241.魔族流治療
「ハイエルフの……リリアナ……!?」
マイシンが、声を上擦らせた。
「その凄まじい魔力……まさか、
マイシンが挙げた名に、タフマンは信じられぬ思いで、眼前の『犬』をまじまじと見つめてしまった。『聖女』リリアナ、同盟軍兵士なら一度は耳にしたことがある名だ……!!
「ほう、フルネームまでよく知っているな」
感心した様子で、ぱちぱちと目をしばたかせる魔王子。
「知らないはずがありません……! エル=デル=ミルフルール――森エルフの女王一族の名……!」
「そうだ。その、エル=デル=ミルフルールのリリアナさ」
「なぜ、行方不明のハイエルフの聖女が、こんな……」
うわ言のようにつぶやきながらも、それ以上は言葉が続かないマイシン。
こんな――何と表現するべきか。惨めな姿で、とでも言うべきか……?
「行方不明、か。同盟圏ではそういう扱いになっているのか?」
興味深げに顎を撫でながら、魔王子が「ふむ」と唸った。
「こいつは8年前の、魔王城への奇襲攻撃に参加していたのだ」
「なんだって……!?」
風の噂には聞いたことがある――ホワイトドラゴンの協力を得た精鋭部隊が、魔王城に直接殴り込みをかけた、と……!
だが、結果が芳しくなかったことは、眼前の『聖女』の成れの果てを見れば明らかだった。ゆえに聖教会も、各国の代表も、この件に関しては詳細を語らない。そして時を同じくして前線に姿を見せなくなった『聖女』に関しても、森エルフたちは口を濁すばかりで、『行方不明』とされていたが……
「こいつは長らく夜エルフどもに囚われていたんだがな」
――8年間も。ゾッとするようなことをさらりと言いながら、魔王子がリリアナの頭を慈しむように撫でる。
「俺が気に入って、身柄を引き受けたんだ。今は自我を破壊され、自分を犬だと思い込んでいる。言っただろう? 俺の『ペット』だと……」
……もはや、一同、あまりのおぞましさに言葉も出なかった。
ハイエルフ――光の神々の寵愛を一身に受けるという、神聖で高貴な存在。聖大樹連合の王族的な立ち位置でありながら、最前線で同盟軍を支え続け、『聖女』として語り継がれていたリリアナが……
「くぅん……」
なんであなたたちは、そんなに怖い顔をしているの? とばかりに表情を曇らせ、そそくさと魔王子の後ろに隠れてしまうリリアナ。
自分たちが、怯えられた。
その事実に、がん、と頭を殴られたような衝撃を受ける。
「ああ……」
マイシンが、思わずその場で膝をついた。元同盟軍の心を抉るには、充分すぎる光景だった……もはや、彼女の本来の人格が、これっぽっちも残されていないと、嫌になるほど伝わってくる……
この場に森エルフがいたら、憤死しかねなかった――などと考えつつ、衝撃覚めやらぬタフマンは、おぼろげに、『治療』のからくりを察した。
ハイエルフを手中に収めているならば……闇の輩にも容易かろう!
(洗脳した聖女の恩恵を、慈悲深くも、
激憤、悲嘆、屈辱、今のぐちゃぐちゃな心境をどう表現すればいいか、タフマンにはわからなかった。何よりも惨めなのは、その『施し』を唯々諾々と受け入れざるを得ないことだ……気丈に拒否できるほど余裕がある者は、この場にはいない。
慈悲深く見せかけて、人類の矜持を踏みにじるがごとき所業。
まさしく、魔族の王子に相応しい蛮行だ……!!
「さて、じゃあお前から治療していくか。よくもまぁ、こんな死に損ないが集まったものだな」
皮肉げな笑みを浮かべた魔王子ジルバギアスが、「おい、バケツか何かを持ってきてくれ、デカければデカいほどいい」と獣人兵に声をかける。
そんなもの何に使うんだ? と疑問を抱く自治区民をよそに、持ち前の瞬足で速やかに大きな樽を抱えて戻ってくる獣人兵。
「よしよし、ちょうどいいな。……そいつの傷は、腹と腕だけか?」
うなずいたジルバギアスが、担架に寝かされている重傷者を顎で示して問う。
「いえ、胸にも刺し傷が……」
「見えるように服を脱がせろ、治療し損ねたら面倒だ」
言われるがままに、付き添いの男が重傷者の服を脱がせる。一部、血が固まっていてベリッと引き剥がす形になり、意識が朦朧としていた怪我人も思わず苦痛のうめき声を上げた。
傷口が化膿して、ひどい有様だ……
「これは酷いな……まあいい。【
瞬間、魔王子が強烈な威圧感を発する。
いや……これは魔力! 何か強大な魔法が行使されている!!
「……え?」
付き添いのひとりが、間抜けな声を上げた。
傷だらけだった怪我人が……一瞬にして、傷ひとつない状態に変わったからだ。
しかも、その失われた腕までもが、モリモリと生えてくるではないか……!
「おげぇ」
そしてジルバギアスが、おおよそ王族らしからぬ汚い声を上げた。
見やって、たまげる。ジルバギアスの右腕がみるみる腐っていき、ボトッと樽の中に落ちる。さらに、じわじわと腹や胸からも血が滲む。どさっ、とその場に座り込む魔王子。
「げほっ。よく、こんな傷で、生きてたな……こいつ……」
「ふわんわん!」
リリアナがジルバギアスに縋り付いて、ぺろぺろと頬を舐める。
しゅわぁ、と神聖な光がジルバギアスを包み、たちまち傷が癒やされる。そして腕も生えてきた。
何が……いったい、何が起きている!?
なぜ怪我人の傷が、ジルバギアスに移った……!?
「それは……いったい!?」
「ん? 我が一族の血統魔法、【転置呪】だ」
思わず、みなを代表して尋ねるマイシンに、ドヤ顔で答えるジルバギアス。
「転置呪……!?」
「そうだ。怪我や病気の状態を、対象と転じて置き換える。そういう魔法だな。俺が怪我人共の傷を引き受け、リリアナに治させる。この形でお前たちを治療する」
なんだそりゃ……と誰かがうめくようにして言った。
「今のリリアナは、主に舐める形でしか治癒の奇跡を行使できん。俺のペットだぞ、ロクに風呂も入ってなさそうなお前たちをペロペロさせるわけにはいかん!」
などと、真面目な顔でのたまう魔王子。
「…………」
怪我人のうち数人が、ちょっと残念そうな顔をした。
いや、それよりも、だ!
「そんな魔法にいったい何の意味が……?」
理解しかねる、という表情のマイシン。血統魔法、と言ったか? 血で受け継がれる固有魔法の類だろうが、相手の怪我を引き受ける魔法に、いったい何の意味があるのかわからない。
いや、重傷者を、我が身を犠牲にして救うことはできるだろうが……魔族がそんな自己犠牲の精神の持ち主とは、到底思えず……
「ん? なかなかに便利だぞ――」
ニヤリと笑いながら、別の重傷者の怪我を引き受けるジルバギアス。片目が潰れ、両足と片腕が腐り落ちる。「いてぇな」とうめく魔王子に、タフマンは、そのとき、ハッと我に返った。
――今なら殺れるのでは?
反射的に、そう考えた。なんとタフマンたちは、護身用の短剣を帯びたまま入城を許されている。上位魔族相手に、こんなチンケな武装は意味がない、と判断されてのことだったのだろうが……
今の、弱りきった魔王子相手なら!!
――殺れる!
この場で、このタイミングで殺す意味など、タフマンは考えられなかった。半ば無意識で、その手が腰の短剣へ伸びる――
「――便利だぞ。なぜなら、こういうこともできるからな」
そして、不意にタフマンを真正面から見つめた魔王子が。
「【
短剣をつかもうとしたタフマンの手から、感覚が――消失した。
いや、違う!
手が……腐り落ちていく……!!
「怪我や病気の状態を、対象と転じて置き換えるんだ。怪我を引き受けられるなら、押し付けることもできる。当然だろ?」
なん、という……と絶句するマイシン。遅ればせながらタフマンも理解した。
『消失した右腕』を、その状態を、転置呪とやらで押し付けられたのだ! しかも、一瞬で!
おそらくタフマンの敵意を察した魔王子が、牽制したに違いない――
中途半端な真似はしてくれるな、と。
この程度の『叛逆』は、児戯に等しいと……!
傷を相手に押し付けられる。それがどれほどの脅威か、一軍人として震撼せざるを得なかった……これでは、つまり……!
即死させない限り、どんな重傷を負わせても、まるまる跳ね返ってくるということではないか……!!
「――お前たち人族は、魔王国では何かと
元通りに生えた腕で、腐り落ちた自分の足を樽に放り込みながら、ジルバギアスが言う。さらにはリリアナにペロペロと舐められて、あっという間に足も生えてくる。
「人族は、我ら魔族と身体構造が非常に近しくてな。角の有無を除いて、内臓の配置などがまるで同じなのだ。ゆえに、非常に適している――」
邪悪な笑みを浮かべる魔王子。
「――転置呪の対象としてな」
…………まさか。
使い道。てっきり、鉱山奴隷の類だろうと思っていたが……
「まさか……!!」
「そう。健康な人族さえいれば、転置呪で角の破損以外のすべてを癒やせるのだ」
「……怪我や、病気を……押し付けられた者は?」
マイシンが、だらだらと冷や汗を流しながら、あえぐようにして問う。
「そのまま死ぬ。当たり前だろう?」
なぜそのような当然のことを聞く、とばかりに首をかしげてみせる魔王子。
「さて、まだまだ治療を続けるぞ……おっと、ついでにその腕も治してやろう。二度手間だがな」
ジルバギアスが、思い出したようにこちらを向く。
タフマンは、『腕がない状態』を引っこ抜かれるという、世にも奇妙な感覚を味わう羽目になった。
そして、腕が生えてくる……何事もなかったかのように。
何だこれは! いったい何なのだ、これは……!!
その後、ジルバギアスが病気や怪我を引き受けてはボロボロになり、リリアナに癒やされ、傷病者たちも傷ひとつなく回復していくという、悪夢のような光景が繰り広げられた。
何よりも異様だったのは。
犬として振る舞う『聖女』でも、魔族の固有魔法でもなく。
どんなに酷い状態を受け入れても、まるで痛覚が存在しないかのように、平然と顔色ひとつ変えない魔王子だった。
「これで全部だな。リリアナ、お前のおかげでみんな元気になったぞ。よかったな」
「わん!」
尻尾があれば振っていそうな勢いで、尻を小さくふりふりしながら鳴くリリアナ。
「明日からも10名ずつ受け入れてやろう。数日は滞在する予定だからな、重傷者はかなり減るはずだ」
ポイと干からびた腕の成れの果てを樽に放り捨てながら、魔王子。
「あ、お前もそれ拾って帰れよ。床が汚れるからな」
そしてタフマンの足元を指差す。
タフマンは、生えたばかりの右腕で、かつて自分の右腕だったものを拾い上げるという、稀有な経験をした。気をつけて持たないと、ボロボロに崩れてしまいそうで、触った感触もぶよぶよと気持ち悪い……
「俺は、お前たちのことを本当に気にかけている」
ジルバギアスは、爽やかな、そしてほのかに狂気を帯びた笑みを浮かべた。
「早く元気になって、自治区を盛り立てていってくれ」
その笑みが――ぞわっと凄惨に。
「きたるべき戦いに備えて、な。期待しているぞ? 自治区の諸君」
はっはっは……と哄笑しながら、リリアナを連れて去っていった。
「…………」
まだ意識が戻らない者はそのまま担架に載せ、他はしっかりと地を踏みしめて、城を後にする一同。
充分に離れてから、誰かが「化け物かよ……」とつぶやいた。
タフマンも、茫然としながら王城を振り返り、見上げた。
夜明けの空にたなびく黒の魔王国旗……
魔王軍の猛攻に、3日ともたず陥落したデフテロス王国首都。しかし、今となっては、納得しかない。
レイジュ族の血統魔法――
そして、エヴァロティに攻め込んだのは、レイジュ族の軍団。
「俺たち……あんな化け物どもと戦ってたのか……」
タフマンの独り言が、ずしんとみなの心に、重くのしかかった。
「…………」
魔王軍への叛意はある……敵意も、ある……
だけど……だけど、今日だけは……
お休みでいいかな……と、弱気なことを考えずには、いられなかった。
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