたのは、数時間前が初めてという有様だったが、それでもふたりは、まるで旧友のように笑いあう。


「リリアナ……、……どうか、元気で」


 言葉が見つからないレイラは、ぐすぐすと涙ぐんでいた。飛行中、【キズーナ】を通して、俺はレイラの心情を感じ取っていた。


 リリアナが去ることへの寂しさ、それでも彼女が故郷に帰れることへの喜び。そして、家族に再会するであろう彼女への、ほんのちょっぴりの憧憬――それらが複雑に入り混じった心境だった。


「レイラ……色々お世話してくれて、ありがとう。元気でね……」


 ひしっ、とレイラを抱きしめるリリアナ。


「……まあ、なんじゃ。色々と言ったが」


 ちょっとバツが悪そうに実体化したアンテが、声をかける。


こやつアレクの面倒は、今以上にしっかり見るゆえ、心配せずに行くが良い。……無事に故郷にたどり着くんじゃぞ。他ならぬこやつのために!」

「……はい。ありがとうございます、秘密は必ず守ります!」


 この期に及んで捻くれた言い方をするアンテに、リリアナも苦笑している。



 最後に。



 青い瞳が、俺を見据えた。



 俺に歩み寄って――スッ、と少しだけかがんだ。



「ねえ、アレク。……最後に、もう一度だけ、頭を撫でてくれない?」


 ちょっと意表を突かれたけど。


 俺は、無言で手を伸ばした。


 さらさらの金髪。すっかり手に馴染んだ彼女の輪郭、温かさ。


 ……ダメだな。無性に泣けてきた。


 せめて、笑顔で送り出そうと思ってたのに。


 じっと撫でられていたリリアナも、ぷるぷる震えたかと思うと、ガバッと抱きついてきた。


 痛いほどに、抱きしめられる。俺も抱きしめ返した。


「……さよなら、リリアナ。前世だけじゃなく、今世でもたくさん助けられた。本当にありがとう。無事に、健やかでいてくれ……それだけで俺は幸せだよ」

「アレク」


 リリアナが、不意に、その手を俺の両頬に添えた。



 えっ。



 視界に、大写しに、



「――――」



 唇を塞がれた。



 涙に濡れた彼女の瞳は、見たことがないくらい綺麗で――



「だいすきよ、アレク」



 無理に笑いながら、リリアナは言った。



「私、あなたのこと、ぜったい忘れない」



 そのまま、怖気づいたように、数歩下がる。



「――さよなら」



 そして背を向けて、森へ駆け出していった。速駆の魔法を使ったのだろう、あっという間に小さくなる、その背中が、風のように――



「――――」



 色々言おうと思ってたのに。最後に何か、言葉をかけたかったのに。



 ぜんぶ、吹き飛ばされてしまって。



「リリアナ……」



 俺が名前を呼ぶ頃には、彼女の姿は木立の奥に消え去っていた。



 忽然と、消えてしまった。



 まるで、おとぎ話の森の妖精みたいに。



 楽しい夢から、醒めてしまったみたいに。


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