227.双方の利益


「上位アンデッドを代表に派遣ぅ? なんでまた急に」


 お茶まみれの口元をハンカチで拭きながら、俺は素っ頓狂な声を上げた。


「だって! 聞けば吸血鬼どもはエヴァロティ入りしてるそうじゃないか! アイツらこそ人族の敵なのにーっ!」


 ぷくーっと頬を膨らませながら、エンマ。


「ボクだってもっとジルくんに――もとい、魔王国に貢献したいんだい!」


 じたばたと駄々をこねる死霊王(200歳超)。


「いや……貢献つっても、何ができるんだよ」

「もちろん技術の吸収さ」


 じたばたモードから即座に復帰して、エンマは真顔で答える。


「恥ずかしながら、ボクらには農業や畜産経験者がいないからさ」


 ――俺はチラッとクレアを見た。彼女もパン屋の娘だった……


「アンデッドも草むしりみたいな単純作業には駆り出されるようにはなったけど……いかんせん、その、ね。まだ完成度が低いと言うか……間違えて作物を引っこ抜いちゃったりとかもするし……」


 全然ダメじゃねーか!!


「畜産に至っては何もわからないし! もうちょっと色々と学んで、ボクたちもお役に立ちたいのさー! わかるでしょジルくん?」


 うふふ、と微笑むエンマは。


「――以外の、活躍の場を得たいんだ!」


 何やら体の前で両拳をギュッと握って可愛い子ぶっているが……


 アンデッド勢も食糧生産分野にもっと食い込みたい、とけっこうエグいこと言ってやがる。


 現状、エンマ率いるアンデッド勢は、骸骨馬による流通だけでも、かなり魔王国に貢献している。こいつらが反旗を翻しただけで、魔王軍はしばらく行軍もままならなくなるだろう。


 闇の魔力さえ供給してやれば、秣いらずで夜通し走れる馬、乗り心地のよい馬車。その輸送力たるや……


 それだけに飽き足らず、食糧分野にも切り込んでくるか。それで技術をモノにして軌道に乗ったら、やっぱり人族なんて、自治区なんていらないじゃないか! とでも言い出す腹積もりか?


『吸血鬼たちに先を越されて、黙っておられんということもあるじゃろうがのー』


 まあな。犬猿の仲だし、そういう面子の問題もあるんだろうが。


「ふむ……」


 俺はハーブティーをゆっくりと口に運んで、考える。


 ……ここで跳ね除けるのは非常に簡単だ。自治区にエンマの手下を招き入れる、というだけで拒否感もヤバい。しかし……


「そうだな。前々から、平和的に魔王国に貢献したいって言ってたもんな。気持ちはよくわかるぞ、エンマ」


 俺はもっともらしくうなずき、


「――いいだろう。自治区民を傷つけるようなことがなければ、アンデッド代表者の駐留を許可する。ただし、吸血鬼たちも、その存在は自治区民に対して公にしていないんだ。アンデッドも同様にバレないよう過ごしてくれよ。上位アンデッドなら、夜は人族に擬態できるだろ?」

「ほっほーう! さっすがジルくん、話がわかる! 大好き!」


 飛び上がって、いかにも無邪気に喜んで見せるエンマ。はしゃぎすぎで伊達メガネが吹っ飛びそうになり「おっとっと!」と慌てている――



 魔王子視点で考えれば。


 アンデッドたちがどんどんインフラに進出してくるのは、危険でもある。



 だが、勇者視点では。


 その危険性は歓迎すべきものだ。魔王国が不安定であればあるほどいい。



 ハッキリ言って、エヴァロティ自治区単体では、魔王国の食糧事情を左右するほどの生産能力はない。これから自治区がもっと増えていけば話は別だろうが。


 ここで仮に、エンマがものすごい早さで農業や畜産業をマスターし、大々的に貢献するようになって、自治区なんて不要だ! と主張するようになったところで、だ。


 俺がすかさず魔王に、アンデッドに依存することの危険性と、『養殖戦場』としての自治区の存在価値を訴えることで、人族は守れる。


 その上で、だ。


 アンデッドの食糧生産が、魔王国に対し大きな影響力を持つようになったならば。



 ――俺が時点で、エンマとも敵対してやればいい。



 それはもう酷い形で、エンマの討滅を試みたりアンデッドを加害することで、魔王国とアンデッドの関係に修復不能なヒビを入れてやる。


 それで食糧生産が滞れば、魔王国へのさらなる打撃と政治的混乱が期待できる。


 その隙に同盟をまとめて、一斉攻勢の用意を整えれば――アンデッド狩りは聖教会の仕事だ。もちろん、エンマをはじめ上位アンデッドの対処は、俺が頑張ることになるだろう。


「ふふ」


 俺はエンマに微笑みかけた。


 だから、今はこうして、俺はアンデッドたちの理解者のように振る舞おう。


「あは」


 エンマもまた笑い返す。


 魔王国が不安定になればなるほど、俺にとっては都合がいいのだから……


「それで、どんな奴を派遣するつもりなんだ?」


 何食わぬ顔で尋ねる。エンマのお仲間は、ほとんど全くと言っていいほど見てないからなぁ。手札を知れるという意味でもアドバンテージに――


「それじゃあ、クレアにお願いしようかな!」


 明るい声でエンマ。


「「えっ」」


 俺とクレアの声が重なった。


「――あたしですか!? なんで!?」


 慌てて読みかけの魔導書を閉じながら、クレアが立ち上がる。表情を変えるのを忘れてて、興味がなさそうな無表情のまま。


「手すきで、ジルくんと面識があって、言っちゃ悪いけど、これといった専門分野がない上位アンデッドって、キミくらいしか……」

「うぐ」


 指折り数えるエンマの言葉に、苦しげなうめき声を発するクレア。


「いやね。本当だったらボクが行きたいくらいさ! 責任者としてッ! 最近、ジルくんも忙しそうだけど、向こうでならゆっくり会えるし……ッッ!」


 こちらにガラス玉じみた情熱的な目を向けてくるエンマ、勘弁してくれマジで。


「でも、ボクもそれなりに動きづらい立場だからさ~~~騎竜も許されてないから、ジルくんほどフットワーク軽く動けないし~~~」


 ちなみに、魔王国で飛竜便を自分の意志で手配できるのは魔族くらいのもので、他種族は魔族と相乗りする形でしか利用を許されていない。主にドラゴン族への配慮だな、連中が初代魔王と交渉してかろうじて死守したひと欠片の誇りとも言える。


「そうか、馬車で移動するワケか……」


 俺も初陣では馬車移動だったけど、けっこう時間食ったよな……いや、コルヴト族仕上げのクッソなめらかな道路と、爆走する骸骨馬車のおかげで、同盟圏の一般的な馬車移動に比べたら早かったけど、それでもな。


「遠出になりますねー……」


 クレアはやっぱり気が進まないようだった。


「まかり間違って馬車が壊れたりして、日光を浴びたら灰ですからね、あたしたち。お師匠様と違って数秒も持ちませんしー」


 移動にはけっこう気を遣うんですよ、とクレアが唇を尖らせる。


 …………デフテロス王国戦役でも、クレアたちは死体処理のため前線に駆り出されていたが……


 そうか……そうだよな……日中は完全に動けないわけだし、都合よく暗所があるわけでもないし。


 一歩外に出たら灼熱地獄が広がる馬車の中、日が沈むまでジッとしているしかないわけか……



 ――俺は、なんとなく、クレアがザラァッと灰に還る様をイメージした。



 それは、それで……彼女にとって、俺にとって、救いなのかもしれない。


 でも、そうなる前に、彼女と少しでも心を通わせたい、と願ってしまうのは……


 どうしようもない、俺のわがままだった。


「今度……さ」


 俺は、ためらいがちに口を開く。


「俺が自治区に飛ぶとき、一緒に乗せていってやろうか。日が沈んでる間に、半日もせずに向こうに着くと思う」


 ……レイラには悪いけど。


「えっ…………」


 クレアは無表情で、ビクッとして俺を見つめてきた。


 コレ、ひょっとして嫌がられてます?


 ……俺は静かにダメージを受けた。


「えええええっっ!?」


 が、俺が胸の痛みを噛みしめる暇もなく、エンマが絶叫して立ち上がった。


「えーーーーッッいいないいないいないいなッ!! 何時間もジルくんと一緒に空のデート!? そんなぁぁぁぁ!!」


 ぐぬぬぬ……と唇を噛み締めたエンマは、そのまま床にひっくり返って「ヤダヤダヤダ、クレアだけずーるーいー!!」と駄々をこねだした。


「…………」


 俺とクレア、率直に引いている。


 死霊王の姿か? これが……


 まるで200歳児じゃないか。生き恥。死んでるけど。


「あ、そーだ! ねえクレア、提案なんだけど!」


 不意に、ガバッと起き上がったエンマは、花が咲くような笑顔で。



「一時的にクレアには眠ってもらってさ! ボクがクレアの身体に憑いていくってのはどうかなぁ?」



 …………は?

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