225.派閥会合


 魔王城から遠く離れた、夜の森。


 月光の差し込む小さな泉があった。


 ホゥ、ホゥ、とフクロウの鳴き声が響く中。


 腐植土を踏みしめるかすかな足音が、三方より迫る。



 ――月明かりの下、魔族の王子たちが姿を現した。



 普段通りの貴族服姿の、第1魔王子アイオギアス。


 動きやすそうな狩衣をまとい、斜に構えた第4魔王子エメルギアス。


 そして、露出が大胆な赤紫色の革衣装に身を包み、ピクニックバスケットを片手にマフィンをパクついている、第5魔王子スピネズィア。



 アイオギアス派閥の定例会だった。



「お前、それ普段着にしてんのかよ」


 顔を合わせて早々、エメルギアスはスピネズィアに突っ込んだ。『それ』とはもちろんボン=デージ・スタイルのことだ。


「もぐ。これ、ホントに便利で手放せないの」


 艶めくレザーに覆われた腹部をさすりながら、マフィンの小さな一欠片を口に放り込むスピネズィア。


「……それだけで足りるのか?」


 彼女が手にしたバスケット――いつもの食糧に比べるとかなりささやかな量――を見やり、アイオギアスが少し心配げに尋ねる。……いや、『心配げ』と表現すると、いささか語弊があるかもしれない。食糧が尽きて話し合いが中断されることを嫌がるような顔だった。


「ご心配なく兄上。これ、お腹を閉じてるでしょ」


 つつっ、とレザーに覆われた腹の中心線を、指先でなぞるスピネズィア。


 そういえば食事会のときは、腹部が丸出しになっていたはずだ、とエメルギアスは思い当たる。


 よくよく見れば、金属片が噛み合う機構ファスナーにより腹部のレザーがコルセットのようになっていた。スピネズィアが上部の金属部品に指をかけると、ジジッと独特な音を立てて金属部品が下がり、引き締まった腹があらわになっていく。


 が、そのファスナーが開ききる前に、スピネズィアは素早く閉じ直した。


「これでお腹が覆われてる間は、食欲が抑制されるの」


 鼻歌交じりに、「どれにしようかな~」などと、バスケットの中の焼き菓子を選び始めるスピネズィア。


 それは、衝撃的な光景でもあった。


 あの暴食娘フードファイターに……食べ物を選ぶ余裕が……!?


「……そんな機能もあるのか。さすがはクセモーヌ」


 むぅ、とアイオギアスが唸る。


「道理でいつもより少食だと思ったぜ……」


 エメルギアスも、ボン=デージの謎な高性能に驚かされていた。父をはじめ、みなが絶賛するだけあって、件の職人は相当な腕前を誇るらしい。


「ま、解除したら反動でドカ食いしちゃうんだけどね~」


 もしゃもしゃとジャムつきのクッキーを頬張り、幸せそうな顔をするスピネズィアに、残るふたりは沈黙する。



 普段、ただでさえヤバいのに……



((コイツのドカ食いって何が起きるんだよ……))



 顔を見合わせたふたりは、お互いが同じことを考えているらしいと察した。


「しかしそうやって食欲を抑えている間は、魔力の伸びも悪いのではないか?」


 気を取り直したアイオギアスが、少しおどけたふうに聞く。


「どーせ最近、伸びが悪くなってきたしー」


 飄々とした態度で、りんごのタルトにかぶりつくスピネズィア。


「どーせあたしは魔王って器じゃないですしー」


 どこまでも投げやりな調子だった。


「ふむ……そうか。まあいい。本題に入ろう」


 雑談はこれまで、とばかりに表情を引き締めるアイオギアス。


「ほい」


 スピネズィアが、エメルギアスの腕にバスケットを押し付けてきた。


 身軽になった彼女は、りんごタルトを頬張りながら、舞踏家のように身体をしならせ、その場で優雅に回転する。


 片脚を軸に、もう片方の脚で完璧な『円』を描く――


 ふわりと地面に円陣が展開し、ドーム状の透明な膜が3人を包み込んだ。



 スピネズィアの母方、サウロエ族の血統魔法――【狩猟域ヴェナンディ・アレア】。



 結界を展開し、様々な効果を持たせられる魔法だ。今は外部からの知覚を遮断し、内部からの音声を遮断する、隠蔽の魔法と防音の結界を組み合わせたような効果を持たせている。


 元々は【聖域】での狩りに用いられ、獲物に悟られることなく、待ち伏せするためのものだったらしい。


 隠蔽の魔法と違い、他の魔法と併用可能な点で、かなり強力と言えるだろう。防音の結界とも違って、内側の声は漏らさず、外の音も聞くことができる。その気になれば物理防御や魔法抵抗なども付与でき、汎用性が極めて高い。


 ――ただ結界という都合上、その場から動けない。あまりに消極的なため、一般魔族からはそれほど評価が高くなかった。戦場での有用性を疑う者はいないだろうが。



「ジルバギアスが、ルビー派閥と接近しつつある疑いがある」


 密談の準備が整ったところで、アイオギアスが口火を切った。


「たしかにあの末弟、ダイア兄とずいぶん仲良しみたい」


 エメルギアスからバスケットを返してもらいながら、スピネズィア。


「それだけではない。去年、父上が突然、使いもしない辺鄙な廃城をコルヴト族に命じて改装させたんだが――」


 もったいぶるように、一拍置いたアイオギアスは、


「――どうやらそこに、末弟が出入りしているらしくてな……」


 ほう、ふぅん、とエメルギアスとスピネズィアは、それぞれに声を上げた。


「そこで何を?」

「それが、わからんのだ」


 エメルギアスの問いに、アイオギアスは肩をすくめる。


「父上にも尋ねたが、『公平を期すため』とはぐらかされてな」


 公平を期す。


 いったいそれは何を意味するのか。


 仮にルビーフィア派閥とジルバギアスが密かに手を組んだならば、そしてその動きを魔王のみが察知していたならば。


 王子たちの主導権争いパワーゲームを黙認している魔王は、積極的には干渉しようとしないだろう。そういう意味合いで口を濁している可能性はある。


「それにしても、6歳児に砦を与えたり代官に任命したりと、随分末弟に肩入れしているじゃないか、とも父上に申し上げたんだがな……『肩入れではない』『あくまで国益のため』という返答でな。解せん」


 アイオギアスは、いまいちスッキリしない顔で顎を撫でた。


「国益ってのがちょっとよくわからない」


 スピネズィアも首をかしげている。


「うむ。砦を貸し与えているらしいのもわからんが、いずれにせよ代官はやりすぎだと思うがな」


 不満の色を隠しもせずに、鼻を鳴らす第1魔王子。まあその気持ちも理解できる。本来なら自分が任せられるべきだった、と考えているのだろう。得意とする食糧生産分野ならなおのこと。


「…………」


 エメルギアスは――黙っていた。


 実は、あの日の一幕を、アイオギアスには詳しく報告していなかった。父と、あの末弟の凄まじいやり取りを――


 一族、母親にさえ話していない。詳細を報告する前に、灰皿を投げつけられて部屋を叩き出されたからだ。


 だから、誰にも言わず、胸にしまい込んでいる。


 あの弟の異常さを――


 密かに、胸の内で。


 燃やし続けている。


「末弟の才覚は、ずば抜けたものがあるのは確かだ。いくら魔界で成長したからとはいえ、生まれて6年であの様子。10年後、20年後には大公に並ばれていても、俺は驚かん」


 …………エメルギアスも、スピネズィアも答えない。


 エメルギアスは40歳過ぎて侯爵。


 スピネズィアは20代で、伯爵になったばかり。


 出来すぎた弟と比べられると、肩身が狭い。


「そしてそんな才覚の持ち主が――万が一にでも、ルビーフィアの派閥に流れたら、厄介極まりないことになる」


 言葉の割に、あまり心配はしていなさそうな顔で、アイオギアスは言った。


「個人的には、あの末弟は第三極を目指しているように思えるがな。一旦ルビーフィアと手を組む可能性はあるし、油断はできん。しかも初陣を迎えておきながら、未だに契約悪魔すら明らかになっておらん。とにかくあいつの情報が少なすぎる」


 そこで、とアイオギアスが、エメルギアスたちに、にこやかな笑みを向けてくる。嫌な予感がした。


「――ダイアギアスが接近したように、お前たちもジルバギアスと交流を密にして、情報をさぐれ」


 エメルギアスとスピネズィアは、揃って嫌そうな顔をした。心底嫌そうなのが前者で、面倒くさそうなのが後者。


「そんな顔をするな。もちろん俺自身も試みる。農業の話でも振ったら意外と食いつくかもしれん。あいつはあいつで、自治区に関しては熱心な姿勢を見せているようだからな、感心なことだ」


 後ろ手を組んで、にこやかな笑みを貼り付けたままのアイオギアス。


 返事を待つ姿勢だった。


「「はい、兄上」」

「よろしい。成果を期待しているぞ、ふたりとも」


 ひらひらと手を振って、話は終わったとばかりに、結界の外へ出ていこうとするアイオギアス――


「そういえば、今から狩りだったか?」


 と、足を止めて振り返り、エメルギアスに声をかける。


「……ええ。オレも、流行りのやつを仕立てようと思うんで」


 スピネズィアのボン=デージに目をやりながら、エメルギアスは答えた。


「そうかそうか。それは良いものだぞ、本当に」


 上機嫌でうなずいたアイオギアスは、ニヤリと笑う。


「最近……お前もまた、伸びてきているな。優秀な末弟が現れて、心境の変化でもあったか?」

「…………」

「期待しているぞ。味方は強いに越したことはない」


 それだけ言い残して、アイオギアスは森の中に消えていく。


「それじゃ、あたしも失礼ー。そろそろ食糧がヤバそう」


 クリームパンをモシャッと口に詰め込みながら、【狩猟域ヴェナンディ・アレア】を解除したスピネズィアもまた、別方向へ歩き去っていく。


 それぞれ、ドラゴンなり骸骨馬なりを待たせているのだろう。


「ふん……」


 ひとり残されたエメルギアスは、鼻を鳴らし、アイオギアスが去っていった方向を剣呑な目で見やった。



 いつもながら、偉そうな奴だ……


 最近じゃ馴らされて、気にならなくなっていたが……


 たかだか3、40年先に生まれたぐらいで、良い気になりやがって……



 もう追いつけないと思っていた。スピネズィアのように、諦めていた。



 だが……こうして話してみると、わかる。



 ――あの兄は、異常じゃない。



 ただ、自分よりちょっと恵まれていただけだ。環境、血筋、何より長兄という立場……時間的なアドバンテージ……


 の差だ。


 そんなもののせいで……『期待している』、だと?


 もう、魔王にでもなったつもりか?



 あの男に与えられた、すべての幸運が。



 



 緑の瞳に、さらに鮮やかな、執念深い色が宿る。



 それは静かに……狡猾に……物陰に潜む毒蛇のように……



 注意深く観察しなければ気づけない、狂気、敵意。



 メリ……と内側から音がする。



 まるで、魂にこびりついた古い皮が、剥がれ落ちていくかのような……



「はは」



 エメルギアスは笑った。



 蛇はとぐろを巻き、己を小さく見せて隠れるのだ……



 獲物に飛びかかり、食らいつき、



 毒牙を突き立てる、その瞬間まで。



――――――――――――

※ちなみにルビーフィア派閥は、3人中1人が爆睡している上、残り2人で密室での話し合いなんて危なすぎるので滅多に会合しません

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