249.氏族の不満


 ――元デフテロス王国西部、国境付近。


 起伏に富んだ山岳地帯に、狩衣姿のエメルギアス=イザニスはいた。


 この辺りはデフテロス王国の西半分を制圧した褒美として、イザニス族に与えられた領地だ。ちょうどエヴァロティ自治区に接する形で、南北へ縦長に広がっている。


「……いた。向こうだ」


 夜風に狩衣をたなびかせながら、目を閉じていたエメルギアスが、不意に目を見開き眼下の森を示した。


 周囲に控えていたイザニス族の戦士たちとともに、森へ分け入っていく。



 現在、彼らは山狩りの真っ最中だった。



 長らく人の手が入っていない茂みを、槍で、あるいは魔法で薙ぎ倒しながら、エメルギアス率いるイザニス族の戦士団は迷いなく森を突き進む。


 やがて、森の中に突如として出現したのは、やけに開けた空間――木々が折り砕かれ、強烈に『縄張り』が主張された領域だった。


 そこに、巨大な魔獣はいた。


「グオオオオォォッ!」


 青肌の闖入者たちに、寝そべっていた魔獣が起き上がり、咆哮する。コウモリに似た巨大な翼、立派なたてがみ、人を丸呑みできそうな獅子の顔、さらに尻尾はまだら模様の毒蛇になっている。


 マンティコアと呼ばれる、凶暴な魔獣だ。


 エメルギアスは、【伝声呪】と【嫉妬】の権能を組み合わせ、風に呪詛を乗せて飛ばし、「自分よりも巨大で、魔力による強化抜きでは筋力に勝る生物」を『妬み』、広大な領域からマンティコアの居場所を探り出したのだった。


 そう、上位魔族のエメルギアスより、素の状態では強力な魔物。惰弱な人族なら、100人がかりでも敵わないほどの危険極まりない存在。


 しかし、イザニス族の戦士たちは平然としている。魔族は武を誇り、みなが生まれながらの戦士であるとされているが、戦士である前に狩人なのだ。


 この程度の魔獣、恐るるに足らず。


「グルオアァァッ!」


 咆哮を浴びせても顔色ひとつ変えない魔族たちに、強者のプライドが傷つけられたか、マンティコアが爪を振り上げて突進する。


 翼を活かした恐ろしい跳躍は、その巨体に似合わぬ瞬速を生み出し、100歩以上の間合いが一瞬にして縮まるが――



 風魔法を得意とするイザニス族の前で、空を駆けるのは無謀に過ぎた。



「【墜ちろクレッシュ】」


 エメルギアスの詠唱で強烈な下降気流が生じ、地に叩きつけられるマンティコア。


「グオァ――」

「【裂けよスパシモ】」


 すぐに起き上がって襲いかかろうとするも、風の刃に顔面を切り裂かれ、思わずたじろいでしまう。


「【我が名はエメルギアス=イザニス】」


 最底辺の魔族ほどの魔力しかないマンティコアでも、はっきりと感じ取れるほどにエメルギアスの魔力が――威圧感が、膨れ上がった。


「【貴様を狩り殺す者なり】」


 マンティコアのたてがみが逆立ち、目を見開いて、その場ですくみ上がる。


 これまで縄張りの王者として振る舞ってきた魔獣は、初めて、『上位者』の存在を知ったのだった。


「【ね!】」


 鮮烈な威嚇の意志とともに、風の刃が再び浴びせられた。たてがみごと胸を浅く切り裂かれ、脱兎のごとく逃げ出すマンティコア。その翼を活かした跳躍は、逃走時にも役立つようだ。あっという間にその姿が森の奥へ消え去る。


「【裂けよスパシモ】」


 エメルギアスが追加で風の刃を放つと、遠くから「ギャンッ!」とマンティコアの悲鳴が聴こえてきた。尻でも切り裂かれたか。メキメキと木々が倒される音が、遠くから響く――


「よしよし」


 夜空を見上げ、方位を確認したエメルギアスは、薄ら笑いを浮かべて満足気にうなずいた。



 あのマンティコアは――思惑通り、東へと逃げていった。



 縄張り争いに完膚なきまでに敗北した奴は、もうこの地には戻ってこまい。



「……これで、この辺りの目ぼしい大物は尽くしましたか」


 エメルギアスのかたわら、槍を肩に担いだ女魔族が声をかける。


 彼女の名前はヒスィディア=イザニス。エメルギアスの側近のひとりだ。気の強そうな筋肉質の女で、ともすればエメルギアスよりゴツく見える。


 ただ、魔力は伯爵手前の子爵に過ぎず、この頃は成長が著しい侯爵のエメルギアスと並ぶと、その力量の差は歴然だった。


「ああ、そうだな……」


 目を閉じたエメルギアスの足元から、ザァッと魔力を帯びた風が吹き上がり、草木を揺らしながら波のように広がっていく。


「……いないな。あのマンティコアで最後だ、今も必死に逃げているぞ。さっき追い立てたゴアウルフに追いつきかねん勢いだ」


 鼻で笑うエメルギアスに、他のイザニス族の戦士たちが唸る。遥か彼方へ逃げ去った魔獣の位置さえ把握できる、索敵能力の高さ――イザニス族の長い歴史の中で、今のエメルギアスほど【伝声呪】を使いこなしている者はいないかもしれない。



 長らく、一族の者から失望の目を向けられてきたエメルギアスだが、最近は少しずつ周囲の見る目が変わりつつある。



 伯爵に上がってから滞っていた魔力が、再び成長し始めたからだ。今日明日に公爵へ至るほどではないが、確実に、その力は強まりつつある。悪魔の権能の扱いも向上しつつあり、その成果のほどは今回の山狩りを見るだけでも明らかだった。


「さて、連中が新天地で無事に新たな住処を見つけられるといいが」


 皮肉げな口調で、まるで独り言のようにしらばっくれて言うエメルギアスに、イザニス族の戦士たちが意地悪く笑った。



 ――今回の山狩りの目的。



 表向きは、新たに手に入れたイザニス領の害獣退治だが。


「自治区の下等種どもも、『肉』が手に入って喜ぶことでしょうよ」


 お供のひとりがおどけて言い、それにつられて数人が声を上げて笑った。


 そう。発見した大物の魔獣は、すべて殺さずに東へ――自治区の方へと追い立ててあるのだ。


 全部が全部、自治区にまで逃げ続けるわけではないだろうが、相当数の魔獣が流れ込むはず。


 なぜ、そのようなまどろっこしい真似をするのか? 言うまでもなく、自治区代官ジルバギアス――ひいてはレイジュ族への嫌がらせのためだ。



 今回のデフテロス戦役の褒美に、イザニス族はかなり不満を抱いている。



 デフテロス王国西部の主だった都市や砦、城を陥落させてきたイザニス族は、王国の西半分を制圧したと言っていい。


 が、褒美として与えられた領地は、南北に長い国境沿いの土地で、王国西部から中心部に広がる穀倉地帯の大部分は、エヴァロティ自治区に吸収されてしまったのだ。


 理由は、もちろんある。西部の防衛戦を突破したあとは、穀倉地帯を素通りする形で、ほとんど野戦らしい野戦も起きず、『戦で領地を奪い取った』と主張しづらくなったこと。


 ジルバギアス率いるレイジュ族の軍団が王都を陥落させたあとは、すぐに同じアイオギアス派閥のスピネズィアの軍団が戦線を引き受ける約束になっていたこと。


 ……つまり、アイオギアス派閥としては損をしていないのだが、イザニス族が割りを食った形になっているのだ。本来なら広大な穀倉地帯まで手に入っていたのに、山がちで南北の縦長い領地だけもらっても嬉しくはない。


 自治区の食糧事情改善の試みはもちろんイザニス族も把握しているし、その領地が名目上は魔王のものであることもわかっている。


 が、代官にはジルバギアスが任じられ、エヴァロティ王城のみならず、広大な穀倉地帯までをも実質的に手中に収めた。


 さらに、近ごろは、魔王城でもエヴァロティでも、ジルバギアスが「自治区は自分の資産である」などと吹聴しているという報告もある。


 美味しいところをかっさらわれる形になったイザニス族は、もちろん面白くない。


 なので、今回の大規模な山狩りいやがらせにつながったわけだ……自治区は広く豊かな土地だが、区であるがゆえに魔王軍の戦力に乏しく、惰弱な人族と獣人族が防衛の主戦力を担っている。


 神官も勇者も、剣聖も拳聖もロクに揃っていないくせに『主戦力』など笑止だが、つまり自治区は脆い。


 本格的に農業を始めようとしている今、凶暴な魔獣が野に解き放たれれば、少なからず自治区民に被害が出るだろう。


「さぁて、あの若きお代官様は、領地を管理しきれるかな?」


 エメルギアスは愉快そうに言う。これで自治区の農業政策が狂えば、それは間違いなく代官の失態だ。



 ――広大な土地を、自治のみで管理するのは無理があったのでは?



 そのように問題提起すれば、イザニス族が、――穀倉地帯のいくらかを、陛下より賜る機会もあるだろう。



「いや、楽しみですなぁ若!」

「代官のお手並み拝見といったところで!」


 イザニス族の戦士たちも意地悪く笑っている。



 イザニス族の結束は固い。



 特に――こういう分野では。



 魔族において、風のうわさを司る彼らだが、風自身は言葉を語らぬのだ。





――――――――――――――――――――

【お知らせ】

いつも読んでいただきありがとうございます。


おかげさまで、なんと、書籍化が決定いたしました!


皆様ありがとうございます!!!


レーベルや発売時期については、情報解禁され次第、お伝えできればと思います。


今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます!!

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