267.機密と迷い


 その夜、タフマンはホブゴブリン亭でいつものように酒を楽しんでいた。


 作業はかなり順調に進んだ。他でもない、聖属性による身体強化のおかげだ。


(やっぱ魔法ってのはすげぇな……)


 ちびちびと蒸留酒を舐めるように飲みながら、しみじみするタフマン。


 聖属性の恩恵は、主にふたつある。


 ひとつは、人類の敵に対する攻撃能力。相手が防御魔法の類を使っていなければ、触れるだけで火傷のような傷を負わせられる。


 もうひとつは、味方を強化する能力だ。魔法や呪詛に対する抵抗力から、単純な身体能力の向上まで、幅広い効果がある。


 タフマンはまだ覚醒した直後で、魔力も微弱、かつ自分しか強化できないが、それでも乾燥してカチカチになった地面を楽々掘り進めることができた。腕力も持久力もかなり強化されていて、獣人と腕相撲しても今なら勝てるんじゃないかという気がしたほどだ。



 そして――それはも同じだった。



 例のリハーサルのあと、タフマンは衛兵隊のうち、「これは」と思う5名に声をかけて回り、マイシンとともに実験を行った。先入観を抱かせないため、リハーサルという名目で成人の儀を執り行ったのだ。


 結果、3名が聖属性に目覚めた。もちろん声をかけたのは青年ないしオッサンだ。

全員、魔王軍と殺る気満々な血気盛んな連中なので、心構えには問題ないはずだが、残念ながらみなが覚醒とはいかなかった。他に何か条件があるのか……目覚めなかった2名の落胆は大きかった。


『ええっ、俺が勇者に!? そんな……剣の道が……』


 そして覚醒したうち1名は、剣聖を目指してガッツリ鍛錬していたらしく、降って湧いた魔法の力で物の理にそっぽを向かれてしまい、喜ぶべきか悲しむべきかわからないようだった。最終的には気を取り直して喜んでいたが。


(いずれにせよ、これはデカい)


 アスラベアとの戦いで、上級戦闘員の必要性を嫌というほど理解させられた。人手不足の自治区に、戦力補充の目処が立ったのは大きな成果と言える。


 ……まさか自分がその一員になるとは、想定外もいいところだったが。


(勇者、か……)


 手のひらをじっと見つめる。


 勇者タフマン。あまりにもしっくりこなくて、笑ってしまう。


 あと少し、目覚めるのが早ければ、アスラベアとの戦いでは死者が減らせたのではないか――そんな考えも頭をよぎったが、詮無きことなのでそれ以上はやめる。


 魔法の力がこの手に宿ったのだ。ないよりは断然マシ、この力を有効に活用していかねばならない……


 ちなみに、勇者と神官の違いだが、それは聖教会で奇跡や魔法についての高等教育を受けたか否か、だ。


 タフマンやその仲間たちが覚醒した直後から自身の身体強化は行えていたように、直感的な聖属性の運用はそれほど難しくない……らしい。つまり、自分や味方を強化したりだとか、武器に聖属性をまとわせたりだとか、だ。


 ただ、それをもっと複雑な形で他の魔法と組み合わせたり、光の神々の奇跡を行使したりするのは、一朝一夕にいかないそうだ。魔法的な才能はもちろん、神話や伝承への深い知識、光属性を身に宿す精神修養など、とにかく時間も労力もかかる。


 つまり勇者とは、そういった教育をすっ飛ばして、とにかく聖属性を直感的に運用することに特化した、前線の剣であり盾なのだ。


 そしてタフマンを含め、衛兵隊の面々はほとんど腕っぷしだけ。消去法的に勇者ということになるのだ。


『ああっ、まさか成人してからも勇者になり得るなんて……聖教国に知らせたい! どうにかできないものか……!!』


 ところで、マイシンの喜びようと嘆きようはなかなかのものだった。今すぐにでも自治区からの脱走を企てかねない勢いだったが……デフテロス王国東部も完全に制圧され、隣国とのつながりが遮断されている現状、それも難しい。


 前線の戦力不足は深刻だ。この情報には万金の価値があるだろうに……


(まあ、俺が考えても仕方ねえか)


 その辺りはマイシンやセバスチャンあたりの、頭がいい連中に任せよう。魔王軍も監視の目を光らせている――自分のような立場の人間は、とにかく下手な素振りを見せないことだ。


 心地よくさえ感じられる倦怠感に身を任せ、酒を味わうタフマン。


 これは、魔法を使った反動だ。身体的にはそれほど疲れていないが、精神的な疲労というべきか、自分の存在そのものが希薄に感じられるような、謎の倦怠感に包まれている。


 マイシンいわく、『そのうち慣れる』とのこと。……あるいはそれが普通になっていくとのこと。


 最初は細かいことは抜きにして聖属性を使いまくり、身体に馴染ませつつ、魔力を育てていくしかない――とのことだったが。



「こんばんは。今日もやってるわね」



 と、酒場の扉が開いて、顔馴染みの娘が入ってきた。



 ――クレアだ。



「おう、こんばんは」


 挨拶代わりに盃を掲げて、朗らかに笑うタフマン。


「あら、ご機嫌じゃない。基地の建設は順調なの?」

「おかげさまでな、かなり捗ったよ」


 いつものように、隣の席に腰を下ろすクレアに調子よく返すタフマンだったが……ここではたと口をつぐむ。


 ちら、と横目でうかがったのは、店主のホブゴブリン。


(……話すわけにはいかねえよなぁ)


「?」と首をかしげるクレアに、誤魔化すように笑って酒をガブガブと口にする。



 ――この聖属性の件、どう扱うか。



 セバスチャンや衛兵隊の退役軍人ら、上層部の人間とともにかなり頭を悩ませた。


『やはり……今しばらくは秘すべきでしょうな』

『ロクに戦力も整っておらん現状、下手に魔王軍に睨まれるのはまずい』

『あの狂王子は我々の強化を望み、喜んでさえいるが、その下僕どもがどう考えるかわからんからな』


 結論は、『可能な限り秘密にする』。魔王軍に対してはもちろん、防諜のため自治区民に対しても、無闇に口外しないことになった。


 聖属性に目覚めた直後は、魔力も一般的な人族とそれほど変わらない。よしんば少しは育ったとしても、上位魔族からすれば誤差程度の違いだ。時間稼ぎは充分に可能とマイシンら聖教会関係者も太鼓判を押した。


 今後とも、折を見て『覚醒の儀』も試みていくつもりだそうだが、人選にはかなり気を遣う必要があるだろう……魔王軍のお膝元で、極力バレないようにするために。



 そしてそれを鑑みた上で、だ。



「……どうしたの?」


 不意に黙り込んだタフマンに、クレアが目をぱちぱちさせている。


「いや……作業はめっちゃ捗ったんだが、張り切りすぎて疲れちゃってな……」


 ははは……と笑って誤魔化す。


(悪いが嬢ちゃんには言えねえ……)


 教えたいのは山々だったが、ホブゴブ店主の目がなかったとしても、クレアは魔王城勤めの稀有な人間だ。日常的に闇の輩と接している人員に、機密情報を漏らすのはマズいことぐらい、流石のタフマンにもわかる。


 いや、教えたいのは山々なのだが。


(嬢ちゃんも、けっこう鬱憤溜まってそうだからなぁ……)


 盃に視線を落として、写り込んだ自分の顔に、憐憫の情が浮かびかけていたのを、慌てて愛想笑いでかき消す。



 クレアは、明るい娘だ。



 だが、どこか空元気というか、まるで人形とでも話しているような、空虚さを感じさせられることがあった。



(周りは闇の輩だらけ、それで仕事をさせられてるんだ。心穏やかでいられるワケねえよな……)


 だからこんな酒場に来て、激辛料理を貪り食い、常連客に気前よくおごったりして給金もパーッと使ってしまうのだろう。


 クレアともそこそこ話し込んでいるが、彼女の身の上話はほとんど聞かされていない。……話すことがないのかもしれない、そんな気がしていた。彼女の肉親が今はどうなったのか、ちらとも話題に上らないのだ。いや、自治区はそもそもそんな人間ばかりなので、容易に想像がつく……


(話してぇけどなぁ……)


 自治区の、ある意味での、真の自立。


 その目処が立ったと聞かされれば、クレアは喜ぶだろうか。それとも、無茶をするべきではないと慌てるだろうか。



 ……なんとなく、後者な気はしたが。



(言えねえよなぁ)



 ――その日が来るまでは。



「なによ、ホントにぼんやりしちゃって、らしくもない」



 テーブルに頬杖を突きながら、クレアが呆れたように笑う。



「ははは、疲れてると酔いもよく回るからなぁ」



 後ろめたさを吹き飛ばすように、陽気に笑って盃を空けるタフマン。



 ……結局、その日は口数の少なさを誤魔化すように呑みすぎてしまい、タフマンにしては珍しく、酒場で酔い潰れる羽目になった。

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