255.聞き取り調査
――タフマンは夕方から酒を飲んでいた。
いつものホブゴブリンの酒場だ。いつもの美味いツマミ、いつもの安くて質のいいエール、続々と酒場に顔を出すいつものメンツ……だが、タフマンの顔色だけが冴えない。どこか心ここにあらずといった様子で。
あるいは、疲れているようにも見えた。いずれにせよこの男らしくない。周囲も気を遣ってか、声をかけづらく感じているようだった。
右手にジョッキを持ったまま、じっと左手に視線を落とすタフマン。
傷ひとつない、まるで新品のような手。
「……あら。今日は早いんだ」
と、酒場の扉が開いて、ローブを羽織った若い娘が入ってきた。
「ああ、嬢ちゃん」
ハッと顔を上げたタフマンは、隣の席に腰掛ける娘――クレアに向け、ぎこちなく笑顔を取り繕う。
「今日はちょっと、早上がりでな。復帰したてってこともあるし」
「魔獣については聞いてたわ。……災難だったわね」
クレアは神妙な顔で言った。
数日前から、自治区はその話で持ちきりだった。衛兵隊が魔獣と交戦し、大損害を被ったと。
あくまでも『交戦』だ。決して『撃退』ではない――
クレアもここしばらく立て続けに酒場に通っていたが、衛兵隊の帰還以来タフマンと顔を合わせるのはこれが初めてだ。
「まぁ、生きて帰れてよかったさ」
はは、とジョッキを揺らしながら笑うタフマン。
何でもないふうを装おうとしているが、いかにもわざとらしく、そしてそんな態度が実にタフマンらしくなかった。
……魔王国側の人員であるクレアは、もちろんすべて知っている。副長のタフマンも挫傷や打撲、左腕の壊死など重傷を負っていたことを。
それら全てを、4日ぶりに訪れたジルバギアスに治療されたことを――
「今日、いい酒入ってる?」
「ええと、ワーリトー・ビーミがあります」
「それ1杯。このおじさんにね」
ウェイターに注文するクレア。
「えっ、嬢ちゃん……」
「気分じゃないんでしょ。わかるわよ」
困惑気味のタフマンに、クレアも肩をすくめる。
「副隊長ってガラじゃないって常々言ってたし、責任感じてるんでしょうけど……」
視線をさまよわせ、言葉を選ぶ。
「……でも、全力は尽くしたんでしょ。なら仕方ないわよ」
だからコレでも呑んで元気出しなさいな、と。
(……情けねえ)
タフマンは唇を噛んだ。こんな年下の娘に気を遣わせてしまった。
副隊長として、責任を感じていたのは事実だ。だが、それだけではない。タフマンはデフテロス王国を守るため、前線で戦い抜いてきた兵士だ。『人族は弱い』と魔族には罵倒されても、それを気にしたことはなかった。
仲間たちと隊列を組み、連携して動けば、どんな強敵にも対抗できる。そう信じていたからだ。
しかし、アスラベアと戦って痛感した。その想いは――あくまで勇者や神官の援護を前提にしたものだったと。
奇跡や魔法、聖属性の力がなければ、こうも弱いのかと。
打ちのめされていたのだ……。
……そんなことを考えると、エヴァロティに帰還してからの
自治区では数少ない実用的な聖属性の使い手。それでも、まだまだ修練が足りず、危篤の者たちを救うことは叶わなかった。重傷者を癒やすこともできなかった。タフマンの左腕もダメになってしまった。
マイシンを責めることはできない。彼自身が己の至らなさを誰よりも嘆き、悔いていたからだ。
――足りていなかった。何もかもが。
練度も、武器も防具も、魔法の力も。自治区にはすべてが足りていない。
『揃いも揃ってボロボロだな。まあ、全滅しなかっただけ御の字か』
尊大極まりない魔王子に鼻で笑われようとも、今回ばかりは、その治療と慈悲深さに平伏することしかできなかった。
歯がゆかった。口惜しかった。
自分はあの場で抗戦を選んだし、ドーベルもそれが正解だったと認めていた。でもあれは、無意識に、国軍時代のように、魔法の援護を前提にしてしまったのではないか。
そう思えてしまって、仕方がなかった。
(やっぱ俺、隊長ってガラじゃねえよ……)
リーダーシップだとか、戦術論だとか、そういう話ではなかった。タフマンが直面したのは、自分の命令で部下が死ぬという現実に、どう折り合いをつけるかという心の問題だった。
それに、現状へのやるせなさがないまぜになって、図太さに定評のあるタフマンといえど、流石に参ってしまったわけだ。
大好きな酒を口にしても、楽しめない程度には……。
だが。
(……くよくよしちゃいらんねえ)
姪っ子くらいの若い娘に気を遣われて、励まされているようでは冥府の戦友たちに笑われてしまう。
こういうときこそ、自分がしっかりして、若者たちを勇気づけなければならないのだ! それこそが、生き延びた年長者の役割なのだ。
(タフマン! しっかりしろ!)
自分で自分を叱咤した。何も解決しちゃいない。だがここでくよくよしていても、状況は好転しない。
ないないづくしで自分の代わりもいない、なら自分が頑張るしかないのだ。
「どうぞー」
トン、と目の前にカップが置かれた。気持ちを切り替えて、グイッと一口。
「……うまい!」
こんなときでも美酒はうまい。ようやくそう思えた。タフマンは自然と笑みを浮かべて、クレアを見やった。
こちらをじっと見つめていたクレアと、目が合う。すぐに逸らされた。彼女は滅多に視線を合わせようとはしないのだ――ガラス玉みたいに綺麗な目だな、とタフマンは思った。
「元気出た?」
「おかげさまでな。ありがとうよ、嬢ちゃん」
ちなみにこの男、普段から何かと理由をつけてクレアに酒やつまみを奢られているが、「どうせ魔王国のカネだし、あたしだけじゃ使い切れないし」などと言われて、まったく気兼ねせず飲み食いし続けている。
酒が関わると、普段の図太さにさらなる磨きがかかる男、それがタフマンだ。
「それで、衛兵隊のみんなはどう?」
「……やっぱりなぁ、俺みたいに凹んでるやつは多いよ。一気に7人ってのは、流石にショックだったからなぁ……」
クレアの問いに、気持ちを切り替えたとはいえ、タフマンはしんみりした調子で応じた。
「戦時中は、誰がいつ死んでもおかしくなかった。だから、戦友の死に慣れたとまでは言わないが、みんな覚悟してたんだよ。でも今回は……まさか、あんな大物に出くわすとは思ってもみなかったからな……」
タフマンでさえ『コレ』なのだ。あの場にいた生き残りも、それをエヴァロティで出迎えた面々も、隊員たちの死を重く受け止めていた。せっかく、平和に暮らせるようになったのに……そんな思いも、否定はできまい。
(……変に慣れちゃいけねえ)
この状況に。タフマンはワーリトー・ビーミをちまちま味わいながら、そんなことを思った。平和に暮らせている、だが今はまだ戦時なのだ。自治区民にとって、同盟にとって。そのことを忘れてはならない……。
「そう……。誰だって、死にたくはないわよね……」
テーブルに頬杖をついたクレアが、木目を指でなぞりながら今さらなことを言う。
「だなぁ……ま、そうも言ってらんねぇけどな」
いざとなったら、クレアをはじめ、自治区のみなのために命を捧げるのがタフマンたちの使命だ。
「衛兵隊の人たち、まだ外を見回ってるんでしょ? そっちはどんな感じ?」
「ああ、俺たちの代わりの小隊がな。報告は聞いたけど、ひでぇもんだよ。魔族どもめ、制圧したならちったぁ手入れしろってんだ」
湿っぽい様子から一転、タフマンはプンスカしながら答える。
「街も村もボロボロ、畑は荒れ放題。オマケに、狼だの野犬だのがそこら中に群れていやがる。しかも、普段は森にいるような魔獣までそのへんの原っぱをほっつき歩いてるんだぜ? これじゃ牧畜どころじゃねえよ……」
住民が消え去って、戦火に見舞われ、国土が荒廃しているのは当たり前だったが、それにしても酷かった。
「特に、西側の魔獣がヒデェって話だ。草原で
……妙な話ではあった。いくらなんでも魔獣が多すぎる。アスラベアのときドーベルが言っていたように、もと王国森林猟兵の獣人は「こんなところにこの魔物がいるのはおかしい」「もっと森の奥にいるはず」と口を揃えて証言していた。
「へぇ……どんな魔物がいたって?」
ガラス玉みたいな瞳を興味深げに輝かせながら、クレアが重ねて問う。
「それがな――」
酒を味わいながら、タフマンは聞かれるがままに話していく。
部下の、経験豊富な猟兵たちから寄せられた報告を。
魔獣の種類、目撃場所、本来の生息域。
覚えている限りの情報を、ありのままに――。
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