275.立場と役割


 ――トボトボと、エヴァロティ王城に戻るクレア。


 城門にはいつも通り、警備の猫系獣人兵たちが立っている。


 その漆黒の軍装は、末端とはいえ魔王軍の兵士であることを示す。王城の周りにはほとんど人通りはないが、ダラけた姿でも目撃されようものなら、魔王軍の沽券に関わる。獣人兵たちはナメられることのないよう、物々しい鉤爪を装備して、直立不動の姿勢を維持していた。


「…………」


 チラ、とクレアの顔を確認して、そのまま視線を正面に戻す獣人兵。クレアの正体については知らされていないはずだが、王城勤務であることを示すジルバギアスの署名入りの書状を持っているため、クレアは問題なく城に入れるのだ。


 もっとも最近は警備兵のほぼ全員に顔を覚えられているので、いちいち書状の提示までは求められなくなったが。


「――ライアン村が、大型魔獣に襲われたらしいわ」


 通りすがりにクレアは告げた。


「え?」

「……今、自治区民から聞いたの」

「はぁ。……そうか」


 話しかけられるとは思っていなかったらしく、困惑顔の警備兵。


 これがただの人族なら、話しかけてきても無視して終わるところだが、雲上人ジルバギアスの署名入り身分証を持っている人族なので、扱いに困る。


 それに、自治区民の村が魔獣に襲われたなんて聞かされても、さらに困る。だから何だという話だ。


「…………」


 クレアは「わかっていた」というふうに首を振り、そのまま城に入った。



 中枢区画に向かう。例によって顔パスで通過。



 この辺りは、自治区運営の実務を担う役人たちのエリアだ。クレアの正体についても知っている者がほとんど。


 たとえば――


「ポークン様」


 悪魔とか。筋骨隆々の紫肌の役人に声をかける。


「何かな、クレア嬢」


 執務机で書き物をしていたポークンは、作業の手は止めず、チラと目線だけ上げて答えた。


 ポークンは子爵。本来なら無位無官のアンデッド――元人族のクレアがおいそれと話しかけられる相手ではないが、ジルバギアスのお気に入りというフワッフワな立場のおかげで、向こうが最低限の礼儀を示してくれる。


「先ほど、自治区民から聞いたのですが、ライアン村がマンティコアと思しき魔獣に襲撃されたとのことです。どうやら壊滅的な被害が出たようで」

「なんと」


 そこで、ポークンは手を止めた。


「マンティコア……私はあまり現世の魔獣には詳しくないのだが、先日のアスラベアと比較した場合、脅威度はどのようなものなのだ?」

「私も書物でしか知りませんが、森の生態系のほぼ最上位に位置する魔獣で、アスラベアさえ捕食することもあると聞きます」

「それは……」


 ポークンは難しい顔をした。


「また殿下がご立腹されるでしょうな」


 小さく溜息をつく。イザニス族との確執は、この城の人員も広く知るところだ。


「はい……衛兵隊は、救援に向かうようですが」

「……。魔力弱者が何人集まろうと、死にに行くようなものでは?」


 アスラベアにさえあれだけ死傷者を出したのに、と呆れ顔でポークン。


「はい、そう思います」

「殿下がまた失望される……」


 やれやれと頭を振り――ポークンは再び、書類仕事に取り掛かった。


「話はそれだけかな、クレア嬢」

「……はい。……その、ポークン様、役人としての何か対処等は……?」

「対処、とは?」


 きょとんとした顔で、やけに可愛らしく小首をかしげるポークン。


「いえ……城の戦力で、追い払ったり、討伐したりだとか……自治区民は殿下の財産のようなものですし」

「……うぅむ。せめて、件の魔獣がエヴァロティ市壁にまで迫り、市街地に被害が出るようなら、王城の防衛戦力を出動させるやもしれんが……」


 ポークンは唸った。


「自治区民が、自主的に作った村の防衛までは、我らの業務ではないな。少なくとも我ら役人の判断で、王城の戦力を動かすに値する事態ではない。衛兵隊の被害も……連中が好きで死にに行くぶんには、我らが止める義理も権利もない」

「……ですよね」


 横暴の悪魔という割には、まったく杓子定規な答えだった。


「ただ、大型魔獣と聞けば、魔族の方々は動かれるかもしれん。私の方からも、あとで衛兵隊に確認を取った上で報告を上げるが、何なら一足先にクレア嬢の名で報告してはどうかな」


 ――役人らしい慎重な態度だった。仮にクレアの情報が虚偽であった場合、魔族が報告を聞いて狩りに出かけ、肩透かしに終われば、その怒りがポークンに向けられる可能性がある。


 なので、もし魔族を動かしたいなら、自分でリスクを負ってやれ、と言外に告げていた。


「そうします」


 クレアはこくんとうなずいて、足早に魔族の居住区へと向かう。


「…………」


 その背中に訝しむような目を向けて、しかしポークンは何も言わず、黙って作業に戻った。



 ――王城上部の快適なエリアは、隠居したベテラノス侯爵をはじめとした、魔族の居住区として利用されている。



「何用か」


 そして、そのエリアの入り口で、クレアは警備の夜エルフ猟兵に止められた。


「魔族の皆様にご報告したき儀が」

「こちらの居住区には、許可ある者しか入れない。書状はあるか」


 いかにも堅物な猟兵が、鉄面皮で尋ねてくる。


 夜エルフの人員であれば、クレアの正体については、もちろん知っているだろう。ジルバギアスのお気に入りであることも。


 ただ、そんなクレアでも、城内には自由に立ち入れない場所がいくつかある。その数少ないひとつが、魔族の居住区だ。


 ここにはレイジュ族以外の――ベテラノス侯爵の知己で隠居した者、イザニス族やヴェルナス族、コルヴト族といった国から派遣された人員など――複数の氏族出身の魔族が暮らしており、警備や防諜の観点から、彼らお付きの使用人や、夜エルフ猟兵などしか入れない。


 皮肉なことに、クレアはジルバギアスの私室には自由に入れるはずだが、あいにくと魔族の居住区とは独立した城の最上部にある。


 そしてクレアの正体も問題だ。魔族には、自我のある上位アンデッドを忌避する者が多い。いくらジルバギアスのお気に入りでも、他の魔族がクレアにどう反応するかわからない以上、ホイホイ招き入れるわけにはいかないのだった。


 事前にジルバギアスから聞かされていれば話は別だが、そんな通達もない。警備の人員として、書状の類を要求するのは当然と言えよう……


「…………」


 クレアは口を開けて、しかし、何も言えずにつぐんだ。ここでジルバギアスの命によるもの、と強弁することはできたが、『人類の敵アンデッドがなぜそれをするのか』、ジルバギアスへの言い訳が思いつかない。


「――御存知の通り、私は市井で自治区民になりすまし、情報収集をしている工作員でもあります」

「それは知っているが……」

「先ほど、ライアン村がマンティコアと思しき大型魔獣に襲われたとの情報を――」


 クレアが話すと、夜エルフ猟兵たちは無表情のまま顔を見合わせた。


「――――」

「…………」


 かすかに唇を動かして、何やらやり取りしている。クレアには読唇術の心得がないので、内容まではわからない。


「それが、報告したき儀か……」

「はい。殿下も……魔族の皆様方に、魔獣狩りの要請を――」


 されていましたので、と言おうとしたところで、コツコツと背後から足音。


 夜エルフ猟兵たちが背筋を伸ばし敬礼したので、クレアも一歩下がって深々と礼をする。


 ――緑髪の魔族が居住区に入っていく。よりによってイザニス族の連絡要員だ。


 ジルバギアスが滞在している間は、尋常じゃなく肩身が狭そうにしているエヴァロティ王城勤務のイザニス族だが、逆に留守中は気楽なもので、ベテラノス侯爵とそのお仲間に絡まれない限り、のびのびと羽根を伸ばしている。


「……その、なんだ」


 イザニス族の姿が見えなくなってから、夜エルフ猟兵が口を開いた。


「現時点で、我らがベテラノス侯爵閣下にお伝えできるのは、『ジルバギアス殿下が懇意にされている、アンデッド工作員のクレアいわく、ライアン村がマンティコアと思しき魔獣に襲撃された可能性が高い』ということだ。衛兵隊長に確認を取らねば、これ以上は言えん」


 ……なんともあやふやな話だ。意味がないとまでは言わないが、これを聞いた魔族が槍を担いで城を飛び出すかと問われれば……謎だ。夜エルフたちが確認を取るまでは、おそらく静観するはず。


 確認が取れても、その頃にはもう手遅れな可能性が高いが……


「ありがとうございます、それでお願いします。……殿下のご機嫌を損ねたくはありませんので」


 クレアは愛想笑いを浮かべて、礼を言った。ジルバギアスとの関係を強調しておくのが、今できる精一杯だ。


「…………」


 夜エルフ猟兵はうなずいたが、その表情はやはり固い。魔族同様、夜エルフはアンデッドに否定的なのだ。



 残虐非道な夜エルフは死霊術との相性がいいのでは、と思われがちだが、実は宗教的に相容れない部分がある。



 夜エルフは命を弄ぶが、それは獲物が息絶えるまで。彼らにとって、殺した獲物の霊魂は闇の神々に捧げる供物であり、死者の魂を現世に呼び出して使役するのは供物を掠め取る行為――闇の神々の怒りを買いかねない、とおそれているのだ。


 エンマが魔王国の傘下に加わった際も、夜エルフは最後まで反対していたと聞く。今でこそ骸骨馬車なども気軽に利用するようになったが、それは製作者がエンマで、魔力の供給者が魔族だから、自分たち夜エルフには神々の怒りは及ばないはず――という建前がんぼうがあるからこそ。


 なので今でも、自発的にはアンデッドと関わり合いになりたくない、と考えているフシがある。先ほどクレアが、ライアン村の霊魂から証言を引き出した、と話した際も、その長い耳を塞ぎたそうな顔をしていたぐらいだ。


「では……」


 一礼して、クレアはすごすごとその場を辞した。エヴァロティ王城の夜エルフたちは、ジルバギアスの息がかかったシダール派閥の者が大半ということもあり、マトモに会話可能なだけまだマシだった。魔王城では夜エルフに話しかけても、無視されることさえままあるのだから……


 

 魔族の居住区を離れ、トボトボとアテもなく廊下を歩く。



「……あら」



 そして、嫌な相手と鉢合わせた。



 夜会にそのまま出られそうな、豪奢なドレスに身を包んだ美女。



 生粋の吸血種であり、魔王国子爵でもあるヤヴカ=チースイナだ。



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