243.極上の美味


 どうも、自治区民たちの治療を受け入れ始め、数日が経つジルバギアスです。


 かなり重傷者も減ってきたな。心なしか、街も活気づいてきた気がする。


 リリアナと転置呪についても情報開示できたし、魔王国の真の脅威を念頭に置いた上で、着々と叛乱目指して頑張ってほしいと思う。


『ホントに叛乱起こせるかのー? 心折れとらんかーあやつら?』


 いや……まあ多少はショック受けてるみたいだったけど……だからといって、大人しく諦めるわけにもいかないだろ。


 この程度のことで折れてもらっちゃ困るんだよ! 知ろうが知るまいが相手の実力は変わらねえんだからさ!


 まあ腑抜けてるようだったら俺が直々に発破をかけてやろう。そのための治療なんだからな!!


「殿下、自治区民どもの治療についてなのですが……」


 ところで、夜エルフ役人・ニチャールからは少し苦言も呈された。


 めちゃくちゃ言いづらそうに遠回しな表現を多用されて鬱陶しかったが、要約すれば、「人族とか獣人族とか治療するくらいなら、我ら夜エルフももうちょっと治療してくれない?」という要望だった。


 イヤだよ。誰が好き好んで夜エルフなんか。


 と言いたいところだったが、俺はぐっと堪えた。まあ魔王軍みうちから多少の反発はあると思っていたので、ちょうどいい。


「自治区民は、魔王陛下からの預かりとは言え、実質的には俺の資産のようなものだからな。自らの資産を管理維持するためなら、無理ない程度に身を削るくらいのことはしよう」


 俺はすまし顔で、いけしゃあしゃあとそんなことを言った。


「そしてニチャールよ、お前たち夜エルフは魔王国の一級国民であり、俺の資産ではない。……もし、その権利を全て手放し、自治区民になろうというならば……考えてやらんでもないぞ」


 なるか? 俺の資産に? なるんか? おお? と俺が圧をかけると、ニチャールはすごすごと引き下がった。


「あの、殿下。それはつまり、御身に忠誠を捧げ、自治区民としてお仕えすることはいつでも可能、ということでしょうか」


 俺とニチャールの話を聞いていたタヴォーが、代わりに話しかけてくる。


「うむ。まあ父上に一言、俺から申し上げる必要はあろうが、拒否されることはあるまいよ」

「左様ですか……」


 お答えいただきありがとうございます、と一礼し、タヴォーは何やら考え込みながら去っていった。


 ……俺が魔王に意見を具申した影響で、ホブゴブリンたちも活躍の場を奪われずに済んでいるが、連中の立場は依然として不安定だ。


 ひょっとすると、職にあぶれて生活もままならなくなった場合、俺の庇護を受けられる自治区民としてのあり方も検討しているのかもしれない、などと思った。


 まあ……そうなったら、俺は許そう。クレアには気の毒だが、ホブゴブリンはゴブリンと見た目が似ているだけで、それほど人類に仇なす存在ではない。むしろ歴史を紐解けば、ゴブリンと同列扱いで、人類に迫害されていたことの方が多い。彼らの境遇は、ガルーニャの白虎族に通じるものがある。


 共存を選ぶというならば、俺は許そう。人類に仇なすことがない限りは……な。



          †††



 その日も相変わらず、ヴィロッサと血みどろの訓練をしていた。


 すると一段落したあたりで、ヤヴカが俺を訪ねてきた。


「殿下、先日の件なのですが……」

「先日?」

「あの、吸血種の存在が露見したやも、という」


 ああ、お前がうっかり見られちゃって、夢ということで誤魔化したっていう。


「どうだった?」

「結局、バレてはいなかったようです。自治区民が騒いでいる様子もございません」


 ホッと胸を撫で下ろしながら、ヤヴカが報告した。まあこれで「吸血鬼どもがいるらしいぞ!」って自治区民たちが動揺してたら、俺の耳にも入ってただろうからな。実際に、気づかれてはいなかったんだろう。


「良かったな。警戒されたら吸血もしづらかろう」


 俺はあくまで、「本人が吸われたのを気づかない程度の吸血ならセーフ」というスタンスだ。吸血鬼どもの理性と自制に期待する。


 幸い、これまで干からびた死体が見つかったという話も聞かない。ヤヴカが念入りに人選しただけあって、自治区の吸血鬼はかなり理性的に振る舞っているようだ。


 ……今のところは。


 問題は、いつかうっかりやらかす奴が出てくるんじゃないか、ってことと、ヤヴカが拒否した吸血鬼がこっそり入り込んでくる可能性があることだ。


 後者に関しては、吸血鬼どもの夜警に期待するしかない。蛇の道は蛇ってな。もし被害が出たらヤヴカともども日晒しの刑だ、地の果てまでも追い詰めて絶対にブチ殺してやる。


「…………」


 と、こちらを凝視するヤヴカ。


「どうした?」


 俺が怪訝な顔をしても答えず、熱に浮かされたように俺を見つめている。



 たら……と、その口の端からよだれが垂れた。



「…………」


 それで改めて自分の体を見下ろしたが、ヴィロッサと仲良く斬り合い、全身が青い血まみれだった。今も、ぽたぽたと指先から地面に滴り落ちている。


「ああ……」


 それを見て、もったいなさそうな声を漏らすヤヴカ。


「なんだ、飲みたいのか?」


 俺がからかうように問うと、ヤヴカはハッと我に返り、よだれを拭う。


「すっ、すみません! つい……」


 いつものツンと気取った表情を取り繕うが、物欲しげな目は相変わらずだ。


「魔族の血って美味いのか?」

「……わかりません、飲んだことがございませんので。恐れ多くて、お願いすることもできませんし……」


 ごくっ、と生唾を飲み込みながら、ヤヴカは――


「ただ……素晴らしく芳醇な、魔力の香り……これは……!」


 ――目は口ほどに物を言うってやつだ。


 垂涎ってのは、こういうのを言うんだろうな……酒飲みの前にアーリエン・ビーミの瓶をぶら下げたら、きっとこんな顔をするだろう。



 ……ふと、悪戯心が芽生えた。あるいは知的好奇心。



「飲んでみるか?」


 俺が手を差し出すと、ヤヴカは幻の酒を渡された酒飲みのように目を見開いた。


「よっ、よろしいんですの!?」

「うむ。何だかんだ吸血種たちもよくやっているようだからな。それをまとめ上げた褒美としてくれてやろう」


 どうせ、さっきからダバダバ地面に捨ててるわけだし。吸血鬼に魔族の血を飲ませたら何が起きるのかも興味があるしな。


「あ……ありがたき幸せ……!!」


 感極まったように背筋を震わせながら、ヤヴカが俺の前にひざまずいた。そして、んべ……と舌を出し、口を開けて、万が一にもこぼさないよう両手を受け皿のようにして、待ち構える。親鳥に餌をねだるヒナのように。


 あ、そういうスタイル? まあ噛みつかれるのはイヤだし、これでいいか。


 ギュッと握りこぶしを作り、腕の傷から血を滲ませる。



 そうして滴る青い血を、ヤヴカの口に注ぎ込んでやると――



 ビクンッ、とヤヴカの身体が跳ねた。


「……ほっ」

「ほ?」

「ほぉぉぉぉッッ」


 ぐるんっと白目を剥き、痙攣しながら卒倒するヤヴカ。ん? 死んだか……?


「かっ……んっ、は……! おッ……ほ……!」


 いや、死んではいないようだ。口を手で抑えながら、ビクンビクンとのたうち回ってる。魔力が強すぎて毒になったか? と思ったが、いやでもなんか恍惚とした表情してんなコレ……


「わんわん!」


 出番? 出番? とリリアナが駆けつけてくるが、下手に触れたら灰になっちゃうし汚らわしいので触っちゃいけません! こんなもの! 俺は代わりに、自分の傷を治してもらった。


 それから、待つことしばし。


「お見苦しい……ところを……」


 生まれたての子鹿みたいに足をガクガクさせながら、ヤヴカが立ち上がった。


「どうだった?」

「天にも昇る心地にございました……あれほどの美味が存在するなんて……」


 ああ……と頬を染めて、うっとりとした顔をするヤヴカ。熱っぽく俺を見つめて、ハァハァと息を荒げている。牙が出てんぞ牙が。


「そうか……」


 自分の血の美味さを称賛されても、反応に困るということがわかった。……ヤヴカちょっとだけ魔力が強まってる? 血を飲むという儀式を通して、力が育つのが吸血鬼だからな。


「ハァ……ハァ……!!」


 なんか目がヤバくなってない? 大丈夫?


『上物をキメた薬物中毒者みたいになっとるの……』


 俺がそこはかとなく感じていたことを、アンテが具体的な言葉にしてしまった。


「言っておくが、襲ってきたら抵抗するぞ」


 俺は拳を掲げながら忠告した。


「そんな! 滅相もございません!」


 我に返り、平伏しそうな勢いで、ヤヴカはぷるぷる首を振る。


「むしろ殿下への忠誠がより一層、高まりました! これからも変わらずお仕えする所存です……!」


 ほんとかー? キミのそれ忠誠じゃなくて食欲じゃない? まあヤヴカ程度、一気に100人くらい襲ってきても、今の俺なら問題ないからいいけど。


 ヤヴカは、重ね重ね、青い血ごほうびへの感謝を述べてから、先ほどの醜態を取り繕うように、普段よりさらに優雅な足取りで楚々と去っていった。



 ……のだが、翌日、またヴィロッサとの訓練中にやってきた。



「あの、殿下……昨日いただいた血についてなのですが……」


 またか? また欲しいんか?


「可能であれば、この街の同胞たちにも、訓練の際に不要になった血液を味わわせていただくことは、できませんでしょうか……?」


 ふむ? 自分じゃなくて、周囲に分け与えようとしている点が気になった。


「どういう意図だ?」

「一度、殿下の血を味わってしまえば、自治区民の血ではもう理性を乱されなくなるからです……」


 ヤヴカは、憂いを帯びた顔で、ちょっと物悲しげに答える。


「実は……先ほど、街で人族の血を口にしたのですが……その……殿下の血と比べると、まったく味がしないと申しますか……これまでのように、もっと飲みたいという欲求が、欠片も湧いてきませんの」


 ああ……。


 一発で舌が肥えちゃったのね……。


「自治区に呼び寄せた同胞たちは、自制が利く者ばかりですが、殿下の血の味を知れば、不幸な事故も決して起きなくなるでしょう。……それが、本当に幸せなことなのか、わかりませんが……」


 じわ……と熱っぽい目で俺を見つめながら、ヤヴカは言った。


『やっぱり中毒になっとるわこやつ……』


 なってるみたいだな……。


 しかし、吸血鬼どもに魔族の血の味を覚えさせる、か。


 それは……なかなか……


『面白いことになりそうじゃのぅ』


 アンテが邪悪な声で笑った。俺も、意地の悪い笑みが表に出ないように、いつもの微笑みで上書きする。


「よかろう」


 俺は快諾した。自治区民の安全に寄与できるし、何より……



 



 血の欲求からは逃れられないケダモノ。ならば……人族なんかより、よほど上等な獲物を教えてやろう。


 今は、おいそれと手を出せまい。


 だが魔王国が混乱し、荒廃すれば……どうかな?


 魔族たちが追い詰められ、傷つき血を流すようになれば……


 コイツらは、どう振る舞う……?




 その日以来、自治区でのヴィロッサとの訓練時は、数名ずつ吸血鬼たちが現れて、俺の血を口にするようになった。



 しかしオッサン吸血鬼が我を失って美味に悶える姿、見るに堪えんなコレ……



 ちなみに、代表として必ず顔を出すヤヴカも、一緒にペロッて、んほぉぉとビクンビクンしていた。



 まあ、何か起きたら責任を取る立場でもあるし、多少の役得は許してやろう。



 ……王国東部を完全に制圧した第5魔王子スピネズィア=サウロエが、軍団とともに引き上げがてら、エヴァロティを訪ねてきたのはそんな折だった。

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