281.募る危機感


「――なるほど」


 自治区における魔獣の襲撃と、ジルバギアスの迅速な対応について、一通りの説明を聞かされたエメルギアスは小さくうなずいた。


「あまりにも早すぎるということか」

「はい。自治区民の村が壊滅的被害を受けたのが、2日前の夕方。我々がその報告を受けたのが先ほどの定期連絡です」


 ぱら、と報告書をめくりながら、生真面目に答えるヒスィズィア。


「それに対し第7魔王子は、当日の日没後にはエヴァロティへ飛び立っていました。その前日にエヴァロティから戻ってきた直後であったにもかかわらず、です」


 、先ほどの定期連絡で初めて、ジルバギアスにも魔獣襲撃の報がもたらされていたはずなのだ。


「結果的に、現地民と吸血種が連携して対処し、第7魔王子の介入を待たずして解決したようですが……第7魔王子が事件に呼応するかのような動きを見せていたことが気にかかります」


 大人しく耳を傾けていたエメルギアスだったが、『たまたまじゃないかシら?』とねっとりした声が響く。


 エメルギアスにしか聞こえない声。


 魂の中に住み着いている、嫉妬の悪魔・ジーリアだ。


『もシくは、その魔獣襲撃の件で、イザニス族あななたちにサらなる圧力をかけようとシているとか? 自作自演?』


(そんな単純な話なら、ヒスィは最初からそう言うはずだ)


 何やら楽しげな雰囲気のジーリアに、エメルギアスは静かに返す。



 魔界から帰還して以来、部屋にこもって権能の『慣らし』をしているエメルギアスだが、ジーリアという話し相手がいるおかげで退屈とは無縁だった。



 これまでは、身内にさえ、腹を割って本音で話し合える相手がいなかった。魔王子の地位に相応しい振る舞いを求め続けられ、自分もまた意地になって、態度が硬直化していたフシがある。


 だが、その気になればエメルギアスをいつでも幼児退行させられるジーリアに対しては、見栄を張っても無駄だし、魂を掌握されているせいで嘘も虚勢も通じない。


 一度、過去の触れられたくない話題に踏み込まれてジーリアを拒絶したが、反撃で自我を赤子レベルに戻されてしまい、バブバブと甘えさせられて尊厳が崩壊したエメルギアスは、色々と諦めた。



 諦めたら、楽になった。



 もとよりジーリアとは一心同体、もはや己の半身と言っていい。そんな相手と喧嘩するのも馬鹿らしく、開き直ってしまえば、ジーリアは文句のつけようがないパートナーだった。


 エメルギアスが抱え込んでいた焦燥や鬱屈も慰めてくれたし、強者や恵まれた者に対しては、一緒になって嫉妬してくれる。


 皮肉なことに、エメルギアスの精神状態は、この世に生を受けて以来、最も安定しているかもしれなかった。……同時に、パートナーの気まぐれで崩壊する最も不安定な状態でもあったが。


「イザニス領においても、通常の巡航速度を遥かに超えた超高速で飛行する、ホワイトドラゴンの姿が目撃されています」


 そんなエメルギアスの内心など知る由もなく、ヒスィズィアは報告を続ける。


「相当に急かしていたことは間違いありません。日頃から、ホワイトドラゴンの娘を溺愛していると噂の、あの王子がです」

「ふむ……」


 それだけでは弱いな、とエメルギアスは思った。所詮は異種族の罪竜ざいにんの娘、溺愛なんて口だけかもしれないし、そもそもジルバギアスには精神操作の術があるはずだ。あの哀れなハイエルフのペットを見る限りでは。


「自作自演ではないか? あの末弟は、マンティコアが村を襲うことを――」

「否定はできませんが、それを材料にイザニス族を糾弾するつもりならば、急ぐ意味がないかと。この定期連絡を受けてから騒ぎ立てるのが自然です」


 エメルギアスの突っ込みにも、キビキビと答えるヒスィズィア。


「そしてこれに関しては、少々気になる情報が……」


 そう言って、食事のワゴンを押してきた夜エルフのメイドに視線を向ける。


「はい。……私からご説明させていただきます。第7魔王子殿下にちかしい者たちから入手した情報です」


 エメルギアスの魔力の圧を前に、精一杯背筋を伸ばしながらメイドが口を開く。



 ――夜エルフは、魔族に比べると種族内の団結力が高く、血で血を洗う闘争は滅多に起こさない。



 魔族ほど好き勝手に振る舞える地位も力もないし、森エルフという共通の敵に対して結束しなければならないからだ。


 が、それは必ずしも、夜エルフたちが一枚岩であることを意味しなかった。やはり意志ある生物のさがか、内部には様々な派閥が存在する。


 中でも最大勢力を誇っていたのがイザニス派だ。魔族でも諜報や策謀にイザニス族は、夜エルフたちと相性がよく、これまでイザニス族は何かと便宜を図り、夜エルフたちもそれに応えて耳寄りな情報を流したりしていた。


 しかしここ最近は別の派閥が台頭しつつある――シダール派と呼ばれる、第7魔王子ジルバギアスの影響を色濃く受けた集団だ。派閥の長と目される元監獄長官シダールは、ジルバギアスが個人的に提供する治療枠の采配を任されており、他派閥の分断工作や人材の引き抜きなど、それはもう好き勝手に振る舞っているようだ。


 当然、反発も大きい。若造シダールが気に食わないという個人的な理由で逆らう者もいれば、一族がジルバギアスの私兵として掌握されていくことへの危機感から、その勢いを削ごうと画策する者もいる。


 そして、今ここにいるメイドもまた、反シダール派のひとりだった。


「第7魔王子殿下は、アンデッドの長・エンマとも親交を深めております」

「うむ」


 質のジルバギアス……という言葉を、エメルギアスは飲み込んだ。


『なぁに、質のジルバギアスって?』


色ボケ兄貴ダイアギアスを超える節操の無さからついたあだ名だ)


 エメルギアスからすれば、自我のある元人族の死人なんて、気色が悪くて顔も見たくない。相手にして何が楽しいのか理解不能だが、アイツはそういうヤツなのだ。


「これまで、第7魔王子殿下がエンマの地下拠点を訪れる姿は度々目撃されておりましたが、自治区の運営が始まってからは、日に一度、書状のやり取りをしているようです」

「書状?」

「はい。読み終わったあとは欠かさず焼却処分しているようで、内容については不明です。しかし件の魔獣襲撃の日、日没直後に書状を受け取った第7魔王子殿下は、目覚めのお食事もそこそこに慌ただしく魔王城を飛び立っていった――と、レイジュ族区画担当の獣人たちが話しておりました」


 ――夜エルフたちは口が固い。諜報に長けているのだから当たり前で、よほど頭の回らない間抜けか、底なしの阿呆でない限りはそうそう情報を漏らさない。


 しかし他種族、獣人の使用人やドラゴンたちは話が別だ。噂好きの彼ら彼女らは、厳重に口外を禁じられていなければ、何でも不用意にポロッと話してしまう。日常の些細な出来事、主人らの言動、いつ誰とどこで会っていたか――


 夜エルフたちが、その長く尖った耳で噂話を盗み聞きするだけで、かなりの情報が集まってくる。


「…………」


 そして、今回。


 夜エルフメイドがもたらした情報は、非常に興味深いものだった。


 と同時に、ヒスィズィアがわざわざ報告してきた意味も見えてくる。


 魔獣襲撃に呼応するかのような動き、と言っていたが、本当に即応していたのだとしたら?


「そういえば……アウロラ砦だったか。父上に――」


 わざわざコルヴト族に改装させた砦を与えられていた。ぎり、とエメルギアスは歯を食いしばる。


 長兄が「何が目的か」と父上に尋ねたそうだが、「あくまで国益のため」とはぐらかされて内実は不明なままだった。


 しかし以前、スピネズィアが末弟に接触した際、『機密性の高い、とある国家事業に関連する研究』とやらを行っているらしい、ということが明らかになった。


「――スピネズィアが言ってたな。ジルバギアスに小さな魔道具を要求されたと」

「魔道具、ですか?」


 エメルギアスのつぶやきに、今度はヒスィズィアが首をかしげる番だった。


「ああ。魔法的な干渉を跳ね除ける【狩猟域】を付与エンチャントした、小さな容器を欲しがっていたらしい。あくまで個人的な研究のため、とのことだったが……」


 に取り組んでいるのは、まず間違いない。


「この件には、コルヴト族トパーズィアギガムント族ダイアギアスは関わっていない――あの末弟はそう言っていたらしい。たしかに、今となっては、アイツらが絡んでいないのは事実だったんだろうな」


 エメルギアスは顔をしかめた。



 ルビーフィア派閥ではなく――アンデッドたちが一枚噛んでいるのでは?



 単純作業用のスケルトンや、疲れ知らずの輸送用骸骨馬車など、アンデッド勢力の便利な『道具』は魔王国に普及しつつある。


 アンデッドへの忌避感はあっても、道具と割り切って『使う』魔族は多いだろう。他ならぬエメルギアスもそのひとりだ。


 この観点で考えると、アンデッドがさらに魔王国に普及していく可能性は充分あり得る。かつ、具体的な方法は不明だが――もしも通信の分野にも、手を出そうとしているのであれば……?


「……仮に、魔王城からエヴァロティまで最速で伝令を出した場合」

「4時間で行けます。精強なドラゴンを選び、追風の加護を絶やすことなく与え続けられる、魔力強者が駆ればですが」


 ハキハキと答えて、ヒスィズィアは顔を曇らせた。


 そしてエメルギアスと見つめ合う――明確な危機感を胸に。


 イザニス族の精鋭連絡員でも、4時間はかかる報せ。なのにジルバギアスは、魔獣被害の発生直後に、即応するような動きを見せた――



 が、生み出されようとしているのか?



 ……座視できない。



 できるはずがない!



 魔王国において、通信を一手に任されているのはイザニス族だ!!



 戦場における戦術レベルの伝令もそうだし、街から街、前線から魔王城までの戦略的な通信も、ドラゴンを駆るイザニス族の連絡員が担っている。


 口さがない者に『使い走り』などと笑われることもあるが、上位魔族ならその重要性は理解しているし、魔王国の目と耳を司ることをイザニス族は誇りにしてきた。



 だが、その誇りを奪われようとしているとしたら。



 あまつさえアンデッドごときに! さらには――あの――



「ジルバギアス……!!」



 脳裏に蘇る、勝ち誇ったような憎たらしい末弟の笑み。



 アレがただの6歳児なら、何を馬鹿な、考えすぎだと一笑に付していただろう。



 だが、皮肉なことにエメルギアスは、あの末弟の有能さを信頼しているのだ。



 笑って済ませられるほど、楽天的ではいられない。



 だからこそ、妬ましい。そして憎らしい!!



 なぜアイツは恵まれているのか、まるで神々の寵愛を一身に受けたかのように。



 いや、神々だけではない――生みの親からも――



 ああ、ああ!!



 エメルギアスの魂の器から、どろりとした感情が溢れ出す。



「ぁ……かはっ……」



 毒々しい魔力にあてられ、夜エルフのメイドがたまらず膝を突いた。



『いいわぁ、いいわよぉ! ねえ、今のきみ、とっても素敵よ』



 嫉妬の悪魔が、笑う。



『妬まシいわね、羨まシくてたまらないわね。……奪っちゃいまシょう?』



 耳元で、ささやく。



『全部、きみのモノにスればいい。研究の成果も、実績も、――力もね』



 エメルギアスは、答えない。



 だが、その蛇のような瞳は――ドス黒い情動に燃えていた。

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