234.自治区の夜


 ――夜のエヴァロティ。


 市街中心部の、かつて酒場だった建物。ランプの灯りが揺れる中、自治区の代表者たちが額を合わせて話し込んでいる。


「それで、皆様の様子は」


 口調は丁寧に、しかし眼光は鋭くセバスチャンが問う。この老人、まとめ役という責任ある立場に置かれて、負担に思うどころか逆に奮起し、以前よりも若返ったように見えた。男爵家での家令の経験を活かし、物資の分配や復興作業の人手の采配に、辣腕を振るっている。


「救護隊は落ち着きを取り戻しています」


 見習い神官もとい、マイシンが生真面目に報告する。


 救護隊――その名の通り、傷病者の救護と都市の衛生管理を担う一団だ。元聖教会関係者や、身寄りのない女性などで構成されている。魔王子の命により、堂々と聖教会を名乗れなくなったため、このような看板を掲げることになった。


「みんな、時間が経って実感が湧いてきたんだと思います――本当に、魔王軍の下でも、酷い目に遭わされることなく生きていけるんだ、って」


 ちなみに、聖教会関係者といっても、一線級の勇者や神官は軒並み戦死している。残されたのはマイシンをはじめとした見習いや、脱出軍から落伍して連れ戻された子ども、聖属性を持たない小間使い、はたまた教会の庭師まで、ほぼほぼ末端の人員で占められている。


 奇跡らしい奇跡を扱えるのがマイシンほか数名という有様で、傷病者の治療も懸命に進めているが、力量の低さゆえ順調とは言い難いのが現状だ。


「ウチも、不満の声はないな」


 続いて、黒毛の獣人――ドーベルが答える。


 彼は自治区民のうち、獣人族を取り仕切っている。残念ながらドーベルが所属していた王国軍森林猟兵大隊は壊滅しており、生き残りはほとんどいなかった。逃げそびれた王都の住民や難民、負傷兵などが、自治区獣人族の大多数を占める。


「大部屋に閉じ込められるでもなく、都市内なら自由に出歩ける。まあ、狩りに行きたいだの、肉が食いたいだの、そういう声はあるが……それは不満というより贅沢ってヤツだ」


 同盟の獣人族は狼・犬系統で、雑食ではあるが、肉食の方が体質に合っているのは事実だ。魔王軍からの配給は穀類が主なので、そういう意味では不満の声も上がっていたが――飢えないだけマシ、というのは全員よくわかっている。


「衛兵隊も……まあ、生きるので精一杯って感じだな」


 王国軍の軍装を身にまとった兵士、タフマンも渋い顔で口を開く。


 夜エルフの矢にブチ抜かれた左腕からはもう包帯が外れており、胸の傷もほとんど塞がっていた。彼は元軍人のまとめ役として、衛兵隊の実質的な隊長として活動している。


 が、『衛兵隊』などと呼ばれてはいるが、基本は老人・難民・そして大量の負傷兵からなる男所帯で、『患者隊』の方が適切な呼び名じゃないか、などと自虐する程度には、傷病者が多い。


「不満というか、まだ怪我が治らねえって愚痴ってる奴は多いけど、そんなこと言っても仕方ねえし……」


 救護隊を責めてるわけじゃないぞ、とマイシンにことわりながら、タフマンは申し訳無さそうに言った。タフマン個人として他意はないが、現場の声というやつだ。


 タフマンのような元一兵卒が隊長格になっている時点でお察しだが、本当にマトモに動ける者が数えるほどしかいない。……タフマンも、つい先日まで重傷者ではあったが、それはそれとして。


「食い物も医薬品も充分に行き渡ってるし、生きてるだけでめっけもんだってみんな笑ってるよ」


 少なくとも食べ物があるだけ、昨年末のエヴァロティでの籠城に比べれば、天地の差だ。


 衛兵隊は元軍人が多いので、怪我や病気から復帰すれば、警備・治安維持の任務もこなせるようになるだろう――その際は、ドーベルら獣人猟兵たちとも連携していく予定だ。


「そう、ですか……過激な思想の持ち主は概ねいない、と」


 セバスチャンは、少しホッとしたようにうなずく。


「見た限りでは、いませんね」


 マイシンが相槌を打ち。


「今のところは、いない」


 ドーベルも意味深に目を細め。


「……表立っては」


 タフマンもまた、曖昧な顔でうなずいた。


「…………」


 妙な空気だった。


 あの、狂った魔王子の演説は、まだ記憶に新しい。


 まさか戦争する相手が必要だから、反逆のために牙を研げなどと発破をかけられるとは……。



 ――正直なところ、魔王軍に対する敵意は、ある。



 それは確かだ。みんな気持ちは一緒だろう。だが、勝ち目は薄いとは認識しているし、下手な真似をするわけにはいかないとも理解している。


 あの魔王子の言葉じゃないが、叛乱を起こすからには戦力を整えねばならず、そのためには生活を安定させなければいけなかった。


 今は、時期尚早。10年後でも、たぶん時期尚早。20年後はわからない。


 そんな気持ちで、今日も生きている。


「……今後とも、注意深く見守って参りましょう」


 セバスチャンの言葉に、全員が強くうなずいた。今はまだそのときではない。暴発だけは絶対に避けなければ――内部の不満には、細心の注意を払う必要があった。



          †††



 その後、細々としたことを話し合ってから解散し、それぞれの家に戻った。


 市街地に残された家屋は、自治区民が自由に使っていいことになった。とはいえ、破壊され焼け落ちたものも多く、いい物件は意外と限られている。


 タフマンは酒場にほど近く、王城へのアクセスも容易な、裏通りの一軒家を貰い受けた。


 ほとんど灯りもない、月明かりだけの夜道を急いでいると――


「おい! そこの男」


 ――警邏けいらの、夜エルフ猟兵2人組と出くわした。


「何者だ。こんな時間になぜ出歩いている」


 イヤミったらしい口調で詰問してくる夜エルフ猟兵。暗すぎてどんな表情をしているかはわからないが、見えても不快になるだけなのでちょうどよかった。


「はっ! 自治区衛兵隊、副隊長タフマンであります!」


 タフマンは一部の隙もない、ビシッとした敬礼でハキハキと答えた。


『副隊長』を名乗っているのは、自治区衛兵隊の隊長は名目上、夜エルフの役人が担っているからだ。まあ、ほとんど顔も見せないので、タフマンが実質的に隊長であることに変わりはないのだが。


「自治区代表者との会議を終え、帰宅途中であります!」


 ――やましいことなど、何もない。


「フン……会議か。叛乱の企ての間違いではないか?」


 皮肉げな、ニチャッとした粘着質な笑みが目に浮かぶようだ。嘲りを隠しもせず、鼻を鳴らす夜エルフ猟兵。


「はっ! 長期的には似たようなものであります!」


 クイと顎を上げ、それを真正面から見返しながら、タフマンは堂々と答えた。



 あの魔王子には、ある意味、お墨付きをもらったのだ。



 将来、手強い敵になれ、と。



 そのための努力を欠かすな、と。



 やましいことなど、何もない……! 夜エルフ猟兵たちも、タフマンの、あまりに悪びれない態度に面食らったようだ。


 暴発してはいけない。だが、単に従順では奴隷と変わらない。自治区民に課せられた義務を果たしつつ、将来のため、反骨心を維持して見せなければならない。


 そのさじ加減が、難しい……


「……フン。結構なことだ」


 捨て台詞じみたことを言い放った夜エルフ猟兵は、結構なことか? 本当に? と自分でも疑問に思っていそうな様子で、首をひねりながら、そのままパトロールに戻っていく。


「…………」


 タフマンもまた、自分で言っておきながら、妙な気分だった。


 こんな調子だ。あの魔王子のおかげで、というべきか、せいで、というべきか……自治区民と魔王軍の間では、緊張感のある奇妙な平穏が続いていた。


 タフマンたちの叛乱の意志は明らかであり、かつ代官がそれを歓迎しているため、魔王軍も厳しく取り締まる必要がない。


 そして勝ち目のない叛乱では意味がなく、力を蓄えるには時間が必要で、今日明日の叛乱は絶対にありえない。


 双方それを理解しているがための――平穏。


 イマイチ釈然とせず、タフマンも首をひねりながら、自宅に戻った。




「ふー……ただいま」


 しん、と静まり返った家に入って、それでも独り言のようにつぶやく。


 手狭だが、ちゃんとした2階建ての家だ。屋根裏部屋や地下倉庫まである。激しい市街戦が繰り広げられた中で、奇跡的に状態のいい家屋。


 ……一点、床にべっとりと広がった、ドクロのような模様を描く、どす黒い染みを除いて。


 ここに住んでいた老夫婦が自刃した痕だ。死後かなり時間が経っていて、酷い状態で見つかった。ふたりで折り重なるように亡くなっていたが、偶然、ドクロそっくりな染みがついてしまい、どれだけ洗っても落ちない。


 そんなわけで、部屋も余っているのに、タフマン以外は誰も住みたがらなかった。ちなみに遺体はタフマンがひとりで片付けた。


「派手に痕が残ってるかどうかの違いなんだがなぁ……」


 どのみちこの王都で死人が出ていない場所なんてないのに、とタフマンは思う。


 戦場で、飽きるほど死者を見てきた……死体の隣で眠ったこともある。今さら床の染みの模様くらいで、動じるタフマンではなかった。まあ、気味悪く、あるいは後味悪く感じる連中の気持ちも、わからんではないが。


 ふあぁ……とあくびをしながら、2階のベッドに倒れ込む。慣れない副隊長なんて肩書きを引っさげて、話を聞いて回ったり歩き回ったり、もうクタクタだった。


「あーあ、また昔みたいに、呑みに行きてぇなぁ……」


 自治区がもっと安定すれば、商店や酒場が開いたりもするんだろうか。仲間と一緒に呑みに行き、ぐでんぐでんに酔っ払って、酒場の主人にドヤされていた日常がなんと平和であったことか……今ではあの酒場も……仲間たちも……


「……ぐぅ」


 が、過去を懐かしむ暇もなく、早々にいびきをかき始めるタフマン。



 すると――それを見計らったように、窓の隙間から『霧』が入り込んでくる。



 部屋の中で急速に実体化する、ドレスを纏った金髪の美女。



 ヤヴカ=チースイナだ。



「やっと寝ましたわね……」


 そろそろ血が必要なので、夜の街を物色していて、元気そうな男に目をつけ、それがタフマンだったというわけだ。


「うっ、汗臭っ」


 ベッドに近づいて、鼻をつまむヤヴカ。一日中動き回り汗をかいたのに、体を拭き清めもせずそのまま寝てしまった――しかも今日が初めてじゃない――タフマンは、控えめに言ってヤバかった。


 臭気に辟易しながらも、ヤヴカは短く呪文を唱え、ふぅーっと眠りの霧をタフマンに吹きかける。念の為だ。


 そうして、いびきをかくタフマンの首の後ろあたりをチェック。


「ふむ……傷はありませんわね……」


 自治区に住まう吸血鬼の取り決めとして、吸血は首で行うことになっている。首筋の微細な傷の有無、あるいは治り加減で、すでに吸血されているか判断するのだ。


 吸いすぎで人間どもの健康を害さないための措置だった。


 ちなみに、直接首筋に噛み付くと、相手が眷属化してしまう可能性や、我を忘れて飲みすぎ吸い殺してしまう恐れさえあるため、爪で切り裂いて血液を器に溜めてから飲むのが推奨されている。血を操れば、小さな切り傷くらいはすぐに塞がるし。


 そう、吸血というよりもはや採血だった。


 そしてヤヴカも例外ではなく、血を入れるための盃を用意している。


「…………」


 が、汗臭い男の首にそのまま触れて、傷をつけたくはない。なんか……汚いモノが混じりそうで。


「こんなこともあろうかと、持ってきて正解でしたわね……」


 対策はある。ポーチから、ハンカチと小さな瓶を取り出すヤヴカ。瓶の中身は強めの蒸留酒だ。これをハンカチに染み込ませて、首筋を拭き清める算段――



 キュポン、と酒瓶を開ける小気味の良い音。



 いびきをかいていたタフマンが、ピクッと震える。



「酒……?」



 寝ぼけ眼で、ムクッと起き上がった。



「……え」



 そして、ハンカチに酒を染み込ませるヤヴカと、ばっちり目が合った。

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