229.死霊術の限界


「……こうなったからには、仕方ないなぁ」


 エンマが表情を切り替えた。


 人形じみた微笑から、にへらと気色の悪い笑顔に。


 そして、ゆらりと両手を挙げて――


「こうさーん!!」


 高らかに叫んだ。


「……は?」


 は?


「降参! ボクの負けだよ! いや参ったな。ジルくんが幽体離脱できるようになるまでは、黙っておこうと思ったのに。まさかバレちゃうなんてなー!」


 ジルくんってば頭の回転早くて困っちゃうなー、などと笑い出すエンマ。


 ……コイツの前で幽体離脱なんて、恐ろしくてできたもんじゃないが。


 確かに、俺が幽体離脱して霊界に入れるようになったら、遅かれ早かれ気づいていたことか。


 物質界の距離は、ある程度無視できるはず、と――


「……あはは。そう警戒しないでくれよ。ボクは本当に、ジルくんのことが大好きなんだぁ。だから危害を加えることは決してないよ」


 心外だなー、とばかりに唇を尖らせるエンマだが、コイツの表情や動作は全て作り物だ。これまで同様、気を許せるはずもない。


 ただ、現時点では、危害を加えてくるつもりは本当になさそうだ。魔族と大々的にことを構えるのはエンマとしても都合が悪いだろうし。


 俺に手を出すつもりなら、茶番なんて挟まずにサクッと攻撃した方が早いし。


 ……とはいえ基本的には合理主義なはずのエンマも、俺に対してはなぜか情緒不安定というか、予測不能な奇行に走る傾向があるので、やっぱり油断できない。


 こうしてみると、高速通信の可能性をチラつかせたのも、『うっかり』なんかじゃなく、裏にさらなる意図があるのでは……などと考えてしまう。


「……つまり、霊体だけなら、エヴァロティから魔王城まで、一瞬で帰ってこられるわけだな?」


 おちゃらけた雰囲気を醸し出すエンマに、それでも警戒を解くことなく、俺は慎重に確認した。


「うん。まあそういうことになるかなぁ。クレアから離脱したら、魔王城にぐーんと引っ張られて戻ってくる感じ」


 ……撃破されても厳重に魂を守り、霊界に逃げ込んで、はるか彼方に隠しておいたスペアのボディに、一瞬で乗り移れる。


 聖教会が100年かけても討滅できないはずだよ……


「どうして黙ってたんだ?」

「いやだって、考えてもみてよ。イザニス族の皆様にも、ドラゴン族にも、真っ向から対立しちゃうじゃんこれ」


 当然の疑念をにじませる俺に、エンマはあくまで飄々と答える。


「魔族の方々がみんな、ジルくんみたいに理解のある気質だったら話は別なんだけどね。機密性や重要度の観点からも、ボクらアンデッドごときがおいそれと手を出していい領域じゃないでしょ」


 ……言い訳としては、筋は通ってるな。魔王なら利便性を取って高速通信のひとつとして採用しそうではあるが、割を食わされたイザニス族が猛反発するのは、目に見えている。


『というのは建前で、十中八九、切り札として伏せておったんじゃろうな』


 アンテが硬い声で言った。俺もそう思う。


 本当なら、俺も気づかないフリをするのが最善だったんだろうけど、そこまでは気が回らなかった……というか気づいたときには遅すぎた。


「まあ、それもそうか」


 そんな内心はおくびにも出さず、俺はもっともらしくうなずく。


「ドラゴンどもは使役される機会が減って喜ぶかもしれんが、イザニス族は、な……アレでも使い走りとしてのプライドはあるようだからな」


 緑野郎のイザニス族は気に食わないし、大公妃かーちゃん同士の仲も悪いから、俺はこういう態度を取るぜ!


「あは。ジルくんもそういうこと言うんだぁ」


 エンマがにたりと笑った。


「ジルくんの魔族らしいところ、久しぶりに見たかも」

「それは、褒められてるのかけなされているのか、どっちだ?」

「ふふ。すぐにそんなふうに言っちゃうところは、魔族っぽくないかなぁ」


 ……俺が相手だからいいけど、魔族相手にかなり際どい発言するよなコイツ!?


 心理的距離が近すぎませんかね! 一方的に!!


「まあ、魔族は曲がりなりにも実力主義だからな。イザニス族が割を食うなら、それはイザニス族の実力が及ばなかっただけのこと。俺ならば、エンマの通信を使い倒すがなぁ……」


 反発があるのも理解できる、と言いたげな様子で、俺は言葉を切った。


「ジルくんになら喜んで使い倒されるよ! ……と言いたいところだけど、万能ってワケでもないんだよねぇ」


 華やかな笑顔、からの気怠げな困り顔、とコロコロ表情を変えながらエンマ。


「ボクがどこでも一瞬でひとっ飛びできる、って予想したんだろうけど、ボクは緊急時に魔王城へ戻るように設定しているだけなんだよね」


 ……言葉通りに受け取るなら、緊急時のスペアボディはひとつだけ、ということになるが。複数用意してそうだよなぁ……


 俺が探していた、いわゆるエンマの『本体』だな。


 眼前のエンマから、うっすらと伸びる魔力の『糸』。俺はてっきりエンマ本体が、ボディを遠隔操作するために使っている、と考えていたが、なんてことはない。


 エンマの意志が乗ってるボディすべてが、エンマの本体だったんだ……この魔力のつながりは、龍脈の魔力を供給するものに過ぎなかったらしい。


「ジルくんのことだから、高位の死霊術師が複数いれば、お互いを呼び出して一瞬で連絡が取れるんじゃ? って考えただろうけど」


 ……随分と、先回りしてくるじゃん。


「これ、肝心の『いつ呼び出してほしいか』を伝えるすべがないんだよねぇ」


 うーん? 近くに、信号役になる幽霊でも用意しておいて、そいつが呼び出されて消えたら連絡がほしい合図ってことに――と考えたが、そうか、物質界にいるやつは呼び出しの対象にならないんだった。


 門を開いて呼び出せるのは、霊界にいる霊魂のみ。


「それに、ボクぐらいの熟練の死霊術師なら、物質界と霊界を何度出入りしても平気だけど、魂の殻がしっかりしてなかったらその都度すり減っていくしね」


 ……『伝令役』にも、エンマ並の熟練度が要求される、と。


「なるほど……」


 ふぅむ。別にすり減っても使い捨て前提なら……いや、本人にやる気がなかったら霊界に放たれた時点で消滅するだけか。


 でも、裏を返せば、エンマなら平気なわけだろ? いつ連絡がほしいのかを伝えるすべがない、って言ってたけど、定時連絡なら解決じゃないか。


 時間をキッチリ合わせた時計を複数用意しておいて、何時何分に霊界で待機してるから呼び出してね、と決めておけば、どんな距離もひとっ飛びで連絡が取れる。用がないなら呼び出さなきゃいいだけだし。


 ……っていうかエンマ級が複数いるなら、代表者がみなを呼び出して、霊魂だけで会議なんて真似もできるわけか。


 この方法に問題があるとすれば、伝令として活用しようとした場合、エンマが死ぬほど忙しくなる可能性があることだな。


 1日に1回しか定期連絡をしないなら、たとえば、定期連絡が終わった直後に大事件が起きたら、すぐに伝えたくても次の連絡まで丸1日待たなきゃいけない。


 なら、半日で前線から魔王城までひとっ飛びできるドラゴンの方がいい、となる。高速通信の強みを活かすなら最低でも半日に1回、あるいは数時間に1回という周期で連絡するべきだ。なんなら1時間とか30分おきでもいい。というか間隔が短ければ短いほどいい。


 ……これが魔王軍に採用されたら、エンマ級の上位アンデッドが複数名、この伝令役だけで忙殺されることになるな。


 そういう意味でも、エンマはこの手札を明かしたくなかったのかもしれない。俺が魔王なら絶対そうさせるし、現魔王ゴルドギアスも思いつけば確実にそうする。


 いや、逆に俺が魔王に進言して、採用させちゃうって手もあるな? アンデッドとイザニス族は関係が悪化し、エンマは上位の手下が複数名使い物にならなくなる……


『なかなか面白そうじゃな?』


 アリ……な気はしている。けど、エンマ陣営が弱体化する代わりに、今度は魔王軍が著しく強化されちまう。


 魔王を倒して自治区で叛乱を起こして、魔族どもが混乱している間に叩く――って計画なのに、高度な通信のせいで柔軟に連携されたりしたら、目も当てられない。


 いくら政治的に混乱しようと、魔族戦士団がまるごと消滅するわけでもなし、前線から逐一報告が入ったら、魔王が倒れた混乱を乗り越えて、外敵に一致団結して対処するようになるかもしれない。


 魔王国は着実に衰退していくだろうが、強固に反抗されたら、同盟の人々が無駄に血を流す羽目になる。


『しかし、むしろ混乱に拍車がかかるかもしれんぞ?』


 もちろん、その可能性はある。だがそうならない可能性もある。そのときエンマがまだ大人しく魔族に従ってるかどうかもわからない。


 ……不確定要素が多すぎるな。現時点では、あくまで案のひとつにとどめておいた方が良さそうだ。


 いずれにせよ、この件については――


 エンマが自分から明かしてこない以上、もう詮索しない方がいいだろう。ヘタに藪をつついたらどんな大蛇が飛び出してくるかわからん。



 少なくともエンマは今、最大限に下手したてに出ている――



「うーん、俺も幽体離脱してみたくなってきたな!」


 俺は明るい調子で、心にもないことを言った。


「なんだか面白そうじゃないか。霊界が実際どんな感じなのかも気になるし」

「……しっかり魂を防護しないとすり減る、って言ったばかりなんだけど」


 俺の言葉に、流石のエンマも苦笑していた。


「まあ危険なのはわかるけど、それでもな。知的好奇心が勝ったわけさ」

「うーん、ジルくんのそういうとこ大好き」


 わざとらしく、テーブルに両手で頬杖をついてちゅっちゅと唇を尖らせるエンマ。俺はアダマスを抜き払いたい衝動を必死で抑えた。


「はは。俺は生まれついて好奇心旺盛でな……そういうわけで、もし前線から耳寄りな情報が届いたりしたら、俺にはコッソリ教えてくれよ。誰にも言わないからさ」


 ぱちん、とウインクなどしてみせた。目よ、腐れ落ちろ。


「もー、敵わないなぁジルくんには……もちろんいいよ♡」


 ふたりして、テーブルに頬杖をついて、うふふふふと微笑み合う俺たち。


「で、結局のとこ、エヴァロティはどうすんだよ」

「もちろん行くよ!」


 開き直り、ドヤ顔でエンマは言い切った。


「むしろもう隠す必要もないしね! 堂々とついていくよ! ……あ、もちろん、クレアがよければだけど」


 チラッとクレアを見やるエンマ。


「――この流れであたしが拒否できると思います?」


 相変わらずの呆れ顔でクレアは言った。


 おのれ、クレアに無理強いしやがって……!! 俺は静かに激怒した。



          †††



 そんなわけで、俺は無事、死霊王の宮殿から脱出した。


 やっぱ地上の空気は美味うめェ――たとえそれが真夜中の魔王城のものでも。


 朝日でも拝みたい気分だったが、あいにくの半月が俺を静かに見下ろしている。


 それにしても……


『思っていた以上にのぅ、あやつ』


 まったくだ。


 力さえ高めれば理論上撃破可能な魔王より、ずっと厄介かもしれない。


 一応、ボディ乗り換えの仕組みがおぼろげながら見えてきたのは収穫だった……とはいえ。『緊急時は魔王城に戻るように設定している』って、具体的にはどうしてるんだろうな?


『ふむ……エンマ呼び出し用のアンデッドでも用意しておるのではないか?』


 アンテが珍しく真面目な調子で言った。俺の魂の中で、魔神が姿勢を正すように、ゆらりと身じろぎするのを感じる。


『門を開いて一日中、常にエンマを呼び出し続けるアンデッド――呼び出しの呪文を唱えられるだけの、最低限の理性だけ残して自我を削りとってしまえば、単純作業でも平気じゃろ』


 なるほど! その手があったか!


 それなら霊界に入った途端、『ぐーんと魔王城に引っ張られる』ってワケだ。あとは別のボディに乗り換えればいいだけ……


 この理屈だと現在は、本当に、緊急時の避難先が魔王城に固定されてる可能性も出てきたな……


「…………」


 俺は、足元を見つめた。


 はるか地下深く――全貌さえ明らかでない、巨大な死霊王の宮殿。


 あの拠点は、エンマの最強の根城であり、同時に、急所でもある。


 エンマたちアンデッドは、魔力はある程度溜め込めても、自ら魔力を生み出すことができない。どんなに魔力弱者の人族も、獣人族も、ただ生きているだけで微弱な魔力を生むというのに、アンデッドは存在を維持するだけで魔力を消費してしまう。


 したがって、魔力の補給手段が絶たれると、途端に苦しくなる。


 魔王国の膨大なアンデッドを支えているのは、魔王城地下の龍脈から湧き出す純粋な魔力と、魔族たちが供給する闇の魔力だ。


 エンマが今、大人しく魔族に従ってるのも、天敵たる聖教会を滅ぼすまでは魔王軍の戦力が必要で、かつ、膨大なアンデッドに『餌』をくれるからだ。


 骸骨馬車に乗るときも、雑役用のアンデッドを使役するときも――


 魔族は駄賃代わりに、あるいは燃料代わりに、闇の魔力を提供する。


 もしも魔族がいなければ、いかにエンマでも、ここまで大規模なアンデッド軍団は展開できなかったはずだ。


 魔王城の地下の龍脈みたいに、膨大な魔力が湧き出すパワースポットがあれば話が別だが、今度はパワースポットから遠くに行けないという問題が発生する。



 つまり、だ。



 龍脈が利用できない状況に追い込まれれば、奴の軍勢は確実に弱体化する。



 俺は、忘れていない。



 あの宮殿の広間を支える、巨大な石柱の連なりを。



 アレをことごとく叩き折れば、宮殿は魔王城ごと崩壊する――



 エンマはだろうが、地下拠点が潰され、龍脈に直接アクセスできなくなれば。



 掘り起こして再建するのに、とてつもない時間と労力がかかる。



 そして魔王国が衰退し、魔族からの魔力の供給も途絶えれば……!



「あ、おかえりなさいませー、ご主人さま!」



 と、そんなことを考えながら歩くうちに、自室に戻っていた。ガルーニャがにこやかに出迎えてくれる。



「わんわん!」



 お留守番していたリリアナも駆け寄ってきた。



「おー、いいこにしてたかー?」



 リリアナを抱き上げてナデナデ。ガルーニャも一緒にナデナデ。



「ごろごろごろ……って、その前に! 一件お知らせすることが!」



 思わず喉を鳴らし始めるガルーニャだったが、ハッと我に返る。



「ドワーフ工房より、ご主人さまのご注文の品が完成したとのことです!」



 ――来たか。



 ……来てしまったか。



「そいつは、楽しみだな!」



 俺は笑ってみせる。



「?」と微笑んで、首を傾げるリリアナの視線を受け止めながら。



 対アンデッド用の機能を盛り込んでおいてよかったぜ……!!



 覚悟しておけよ、エンマ!!



 ……いつか必ず滅ぼしてやる。

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