272.村の始まり


 ――エヴァロティ近郊西部。


 茜色の空に、細く炊事の煙がたなびいている。夕日を浴びて茜色に染まった、ちょっとした要塞のような小さな拠点。


『ライアン村』。エヴァロティ自治区の記念すべき第1の村だ。


 アスラベアとの戦いで殉職した衛兵からとって名付けられた。今後、自治区の村や拠点が増えていくたび、彼らの名前をつけていくことになった。


「よーし、門を閉めるぞー! 外に残ってる奴はいねーか? いねーよなぁ?!」


 衛兵隊の人族の男性、グシヌスは声を張り上げた。おどけた調子の言葉に、居残り組の面々がガハハと笑う。


 数人がかりで巻き上げ機を動かし、跳ね上げ式の門を閉めていく。周囲をぐるりと囲む堀と土壁の高低差は4m近くあり、生半可な魔獣では入ってこれないだろう。


 ライアン村は、廃村を再利用したことを鑑みても、拠点としてよくできていた。それもこれも、衛兵隊と労働者たちが汗水垂らして土木作業に勤しんだ結果だ。もっとも防衛拠点と考えた場合、魔法的な防御が一切施されていないので、戦争では使い物にならないだろうが――


「いやはや。形だけはそれらしくなったな」


 見張り台に登って、夕焼けに染まる平野を見渡しながら、口の端をつり上げて笑うグシヌス。ニヒルな笑みが似合う男だ。ツンケンと後頭部に跳ねる黒髪に尖ったかぎ鼻もあいまって、どことなくカラスを思わせる風貌。


 そして彼はただの衛兵ではなかった――先日、タフマンに誘われてに参加させられ、遅咲き勇者になったひとりだ。


 まさか自分が聖属性に覚醒するなどとは夢にも思わなかったので、いつもの斜に構えた態度も剥がれ落ち、らしくもなく狼狽してしまった。


 だが今では、満足している。みなを守る力が手に入った。この手に、聖なる輝きがもたらされた――


(どうにか守らねばな……)


 この村を。まだ、周囲には聖属性については伏せている。しかし魔獣の襲撃も予想される以上、上級戦闘員も常駐するべきという判断から、タフマンら聖属性覚醒組で密かに話し合って、ひとまず彼が残ることになった。


(ま、こういうのは、最初に志願しておいた方が、あとあと楽ができるもんだ)


 フッ、とひとりほくそ笑むグシヌス。


 見張り台で斜に構える彼を、「またなんか悪い顔してんぞ」と呆れたように、そしてどこか微笑ましげに見上げる周囲の面々。


 一見、皮肉屋で憎まれ口を叩きがちなグシヌスだが、実のところ、照れ隠しであることが多く、面倒見がいい性格であることを周囲はちゃんとわかっているのだった。


 ……それはそれとして、なんかキザっぽい言動はムカつくので口には出さないが。


「みなさーん! ご飯! できましたよー!」


 と、ダボダボの衛兵隊の服を着込んだ、獣人の少年が走って知らせて回る。


 まだ子どもと言っていい若さだ。面長な茶毛の犬獣人で、くるりとした大きな目が可愛らしく、人族から見ても童顔だった。先日、衛兵隊に入ったばかりの新人で、見た目は可愛らしいが大人顔負けのタフさを誇る逸材。今は拳聖を目指して修行中とのことで、将来が楽しみな若者でもあった。


「よーし、今日はよく働いたし、腹いっぱい食おう!」

「村の完成祝い! ですね!」

「バーカ、それはもうやっただろ」


 ひらりと見張り台から飛び降りたグシヌスに、わしゃわしゃと頭を撫でられて笑う犬獣人の少年。


 食堂なんて立派なものはまだないので、広場にデカい鍋を置いて作った、ごった煮のようなスープをいただく。明日明後日にも追加で物資は届く予定なので、食料の心配はしなくていい。


「おお、これは豪勢だな」


 グシヌスはニヤリと笑って、木のスプーンでスープをかき混ぜた。


 調理係が奮発したのか、ベーコンの塊が惜しみなく入れられている。肉だ! ここしばらく力仕事が続いていたので、これは嬉しい。


「ここ1年で一番豪勢な飯かもしれん……」

「去年なんて酷かったですからねえ……」


 顔馴染みの、元国軍の兵士がしみじみした様子でうなずく。エヴァロティ攻防戦が始まる前の、冬ごもりなんてそりゃあ悲惨なものだった……言葉に出さずとも、グシヌスもそれはよくわかる。


「まあ、どうにか拾った命だ。今を楽しまねばな」


 掘り下げると雰囲気が暗くなりそうだったので、フンと鼻を鳴らして話を切り上げて、スープに口をつけるグシヌス。


 居残り組の数十人。広場で車座になり、堅焼きのパンをスープに浸しながら、和気あいあいと食事を楽しむ。


(酒がほしいところだ)


 まるでキャンプみたいじゃないか、と篝火に照らされる広場を眺めながらグシヌスは目を細めた。


『井戸があるおかげで』というべきか、『井戸があるせいで』というべきか、飲料水代わりのうっすいエールさえないのが悲しいところだ。まあ、これから明日の朝まで魔獣の警戒をしなければならないので、酔っ払って騒ぐわけにもいかないのだが……


「あつ! うま!」


 隊服から飛び出た尻尾をブンブンと振りながら、犬獣人の少年もガツガツと夢中で食べている。



 ――が。



「……え」


 不意に顔をこわばらせて、スン、と鼻を鳴らす少年。


「――――」


 他の獣人たちも、歓談をやめて、一斉に空気の匂いを嗅いでいる。


「どうした、魔獣か?」


 スープの残りを流し込んで、立ち上がりながらグシヌスは尋ねた。


「たぶん……だが嗅いだことがない匂いだ」

「古い血の匂いもする……ロクなやつじゃねえぞ」

「毛が逆立って止まらねえ、なんだこれ」


 どこか空恐ろしげに、口々に答える獣人たち。


 グシヌスは、見張り台に走った。


 とっぷりと日が沈み、薄暗くなった周囲に目を凝らす。元は農地だった平野が延々と続く、見晴らしのいい土地だ。


「何か、見えますかっ」


 ついてきた犬獣人の少年が、ひょっこりと隣に顔を出しながら聞いてきた。


「…………」


 グシヌスは答えない。


 視界の果てに――それが見えていた。


 ゆったりと、滑るようになめらかに、こちらへ向かって歩いてくる影を。


「…………」


 犬獣人はそれほど夜目がきかない。だが、段々と濃くなっていく獣臭に、ますます顔をこわばらせた。


「まずい」


 指を立てて、距離を測ろうとしたグシヌスはつぶやく。元からツンツンしていた髪が、さらに逆立っていた。



 あの魔獣の影――まだ遠いはずなのに、これほどはっきり見える。



 今しがた通り過ぎた灌木、あれは……そこまで極端に背が低くはなかったはずだ。



 ――デカい。ただただデカい。



「総員、戦闘態勢!!」


 グシヌスの号令に、広場が慌ただしくなる。犬獣人の少年も、目を剥いて見張り台から飛び降り、みなのもとへ走った。


(堀と土壁が完成していて助かったな……)


 あんなデカブツと平地でやり合うなんて冗談じゃないぞ……と少年の背中を見送りながら額の汗を拭うグシヌスだったが、視線を戻すと。


「……?」


 魔獣の姿が消え失せていた。



 ――いや、



 ゆら、と影がさす。



 星のまたたき始めた空が、黒に染まって――



「……な」



 見上げたグシヌスの瞳に写り込んだのは、コウモリに似た翼を広げて、悠々と宙を舞う魔獣の腹。



 ズシンッ、と地響き。



「――グオルルルルルァァァァ!」



 堀も土壁も軽々と飛び越え、村のただ中に降り立った魔獣。



 マンティコアが、あばら家を踏み潰しながら、夜空に吼えた。

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