291.往生際


 爆発し、拡散するエメルギアスのドス黒い魔力。


 やったか――!? と思う暇もなく、それがつむじ風のように渦を巻き始めた。


「【ォギアアアァァァァ――! ンバアァアァァ――!!】」


 絶叫しながら回転する……黒い穴ブラックホール? いや、何だこれ? ウゾウゾとうごめく、魔力で構成された竜巻……?


「【ンヨコセェェェェェ――! ヨコセェェェェェ――ッッ!】」


 ズオオオッと見境なく、周囲の魔力を吸い取ろうとしているようだ。亡霊化……にしちゃあ主張が強すぎるな。それに、複雑な意思を感じ取れない。どちらかというと『現象』に近いものを感じる。


 アンテ、これはいったい?


『わからん……エメルギアスの魂の、成れの果て? のようじゃが……』


 初めて見たのぅこんなの……とアンテも困惑気味だった。


「なぁにこれ?」


 とととっ、とリリアナが駆け寄ってきた。そしてクソ巻風と化したエメルギアスの周囲で、花々が枯れていくのを見て眉をひそめている。


「俺もアンテもわかんなくて、困ってるとこだ」


 油断なく、骨の盾を構えながら俺は答えた。せっかくリリアナの自我が戻ったってのに、最初の会話がコレか……。


「ほっとけば消えそうな感じはするけど……小突いてみる?」


 リリアナが、ボッと光の魔力を手に宿す。確かに彼女の言う通り、渦の勢いはごくごくわずかに衰えつつあるようだ。現時点での勢いはなかなか強いが、俺が聖属性でド突いても吹き散らせそうな気はする。


「うーむ。これはさっさと消した方がよいじゃろな」


 俺の中から飛び出て、実体化しながらアンテが言った。


「詳しくはわからんが、エメルギアスの執念と未練が顕在化した、あやつの魂の残りカスと見ていいじゃろう。周囲の魔力が枯渇すれば自然消滅するじゃろうが、あやつに吸収されたレイラやお主の魔力も、虚無へ還る可能性が高い」


 !?


大事おおごとじゃねえか!!」


 裏を返せば、コイツを消せば奪われた魔力も戻るってことか……?!


「お主にはわからんかもしれんが、エメルギアスという存在の根幹に、奪い取られた魔力が、枝葉のようにして歪に接続されておるらしい。そして今、その枝葉から先に枯れていっておるのだ」

「よし、すぐに滅ぼそう」


 レイラの魔力が消えてしまう前に!


「待て待て! そう単純な話ではない。下手に吹き散らすとレイラの魔力まで消えてしまう。周囲を渦巻いておるのが奪われた魔力、エメルギアスの根幹は中心部じゃ。外部の渦の被害を最小限にとどめて、正確に根だけを破壊するか、あるいは別の方法で根だけを枯らさねばならん」


 俺とリリアナは顔を見合わせた。


「面倒な……」

「面倒ね……」


 死んでも祟りやがるあのクソ野郎!


「幸い、今はお主のものでも、レイラのものでもない、おそらく魔族から奪った魔力を消費しつつあるようじゃが……」

「……わたしが撃ち抜こうか?」


 にょーん、と手に宿した光を弓に変形させながらリリアナ。


「そう、だな……」


 リリアナの光の矢なら威力も充分だ。周囲の被害も最小限だろうし、ここは任せるべきだろう――


「【ヨコセアアァァァァ――! ウワァァァァァ――!!】」


 よく見ると竜巻の表面からは無数の小さな手が伸びて、手当たり次第に周囲の空間から魔力をかき集めようとしているようだった。死してなお求めるか――憐憫と嫌悪感を半々くらいで想起させられる光景。


 呪術的な引力とでも呼ぶべきか、常に髪の毛を引っ張られているような、不快感もつきまとう。訂正、嫌悪感は8割くらいかな……。


 ――そうだ。


「これ、根幹を破壊できればいいんだよな?」

「そうじゃの」

「俺がやってもいいか?」


 できれば、俺がこいつに引導を渡したい。


「もちろん構わんが、どうするつもりじゃ?」

「それは――」


 俺が簡潔にアイディアを語ると、アンテも「なるほど」とうなずいた。


「面白い。まあ失敗したらリリアナに任せればいいしの」

「というわけで、一応用意しておいてくれ、リリアナ」

「まかせて!」


 ふんす、と光の弓をスタンバイするリリアナ。なんとなくぶんぶん尻尾でも振ってそうなノリだが、今の彼女には失礼かな――



 俺は、クソ巻風に歩み寄る。



「【ウォォァァァァ――!! チカラァァァァァ――!!】」


 魔力の接近に気づいたか、竜巻から伸びる無数の手がウゾォォォと一斉に俺の方を向く。


「【ヨコセェェェェェ――! チカラァァァァァ――!】」


 いいぜ。


 手に魔力を宿す。銀色の光。


「そんなに欲しけりゃ、くれてやるよ!」


 俺は、聖属性の制御を


 今も無意識に、魔力の収奪に抵抗し続けている。だが聖属性のみ、意識的に抵抗をやめたのだ。俺の手から銀色の光が剥ぎ取られ、竜巻に吸い込まれていく――


「【ンォォチカラァァ――! チカラダァァ――!!】」


 歓喜の叫びを上げるクソ巻風。


 だが、まるで水に絵の具をぶちまけたかのように、ドス黒い竜巻に聖属性が溶け込んで、またたく間に全体を銀色に染め上げていく。



 ジュワッ、と湯が沸騰するような異様な音が響き渡った。



「【……ンギャァアァァァァァ――――ッッ!!】」


 クソ巻風が絶叫を振り絞った。激しく痙攣しながらブスブスと煙を撒き散らす。


「そら、念願の力だぞ。使ってみろよ……使いこなせるもんならなァ!」


 奪い取った莫大な魔力は、今や全て聖属性に変換され、中心部――魔族の魂を包み込んでいるのだ。


 聖属性の魔法は、一度発動させると、身にまとう魔力を一瞬で聖属性に染め上げる『感染力』とでも呼ぶべき性質を持つ。


 俺だって、魔力の膜で層を作り出す技術を会得するまで、何度全身を黒焦げにしたかわからない。



 そしてエメルギアスは――レイラのブレスしかり、バルバラの剣技しかり。



 



 俺から嬉々として聖属性を剥ぎ取った結果、周囲を渦巻く魔力が、ヤツの魂を焼く煉獄と化したのだ。



「【ガアアアァァァァァァ――! ウワアァァァァァ――!!】」


 銀色に輝く竜巻の中心で、それでも銀色に染まりきらない、ドス黒いいびつな人型が暴れ回っているのが見えた。


 その輪郭がボロボロに、みるみるうちに崩壊していく――


 ……イザニス族の情報とか、聞き出そうかと思ってたんだがな。


「まあ、いいさ」


 お前にお似合いの末路だ。


「【アアアアアアァァァァァァ――――、……ァッ】」


 ジュワッ、と小気味のいい音を立てて、魂が燃え尽きた。


 魔力の突風。奪われていた魔力が解き放たれ、四方八方に散らばっていく。俺も、ほんの少しだけ、魔力を得る感覚があった。


「……戻ってきたか」


 ポッと指先に銀色の光を灯してみる。ただいま、やってきたぜ! とばかりに揺れる聖属性。おかえり。


 さて、消滅した竜巻の中心部には――黒焦げになったエメルギアスの、燃えカス的なやつが残されていた。頭部は消滅してるし、胴体はほとんど骨だけって感じだが、ボン=デージの蛇革は健在だ。頑丈だなマジで――



 などと考えた瞬間、モゾ、と燃えカスが動いた。



 嘘だろ!? この状態でまだ生きて――と思ったら、髪の長い、まるで蛇みたいな女がヌルッと出てきた。その体は鱗に覆われているがわずかに透けており、下半身はない。


 こいつ、エメルギアスの中にいた悪魔か!? トドメを刺すべく、俺はアダマスを振り上げる――


「待って……最後にお話シたいの……」


 問答無用!


「お主が第4魔王子の契約悪魔か」


 が、剣を振り下ろすより先に、アンテが前に出た。


「ああ……やはり、貴方様でシたか。私は嫉妬の悪魔ジーリア。またお会いできて光栄でス、アンテンデイクシス様」

「んん? 会ったことがあるかのう」

「一度だけ……ただ当時の私は、まだ小悪魔でシたので」


 指で小ささアピールをしながら、ジーリア。


「ほう。契約者に随分と無茶をさせたようじゃのぅ」


 元エメルギアスの消し炭を眺めながらアンテが言う。


「はい……。定命の者の執念は恐ろシいでスね。久々に思い知りまシた。あれほどの欲求は、我々では出セまセん」


 ジーリアはしみじみとした様子でうなずく。というか、なんで普通に会話してんですかねこいつらは……。俺は困惑しながら剣を下ろしたが、いつでもトドメを刺せるよう備えだけはしておく。


「魂はもうほとんど、原型をとどめておらんかったのではないか?」

「ボロボロでシた。もともと、本人の希望で限界まで権能を注いだら、器が割れてシまったので、無理やり押サえつけて自我を復元シていたのでスが」

「そんな力業じゃったんか……てっきり何か秘術でも使っておるのかと思うたわ」


 呆れ顔になったアンテは、同時に興味も失ったようだった。


「お恥ずかシながら……。部下から魔力を吸収スるため、権能を歪めたのをきっかけに、あっという間に制御不能になってシまいまシた……」


 苦笑する蛇女は、しかしエメルギアスと同様、指先から崩壊していく。


 その縦長の瞳孔が、俺の方を向いた。


「……あの子が嫉妬スるはずだわ。きみ、とんでもなく強いんだもの。魔力じゃなくて、魂のあり方が、ね。ソれに、禁忌の大魔神と契約なんて……いったい、どれほどの業を……」


 上半身も崩れていき、もはや首を支えることもできなくなるジーリア。


「限界のようじゃの」

「はい……ソれでは、……」

「いや、お主が目覚める頃には、我はもう概念化しておろう」

「なんと……!」


 目を見開いたジーリアは、「ソう、でスか……」とだけつぶやいて、そのまま消滅した。


「……『』ってどういうことだ?」


 なんか復活しそうな気配漂わせてんぞコイツ! おい! 情報!


「こやつも我と一緒じゃ、分体じゃよ」


 アンテはこともなげに肩をすくめる。


「おそらく魔神になりかけの大悪魔といったところじゃろ、こやつの格ではまるごと現世に降りるのは厳しかろう。今回消耗したせいで、また普通の上位悪魔に戻ったかもしれんが……案ずるでない。どうせ意識を取り戻すのに、現世の数百年はかかる。その頃にはどんな形であれ決着がついているであろうよ」


 それは、……そうか。俺の寿命より長いもんな……


 ただ、アンテの『概念化』ってのがちょっと気になるんだが……


「……終わったの?」


 そのとき、背後からリリアナの声。


「ああ。どうにか……」


 俺が振り返るより先に、背中に柔らかい感触。


 どうやらリリアナが、抱きついてきたようだった。


「…………」


 かける言葉が見つからなかった。――なぜなら先ほどまでの凛々しい態度とは裏腹に、彼女の身体は、気の毒なくらい震えていたからだ。


「ごめん……もうちょっと、このままでいさせて……」


 自我を取り戻したということは、全ての記憶が蘇ったということでもある。


 意気揚々と参戦! なんて、できるはずがないんだ。本当は怖くてたまらなかっただろう。


「……ありがとう、リリアナ」


 俺には、ただ感謝することしかできない。肩に載せられたリリアナの手に、自らの手を重ねる。


「……うん」


 か細い返事。すべすべとした彼女の指の感触に、なんだか無性に泣けてきた。




「あの……」


 しばらくして、砦の外から、竜形態のレイラがひょいと顔をのぞかせた。


「終わりましたか……?」

「ああ、終わったよ! レイラも魔力が戻ったんだな!」


 よかったー!


「はい! さっき力を取り戻せましたので、決着がついたのかなって……バルバラさん、終わったみたいですよ!」


 レイラは振り向いて一言二言話していたが、そのまま人化して、おっかなびっくりな様子で広間の花畑に踏み込んでくる。


「うわぁ、綺麗……」

「バルバラは?」

「お外でちょっと物思いに耽りたいそうです」

「ああ、なるほど」


 ……それもあるが、この結界に踏み込めないのかもしれない。アンデッドだから。リリアナが落ち着いたらすぐに迎えに行こう。


「リリアナ! 手足が戻ったんだね!」


 そして喜色満面のレイラは、エメルギアスの残骸を迂回しながら駆け寄ってきた。


「アレクも無事で良かったです……!」

「レイラ……あなたにも、本当にお世話になったわ。ありがとね」


 リリアナが顔を上げて微笑むと、レイラは意表を突かれた顔をした。


「きゃっ、喋った!?」


 いや、そりゃ喋るよ!!

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