240.魔王子の秘密


「ふぁ……」


 むくりとベッドから起き上がって、タフマンは大きくあくびした。


 窓からは朝日が差し込んでいる。……日が高い。いつもより、遅く目が覚めたようだった。


 だが、不思議といい気分だった。とても楽しい夢を見た気がする。


 すんすんと半ば無意識に鼻を鳴らした――まるで何かの残り香を求めるように。


「さぁて……今日も今日とて、お仕事といきますかね」


 伸びをしながら1階に下りたところで、ドンドンと玄関扉が叩かれた。


「おーい、タフマン! いるかー?」

「どうした?」


 顔を出すと、衛兵隊の比較的元気な男がいた。


「セバスチャンさんがすぐに集まれってさ」

「へぇ? 何かあったのか」


 とりあえず、朝飯代わりの堅焼きビスケットをかじりながら、身繕いもせず、集会所と化した酒場へ急ぐ。




「……治療するだぁ?」


 そして、すでに集まっていた代表者の面々とともに、セバスチャンから説明を聞いて素っ頓狂な声を上げた。


「そうです。先ほどホブゴブリンの役人から通達を受けました。治療を望む者は明け方に王城へ参上せよ、と。1日10名まで、重傷病者を優先的に、と……」


 みなの反応はまちまちだったが、困惑の色は共通している。話しているセバスチャン本人さえ、だ。


「そんなことが可能なんですかね?」


 疑わしい、とばかりに目を細めながら見習い神官マイシンがつぶやく。


 怪我や病気の治療?


 光魔法や奇跡を扱えない、闇の輩が……?


「ホブゴブリンいわく、可能だと。欠損から手遅れの病まで、概ね治るそうです」


 セバスチャンは慎重な口調で答えた。あくまで伝聞に過ぎない、というニュアンスをにじませて……。


「願ってもねえ話ではあるが……」


 タフマンはボリボリと頭をかきながら口を開いた。


「瓦礫の片付けやら家屋の建て直しやら、人手はあればあるほど嬉しいけどよぉ」


 聞けば、魔王子ジルバギアスがエヴァロティに滞在する間、日毎に10人もの治療を受け入れるという。


 それが本当なら、有り難い話ではあるのだが。


「体よく足手まといを処分するつもりでは……?」


 耳をピクピクさせながら、黒毛の犬獣人ドーベルが懸念を示した。


「つっても、処分して戻ってこなかったらバレるだろうし……10人じゃなぁ」

「そうだな……」


 処分したいなら10人なんて人数制限をつけないはずだ、というタフマンの指摘に唸るドーベル。


「……仮に可能なら、脅威的ですね。魔族にそんな術があるのならば」


 マイシンが渋い顔で言う。


 一同は、ジルバギアスの狂った演説を思い出した。話半分に聞いても、魔族の総数が同盟の想定よりはるかに多かった上、欠損まで治せる高度な治癒が闇の輩にも可能だったとしたら……!


「いくら戦っても減らないはずだ」


 ボソッとドーベルがつぶやき、元軍人の面々も重々しくうなずいた。


「まあ……それを確かめるためにも、何人か出す必要があるってわけか」

「そうなりますな」


 タフマンの嘆息混じりの言葉に、セバスチャンがうなずく。


「10人つっても、付き添いはできるんだろうセバスチャンさん?」

「可能です。重傷者であればこそ、自力で登城できぬ者も多いでしょうからな」

「うっし。なら俺も付き添おう。この目で確かめてやろうじゃねえか、あの魔王子の『治療』とやらをよ……!」


 見極めてやろう、とタフマンは腹をくくった。もし良からぬ企みがあるのだとすれば……ロクに抵抗はできないだろうが、文句のひとつくらいは言ってやる。情けないほど消極的だが、それさえも、命がけだった。



 そうと決まれば話は早い。タフマンたちは手分けして、怪我人や病人たちに声をかけて回る。



 魔王子の企みが知れない、にわかには信じがたいということで尻込みする者も少なくなかったが、戦で手足を失ってどうしようもない者や、傷口が化膿して死にかけている者など、10名以上が集まった。


 そのうち、命に関わる特に深刻な10名を選りすぐり、タフマンやマイシンたちの付き添いのもと、明け方に王城へ参上することになった。寝過ごしたら大変なので、その日はみなで酒場に泊まる。


「おい、時間だぞ」

「んぁ……もう夜明けか」


 寝れるときに寝て、声をかけられたらパッと目覚めるのは、元軍人のサガだ。夜番に起こしてもらい、タフマンたちはそそくさと準備を整える。肩を支え合い、あるいは担架を使って、えっちらおっちらと王城へ向かった。



 夜明け前。群青の空に浮かび上がるエヴァロティ王城は、いつになくおどろおどろしく見える。



 デフテロス王国が誇った堅牢な城砦は、今や魔族の手で改修され、のっぺりとした継ぎ目のない岩肌を晒していた。かつての王国の象徴が、不気味な魔族の呪いに蝕まれたような姿。ひるがえる黒一色の魔王国旗が、威圧的にタフマンたちを見下ろしている――


「…………」


 傷病者たちは、終始無言だった。両足と片目を失い、背負われながら不安げに王城を見上げる者。あるいは担架に載せられ、現世に踏みとどまるだけで精一杯な者……


 彼らは良くなる見込みもなく、このままで死ぬくらいなら、と決死の覚悟で志願した者たちばかりだ。


(良くなってほしいが……)


 タフマンは切に願うが、同時に、不安も抱えていた。


 ――欠損を治せるほどの奇跡の使い手は、同盟にもそう多くはない。上位の神官や魔導師のみが扱える『奇跡』なのだ。それが、闇の輩にも、魔族にも使えるのだとしたら……


 ただでさえ強いのに、そんなことまで可能なのだとしたら……!


「…………」


 マイシンが付き添いに来たのも、それを見極めるためだろう。未熟ながらも神官のひとりである彼は、かつてなく表情が硬かった。


 ……門番の獣人兵に話しかけると、通達があったらしく、すぐに城へ通された。


 城門を抜けて、大広間で待たされることしばし――


「おう、来たか」


 魔王子の声。


 怪我人たちはもとより、タフマンとマイシンら、付き添いの者も目を見開いた。


 すたすたとこちらに歩いてくる魔王子が、ボロボロの衣を身にまとい、全身真っ青の血まみれだったからだ。


「ああ、これか? 先ほどまで鍛錬に打ち込んでいてな」


 汗と血に塗れた髪をかきあげながら笑うジルバギアス。その血は、紛れもなく魔族の青だった――しかし、切り刻まれた服と血糊の割に、傷がひとつも見当たらない。


 まさか、本当に、本当にあるのか! 闇の輩にも使える奇跡が……!



「わん!」



 ……妙に可愛らしい鳴き声が響いた。



 広間の向こうから、とてとてとて、と走ってくる。



 そして――ジルバギアスの足元に、ちょこんとお座りする、



『犬』が、いた。



「なァ……ッ!?」



 眼前の光景が信じられず茫然とするタフマンたちをよそに。



 ひとり仰け反って、目が飛び出さんばかりに驚愕するマイシン。



「そんな……彼女は……!」



 長く尖った耳、神々しささえ漂わせる美貌、何よりも人族にも感じられるほどの、強力極まりない魔力……!!



「こいつか?」



 よしよし、と『犬』の頭を撫でながら、魔王子が皮肉げに笑う。



「俺のペットのハイエルフ、リリアナさ」



 だが……その四肢はあまりに短く、金具で固定され――そんな悲惨な状態にもかかわらず、ちょっとだけ舌を出して小首をかしげた彼女は。



「わん!」



 まるで新しい友達を見るような顔で、あどけなく笑い、一声鳴いた。



「――さて、治療を始めようか」

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