265.儀式と憧憬


 ――真っ昼間のエヴァロティ自治区。


「リハーサル?」


 さんさんと日が照りつける元聖教会の中庭で、タフマンは首をかしげた。


「はい。お付き合いいただけると、大変助かります」


 神妙な顔で声を潜めてうなずいたのは、すっかり神官服が様になり、『見習い』の接頭辞が外れつつあるマイシンだ。



 いつもどおり、朝の訓練を終えたところだった。



 アスラベアの一件を乗り越え、衛兵隊副長の重圧にも慣れ、近ごろはより一層訓練に身が入るようになっている。



 いや……慣れのせいだけではないかもしれない。を生き延び、立ち直った仲間たちの気迫に、感化されたと言ってもいい。


 特に、ドーベルをはじめ、獣人組の熱意は鬼気迫るものがあった。誰もが物の理を超越し、拳聖の境地に至らんと己の肉体を限界まで酷使している。人族も負けじと、剣の道を極めるべく、必死に修行に打ち込んでいた。


 タフマンも頑張ってはいるが……残念ながら、あまり成果は上がっていない。タフマンは肉体の頑強さと根性には自信があるものの、剣の才能は凡百に尽きた。


 衛兵隊には「これは」と思わせられる剣士たちが複数名所属しており、そんな彼らと比べると、才能の欠如は火を見るよりも明らかだった。


 正直、逆立ちしても剣聖になれる気はしない。……だが、それは努力を怠る理由にはならない。


 仮に剣聖になれなかったとしても、集団戦の訓練は必須だ。自分は弱いからこそ、人一倍、連携の技術に磨きをかけなければならないのだ。


 などと自分に言い聞かせて鍛錬に励んでいたところ、マイシンに呼び止められたのだった。


「――成人の儀をやろうと思うんです」


 盗み聞きを恐れてか、ささやくようにして言うマイシン。


 現在、自治区には少なからず未成年の人族も暮らしている。国外に逃げそびれて、捕虜として連れてこられた子どもたち――そして他種族ならいざしらず、人族にとっては、成人の儀は特別な意味を持つ。


「……できるのか?」


 ごくりと喉を鳴らして、タフマンもまた、ささやくように問うた。



 成人の儀は、才能ある子どもを聖属性に覚醒させる儀式でもあるのだ。



「可能です。あのクソ王子のせいで、教会は壊されるわ、大々的な行事は禁じられるわで散々でしたが――」


 マイシンの忌憚のない口ぶりに、タフマンは思わず辺りの様子をうかがう。


「――幸い、成人の儀は陽の光をたっぷり浴びせた盃と、清らかな水と、神官がいれば成立します。……ただひとつ、問題がありまして」

「何だ?」

「うまくやれるか自信がないんですよ……!」


 頭を抱えるマイシン。


「一応やり方は知ってますけどぉ、自分みたいなぺーぺーが取り仕切る儀式じゃないんですよ本来は……!」


 その地区の代表者がやるものなんです、とマイシンは語る。


「じゃあお前じゃん代表者」

「いやまあそうなんですが……。万が一にも失敗は許されないので、予行演習をしておきたいんです」

「俺が子ども役ってことか?」

「はい。誰彼構わず頼むわけにもいきませんし……」


 周囲を見回しながら、マイシンは言う。


 成人の儀――聖属性を覚醒させる(かもしれない)儀式が、容易く実行できることを魔王軍に知られたくはない。闇の輩にペラペラ喋る、口の軽い野郎がそこらにいるとは思えないが、可能な限り伏せておきたいというのがマイシンの考えだった。


 何か後ろめたいことがあるなら、夜にこっそりと――というのが同盟圏のイメージだが、夜行性の魔王国では当てはまらない。はかりごとは、魔族も夜エルフも眠りこけている昼間に、さんさんと日差しが降り注ぐ屋外でやるに限る。これなら獣人にだけ気をつけておけばいい。


「もちろんいいぜ。お安い御用さ」

「助かります!」


 そんなわけで、半壊した元聖教会の壁の内側で、成人の儀のリハーサルをすることになった。



 ――かつてはステンドグラスがはまっていたバラ窓から、さんさんと陽の光が差し込み、タフマンを照らす。



(……懐かしいな)


 水をなみなみとたたえた盃を捧げ持ち、生真面目な顔でゆっくりと歩いてくるマイシンを見つめ、タフマンは胸の内でひとりごちた。


 昔、年若かったタフマンも、こうして成人の儀に参加したものだ。タフマンの故郷のド田舎の農村には、小さな礼拝堂しかなく、管理人がいるのみで神官は常駐していなかった。


 だから、はるばる大きな街まで出かけ、近隣の農村の子らと一緒に儀式に臨んだのだ――もしかしたら勇者になれるかもしれない、と期待に胸を膨らませながら――



 まあ、その結果は、知っての通り。



 タフマンは、普通の『人』だった。



「イグロー村のタフマン」


 眼前。盃を捧げ持ったまま、マイシンが厳かな声でタフマンの名を呼ぶ。


「はい」


 臣従を誓う騎士のように、ひざまずくタフマン。


「【――汝、人と成れ。隣人を守り、隣人を愛する人であれ】」


 朗々と、まるで呪文のように、マイシンが語りだす。


 聖教会が掲げる理想。人族としてのあり方、倫理感。


 そういったものが、学のない平民の子にもわかりやすく噛み砕かれて、祈りの言葉のように切々と投げかけられる。


「【――汝、剣を取れ。人類の敵に立ち向かい、愛する子らのために盾を掲げよ】」


 タフマンは静かに耳を傾けていた。当時はほとんど上の空で、右から左に聞き流していた口上。自分が聖属性に目覚められるか否か、それだけが気になって、落ち着かなくて、早く結果が出ればいいのにと願っていたあの頃……


(俺は……勇者になりたかったわけじゃねぇんだな)


 そんなことを、ふと思う。


 あのときの自分は、勇者という言葉に憧れて、ただ特別な存在になってみたかっただけだった。チヤホヤされるためだけに、おとぎ話の『英雄』になりたいと望んでいたのだ――不純もいいとこ不純な動機だった。


(まあ……子どもだったな)


 苦笑する。その夢を、いとも容易く粉砕されて、自分は普通だったと思い知らされて。タフマンは、大人になったのかもしれない。


 タフマンが参加した成人の儀で、聖属性に目覚めた者はひとりもいなかった。


 もちろん人口比率的にはまったく普通のことだったが、自分を含め、始まる前は興奮気味だった若者たちが、一様にシュンと肩を落とし儀式を終えた、あの失望感漂う空気は今でも昨日のことのように思い出せる。


「【――光の神々よ、ご照覧あれ。我らに加護を。我らに祝福を】」


 ……あの程度の失望、可愛いものだった。魔王軍との戦端が開かれ、どす黒い絶望になんど襲われたことか。



 ああ、今となっては、心の底から思う。



 勇者の力が欲しい。アスラベアとの戦いで聖属性があれば、あの銀色の輝きの加護があれば。



 隊列はもっと強固になり、タフマンの腕が砕けることもなかっただろう。押し潰された戦友も、死なずに済んだだろう――



 だが……そんな夢想も、今となっては虚しいだけだ。



(ままならねぇなぁ)



 願わくば、マイシンの手で執り行われる儀式で、聖属性に目覚める子がひとりでも多からんことを。



「【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ】」



 マイシンの手の中で、銀色の光が燃え上がる。



 捧げ持つ盃の水に流し込まれ、まるで小さな太陽のように光が弾ける。



「【――汝の未来に、幸あれ】」



 そうして、最後の口上を述べたマイシンは、ちょっと迷う素振りを見せてから、盃いっぱいの水をザッパァッとタフマンにぶちまけた。



「おわっぷっ!?」


 しみじみしていたところに、聖属性たっぷりの清らかな水を頭からお見舞いされ、むせるタフマン。軍で勇者や神官の援護を受けたときのように、聖属性特有の高揚と体が強化される感覚があった。


「夏だからいいけどよぉ、いくらなんでもかけすぎだろ」


 タフマンが参加した成人の儀では、神官が手で盃の水をすくい取ってパシャパシャとかけて回る感じだったのだが。


「いやぁ、なんかもったいないなぁとか思っちゃいまして」


 てへへ、と頭をかきながらマイシン。


「これでも精一杯絞り出した聖なる光なんで、消えるのも何だかなぁって……」

「まあ……気持ちはわかるけどよ」


 いまいち貧乏性というか、小市民なマイシンに苦笑が抑えられないタフマン。


「それで、どうでしょう。なんかダメなところとかありました?」

「いや……どうだろうな。わりぃけど、細かいところはわかんねえ。少なくとも違和感はなかったし、よくできてたんじゃないか? 口上もスラスラ言えてたし、威厳たっぷりだったぜ。どの?」


 タフマンがいたずらっぽく笑って肘で小突くと、「やめてくださいよ、そんな畏れ多い……」とおののくマイシンだったが、不意に怪訝そうに眉をひそめて、スンッと真顔になった。


「…………どうした?」


 ジッとこちらを、穴が空くほど凝視してくるマイシンに、たじろぐタフマン。


「……あの、ちょっとコッチ来てもらえます?」


 マイシンが有無を言わさぬ口調で腕を掴み、さんさんと降り注ぐ陽の光の中からタフマンを引きずり出して、日陰に連れて行く。



「おいおい、何だ、よ……?」



 そして、タフマンも気づいた。



 自分が薄ぼんやりと、銀色に光っていることに。



「「…………」」



 沈黙。交錯する視線。



「……随分と長持ちするな? お前の加護」



 手を握ったり開いたりしながら、タフマンはつぶやく。体内でめらめらと炎が燃えるような、強化感は健在だ。



「いや……これ……聖属性を封入しただけなんで……割とすぐに消えちゃうはずなんです、けど……」



 しばし視線をさまよわせたマイシンは、



「……【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ】、これ基本の聖句なんですけど、言ってみてくれません……?」



 ポッ、と指先に聖属性の光を灯しながら、頼んでくる。



 タフマンは学のない平民出身だが、この聖句は戦場で嫌というほど耳にしたので、もう覚えていた。



「…………【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ】」



 ポッ。



「「…………」」



 ふたりで、穴が空くほど凝視した。



 タフマンの指先に踊る、銀色の輝きを。


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