278.異種舞踏会


 バァンッ! と巨大なマンティコアの前脚が、ヤヴカを叩き潰した。



 ――かのように見えた。



 しかし霧化したヤヴカを、爪はすり抜ける。剣聖や拳聖の一撃でもない限り、吸血鬼に物理的な攻撃はほぼ効かないのだ。


「ガウッ?」


 ただ地面を叩いて終わったマンティコアが、意表を突かれたように首をかしげ。


 その死角で実体化したヤヴカが、マンティコアの胸部に細剣を突き立てる。


「【流血花レフスト・アントス】」


 ドムッ、と太鼓を打つような音が内部から響いた。


 盛大に吐血するマンティコア。ヤヴカが血の刃を体内で爆発させて、肺組織をズタズタに引き裂いたのだ。


 人間なら丸ごと肺を粉砕され即死していただろうが、マンティコアはその巨体ゆえ肺の一部が破壊されるにとどまった。


「ガッ……グォァァァッ!」


 とはいえ、痛恨の一撃であることに変わりはなく、苦しげに爪を振るう。ヤヴカは追撃の手を止め、霧化して攻撃をいなしつつ距離を取った。


 霧化したまま纏わりつけばいいようなものだが、人の姿を取る寸前に吹き散らされると、危険性があるためタイミングが難しい。


「活きが良いですわね、右の肺を半分は削ったのですけど」

「お見事。私も首を落としたいのですが、これがなかなかに硬く」


 ヒラヒラと木の葉のように宙を舞うアーヴ準男爵が、血の大剣をマンティコアの首に振り下ろす。が、分厚い筋肉の層に阻まれ、切断にまでは至らない。


 グガッと痛みに呻いたマンティコアが、鞭のように蛇の尾をしならせアーヴ準男爵をはたき落とそうとするも、これも霧化で回避される。


「うぅむ、一撃必殺を狙うより、失血死させた方が早いやも……」


 のらりくらりとマンティコアの攻撃をかわしながら、大剣を小刻みに振るうアーヴ準男爵。いつの間にか大剣の血の刃が三枚重ねになっており、爪で引っ掻いたような醜い傷を、マンティコアの体の各所に刻み込んでいく。


「なんの! 背骨を叩き折れば虫の息よ!」


 そこへ、ボールのように跳ねたマヴィル男爵が、上空から襲いかかる。


「ホッホゥッ!!」


 奇怪な叫びとともに全身の肉が収縮し、血の蒸気を噴き上げながら両手をハンマーのようにして、マンティコアの背中に叩き込む。


 ズドォンッと落石が地面に激突するかのような轟音。マンティコアの体内から響くメキメキという不気味な音も相まって、山崩れが起きたかのようだ。


「ガァァァァッ!!」


 それでもマンティコアはしぶとく、同じように全身の筋肉を隆起させ、猛り狂って応戦する。そして転がるように離脱しようとしていたマヴィル男爵を、後ろ脚の蹴りが捉えた。


「お゛っ」


 まさにボールそのものな動きで、吹き飛ばされ家屋を倒壊させるマヴィル男爵。


「あいや! これはうっかり……お転婆なお嬢さんだ」


 しかし、もうもうと立ち昇る土煙の中から、ホコリまみれになってしまった貴族服をポンポンとはたきながら、何食わぬ顔で出てくる。いや、その左腕は折れ曲がり、胴体には木片が刺さっていたが、メキョッと腕が正常な位置に戻り、木片を引き抜けば傷も塞がっていく。


 まさに――怪物。


「…………」


 突如、目の前で始まった怪獣大決戦に、衛兵隊も呆気に取られている。


「あら、これメスでしたの?」

「タマがついておりませんゆえ!」

「…………」


 マヴィル男爵の簡潔な答えに、渋い顔をするヤヴカ。


「――おい、美酒の精!」


 そこで、我に返ったタフマンが声をかけた。


「なんですの、その美酒の精って? というか今っ忙しいのですけれど!」


 マンティコアの爪を回避しながら、隙を窺うヤヴカは苛立たしげに答える。



「ひとつだけ教えてくれ! お前は敵か味方か!?」



 その問いに。



 ヤヴカは「はっ」と笑った。



「――少なくとも、あなた方になくてよ!」



 タフマンは唇を引き結び、兜をかぶり直す。



「野郎ども、構えろ!」


 盾を掲げながら。


「俺たちであのデカブツを引きつけるぞ!」


 えっ、と周囲の仲間たちがタフマンを凝視した。


「なんで、わざわざ――」


 衛兵のひとりがつぶやく。なぜかは知らないが、吸血鬼たちが勝手に戦ってくれているのだ。任せてしまえばいいではないか――


「これで投げっぱなしで終わったら、衛兵隊おれたちの存在意義が問われる……!」


 タフマンの絞り出すような言葉に、仲間たちは押し黙った。


「それに! とっととケリをつけて、怪我人の手当と生き残りの捜索をしなきゃなんねえ! 俺たちが引きつけてアイツらがトドメを刺す! それが一番早い!」

「だけどよぉ、タフマン! もし裏切られたら……?」


 衛兵のひとりが、声を潜めながら、戸惑いがちに問うてきた。今この場で吸血鬼と共闘するのはいい、だが、そのあとで連中が自分たちに牙を剥いたら――?


「その心配はいらねえ。言ってたろ、『俺たちへの敵意はない』って。もしも俺たちと敵対するつもりなら、デカブツと戦ってるところを後ろから刺してくりゃいいだけだ、だがそれをしなかった!」


 であれば、美酒の精ヤヴカの言葉は真なのだ。


 味方かどうかはわからない、だが、敵ではない!!


「覚悟決めろォ! 何かあったら俺が責任を取る!!」


 銀色の輝きを強めるタフマンに、衛兵隊の面々も腹をくくって隊列を整える。


「ドーベル! お前らは後ろから投擲を頼む! ちょっとでもあのデカブツの気を引いてくれ!」

「心得た!」


 瓦礫や木材を拾って、獣人兵たちが背後に集結。


「マイシン! 治癒の奇跡にちょっとだけ残して、あとは全力で頼まァ!」

「わかりました! 【加護よプロスタシア!】」


 マイシンがさらに聖属性の強化魔法を吹き込む。


「美酒の精! 聞こえたな!? 俺たちが引き受ける、その隙にやっちまえ!」

「あなたに命じられる筋合いはありません!」


 ツン、とそっぽを向いてヤヴカは答える。


「はァ!?」

「――ですが、隙が生まれれば仕留めます。ええ、早く片付くならそれに越したことはありませんもの」


 言うが早いか、宣言通り、マンティコアにいつでも襲いかかれるように――そして聖属性の輝きを強めたタフマンたちから遠ざかるように――霧化してゆらゆらと周囲を漂い始めるヤヴカ。


 アーヴ準男爵とマヴィル男爵もそれに倣う。黒い霧の塊がみっつ、衛星のようにマンティコアを取り巻いている――


「グルルゥゥ――」


 吸血種たちの姿が消えて、マンティコアは、思い出したかのように、眼前の戦列に向き直った。


 隙間なく盾を並べ、闇夜で輝きを強める兵士たちの集団は、まるでひとつの生命体――マンティコアに迫る巨獣のように映ったことだろう。


「ゴガァァァァッッ!」


 吸血種たちに散々痛めつけられたマンティコアが、血肉を求めて、盾兵の戦列に喰らいつく。


「【光の神々よ 我らを護り給え!】」


 タフマンが高らかに叫ぶ。まばゆく輝く盾の壁が、真正面からマンティコアを受け止めた。バチバチと飛び散る銀の火花、兵士たちが振り絞る雄叫び。


「放てェ!」

「【光よフラス!】」


 獣人兵が豪腕に物を言わせ、一抱えもある石や尖った木材を次々に投擲し、マイシンも光の矢を放った。盾の壁を食い破ろうとするマンティコアの顔面に殺到し、うちひとつが片目を撃ち抜く。



 ギャッ、と思わず怯むマンティコア。



 その決定的な瞬間を、吸血種たちは見逃さなかった。



 マンティコア後方でしゅるりと人の姿に戻ったアーヴ準男爵が、長大な血の大剣を閃かせる。ひゅぉぉん、と背筋が凍るような不気味な音を立てた刃が、後ろ脚の腱を断ち切った。


 がくん、と足の力が抜けて体勢を崩すマンティコア。


「ハッハァ――ッッ!!」


 続いて、奇声を発するマヴィル男爵が地を這うように急接近。地面にひび割れが走るほど力強く踏み込み、全身の筋肉をバネに、顎下を蹴り上げる。


「ガッ――」


 ズシンッと地鳴りに似た重低音、したたかに脳を揺らされ、あまりの衝撃に上体を逸らすマンティコア。そう――無防備に胸を曝け出して、天を仰ぐ。まるで月に、夜の女神に懺悔するかのごとく。



 金髪をなびかせ、ドレスを身にまとう死神が舞い降りた。



 その手の紅い細剣が、左胸部、肋骨の隙間にするりと差し込まれる。



「【流血花レフスト・アントス】」



 ドムンッ、と鳴り響くそれは、まさしく魔獣最期の鼓動。



 傷口から細剣が引き抜かれ、噴き出す赤色が夜闇に咲き乱れる。



 ぐら、と傾いたマンティコアは、そのまま仰向けに倒れ伏した。



 筋骨隆々の体躯から、力が抜けていく。



 ひゅ、と弱々しく息を吐いて――



 活力が戻ることは、二度となかった。

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