276.夜の貴族
あからさまにイヤそうな表情を浮かべて、キツい目を向けてくるヤヴカ。クレアも無表情を貼り付けたまま、内心顔をしかめていた。
自覚はないが、エンマがエヴァロティ王城を訪れた際、このボディでヤヴカに憎まれ口を叩いてくれたらしい。おかげでヤヴカはクレアを毛嫌いしているようだ。ジルバギアスのお気に入りだと知っていても、なお。
「フン……」
鼻を押さえるような素振りを見せ、匂いを気にするかのようにススッと距離を取るヤヴカ。そのまま壁際で待機する。あくまでこの『場』の主導権を握るのは自分で、お前の方から先に視界から失せろ、という態度だった。
「…………」
くだらないマウント合戦なんて心底どうでもいいし、そんな気分でもないクレアは気にせず去ろうとして、ふと足を止める。
アンデッドと吸血鬼は犬猿の仲だが。
もしかすると――
「……ライアン村が、マンティコアに襲われて壊滅したそうよ」
ボソッとクレアが告げると、ヤヴカが眉をひそめた。
「誰からそれを」
「ライアン村で食い殺された霊魂たち」
「…………」
あまりにも確定的な情報源――クレアの言葉が真実であれば、だが。
しかし人族根絶を掲げているアンデッドが、それを告げてどうしようというのか。ヤヴカは(何を企んでいる……?)という猜疑の眼差しを向けてきた。
「……それで?」
「ポークン様や、魔族の方々にも報告した。ついでにあなたにも教えといただけ」
クレアはあくまで素っ気なく答える。ヤヴカを惑わすための虚偽ではなく、事実であることを示すために。
「……それが本当なら、間が悪いですわね……」
ひとまず事実であると仮定して考えることにしたらしく、ヤヴカはますます渋い顔になった。
「間が悪い?」
「もう少し住民が増えれば、何名か送り込む予定でしたのよ」
――吸血種を。
アンデッドと違い、彼らにはほとんど体臭がない。数名ならともかく、数十名規模の集団に紛れ込んでしまえば、犬獣人がいても存在は露見しづらくなる。
もしもライアン村の地下室や屋根裏にヤヴカの配下が潜んでいたならば――マンティコアクラスの魔獣に襲撃されたところで、撃退は可能だったはずだ。日没後限定ではあるが。
「まあ、あなた方にとっては、お仲間が増えて嬉しいんじゃありませんの」
死者が出れば出るほど嬉しいのだろう、と皮肉な笑みを浮かべ、フンと鼻を鳴らすヤヴカ。
クレアはそれに答えず、おどけたように肩をすくめた。
「そう言うそっちこそ、助けに行ったりはしないの?」
「手遅れでしょう。今ごろ村の住民は、残らず胃の中ですわよ」
「かもね」
軽くうなずいてから――
クレアは、ニタリと笑みを浮かべる。
「――ま、村が既に壊滅してることも、マンティコアが相手ってことも知らない衛兵隊が、
ピクッ、とヤヴカが反応した。
「さあて、何人が生きて帰れるか、見ものねー」
「……愚かな真似を」
舌打ちしかねないほど、さらに機嫌を損ねるヤヴカだったが、諦めたように小さく溜息をつく。
「……仕方ありませんわね。勝手に死にに行くなら、止める理由もありませんし」
――下手に救援に向かえば、ヤヴカたち吸血種の存在が露見してしまう。せっかく今の今までうまく隠しおおせているというのに、自殺志願者のために無駄なリスクを負うつもりは毛頭なかった。
「あら。貴重な血液袋が減っちゃうわよ?」
「構いませんわ。たかが数十人減っても、充分すぎるくらい残ってますし」
贅沢な話だが、今や人族の血にはまったく困っていないのだった。前線から絶えず捕虜が送り込まれてくることもあり、自治区の人口は今でも増加傾向にある。吸い殺さない程度の、ほんの僅かな吸血でも、ヤヴカたちが渇きを癒やすには充分すぎる数が揃っているのだった。
「それに、殿下の血に比べると、凡百の人族の血なんて……ねえ」
うっとりとした表情で、頬に手を添えるヤヴカ。
まるで恋する乙女のようだ――よだれが垂れそうになっている点に目を瞑れば。
「もっとも、あなたにはわからないでしょうけどね。殿下の血の素晴らしさなんて」
「そりゃそうよ、血なんてすする必要ないもの。あたしは直接、魔力を頂いてるし」
嘲笑うようにツンと上を向くヤヴカに、真顔で平然と返すクレア。
「「…………」」
沈黙。鳴りを潜めていた険悪なムードが、再び戻ってくる。
なに張り合ってんだろあたし……と虚無感に襲われたクレアは、「ま、いいわ」と話を打ち切って、ヒラヒラと手を振った。
「あなたにやる気がないなら、それで構わないのよ」
くるりとヤヴカに背を向ける。
含みのある言い方に、何か不穏な気配を察知するヤヴカだったが――
もう遅い。
「――
振り返ったクレアは、ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「…………な」
ようやくヤヴカは気づいた。自分が嵌められたことに。
「あっ……あなた……ッ!!」
そう、ヤヴカは教えられてしまったのだ。ライアン村が魔獣に襲撃されたことと、衛兵隊が無謀な討伐に向かい、被害がさらに拡大しそうになっていることを。
現状、吸血種が担うのはエヴァロティ市街地の治安維持であり、まだ人員を派遣できていない村の『治安維持』は、グレーな領域にある。
そして――ヤヴカが魔獣被害のことを知らされていなければ、あの理性的な魔王子殿下のことだ、ことさらに吸血種を責めはしまい。
だが。
今この瞬間。
ヤヴカはもう、知らされてしまったのだ。
ここで何も行動を起こさなければ。そしてクレアがそれを悪し様に告げたならば。
怠慢の誹りを受けかねない――!
吸血種の存在が露見するリスクを承知でヤヴカが行動を起こすか、このまま衛兵隊を見殺しにしてジルバギアスの怒りを買うか。クレアはヤヴカに、究極の二択を突きつけてきたのだ。
(こんの腐れ人形――ッッ!!)
なぜわざわざライアン村の惨状を教えてきたのか、それはこの嫌がらせのためだったのだ!! ――と、クレアの意図を解釈したヤヴカは、脳内で罵倒しつつ、怒りのあまり額に青筋を浮かべた。
「吸血公、夜の貴族なんて気取ってても、やっぱり怠け者なんだー。最初はあれだけ血に飢えていたのに、ちょっと満足したらこの体たらく……惰弱極まる性根ね」
「んなっ、このっ、くっ……」
動揺したところに罵詈雑言まで浴びせられて、目を白黒させるヤヴカ。
「あっ……あなたも同じでしょう! 誰よりも正確に状況を把握しながら、何もしていないではありませんの!」
「だってあたし、アンデッドだしー。そもそも自治区の運営にすら反対だしー」
くるくると髪の毛を指で巻き取りながら、クレアは唇を尖らせる。
「それについては殿下もご承知の上だもの。あたしのこのボディだって、
艶めかしく胴体を撫でてみせる。
「――戦闘用じゃないから仕方ないじゃない? そういうお役目じゃないんだもの、
わざとらしく唇に指をあてながら、記憶を振り返るようにクレア。
「ぬっ、ぎっ、ぎ……!!」
ヤヴカは令嬢らしからぬ唸りを発するほかなかった。
「まあ、仕方ないよねー。吸血鬼の存在が自治区民にバレたら、騒ぎになっちゃうもんねー? だから何もせず、見殺しにするのは当然だよねー? 殿下もきっと、そう言えば納得してくださるもんね? ヤヴカ=チースイナ子爵閣下?」
「…………ッッ」
盛大に頬を痙攣させたヤヴカは――スッと顔を引き締めた。
「情報提供に感謝しますわ、クレア嬢。わたくしは、なすべきことをします」
表情は取り繕っていたが、その声音はヤケクソじみていた。
ぶわっと霧化して、回廊から窓の外へ飛び出していくヤヴカ。
「…………」
無表情でそれを見送ったクレアは――何事もなかったかのように、その場を立ち去ろうとして、思わずよろめき壁に手をついた。
「…………はは」
片手で、胸を押さえる。
もしもクレアが、生きた人間だったら――
今ごろ、心臓は早鐘を打っていたに違いなかった。
†††
(――してやられましたわッ!)
霧化してもなお屈辱に震えながら、ヤヴカは空を舞う。
そして城の地下、吸血種たちの区画に滑り込み、実体化。
「おや、姫様。そんなに慌てていかが――」
ソファで歓談していた貴族服姿の吸血種たちが、血相を変えたヤヴカに目をしばたかせるが。
「アーヴ! マヴィル! ついてきなさい!」
有力な部下ふたりを呼びつけ、ヤヴカは告げる。
「――ライアン村がマンティコアに襲われたそうですわ。わたくしたちでこれを撃滅します」
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