242.最後の抵抗
――元デフテロス王国、国境付近。
「あれで最後ね」
新月の夜、小高い丘にそびえ立つ砦を遠目に眺めながら、第5魔王子スピネズィア=サウロエは面倒くさそうに言った。
サウロエ族率いる軍団は、デフテロス王国東部の制圧を順調に進め、今まさに最後の砦を攻略しようとしている。
スピネズィアは、普段は下ろしている赤紫の髪を後頭部でまとめて、お気に入りのボン=デージ・スタイルの上に骨の軽鎧を装備した戦装束だ。しかしお世辞にも戦意旺盛とは言い難く、左手に槍を握りつつも、右手でしゃくしゃくとりんごを丸かじりしている。
「守兵は500ほどかと」
指で輪っかを作り、遠見の魔法で偵察しながら、かたわらの副官の魔族が告げた。同じ赤紫の髪で、どことなく似た顔立ち。彼はスピネズィアの従兄弟だ。
副官以外にも、周囲にはサウロエ族の戦士たちが待機している。特徴として、みな戦装束ではあるが、一様に軽装だった。狩衣の上に骨の軽鎧や額当てなどを身に着けただけで、兜をかぶる者もおらず、戦争というより狩りにでも来たような身軽さだ。
「せっかく半包囲してやってるのに、面倒ね。なんでさっさと退避しないのかしら」
「我らを引きつけるのも役目のひとつなんでしょう。今ごろ、民間人や避難民が隣国へ離脱しているかと」
「まーた死兵ってわけ。あーん」
りんごを種やヘタごと口に放り込んで、スピネズィアは溜息ひとつ。
「ま、仕方ないわね。お望みとあらば受けて立ちましょう」
その一言で、サウロエ族の軍団が動き出す。
――随分とのんびりした出陣だった。
まず共連れが異様だ。魔族の戦士の他、スピネズィアには獣人兵たちが付き従っており、みなが食糧でパンパンなリュックを背負っている。
近くの獣人兵からサンドイッチを受け取って、もぐもぐとかじりながら前進するスピネズィア。
真正面から、堂々と、砦に歩いていく。
「いやぁ、そのボン=デージとやらのおかげで楽になりましたな」
スピネズィアを横目で見ながら、しみじみとする副官。以前までならとっくに交代要員を出して、食糧を補充していたところだ。
「ホントにね」
もっしゃもっしゃとサンドイッチを頬張りながら、スピネズィアもうなずく。見事な食べっぷりだが、これでもボン=デージの食欲抑制機能により、かなりペースを抑えられているのだった。
……と。
砦の上部で、キラッキラッと何かが輝く。ガヒュンッというかすかな金属音。
「おっと」
副官が、くるりとその場で舞うように一回転。
【
「矢が太い……森エルフではないようで」
「例の新型弓? よくやるわねー連中も」
砦からは断続的に、聖属性の祝福を込めたと思しき
別のサウロエ族の戦士が、結界の境界線近くで、またくるりと舞う。
新たな結界が展開され、またじわじわと歩みを進める軍団。スピネズィアの周囲の数グループも、似たような光景を繰り広げていた。
進軍と言うより、まるで陣取り合戦のように、ゆっくりと距離を詰めていく。
砦が近づくに連れ、新型弓以外にも、礫や普通の矢、魔法などが次々に飛んでくるが、すべて結界に弾き飛ばされた。
サウロエ族――好戦的な魔族の中で珍しく、のんびりとした辛抱強い気風を持つ彼らは、土木工事に秀でたコルヴト族に並んで、拠点防衛・攻略に強いとされている。
ゆっくりとした、しかし着実な、絶対に止まらない進軍。
砦を間近に臨み、迎撃は激しさを増すばかりだが、サウロエ族は【狩猟域】を次々に展開し、あるいは重ねがけし、まったく動じることなく進んでいく。地面に仕掛けられた罠の数々も、隠蔽を暴く効果を付与した結界の前には無力。
そしてとうとう、軍団は砦の門にまで取り付いた。頭上からは岩や熱した油、火の魔法などが雨あられと降ってくるが、結界が燃え盛ろうが岩がガンガンと音を立てようが、まるで意に介さない。
「辺境の砦にしては、強固なようで」
コツコツ、と城門を槍で小突きながら副官。傍目にも強力な守りの魔法が込められており、おおよそ人族の作とは思えなかった。ドワーフによるものかもしれない。
「国境の砦だからこそ、気合が入ってるんじゃない」
「たしかに……お嬢、頼めますか」
「あーむ。不味そうねぇコレ」
鶏肉のパイを口に押し込み、咀嚼しながら顔をしかめるスピネズィア。
その骨鎧がずるりとうごめき、腹部の装甲が解かれ、ボン=デージの紫がかった革があらわになる。
ジジ……とファスナーを下ろし、引き締まった腹を露出する。
不意に、スピネズィアのまとう気配が剣呑さを増した。
まるで……飢えた獣のような。
「【我が名はスピネズィア=サウロエ】」
空いた右手を突き出す。
「【障壁を食い破る者なり】」
顎のように開いた手を、
「【あーむ】」
ぐっ、と握りしめた。
……ぎゃりぃっ、と異様な音が響き渡り、門に巨大な歯型がつく。
「硬いわねー。しかも不味そう。……だけど」
そのたびに、轟音を響かせて、徐々にひしゃげていく魔法の門。
歯型が。何十にも重なり、食い込んでいく――
そして。
「【あーん】」
悲鳴のような破砕音とともに、門が
「けぷっ。不ッ味」
おえ、と顔をしかめるスピネズィア。破られるでも崩壊するでもなく、忽然と消え失せた門の向こうで、盾を構えていた守兵たちがギョッと仰け反るのが見える。
「よし、お嬢が道を開いた。制圧しろ」
副官の号令一下、結界の中から呪詛や魔法が怒涛の勢いで放たれた。
外からの攻撃は阻みつつ、内からの攻撃は通すなど、自由自在な運用ができるのが【狩猟域】の強みだ。
神官の加護を受け、必死で魔族の魔法を盾で受け止め耐える守備兵の戦列。そこへサウロエ族の戦士たちが、愚直なまでに結界を重ねがけしながら、ゆっくりと接近していく。
結界ですべての反撃を弾きながら、逆に槍を突き込み、振り下ろし、一方的に戦列を切り崩していく――
おおよそ魔族らしからぬ戦い方。武勇と勢いに欠け、ともすれば臆病と罵られかねなかったが、サウロエ族は気にしない。
彼らからすれば、わざわざ結界の外に出て、負傷する危険を冒す方が馬鹿らしい。
これは戦ではない。
狩りなのだ。
そしてサウロエ族の厄介なところは、結界に頼り切りではなく、万が一結界を破られたり懐に飛び込まれたりしても、真っ当に鍛えた槍術で迎撃できる点にある。
結界で飛び道具の横槍などをすべて遮断し、眼前の敵に集中できるサウロエ族は、槍勝負でも非常に手強いと魔族内でも一目置かれていた。
結局、強い奴が正義なのだ。
「これで終わり、か……呆気なかったわね」
ボン=デージの腹のファスナーを引き上げながら、スピネズィアはどこか虚しげにつぶやいた。獣人兵からフルーツタルトを受け取り、もぐもぐと頬張り始める。
ここが、デフテロス王国領、最後の砦だ。
このあとは周辺地域を制圧して、残党狩りをして……生き残りがいれば、捕虜としてエヴァロティ自治区に輸送する手はずになっている。
自治区といえば。銀髪の若い魔族の顔を思い浮かべる。
「末弟、どうしてるかしらねー」
年下もいいとこ年下なのに、あっという間に爵位でも魔力でも自分を抜き去っていった、若すぎる英才。
思わず、スピネズィアの口元に自嘲じみた笑みが浮かぶが、すぐにフルーツタルトを口いっぱいに詰め込んで打ち消した。
そしてふと、長兄アイオギアスに、ジルバギアスの情報を探れと言われていたことを思い出す。
「……帰りに顔でも出しておきましょうかね、
やはり、フルーツタルトごときでは、自嘲の色を打ち消すことはできなかった。
「さて、次はどれにしよっかなー」
一方的に蹂躙され、血溜まりに沈んでいく守備兵たちを尻目に。
スピネズィアは、獣人兵たちが差し出すお菓子に目移りしながら、どこか退廃的な笑みを浮かべるのだった。
――この日、本当の意味で、『デフテロス王国』が地図から消え去った。
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