258.『自然』の脅威


「そんじゃ、ひと狩り行ってくらぁ!」

「ちゃんと水は持ったー?」

「持ったぁ!」

「気をつけてねー!」


 豹獣人の若い男、ガアキナは、恋人に見送られながら意気揚々と家を出た。


 今日は真夏日だ。太陽は傾きつつあるが、ぎらぎらとした夏の日差しが街を灼いている。


「アッチぃ!」と悲鳴のように叫んだガアキナは、すっかり瓦礫の片付いた路地を駆けながら、さっさと涼しい山に駆け込んでしまおうと足取りを早めた。


 イザニス領、旧デフテロス県。


 イザニス族はもちろん、他部族の魔族や、夜エルフ、数多くの獣人が住まうこの街は、今回の戦役でイザニス族が新たに獲得した飛び地的な領土のひとつだ。


 もともとイザニス族の本拠地で生まれ育ったガアキナだが、従軍してそれなりに稼いだこともあって、思い切って新たな土地に移住することにした。故郷を離れるのは少し不安だったが、どうせ三男坊で家も継げないし、新天地で一旗揚げようと思い立ったのだった。


(いやぁ引っ越してきてよかったぁ!)


 多少傷んではいたが建て付けのいい家が手に入ったし、街の周囲に広がる山と森が故郷とは比べ物にならないくらい豊かだ! ちょろっと狩りに出かけるだけで、鳥でも獣でも、しばらく食いつないでいけるだけの肉が簡単に手に入る。


 しかもこの間、イザニス族の皆様方が大挙して大物狩りに出かけたので、危険な魔獣もいなくなって一安心だ。


「ふぃーやっぱ落ち着くなぁ」


 蒸し暑い石の街から木陰に飛び込んだガアキナは、湿っぽい森の空気を胸いっぱいに吸い込んで晴れやかな表情を浮かべる。


 生まれついてのハンターたる豹獣人は、やはりこのような自然に溢れた環境が一番しっくりくるのだ。


 慣れた足取りで、どんどん山の奥に入っていく。獲物の足跡やフンなどの痕跡を探しながら。


「~♪」


 このあたりの獣は故郷より平和ボケしているので、鼻歌を歌ったりしても逃げ出さない。デフテロス王国の住民は、よほど腕の悪い狩人ばかりだったのだろう。


「何がいいかなぁ。やっぱ鹿の気分かなぁ今日は」


 家でスープの仕込みを始めていた恋人の姿を思い描きながら、ガアキナはデヘヘとだらしなく相好を崩す。引っ越してきてよかったと思う理由のひとつが、恋人ができたことだった。同じように新天地を求めて引っ越してきた、気立てのいい娘。


 戦争では、魔法で焼き殺されそうになったり、人族の矢で耳が欠けたりと散々な目に遭ったが(なぜ人族の矢と断定できるかというと、あれが森エルフの矢だったら今ごろ生きていないからだ)、ここにきて将来の展望が明るくなってきた。


「デフテロス最高! 滅んでくれてありがとよぉ!」


 などと、ウキウキで人生を謳歌していたガアキナだったが……


 それから山に分け入ることしばし。


「……ん?」


 スン、と鼻を鳴らして怪訝な顔をする。


「……なんか……焦げ臭いな……?」


 彼が犬狼系の獣人だったなら、あるいはもっと早く気づいていたかもしれない。


 それでも、並の人族より感覚の鋭い彼は気づいた。明らかに、森の涼やかな香りではない臭いが混じっている。近くの大木にヒョイと飛びついたガアキナは、するすると樹上にまで登っていった。


「あ、ああ……!!」


 そして、山の斜面の反対側を見通して、愕然とする。



 もうもうと立ち昇る煙、めらめらと揺らめく赤色――



「か……火事だァァァァッッ!」



 街から山を挟んで反対側の斜面に火の手が迫りつつあることに、ここでようやく気がついたのだった。




「火事だ!! 山火事だぞォォ!!」


 ガアキナは大慌てで街に戻る。そして片っ端から住民たちに報せて回ったが、全員移住してきたばかりで顔見知りがほとんどおらず、ガアキナの言葉をどれだけ信頼したものか判断できる者がいなかったため、確認などで初動が遅れてしまった。


 また、街の支配者層たる魔族たちが、ちょうど眠りこけていた時間帯であったことも災いした。物見に送られた住民たちが泡を食って帰ってきて、ちょっとやそっとの小火ではないことが確定し、獣人の代表者がイザニス族の館に駆け込んで町長を叩き起こすころには、街の隣の山の頂きにまで火の手が回っていた。


「なぜもっと早く報せなかった!!」


 寝ぼけ眼だったところに街へ迫る山火事を見せつけられて覚醒、ブチギレた町長の老魔族は獣人の代表を殴り飛ばし、手勢を引き連れて現場へ急行。


「まずいですよ! どうします!?」

「木だ、木を切れ!! 水魔法が使えるものはどうにか食い止めろ!!」


 町長は言うが早いか、自らも風の刃を放って街の周辺の木々を伐採し始めた。轟々と燃え盛る山火事は、どう考えても今から消し止められる規模ではない。


 ならば、街の近くの『燃料』をなるべくなくしてしまえというワケだ。既に現場の判断で、獣人たちも斧を手に木々を切り倒していたが、流石に魔族の魔法が加わると効率が段違いだった。


 風の刃に刻まれ、メキメキと音を立てながら倒れていく木々。それを必死で引きずり運んでいく獣人たち。


 が、風魔法を得意とするイザニス族の領地であるため、当然ながら移住した魔族もその親類が多く、水魔法や氷魔法の使い手はそれほど多くなかった。


 そして、魔王級の魔力があるわけでもなし、そんな少人数で燃え盛る山火事を食い止められるはずもなく……


「くそぅ、間に合わん!!」


 町長の老魔族は悲鳴を上げた。もはや熱気で顔が焼けそうなところまで、火の手が迫っている。


 獣人たちは作業を諦めて退避し、魔族でさえ防護の呪文では完全に熱気を防ぎきれず、じわじわと後退を余儀なくされていた。


 しかも風に煽られて、街に火の粉が降り注ぎ始めている。魔族の住居はほとんどがコルヴト族によって改修された石造建築だが、夜エルフや獣人の家、その他商店などは木造も多い。


「家が!!」

「まずい、屋根が燃えそうだ! 誰か水を!」

「壊せ! 燃え広がる前に壊せー!!」


 街もかなり騒がしくなってきた。水魔法の使い手が駆けずり回り、必死で小火を消している。


 イザニス族の面々も、少しでも火の粉が舞い飛んでこないよう、得意の風魔法で風向きを操作するのに全力を傾け始めた。



 ――それから日が暮れても、火勢は留まるところを知らず。



 暑く乾燥した夏日が続いたこともあって、結局周辺の森や山を焼き尽くすまで、火の手は収まらなかった。



 幸い、街そのものが大火に見舞われることはなかったが――木々の伐採や風向きの操作を四六時中強いられたイザニス族は、その多くが、魔法の使いすぎで数日間寝込む羽目になったという。



 ちなみに、この一件を耳にしたとある魔王子は、こうつぶやいた。



 思ったより燃えたな……と。

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