228.迂闊な言動


『――落ち着け、アレク』


 アンテの言葉で、俺は我に返った。


 危なかった。クレアの人格さえ踏みにじるようなエンマの口ぶりに、目の前が赤く染まるようだった。……俺は頭痛を堪えるような、わざとらしい仕草で眉間をもみほぐし、表情を隠した。


 いや、エンマがボディをホイホイ乗り換えられるのは知ってたけどさ……ちゃんとした自我のある上位アンデッドにも乗り移れるのかよ。


「そんなこと、できるのか?」


 俺はどうにか平静を取り繕って問うた。


「うん……クレアは、ボクが作ったアンデッドだし」


 …………。


 落ち着け。俺は極めて冷静、コイツはただ本当のことを言っているだけだ……


 そして冷静に考えればこそ、見えてくる素朴な疑問点。


「行きはいいとして帰りはどうするんだよ」

「それはもちろん、……どうしよっか」


 答えかけて、固まるエンマ。助けを求めるようにクレアを見やる。


「あたしに聞いてどうするんですか……」


 クレアは呆れ顔を浮かべていた。


「うーん。適当に現地の骸骨馬でも調達しようかな」

「そこまですることかよ」


 不屈の意志をにじませるエンマに、今度は俺が呆れる番だった。


「第一、現地の馬には現地なりに使いみちがあるだろ。いくらお前でも勝手に割り込んでいいものか?」

「うーん……じゃああらかじめ1頭、多めに送っとこうかー」

「職権濫用かよ」


 思わず突っ込んだが、待てよ、1頭ってことは――


「骸骨馬に乗り移るのか?」


 馬車なら魔王国では最低2頭立てだ。


 そも、クレアに乗り移れるなら、骸骨馬で出来ない理由はないよな。あれもエンマ作のアンデッドだし。


「そう、なるかなぁ」

「日中どうすんだよ……」


 エヴァロティから魔王城まで、休まず駆け続けても数日かかるし、第一、日が照る間はほとんど動けない。結局、魔王城を無駄に数日も空けることになる。


 これで諦めてくれねーかなーエンマ。


「う、ううん。やっぱりダメかなぁ、あはは……」


 おどけた調子で頭に手をやって笑うエンマ。よしよし、これでクレアのガワをかぶったエンマと、レイラで相乗りなんて事態は避けられ――



 ――さらに冷静に考えれば。



 そもそも物理的距離って、霊体に対しては『どう』なんだろうな。



「……お前さ、日光で灰化したとき、すぐに別のボディに乗り換えてるけど」


 俺は思考のままに疑問を口に出す。


「あれって、ただの幽体離脱じゃないよな。霊体ゴースト化してるわけじゃないし」


 ボディが灰と化して、さらに霊体ゴーストまで日光に晒されたら、いかにエンマとて無事じゃ済まされないはず。


「あれって、どうやってるんだ?」

「……霊界を通って、こう、予備の身体にスポッと」


 ほーう。じゃあ、ヘラヘラ笑って燃やされてるように見えて、実際は無詠唱で即座に霊界の門を展開、ゴーストが日光に晒される前に霊界へ退避してるってワケか?


 けっこう危ない橋、渡ってんじゃねえか……


「ふぅん……そういえば霊界って、距離も時間も曖昧なんだっけか」


 たしか、ちょっとは距離のある死霊王リッチ同士でも、霊界を通じて声を届けられる『霊界通信』とかいう術もあったな……



 …………今まで、何の疑問も抱いていなかったが。



 たとえば、魔王城から馬車で2日ほど離れた廃城で殺されたファラヴギも、俺の部屋に一瞬で呼び出せた。


 そうだ、そもそもエヴァロティで死んだ人々も、遺品や遺体さえあれば、俺は今、この瞬間に魔王城に呼び出せる。


 ってことは、だ……


 霊界でも自我を保ち、現世に基点スペアボディを持ち、高度な死霊術を操るエンマならば、だ……



 ――現世の距離なんて無視して、一瞬で移動できるんじゃないか……?



 いや、そうでなくとも、2名の高位死霊術師がいれば、充分に強度の高い霊魂をメッセンジャーとすれば、一瞬で情報をやり取りできるはず。


 だが……そんなことが可能なら、飛竜便やイザニス族の伝令なんて、目じゃないくらいの高速通信が実現できるワケで……


「…………」


 エンマは、相変わらず微笑みを浮かべている。


 ああ、だが、さすがにわかった。



 コイツは今、



 伏せてやがったな、この手札。いっつも講義してる俺が相手だから、うっかり油断して出ちまったのか。


 霊界通信の上位版とでも言える高速通信網――そんなものが実現可能なら!


 この研究家気質の死霊術師が、


 エンマはうっかり、それを匂わせちまった。


 俺もうっかり、それに気づいちまった。


「…………」


 沈黙の帳が降りてくる研究室。


 空気がずいぶんと冷たく、湿っぽい。


 ……しまったな。ここのところ、もう死霊術を学んでも俺の自我に悪影響なんか出ないだろ! アンテも見守ってるし! ってことで、図書室の本を読み尽くしたソフィアは、自治区関連の事務に駆り出されていることもあって、護衛についてこなくなったんだ。


 やっぱり、連れてくるべきだった。


 あんなやつでも、時間稼ぎくらいには――


 ゆったりと席に腰掛けているように見せかけて、俺は緊張を高めていた。この研究室から出口まで、何秒で駆け抜けられるだろうか。守衛の重装死霊騎士デスナイトやエンマ、クレアを振り切れるか?


 クレアとも、ここで……


 腰のアダマスに伸びそうになる手を、俺は必死で抑えている。


 幸い、愛剣はいつでも出番を待っているが、その他は普段着のみで、ロクな装備がねえ……!



「あーあ」



 エンマが、声を上げた。



「これだけで、全部わかっちゃったのかー……」



 どこか残念がるような声を。



 ――人形じみた微笑みを、浮かべたまま。

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