247.賑わいと潤い


 自治区の運営が始まって、しばらく。


 春は過ぎ去り、エヴァロティは夏を迎えようとしている。衛兵隊の訓練を終えて、水浴びでスッキリしたタフマンは、少しばかり賑わいを取り戻した元王都の通りを、弾むような足取りで歩いていた。


 ――時折、王城を訪れる魔王子ジルバギアスの治療により、エヴァロティの重傷者はひとりもいなくなった。


 その代わり、みながキリキリ働く羽目になったが、おかげで街並みは概ね元通りになっている。


 もっとも、魔族の手が入った建造物は、のっぺりとした継ぎ目のない石材でできており、無骨で不気味な姿を晒しているが……同じく、そびえ立つ元王城の、魔族風に改築された異様な外見も相まって、否が応でもここが『魔王国』の一部であることを再認識させられる。


 それでも、人はたくましい。


 靴の修理を請け負う靴職人がいたかと思えば、包丁や鍋などの日用品を打ち始める鍛冶師もいる。魔王国からの供給品をやりくりして、商店を始める者さえいた。


 どんな状況にも適応し、みながそれぞれに生活を営んでいる。


 道行く人々も顔見知りは多かったが、段々と知らない者も増えてきた。王国東部が完全に制圧され、他国へ逃げ損ねた捕虜たちが自治区に輸送されてきたからだ。自治区の人口は、当初の数倍にまで膨れ上がっている。


 衛兵隊の副隊長として各所に顔を出しているタフマンも、さすがに全員は把握できなくなってきた。


(イザベラさんとニーナちゃんは、結局いなかったな……)


 糸紡ぎに精を出す女を眺めながら、タフマンはそんなことを思う。戦友の妻とその娘。エヴァロティ脱出軍とともに王都を離れていったが、無事に国外へ逃げ延びたのか、それとも落伍して殺されたのか。判断がつかず、口惜しかった。


 何より――


(仮に逃げても、生活は苦しいだろうな……)


 そう思うと、暗澹たる気分になる。下手に国外で難民として暮らすより、自治区民になった方が平和に暮らせていたのではないか。そんなことを考えてしまう。



 ――その『平和』が、仮初で極度に不安定なものに過ぎなかったとしても。



 風のうわさに聞いた。次の魔王国の侵攻先は、アレーナ王国になるらしい。


 周辺国でもきっての武闘派で、数十年前まで隣国と領土争いを繰り返していた跳ねっ返り国家だ。もちろんデフテロス王国とも争ったことがあり、国境の砦は占領されたままになっている(アレーナ王国が領有を宣言したが、歴代オッシマイヤーがそれを認めなかった)。


 ただ、魔王軍の脅威が迫ってからは、流石に周囲との協調路線に切り替えている。アレーナ王国の軍は精強であると知られていたが――


(けど、魔王軍相手には何ヶ月もつことか)


 今となっては、そう思う。


 魔王子を通して、魔王軍の実態を垣間見た今となっては――。



 現在、タフマンは新たに捕虜として自治区に入ってきた、指揮官級の人材数名から士官教育を受けている。



 自治区の運営が開始された直後は、復興作業や農業で体力づくりをしつつ本格的な練兵も試みていたが、タフマンは一兵卒だったので、自分が国軍で受けていた訓練をそのまま再現するようなことしかできなかった。自分でも「これでいいのか?」などと首を傾げながら、周囲と相談しつつ、見様見真似でどうにか衛兵隊を形にしようとしていた。


 そんな折、各戦線でかろうじて生き延びた指揮官級の人材が流れ込んできて、事情が改善。喜んで彼らに副隊長の役目をぶん投げ、一兵卒に戻ろうとしたタフマンだったが、状況がそれを許さなかった。


 すでに、自治区のみなの厚い信頼を集めていたこともあるが、指揮官級(=元貴族や、貴族の関係者)が下手に地位を得ると魔王軍を刺激しかねないこと、本来は一線を退いていたはずの老兵が多いことなどから、タフマンが副隊長のまま、彼らは顧問や助言者といった立場に収まることになった。


 というわけで、近ごろは暇をみつけては、戦術論やら読み書き計算やらを寄ってたかって叩き込まれている。


 無学なタフマンではあったが、地頭は悪くなかったし、過酷な実戦経験に基づく、戦場の流れを読むセンスのようなものを持っていた。これで、どうしようもなく愚鈍な人物だったなら、関係者も諦めたのだろうが。


 なまじ適性があったため、みなが必死だった。タフマンは、生き延びた指揮官級に比べると若く、自治区の未来を――人類の未来を背負って立つ人材として、期待されているのだった……


 無碍にはできない。


 ああ、まったくもって無碍にはできない。


 魔王軍に叛逆して生き延びる未来は見えないが、だからといって、諦めるわけにはいかなかった。


 しばらく前にセバスチャンが魔王子と謁見した際、アレーナ王国も自治区化されるであろうことをほのめかされたそうだ。


 今後、魔王軍が侵攻を続けるにつれ、どんどん自治区が増えていくのだろう。


 ひとつの自治区が反旗を翻しても一瞬で制圧されるだけだが、複数が一気に叛乱して、それに同盟軍が呼応すれば――あるいは――


 いや、離れた自治区同士でどうやって連携するのか、とか、同盟軍とどうやって歩調を合わせるのか、とか、問題は山積みなのだが。


 最悪の場合、どこかが先走れば、なし崩し的に叛乱が連鎖する可能性もあり、そうすれば自動的に、魔王国初の自治区たるここエヴァロティが、『最前線』になりかねないのだ。


 備えないわけにはいかない。


 勇者や剣聖、神官といった上級戦力に乏しい自治区など、魔王子ジルバギアス単身で制圧されてしまいそうではあるが。


 マイシンたち神官見習いは鬼気迫る様相で修練に励み、衛兵隊の中にも、魔王軍への復讐を誓って、剣聖に至るべく死物狂いで修行に打ち込む者もいる。


 それを間近で見ているからこそ、タフマンも日々の訓練に加え、慣れない士官教育に食いついていけているのだった。


 このまま、心折れて何もしなければ、それは『奴隷』にほかならない……


 自治区民と奴隷では扱いが天と地ほども違う。だからこの仮初の平和な生活を守るためにも、人類の未来を勝ち取るためにも。


 戦おうとする姿勢を、見せ続けなければならない。


 教育を受け、魔王子を通して魔族のあり方を知り、理想と現実の落差が見えてきてしまったタフマンには、頭がおかしくなりそうな日々ではあったが。



 ともあれ、そんな元一兵卒の身には過ぎた苦悩を忘れるため。



 週に2日だけ、酒場に足を運ぶことを自分に許しているのだった。



「らっしゃーい」


 大通りに面した酒場のドアを開けると、にぎやかな声と人々の熱気が溢れてきた。刺激的な香辛料の香りが食欲をそそる――忙しげに歩き回る人族のウェイターにウェイトレス、奥のカウンターでは緑肌の人型生物が神経質そうな顔で台帳に何やら記入している。


 そう、ここはホブゴブリンが経営する店だった。


 自治区民が出入りできる店では、最も上等と言えるかもしれない。自治区民が営む飯屋や飲み屋もあるが、魔王国の住民が用意した店だけあって、やはり基盤が違う。

クオリティが違う。そんな店で飲み食いするのに、忸怩たる思いがないといえば嘘になるが、もとより今の自治区は魔王国からの物資供給に生かされている状態だ。


 今さら悔しがったところで、何になるだろう。


 加えて、上等な酒がある! 上等な酒があるのだ、ここには!!!


 タフマンの衛兵隊の給金は、ほとんどこの店のためにあると言っていい。ちなみに給金だが、一般隊員とほとんど同じで、士官教育で負担が大きい分、ちょっぴり手当を多めに受け取っているだけだ。それもこの店でパーッと使うので、タフマンの普段の生活は質素なものだった。


「おや、またあんたか。よく来たな」


 もはや常連客であるタフマンの姿を認め、ホブゴブリンの店主がニヤリとギザっ歯を出して笑う。


「喜べ。今日はこの店には過ぎた銘酒が入っているぞ。もっとも、高いので誰もまだ注文していないがね……」

「何だと……!? 何が入った?」


 店主の言葉に、思わず前のめりになるタフマン。


「ふふふ……ワーリトー・ビーミだ」


 ワーリトー・ビーミ――それはデフテロス王国東部を発祥とする蒸留酒で、アーリエン・ビーミには数ランク劣るものの、まろやかな口当たりと一般庶民にも手に届く価格により、広く親しまれている銘酒だった。


「……いくらだ?!」


 ごくりと生唾を飲み込みながら尋ねるタフマンに、指を4本立ててみせる店主。


「くっ……!!」


 大出費。大出費ではある。だが……!!!


「1杯くれ……!!」

「つまみはいるかね」

「いつものやつで頼む……!!」

「毎度」


 上機嫌で台帳に書き込む店主。タフマンは敗北感と高揚感を同時に味わいつつ、お気に入りの席に座った。


 当初は――ホブゴブリンの店主に対して偏見もあったが。


(見た目がアレなだけで、魔王国側の住人の中では一番マシかもしれん……)


 などと、近ごろは思い始めているタフマンだ。


 夜エルフは偉そうで顔をブン殴りたくなるし、魔族と悪魔は論外。猫系獣人は露骨にこちらを嫌っているし、犬系獣人への当たりの強さも目に余るほどだ。オーガは、あんまりいないが、近寄りたくはない。


 そんな中、ホブゴブリンは……何というか、普通だった。


 どこか事務的で一線を引いた態度ではあるが、良くも悪くも商人らしいドライさがあり、愛想笑い(らしきもの)を浮かべたりもする。


 酷いマイナス面がないというだけで、相対的に高評価だ。それに、この店も割高ではあるが、それに見合った質を提供している。ゴブリンなんかの酒が呑めるか! と根強く反発する者もいるが、少なくとも、この店に集う連中は、酒の味がわかる者ばかりと言える――


「…………」


 と、酒を酌み交わす自治区の住民たちを眺めていたタフマンは。


 そのときふと、自分の隣の席、店の一番隅っこに、見覚えのない客がいることに気づく。


 小柄で細身だった。体格からして女性だろうか? 自治区の男女比は男がちょっと多めといったところだが(新たに自治区に入ってきた捕虜は逃げ遅れた女子供が多かった)、それにしても女が独り身でこんな店にいるとは珍しい。


 一番安いエールを頼んでいるようだが、ほとんど口をつけておらず、代わりにこの店の名物でもある激辛料理をちまちまと口に運んでいる。


「お嬢さん、誰かと待ち合わせかい?」


 普段ならそっとしておくところだが、どことなく、寂しげな雰囲気をまとっているようにも見えたので、声をかけてみた。


「……いいえ。ひとりよ」


 ちょっとびっくりしたように、ピクッとするローブの人物だったが、落ち着いた声で答えてきた。やはり女だ、しかもかなり若い。


「そっか。それ、辛いのによくパクパク食べられるなぁ」

「……辛いものが好きなの。だからつい、時々食べに来ちゃう」


 ひょいと辛子を口に放り込み、もぐもぐと咀嚼する女。常人ならエールをがぶ飲みせざるを得ない辛さだろうに、顔色ひとつ変えないとは……よほど辛い物好きなのだろう。


「すげぇな……おっと申し遅れた、タフマンだ。よろしく」


 感心しつつも、紳士的に名乗るタフマン。


「ああ、これはどうも丁寧に」


 女がフードを外した。短く整えられた亜麻色の髪、可愛らしくもどこか人形じみた顔つき――


「クレアよ。よろしくね」


 そう言って、クレアと名乗る女は、出来すぎなくらいニコリと微笑んだ。

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