254.報せと凶兆


 どうも、いつものように魔王城の私室で勉学に励んでいるジルバギアスです。


 まあ勉学つっても、最低限の教養は身につけたから、もはや趣味みたいなもんだけどな……最近は論理学なんかにも手を出している。


「ジルバ様。アンデッドの遣いです」


 本を読んでいると、ヴィーネが俺を呼びに来た。この時間帯、いつもエンマが日刊エヴァロティを届けに来るのだ。


 部屋を出ると、フードを目深にかぶったアンデッドが、うやうやしく封筒を差し出した。


「我が主エンマより書状にございます……」


 特徴が削ぎ落とされた、中性的な顔つきのアンデッド。以前までは、こうしたやり取りはクレアの役目だったんだが、今はいないからな。


 このアンデッドも、喋れるということは、自我のある上位アンデッドなのか。


 ……などと、最初のころは思ってたんだが。


 封筒を俺に渡したアンデッドが、ぱちんと片目を閉じて、唇でチュッチュと音を鳴らした。


 うん、中身エンマだわコイツ。


 察しのいい俺は、この奇怪な動作がある種の符丁であることを理解し、同じように片目をぱちんと閉じてからチュッチュと唇を鳴らした。


「それでは……」


 ニンマリと笑ってから、すぐに貼り付けたような無表情に戻って、そそくさと去っていくお使いアンデッド(推定エンマ)。


 バルバラのボディを作ってみて痛感したけど、声帯とか唇とか、柔らかいパーツってクッソ難しいんだよな……戦闘とは別方向でかなり高度な技術力が求められる。


 あの唇チュッチュも、お使い用ボディにさえ高度な機能を搭載できるという、ある種の技術力アピールなのだろう。


『お、お主……』


 ん、どうしたアンテ。


『いや……なんでもない……』


 なんだよ。お前、エンマが絡むと時々妙に歯切れが悪くなるよな?



 それはさておき、日刊エヴァロティだ。



 普段に比べ、封筒の中身がゴツい。があったってワケだ、ソファに腰掛けて目を通す。


 衛兵隊に大損害? 何が起きた。


 ……自治区の見回り中、森の近くで夜営してアスラベアに襲われた、と。


 アスラベア――あの腕がいっぱいあるヤツか。俺も前世で戦った覚えがある、アレはなかなか手を焼いたなぁ。盾ごと腕が砕けるかと思った。アダマスで頭かち割ってブチ殺したけど。


 しかし、俺が知る限り、衛兵隊には上級戦闘員がいなかったはず。よく全滅しなかったな……腕が4本? 若い個体か、なるほど。


 必死で抵抗して退かせた、と。人族の脚力じゃアスラベアからは逃げられないし、結果的にいい判断だったろうな。


 しかし、重傷者多数、うち数名は危篤……


「…………」


 俺は思わず顔をしかめかけて、使用人たちの存在を思い出し、どうにか表情を取り繕った。


 ――タイミングが悪い。そう言わざるを得なかった。


 俺は普段から、不定期にエヴァロティを訪れるようにしている。滞在日数もバラバラだ。ソフィアからはスケジュールが立てづらいから事前にハッキリ決めてくれ、と常々言われているが、このスタイルを貫く。


 なぜなら、気まぐれという体を取っておけば、クレアから緊急の報せが届いたとき自然に急行できるからだ。


 だが……今回に限っては、俺は昨日エヴァロティから戻ってきたばかり。行き来は最低でも、4日は間隔をあけるようにしているのだ。レイラの負担もあるしな、本人的には余裕らしいけど。


 俺が今エヴァロティに急行すれば、危篤の者たちも助かるかもしれない。


 しかし、あまりにも都合が良すぎる。そのための『気まぐれカモフラージュ』ではあるんだが、それをここで使うには……緊急性が足りない。俺の中の、冷徹な部分がそう感じていた。


 もちろん、わかってる。紙面上で簡潔に『数名危篤』などと書かれているが、これは人命だ。戦争を生き延び、ようやく自治区の暮らしも安定し始めて、見回りや治安維持に尽力する者たちの、尊い命なのだ。俺の中の熱血な部分が、今すぐにでも助けに行けと叫んでいる。


 わかってる。わかってるんだ。本当はすぐにでも駆けつけたい。だが……


『衛兵たちが生死の境をさまよっているところ、ふらりと気まぐれに訪れた代官が、気前よく治療してやる、と。まっこと美談じゃの、聞きしに勝る名君として讃えられるじゃろう……自治区民にとっては、の』


 アンテが平坦な声で言った。


『ちと、不自然が過ぎるの。ただでさえ自治区民を無償で治療して、少なからず反発を招いておるのじゃ。これ以上は……』


 …………。


 そうなんだよ、な。自分の資産みたいなもんだから、自分が血を流して維持するのもいとわない、というような言い方はしたが。


 そのせいで、俺が増長し自治区を私物化しようとしている、と悪評も流されて対応に苦慮している。


 今回の一件も、ここで駆けつけたらどんな反動があるかわからない。無論、多少の面倒は背負う覚悟はある。だがエンマの高速通信が露見する可能性や、俺が自治区民に肩入れしすぎていると疑念を抱かれる危険性を、今ここで冒す必要があるか。


 自治区そのものの危機、あるいはそれに匹敵する緊急事態ならば、迷いなく動けたのに……!


「…………」


 俺は、断腸の思いで、書状をそのまま畳んだ。


 ……前回訪問から最短の4日後、つまり明後日にはエヴァロティに発つ。それが今の俺にできる精一杯だ……



          †††



 ――結果的に、危篤だった者たちは、翌日までもたなかったそうだ。



 重傷者のひとりも容態が悪化し、俺が到着する前に息を引き取った。



 衛兵隊の死者は最終的に7名になった。



 運悪く、アスラベアと遭遇してしまったために……



 そう、運悪く。



 そのように考えていた。



 俺も、周囲も、当事者たちさえも。



 ――この段階までは、まだ。

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