248.軽い世間話


「クレアちゃんか。よろしく」


 クレアと名乗る少女。伏し目がちだが、お人形のように可愛らしく均整の取れた顔立ちで、ひと目見ればかなり印象に残るはずだ。


 しかし、タフマンにはまったく見覚えがなかった。ということは近ごろ自治区に入ってきたクチだろうか。


(尋ねにくいんだよなぁ、そのへん)


 タフマンはちょっと困り顔で口をつぐむ。自治区民は、自分のように運良く生き延びた兵士ばかりではない。国を脱出し損ねて、愛する家族を喪って、無理やり自治区に放り込まれたような者もいる。


 自分から話しかけておいてなんだが、こういった局面で、初対面なのにずけずけと踏み込んだ話ができるほど、タフマンは図太くなかった。野郎が相手ならともかく、女性に対しては、特に。


「最近、かなり暑くなってきたよなぁ」


 だから、無難というよりは陳腐な話の振り方をしてしまった。


「あっ……そっ、そうね?」


 が、無難な話題のはずなのに、何やら笑顔のまま挙動不審になるクレア。ローブをいそいそと脱ぎ、わざとらしくパタパタと手を扇いで、「いやー暑いわねー」などと言い出す。


「いや……でも、今夜はけっこう涼しいなって……」

「そうねー! 洋服があんまりないから温度調節が難しいわー!」


 今度はいそいそとローブを羽織り始めるクレア。……割と不思議ちゃんに声をかけちまったかもしれねえ、とタフマンは思った。


「服が足りないなら、知り合いに職人がいるから紹介するが……?」


 この酒場で飲み食いしているということは、それなりに給金のある役職持ちのはずだ。……いや、それにしては、やっぱり顔をまったく知らないのはおかしい。


「嬢ちゃん、どんな仕事してるんだ?」


 少し声のトーンを落としてタフマンが尋ねると、声の調子の変化を敏感に感じ取ったか、クレアがスンッと表情を消した。


「……王城で、役人の手伝いをさせられてるわ」

「えっ、王城で……?」


 目を見開く。自治区が始まって以来のメンバーたるタフマンをして、そんな人族がいるなんて聞いたこともなかった。行政は完全に夜エルフや悪魔、ホブゴブリンたちに掌握されているはずだが……?


「その、あたし普通の自治区民じゃないのよ」


 バツが悪そうな表情を浮かべて、肩をすくめるクレア。


「あたし……下級官吏の娘だったんだけど、字が綺麗でね。物好きな魔族に捕虜にされてから、色々書類仕事をさせられてたの。いわゆる技能奴隷ってやつ。夜エルフの役人の報告書の清書とか、手紙の代筆とか、色々」

「ああ……そういうのもあるのか」

「それがまあ、紆余曲折を経て、自治区に来ることになったってわけ。……だから、捕虜というより、元々魔王国に使われてた側っていうか、そんな感じなの」

「なるほどなぁ。道理で面識がないはずだ」


 そもそも自治区に入ってきたルートが違うのか、とタフマンは納得した。元々魔王国で使役されていたなら、王城に出入りが許されているのも理解できる。そして書類の作成やらの高等技能を持っているなら、自治区では最低でもタフマンと同等、あるいはそれ以上の給金があるだろう。


「そういうあなたは?」

「俺は、衛兵隊の副隊長をやってるよ」


 逆に聞き返され、こちらもバツが悪そうに答えるタフマン。バツが悪いというか、窮屈というか。


 タフマン自身は、最大限に出世してもせいぜい兵長(現場の兵士としては最上級だが、指揮能力はない)くらいだろうと思っていたので、『副隊長』という肩書がどうにも収まりが悪く感じられて仕方がなかった。


「へぇ! 副隊長、すごいじゃない。……タフマンって、確かに名前を聞いたことがあるわ。あのタフマンなのね」

「……たぶん、そう」


 ちなみにタフマンが知る限り、自治区に同名の野郎は存在しない。


「はい、おまちどー」


 と、そのとき、ウェイトレスがタフマンの料理と酒を運んできた。


「うおおっ、来た来た……!」


 ぱぁっと顔を輝かせるタフマン。


 木のカップになみなみと注がれたワーリトー・ビーミに、香辛料とともに夏野菜を炒めてチーズを振りかけ、それをさらに窯でカリッと焼き上げたもの。肉は高級品なので、ベーコンがほんのちょっと入っているだけだが、これがまた美味い。


(むっ。しまったな……)


 が、刺激的な料理の香りを楽しみつつも、自らの『失策』を悟るタフマン。


 ついつい何も考えずに、いつもの料理を頼んでしまったが、まろやかな口当たりのワーリトー・ビーミには合わないかもしれない。


(いや! わからない……まずは一口……)


 両手で捧げ持つようにしてカップを掴み、口元に運ぶ。


「うっ……うめぇ……!!」


 薄く涙さえ滲ませて、しみじみとしてしまう。疲れた体に酒精がスゥーッと効く。五臓六腑に染み渡るとはこのことか……! エールなどとは比べ物にならないくらい強い酒なのに、まろやかなせいでグイグイ飲めてしまう。


(いかん! この酒は危険だ……!!)


 いつぞや、砦を放棄して撤退する際、戦死した指揮官秘蔵のアーリエン・ビーミを戦友たちと飲んだことがあったが、あれに比べると、ワーリトー・ビーミは庶民的な味ではある。


 が、だからこそ、気さくな友人とつい話が弾んでしまうようなノリで、ゴクゴクいけてしまう!


 決して安くはないのに! 気を抜くと……まずい! 今月の出費が……!


 グイグイ飲みたいがグイグイ飲むわけにはいかぬ。タフマンが手の中のカップ――一瞬にしてかなり目減りしてしまった――とにらめっこしていると、


「ふふふ……」


 隣から軽やかな笑い声。クレアが笑いを噛み殺していた。


「あ……すまん」


 完全に存在を忘れ去り、酒に集中してしまった。普通に失礼だった。


「いいのよ、お酒好きなのね」


 ともすれば姪っ子ほどに若い娘に、くすくすとおかしそうに笑われて、面目ないやら何やら。


「でも、副隊長様なら、そのくらいのお酒は好きに飲めちゃうんじゃないの?」

「いや……給金は、一般隊員とほとんど同じだからよ……」

「ええー、なんで?」

「うーん……たくさんもらって、偉そうにふんぞり返っていられるほど、俺は立派な人間じゃないのさ」


 飄々と肩をすくめるタフマンに、クレアはぱちぱちと目を瞬いて黙り込んだ。


「それ、そんなに美味しいの?」

「美味い。かなり美味い」

「ふーん。じゃ、あたしも頼んでみよっと」


 ウェイトレスを呼び止めて、ワーリトー・ビーミを注文するクレア。こんな気軽に頼むなんて、よっぽど懐に余裕があるんだな、とタフマンは驚いた。


 間もなく運ばれてきた木のカップを、揺れる透明な液体を、クレアはどこか冷めた目でしげしげと眺める。


「副隊長様との知己に」


 ちょっとからかうような調子で、ずいとカップを突き出してきた。


「涼しき夏の夜に」


 意趣返しでニヤリと笑いながら、タフマンもカップを差し出す。


「「乾杯」」


 グイッ、と煽る。


「うーん……」


 口に含んで、無表情でモゴモゴしたクレアは、飲み込んでから首を傾げた。


「……やっぱり、ダメだわ。あたしお酒の良し悪しがわかんない」

「ええ……」


 あまりの無感動っぷりに、タフマンは一切の遠慮なく、信じられないものを見るような目を向けてしまった。


「これ、あげるわ」


 そして一口飲んだだけのカップを、そのままタフマンのテーブルに置くクレアに、もっと目を見開く羽目になった。


「ええっ!? いいのか!?」

「そのお酒も、あたしみたいなより、お酒好きに呑まれた方が嬉しいでしょ、きっと」


 どこか皮肉げな――卑屈ささえ混じる調子で言うクレアだったが、タフマンはもうそれどころじゃなかった。


「あっ……ありがてえ……!!」


 話題に関しては図太くないが、酒に関しては図太い男であった。恥も外聞もなく、クレアにへこへこと頭を下げながら、だらしなく相好を崩している。


 クレアはスンッと無表情になったが、あるいは、呆れのあまり、どんな顔をすればいいのかわからなくなってしまったのかもしれない。


「……ねえ、代わりと言っちゃなんだけど、もっとそっちの話、聞かせてよ。衛兵隊って今どんな感じなの? 仕事はどう?」

「そうだなぁ――」


 ワーリトー・ビーミを上機嫌で飲みながら、聞かれるままにクレアの質問に答えていく。


「ぼちぼち、壁外の活動域も拡張されるからなぁ。これから畑やらの整備やら何やらでもっと忙しくなって、人手が――」

「へぇー、そうなんだー」

「ただ、警備がなかなか厳しくなりそうというか……あ、この警備ってのは、俺たち自治区民の自衛って意味でな? ほら、魔王国で人族ってさ――」

「ああー、そうだよね。色々とあるもんねー」

「代官の魔王子が言ってたけど、他の敵対的な魔王子が、何か仕掛けてくるかも知れないって――」


 うまい飯、いつもよりさらにうまい酒、それに話をせがんでくる姪っ子みたいな嬢ちゃん。


 タフマンは本当に、いつになく上機嫌で、色々と話した。衛兵隊について、自治区の今後への不安、衛兵隊のあれこれ、セバスチャン経由で聞いた噂話――クレアが、話の合間に何かと注文して、酒をおかわりしたり、つまみをわけてくれたりしてくれるものだから、これがまぁ止まらない。


「……まぁ、そういうわけで、今度新しく村もできるって話でさ。ただ、他の魔王子も何するかわかんねーし、もしかしたら、魔獣とかもまた出てくるかもしれねえし、俺たちも頑張らねえと」


 ほろ酔い加減で、いじましくカップの底に残った一口分の酒を揺らしながら、タフマンは語る。


「ま、壁外の危険は俺たちがどうにかするから、嬢ちゃんは安全なとこでゆっくりしててくれよ」

「ご親切にどうも、ありがと。でも心配ご無用よ、あたしどうせ日中はほとんど外に出なくて、闇の輩の手伝いばっかりさせられてるから」

「……へえ」


 タフマンは、不思議そうに目をしばたいた。


「連中、夜行性なのに、昼間に仕事させられてるのか?」


 というか、闇の輩にとって今は真っ昼間な時間帯なわけだが、クレアは酒場で酔っ払いの話なんて聞いてる暇があるのだろうか。


「…………だからこそ、よ。連中が寝ている間に、諸々片付けとかなきゃいけないってワケ」

「あー、なるほど、逆になぁー」


 色々あるんだなー、とタフマンは納得した。


「さて……でもそろそろお暇するわ。久々に外の、と話せて楽しかった。ありがとう」

「こっちこそ、悪いな、色々と――」


 改めてテーブルを見ると、これまで調子に乗っていたが、器やカップの数に思わず沈黙してしまうタフマン。


「あの……やっぱり、俺も半分くらい……」

「もう支払いは済ませたわ」


 恐る恐る財布を出すタフマンに、そっけなく肩をすくめるクレア。


「大丈夫よ、たぶんあなたより給金もらってるから。でもあたしだけだと、使い道がないのよ。……ホントに、ないの。だからここは気分良くおごられといて、ね?」


 姪っ子くらいの若い娘におごられるとは……とちょっと情けなくなるタフマンではあったが、ここまで言われてうじうじするのも無粋な話だった。


「今度は俺がおごるよ」

「あはっ、だから気にしなくていいって。あたし……少食だし」


 席を立ち、ひらひらと手を振るクレア。


「ただ、今日は話を聞かせてもらってばかりだったから、今度あったら、あたしの方から色々話してあげるわ。とか」


 それじゃ、とクレアは去っていった。ふわりと柑橘系の香りが、鼻孔をくすぐる。


 送っていくべきか迷ったが、王城まで大通りを歩いてすぐだし、今のところ自治区の治安は良い。



 同族を襲う恥知らずや無法者なんて、そもそも今日まで生き延びること自体が、稀だから――



 そして、この日を境に、タフマンはホブゴブリンの酒場で、クレアと度々をするようになったのだった。






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※いつもお読みいただきありがとうございます!


 今日から【武装宣教師ヒカリノ】というサイコホラーを朝7時に毎日投稿します。全26話で完結済み、初日は一気に3話更新です。


https://kakuyomu.jp/works/16816700429313757172


 ゾンビパニックで滅びかけている地球、日本を舞台に、光の神『エファアシーン・ジウラ』の使徒を名乗る青年が人々を導き、救済していく物語です。


 ジルバギアスともども、お楽しみいただければ幸いです! どうぞよろしくお願い申し上げます。(カクヨムWEB小説大賞にも参加しておりますので、面白かったら★レビューや♥いいねなどで応援していただけると嬉しいです!)

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