283.平和な日々
「わふ……」
リリアナは半ば呆れ、半ば諦めの境地でそれを眺めていた。
「おらァ!」
『なんのォ!』
砦の地下室に火花が飛び散る。斬り結ぶアレクとバルバラ。「鍛錬しようぜ!」とアレクが言い出し、バルバラがそれに乗ったのだ。
「【剣技を禁忌とす!】」
『それ卑怯!』
繰り出される剣槍をパシンと左手で払いながら、バルバラが魔力を放出した。
バチィンッと革紐が千切れるような音。呪詛が破られ、刺突剣が唸る。
ガラスのそれに近い破砕音とともに、アレクの防護の呪文が木っ端微塵にされ、間髪入れずにメギィッと蹴りが叩き込まれた。
「ぐえァ」
『よし! あばら粉砕コォース!』
白竜の鱗をまとい、剣聖の瞬速で放たれるバルバラの蹴りは、今やドラゴンの一撃にも匹敵する。
「ちょっ、ちょっと待った……!」
『問答無用ーッ!』
明らかに動きに精彩を欠くアレクを、さらに苛烈に攻め立てるバルバラ。
『ホラホラもっと根性出しな! このノリで転置呪使えなくて、あたしに殺されかけたでしょうがあんた!』
「ごもっとも……! 【剣技を禁忌とす!】」
『ぬっ』
バルバラが再び魔力を放出し、呪詛を振り払おうとするも、動けないまま。アレクの身体から別種の禁忌の波動――
『これは――アンテ! 二重は卑怯!』
「問答無用ーッ!」
二重禁忌魔法には流石に抗しきれないバルバラに、アレクが一転攻勢を仕掛ける。だがバルバラは繰り出される槍の突きをいなし、あばらの痛みで動きが鈍ったところへ掌底を叩き込む。
剣聖の異次元加速を駆使すれば、たったそれだけでもとてつもない威力だ。巨獣の突進を受けたかのように身体が浮き上がるアレク、防護の呪文でダメージは防いだがバルバラに押し倒され、そのまま首筋に刃を押し当てられた。
剣技――ではなく、まるで斧のように叩き切る動き。刺突剣とはいえ鋭く研がれたドワーフ製の業物だ、生身の肉体など簡単に断ち切れる――
「参った」
降参、と両手を上げるアレク。
リリアナは「うわんうわん」と吼えながら駆け寄った。いつもの凄惨な鍛錬と違って血の味はしないが、体内の損傷は酷い。ペロペロと舐め、温かなものを流し込んで即座に癒やす。
「あ、あんなに翻弄されるなんて……」
見守っていたレイラが、口元を押さえて唖然としていた。
「いやぁ……速くて全然対応できない。俺も平和続きで鈍ったかな」
リリアナの髪を撫でて、「ありがとう」と微笑みながら、アレクが首を振る。
「ヴィロッサさんとあんなに訓練されてたじゃないですか……」
平和とは……という顔でレイラ。リリアナも、会話の内容は理解しないが――犬なので――自治区では暇さえあれば、アレクがヴィロッサと斬り合い血まみれになっていたのはよく覚えている。
「いや。ヴィロッサより速い上に力も強い。魔法も振り払う……手に負えないよ」
『ヴィロッサ――あの夜エルフの剣聖かい』
バルバラは、鼻があればフンと鳴らしていそうな雰囲気だ。
ヴィロッサが力・技・速さのバランスが取れた剣聖なのに対し、生前のバルバラはスピード特化だった。
しかし現在は、生前のスピードはそのままに、とてつもない怪力に魔法抵抗まで手に入れている。
『今なら、ヘッセルとでも力比べで勝てそうな気がするよ』
力こぶを作って見せながら、バルバラ。
『ただ、ちょっと力に振り回されてる感じがするから、もっと鍛錬しないと』
「うへぇ。まだこの上があんのか……」
そんなバルバラを、ある種の畏敬の念を込めて眩しげに見つめるアレク。
「わう……」
すらっとした細身の、それでいて武威を極限まで圧縮したような白銀の剣士。
リリアナも、たしかにバルバラは凄いと感じていた。だが同時に、ひどく物悲しい気持ちにもなった。彼女のあり方も、それを眩しげに見つめるアレクも。
「くぅん」
だけど、それを言葉にすることはできない。
犬なので。ぺろぺろとアレクの頬を舐めるのがせいぜいだった。
「あはは」
くすぐったそうに笑うアレク、髪を梳くように撫でてくれるのが心地よい。
「俺ももっと鍛えないとなぁ」
『と言っても、あんたは普段着で鎧もつけてないのに、あたしは素でフル装備みたいなもんだからね……』
コンコン、と白竜の鱗と一体化した装甲板を叩きながらバルバラ。
『あんたが
『かわす』『いなす』以外に『受ける』選択肢が出てくるからね、と。
『むしろ普段着のあんたに勝てなかったら、あたしの立つ瀬がない』
「それは、そうかもしれない」
『しかもあんた、本気出してないでしょ! 死力を尽くしてる感じがしない。何度かやられる! って思ったのに、力が弱くてアラって拍子抜けしたし』
「決して手を抜いてるわけじゃないぞ。ただ、苦し紛れにブン回して、万が一お前が破損したら修復するのメッチャ面倒だから……」
『……かーっ! 舐めたこと言ってんじゃないよ! こっちもどうにか捌いてみせるさ、壊してから言いな! それに、あたしの訓練にならないでしょうが!』
「いや、まあ、それもそうだな。わかったよ、もっとあがくよ……」
渋い顔をするアレク。リリアナはぺろぺろと舐めた。
「ただ、ちょっと休憩していいか? さすがに喉が渇いた」
『ああ、それはご自由に』
トントン、と軽くその場でジャンプしたバルバラは、
『……あたしも魔力もらっていいかな? そろそろヤバいかも』
「あー、やっぱ全力戦闘だと結構使うなぁ」
『魔法に抵抗できるのはありがたいけどねぇ。でも抵抗するとかなりごっそり削られる感じがするよ』
リリアナにはわかる。バルバラの存在が、かなり
アレクと訓練し始める前は大きな篝火のようだったのに、今はせいぜい松明程度の存在感だった。リリアナが息を吹きかけたら、消えてしまいそうでもある。
それでも、アレクがバルバラの腹部に手を当てて力を注ぎ込むと、たちまち強烈な存在感が蘇った。
「実戦じゃ折を見て補給しないとだな」
『触れ合わないと駄目なのかねぇ?』
「遠隔でもできる、はず。ただ効率が悪いんだよな……いやでも、念のため練習しといた方がいいか」
『もっと魔力を溜め込めたらいいんだけど』
「それ以上魔石を詰め込んだらバランスがな……リュックみたいに背負える、外付けのオプションがあってもいいかもしれない」
『いいねぇそれ』
そんなことを話しながら、アレクは「ふたりとも、お茶にしよう」とリリアナたちを誘って、階段を上っていった。
アウロラ砦、地上階の炊事場。お湯を沸かして茶を淹れる。
ちなみにお茶を淹れるのはバルバラの役目だ。『自分ができない分、みんなが美味しそうに飲み食いしてるところを見て楽しみたい』とのこと。おそらくアレクたちが気後れしないように、わざと明るく言っているフシもあるだろう。
だが、実際なかなかのお点前で、良家の執事もかくやという味わいのお茶を淹れてくれる。
「うまい……」
「美味しいです」
『それはよかった』
テーブルでクッキーなどをつまみながら一服するアレクとレイラを、バルバラは頬杖を突いて眺めている。のっぺらぼうな仮面の顔だったが、きっと微笑んでいるに違いない。
「わふわふ!」
リリアナも椅子に座って、テーブルに身を乗り出し、平たい皿に注いでもらった茶をぺちゃぺちゃと舐め、同じく茶菓子もわしゃわしゃと頬張る。
おいしい!
『熱いけど平気?』
「わふ!」
犬だけど、問題はない。それに、もっと煮えたぎるほど熱いものを、嫌というほど注ぎ込まれたことも……あるような、ないような。
よく思い出せないが、いずれにせよこの程度の熱さは、痛くも痒くもないという気がした。
「最近、ちょっと暑さが和らいできたな」
窓の外、夜空の星々を眺めながらアレクが言った。
「いぬ座とへび座がもうあんなに低いですね。そろそろ見えなくなりそう」
両手で包み込むようにしてカップを持ち、お茶を飲みながら、レイラ。父から受け継いだ星座の知識は、今も彼女の中で生き続けている。
『これから涼しくなっていって、秋か……』
バルバラも遠く、地平線を見つめているようだった。
「きゅーん」
リリアナは、つんつんと鼻先でアレクをつついて、お菓子のおかわりを要求した。微笑んだアレクが、皿にクッキーを数枚追加してくれる。
「わふわふ」
おいしい!
『今、魔王軍はどうしてるんだい?』
「ダイアギアスの軍団がアレーナ王国を北上してる。そろそろ国土の3分の1が制圧されそうだ」
『……思ったより善戦している、と言うべきなのかねえ』
「ギガムント族は精強だ。ダイアギアス自身も相当な強者。アレーナ王国、武闘派を豪語するだけのことはあると思うよ」
アレクとバルバラがそんな話を始めたが、リリアナは理解しない。犬なので。
「それに――聖大樹連合がかなり援軍を出しているらしい」
しかし、クッキーを頬張るリリアナの動きが、止まった。
「魔導師だけじゃなく、弓兵も大隊規模で派遣したとか。ギガムント族も、エヴァロティ攻略戦のレイジュ族に匹敵するくらい、被害が出ているそうだ」
『デフテロス王国にも、それくらい派遣してもらえれば……いや、今さらだけど』
「王国西部の侵攻は、イザニス族が主体だったからな。風魔法で防御されたら、弓兵はちょっと相性が悪かったかもしれない。アレーナ王国は森林地帯で森エルフが泥沼の遅滞戦闘を繰り広げているって話だ」
『そいつはまた厄介な……迂回しないのかね?』
「手強いからといって迂回すれば、惰弱の誹りは免れないからな。それでも、ダイアギアスが難所は無理やり突破してると聞いた。遅滞部隊も相当数が仕留められているとのことで……今回の槍働きで、アイツの大公叙爵は確実だな」
はっ、とアレクは皮肉な笑みを浮かべた。
『武闘派の国軍に、森エルフの大部隊……さすがの魔王軍も手を焼くか』
「ただ、次にルビーフィアの軍団に交代したらどうなるか……森ごと灰にされたら、いくら熟練の弓兵でも――」
リリアナは、理解しない。犬なので。
リリアナは、理解しない。犬なはずなので。
リリアナは、理解できないはずだ。犬なはずなので――
「…………」
視線を落とすと、平たい皿に注がれたお茶の中から、ぼんやりとした顔が見つめ返してきた。青い瞳、短めに整えられた金色の髪、長く尖った耳――
ぴくんっ、と長い耳が跳ねる。
「……リリアナ?」
と、横から声。レイラが少し心配そうにこちらを見ていた。
「わふ?」
しかし、あどけなく小首をかしげたリリアナは。
そのままぺちゃぺちゃと平皿のお茶を飲み干した。
一滴残らず――。
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