288.全力と執念


 俺の故郷の仇、第4魔王子エメルギアス。


 禁忌の魔法をもろに食らい、思うように体が動かず。


 迫りくる刃を、ただ目を見開いて見つめるヤツの喉元に。


 ついに、俺の剣が、アダマスが届こうとしている――!


 が、不意に、エメルギアスの表情がスッと抜け落ちた。不気味なほど無垢な顔――さらに身体が脱力し、一切の敵意と殺意が消失する。


 唇が動いた。




「たぁぃ、ぁぶぅ」




 ――たぁぃ、ぁぶぅ……?


 あどけない。まるで赤子の泣き声。エメルギアスが発した謎の、呪文? 言葉? いや――何? 理性が蒸発したような顔、絶体絶命でありながら完全に無防備な姿、それでも俺は、ヤツの首を撥ね飛ばさんと刃を振り抜く。


 しかし、その刹那の困惑を突くように、半透明の蛇の尾がエメルギアスから飛び出し、俺の腕をバチィと打ち据えた。これしきで止まる勢いではないが、剣閃はわずかにブレる。


 ぐにゃぁ、と。


 骨抜きにされたように、あるいは蛇のように、奇怪な動きでエメルギアスが胴体を折り曲げた。緑の頭髪が何本か切り飛ばされる、紙一重の回避――


 そこで、ハッと我に返ったかのように、エメルギアスに『芯』が戻ってきた。敵意も復活し、槍を振るいながら態勢を立て直そうとするエメルギアス。


「うッ――クソッ何が起きた!?」


 眠気を振り払うように頭を振っているが、いや、それはこっちの台詞だよ! 俺は仕留め損なったことに舌打ちしながら、剣槍を短く握り直す。


「【槍働きを禁忌とす!】」


 制定。エメルギアスの槍を持つ手が鈍る。そこへすかさず斬りかかる!


「……禁忌……魔神!? コイツが!?」


 思うように動かぬ槍、必死に間合いを取ろうとしながら、エメルギアスが驚愕の目を向けてきた。まるで誰かと会話しているみたいに――


『――こやつ! 悪魔憑きか!』


 アンテが警告した。


『気をつけよ、中に悪魔がおるぞ。我らと同じじゃ』


 その言葉通り、エメルギアスの体から滲む魔力――暗闇にとぐろを巻く大蛇の姿を幻視した。中に悪魔……今の尻尾がそれか! だけど、あれはプラティの多腕みたいなもんだ!


 バシュッ、とエメルギアスの身体から再び鞭のように蛇の尾が伸びる。しかし予測していた俺は、ただアダマスを掲げた。ジャッ、と灼けた鉄を水に突っ込んだような音とともに、勝手に切り飛ばされて霧散する蛇の尾。悲鳴に似た魔力の波動――


「うッ――オオオオォ!! 【裂けよスパシモ】!」


 風の刃を放つエメルギアス、呼応するように俺のボン=デージが緑色に輝き、風への耐性を得る。強化された防護の呪文が攻撃魔法を弾き飛ばした。


「【献上せよォ!】」

「【断るッ!!】」


 さらに苦し紛れで絡みつく悪魔の魔法も、意志でねじ伏せる。


 テメェの種は割れてんだ! 老獣人の拳聖――ドガジンに、『能力を奪い取る呪いを使う』と聞かされて以来、俺はこの日のために備えてきた。


 呪詛とは。呪いとは。対象の輪郭が明らかであるほど、抵抗しやすくなる。


 転置呪しかり、【嗜虐の悪魔】の呪いしかり、お前の悪魔の権能しかり!!


 そして俺はあの御仁ドガジンにも約束したのさ……仇は討つってなァ!


「さっさと死ねェェァァァ!」


 槍のは、今や長大な剣のつか。聖属性の火花を散らす刃が暗闇に銀の弧を描く。


 ガィンッ、としかし斬撃がわずかに逸らされた。槍は使えないと察知したエメルギアスが、魔法の槍を収縮させたのだ。槍から金属製の短いロッドへ転じ、魔法の束縛を受けることなく俺の聖剣へと叩きつけられた。


 その代償に、魔法の槍は両断。そして浅く顔の皮膚を切り裂かれ、聖属性の痛みに「ぐがァァァッ!」と叫ぶエメルギアス。


「若ぁッ!!」


 同じく槍を封じられながらも、側近の女魔族が割って入ろうとするが。



 タンッ、と足音。



 わかってたぜ、このタイミングだよな――バルバラぁ!


 暗闇の奥から剣聖が疾駆する。レイラがブレスを放つ直前、俺が補給したので魔力は充分だ。剣と一体化したような神速の刺突、水蒸気爆発の尾を引く破滅的な一撃がエメルギアスに牙を剥く。


「――このッ!」


 女魔族が、なんと、使い物にならない槍を手放した。そして己には目もくれずエメルギアスへ突き進むバルバラへ、横から飛びかかる。


 バルバラ表面の竜鱗に指を引き千切られながらも――腕を掴んだ。


「ッりゃァァァッッ!」


 剣聖の異次元加速を利用するように、そのまま倒れ込みながら投げ飛ばす女魔族。『ウソッ!?』と驚愕しながらバルバラがすっ飛んでいく、砦の扉を突き破って外にまで――


 なんだコイツ、拳聖じゃあるまいし!? ここまで体術をモノにした魔族がいるのか……!?


 だが、バルバラが止められても、俺の聖剣は止まらない!


 コイツは丸腰だ、今度こそ叩き斬ってやらァ!


「ぬッ……うおぉおおおお!!」


 周囲に視線を走らせたエメルギアスが、ギリッと歯を食い縛りこちらを睨む。あの目は諦めていない、まだあがくか――!?


 ドヒュッ、といきなり加速してエメルギアスが横へ跳んだ。


 一気に間合いが広がる。悪魔みたいに物の理を無視した動きしやがって!


 ……いや、風か!? 突風を放ち移動した!? 見れば、エメルギアスの鎧の下、蛇革のボン=デージが輝き蠢いている。アイツのボン=デージにも隠し機能があったのか、白兵戦では地味に厄介な!


 ちょこまかと動かれたら面倒だ。アンテ!


『【逃走を禁忌とす!】』


 さらに制定。ガクンッ、とエメルギアスの動きが鈍る。


「【細切れアネモス・に散れトゥロヴィロス】!」


 それでもなお、四方八方に風の刃を撒き散らす。そんな無駄なあがきが効くかよ、全て防護の呪文で防ぐ。


「――すまん」


 血を吐くように険しい顔で、エメルギアスがいきなり謝った。なんだ? この期に及んで命乞いか?


「許せ……!!」


 …………いや、違う!


 、コイツ――!



「【――献上せよ】」



 その足元、ブレスで黒焦げになって倒れ伏すイザニス族の戦士3名。



 風の刃の巻き添えにされ、血塗れで瀕死の魔族から――



 ズオッ、と魔力が吸い取られた。



 膨れ上がるエメルギアスの存在感、反対に、魔族たちが一瞬にして枯れ葉のような脆く儚い存在に成り果てる。クソがッ、その手があったか……!



「【我が名はエメルギアス=イザニス!】」



 第4魔王子は、魔力をみなぎらせる。



「【魔王国の『最強』へ至る者なり!】」



 事切れた魔族の槍を拾い上げ、ギリッと握りしめる。



「【我が身を縛れるのは――魔王ただひとりと知れェ!】」



 バチィンッ、と革紐を引き千切るような音。エメルギアスが禁忌の魔法を振りほどいた。奪い取った魔力、かけ直した【名乗り】、そして【禁忌】を認知し抵抗力を高めた結果か……!!


「わ、若……」

「ヒスィ。背後を警戒、あの剣聖がまた来るぞ」

「……はい!」


 片腕はボロボロで、半ば千切れかかっている女魔族が、困惑も痛みも全て押し殺したような顔で気丈に身構える。


 一方、俺は慄然としていた――久々の感覚だった。魔族、そして悪魔という存在の理不尽さを、改めて見せつけられた気分だ。


 俺が、これまで、いったいどんな想いで魔力を高めてきたと思っている……!


 それを、こんな……こんなに呆気なく……!!


『こやつ――危険じゃ』


 アンテがかつてないほど冷え切った声で言う。


 子爵から伯爵級3名の魔力を奪い、エメルギアスはあっという間に、俺に迫りつつあった。アンテに預けていた魔力を全て引き出し、【名乗り】を二重がけしている今の俺に、だ……!


「ふざけんじゃねえぞ……!」

「こっちの台詞だ……!!」


 思わず唸った俺に、歯を剥き出しにしてエメルギアスも答える。


「なんだそれは……聖属性だと!? 剣聖のアンデッドに、魔神と契約……なぜお前は……、いや……!」


 目を細め、「禁忌……」とつぶやくエメルギアス。


「【――ドラゴンども! 城に戻り伝えろ、第7魔王子に謀反の恐れあり! コイツは勇者の聖属性を使う……魔族の裏切り者だ!!】」


 エメルギアスが【伝声呪】を飛ばした。


 さすがだよ、今の俺が一番嫌がりそうなことを即座に思いつきやがった。もはや嫌がらせの天才だな……!!



 だが。



「――【どうした!? 咆哮で答えろ!】」



 エメルギアスが怪訝な顔をする。気づいたのだろう。



【伝声呪】のことに。



「……ッ!?」



 ちら、と背後、扉の外を振り返り、エメルギアスが目にしたのは。



 ――力なく墜落していく、ドラゴンの姿だった。




          †††




 魔族たちへブレスを放ったあと。


 素早く人化したレイラは、そのまま広間を駆け抜け窓から脱出、再び竜の姿に戻り空へと舞い上がった。


「おッと、ここは通サねえゼ」


 だが、その行く手を阻む――巨大な影。



 エメルギアスが連れてきた、4頭のグリーンドラゴンだ。



「お願いです、通してください……主様の危機なんです!」


 空中で羽ばたき、静止しながら、懇願するようにレイラは言う。


 グッグッグッ、と喉を鳴らしてグリーンドラゴンたちは嗤った。


「いいヤ、ダメだ」

「オレたちは、魔族様の争いには関わらなイが……」

「代わりに、オマエは好きにしテいいと言われてるんデな」


 金属質に耳障りな、下卑た声を漏らすグリーンドラゴンたち。


「しばらく見ないウチに、随分と別嬪さンになったナァ、ええ?」

「バーカ、洞窟ジャいつも人化してたダろ」

「それもそうカ!」

「こうヤッて間近で見るノは初めてダ」


 レイラの周囲をゆるゆると旋回しながら、無遠慮な視線を向けてくる。


「オレ、こういう細身の娘、好みなんだよナァ」

「スラッとした首がソソるねェ」

「オイオイ、いいのカ? ゼ?」

「構いやシねえよ、どのみち白竜の子ダ……」


 好き勝手なことを言うグリーンドラゴンたちに、レイラは目を細める。


「邪魔立てするというなら……押し通りますよ」


 しかし気丈な言葉は、さらなる嗤いを呼ぶだけだった。


「やれるモンならやってみナァ、お嬢ちゃン」

「まさか、オレたちカら逃げられるなんテ、思ってないヨな?」

「風ヲ呼ぶ緑竜の翼に、速さで敵うドラゴンはいないゼ」

「それに頭数差、体格差! 暴れてもケガするだけダぞ?」


 グッグッグッグ……と。


「確かに……わたしだけじゃ、厳しそうです。あなたなんてとっても強そうだし」


 グリーンドラゴンの1頭に目を向けながら、レイラはおどおどと言った。


「ハハハッ、可愛いコト言うじゃないカ」

「その……そっちの御方も、すごくたくましくて」

「ソウだろう、ソウだろう? 見る目があるナァ」

「どうせなら……御二方がいいです……」


 うつむくレイラ、下卑た嗤いを漏らす2頭、指名から外れた残りの2頭は羽ばたきながら顔を見合わせる。


「ナンカやけに」

「開き直りが早いナ」

「それは、そうですよ」


 レイラが顔を上げる。



「【味方になってくれたら、心強いですから。そうでしょう――?】」



 怪しげに、その金色の瞳を輝かせながら。



「――マズい、目を見るナッ!!」


 気づいた1頭が叫ぶも、遅い。


「「ゴガアァァァッ!!」」


 油断しきったところにレイラの【魅了】を食らい、狂乱状態に陥った2頭が他2頭へ襲いかかる。


「ウワッ馬鹿やメろ――」

「ガウアアアアッ!」

「正気に戻レ! ぐガァァァ!」

「ゴォォォゥッッ!」


 果たして、4頭のグリーンドラゴンが空中でもつれ合う。冷めた目でそれを一瞥したレイラは、スゥゥ――と息を吸い込んだ。



「――ガアアアアアァァァァッッ!!」



 全力のブレス。



 4頭のうち2頭を、魅了された個体ごと光の吐息で焼き払う。目をやられた2頭が錐揉みしながら落下していく。


 ズ、ズンと地響き。レイラは翼を広げ、速やかに追撃に移る。気絶した1頭の首に食らいついて、豪快にその喉を噛み千切った。


「ウグゥ……な、なぜ――白竜の魔法、なんテ、誰に教わっテ――」


 もう1頭、おそらくは魅了された状態から正気に戻った個体が、ヨロヨロと起き上がろうとするも。


「もちろん、父ですよ」


 ペッ、と鱗を吐き捨てながら、レイラは素っ気なく答え、再び目を輝かせる。


「…………」


 今度は恍惚の表情で【魅了】され、自ら差し出させた喉を、レイラは容赦なく噛み砕いた。



 グリーンドラゴンたちは、確かに、頭数でも体格でもレイラに勝っていた。



 だが、自らそれを言い出す程度には、自覚があったのだ。



 族長の娘であるレイラには――



 魔力で敵わないことに。



 彼ら4頭が強気だったのは、レイラがロクにドラゴンとしての教育を受けていないことが前提だったのだ。


 まさか白竜の魔法に加えて、父の戦闘経験まで受け継いでいるとは――


「クッ、クソがッ、タダで済むと思うナよ!」


 と、空中から声。そして別方向から地鳴り。どうやら、もう1組の争いに決着がついたらしい。


 魅了された個体を退けたと思しき最後の1頭が、身体の各所から血を流しながら、上昇していく。


『風を呼ぶ翼』と豪語するだけあって、グリーンドラゴンの飛行速度は眼を瞠るものがあった。ひとまずレイラから距離を取ろうという心算なのだろうが――



「わたし、言われてたんですよね」



 レイラは無機質な声でつぶやく。



、って」



 ……正確には、「飛べないよう足止めしてくれ」という指示だったのだが……



 スゥゥゥ――と息を吸い込むレイラ。



「――ガアアアアアァァァァッッ!!」



 それは怒れる竜の吐息。一時とは言え、下卑た視線を甘んじて受け入れざるを得なかった、不愉快極まりない想いを吐き出すかのような。



 巨大な光の柱と化したブレスを浴びて、翼の被膜を焼き切られたグリーンドラゴンが、絶叫しながら墜落していく。



 なまじ上昇していたのがあだとなった。



 翼を持たぬ者に、物の理は残酷だ――



 ズズンッ、という地響きに、今度は骨が砕け、肉が潰れる音も混じる。



『風を呼ぶ翼』と豪語していただけあって、その飛行速度は目を瞠るものがあった、が――



「『光』からすれば止まって見えます」



 レイラは翼を広げ、速やかに、残りの1頭へトドメを刺しに向かった。

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