218.生存者たち


 ――所変わって、元王都エヴァロティ。


(……なんで俺は生きてるんだろうな?)


 配給のパンを噛みちぎりながら、左手を包帯で吊った兵士は、何度目になるかわからない自問をした。


 男の名を、タフマンという。


 そこそこ実戦経験があるだけの、ただの兵士だ。


 本来なら王都脱出軍とともに国外へ逃れる予定だったのだが、戦友の忘れ形見の娘をかばって夜エルフの矢を受け、血を流しすぎて気絶。


 気がつけば捕虜になっていた。


 同じく囚われの身になっていた見習い神官の、かさぶたができる程度のささやかな癒やしの奇跡がなければ、そのまま死んでいただろう。左腕と胸を矢で撃ち抜かれ、肺には穴が空いていたらしい。道理で息が苦しかったはずだ。


 とはいえタフマンは、小さい頃から怪我の治りが早いのだけが取り柄だったので、今では自力で寝起きできるようになっていた。


 ――が、なぜ自分のような負傷兵が、生かされていたのか?


 栄えあるデフテロス王国、エヴァアロティ王城は、今や捕虜収容所と化していた。武装解除された元軍人、脱出しそびれた民間人、聖教会関係者などが、大雑把に組分けされて広間や大部屋に詰め込まれている。


 タフマンもここしばらく、他の元兵士や民間人とともに、王城の一角の広間で雑魚寝の生活を送っていた。


(何を考えていやがる、魔王軍……)


 見張りの獣人兵たちを視界の端で捉えながら、ゆっくりとパンを噛み締め、スープも味わう。


 スープの具は少なめだが、ちゃんとした食事が出るだけでありがたい。パンだってカビが生えていたり、毒が混ぜられていたりすることもなく、普通のパンだ。聞けば人族捕虜の中にパン職人が何人かいて、彼らが捕虜のために、毎日パンを焼かされているのだとか何とか……



 ――魔王軍に投降しても、ロクな目に遭わない。



 前線ではそれが常識だった。男も女もよくて奴隷、怪我があれば殺されるか、ゴブリンやオーガの餌にされるか。病人や老人は夜エルフの弓の的にされたり、毒や薬の実験に使われたり。


 大人しく捕まるぐらいなら死ぬまで戦った方がマシ、というのが同盟軍の一般的な見解だった。


 そして人族に限らず獣人族も、犬系獣人と猫系獣人はクッソ仲が悪いので、同盟側の犬系獣人たちは潔い討死を選びがちだし、森エルフに至っては論外。夜エルフに捕まるぐらいなら火山の火口に身を投げた方がマシ、とみなが口を揃えて言うだろう。


(ちなみにこの場合、森エルフにとっての『火山の火口』は、『地獄』や『最低最悪の環境』といったニュアンスで使われている。)


 脱出軍に同行せず、聖大樹の枝を最後まで守った森エルフの導師のひとりも、自刃したという。開戦前、一度だけ見かけたが、枯れ木のような老エルフだった。長命種のエルフであれだけ老いるとは、いったいどれほどの歳を重ねたのか……


 話が逸れたが。


 捕虜になって数日は、いったいどんな目に遭わされるのかと全員ヒヤヒヤしていたが、蓋を開けてみれば――普通だった。王都を脱出しそこねて、生き延びた者はそのまま生かされている。


 もちろん、積極的に怪我人の手当てまではされず、最低限の医薬品だけを渡され、あとは自分たちで何とかしろ、という構えだったので、重傷者の多くは息を引き取ったが。食事はちゃんと支給されるし、井戸も使わせてもらえる。


 いったい何が目的なのか……


(ただ、末端も知らなさそうなんだよなぁ)


 捕虜じぶんたちを見張りながら、退屈そうに尻尾をゆらゆらさせている猫系獣人兵を見ながら、タフマンは内心溜息をつく。


 見張りの連中に目的を尋ねても、「命令だ」の一点張りで真意が見えない。というか、見張りたちも、「なんでこんな連中、生かしとかなきゃいけないんだ」と考えているフシがあり、特に食料の配給時はそんな表情を隠しもしない。


(何かしら思惑はあるんだろうが……)


 食料や医薬品だってタダじゃない。それなのにわざわざ、ということは、それなりの理由があるはずだが……


(ただ、俺みたいな負傷兵まで生かしておくのが解せねえ……)


 タフマンが振り分けられている広間を見回しても、自力では起き上がれない負傷兵から腰の曲がった老人まで、おおよそ『使えない』人員が何人も残されている。これまでなら食い物の無駄だから、と即座に殺されていたような面々が……


 かつての魔王軍の振る舞いから、あまりに乖離していた。


(スッキリしねぇな……)


 ズズッ、とスープを飲み干しながら、タフマンは壁によりかかる。椅子や机なんて上等なモノはないので、床にそのまま座っていた。春だからいいが、冬だったら尻が冷えてたまったものじゃなかっただろう。


 今は――とにかく安静にして、体力を蓄え、怪我を治しきってしまうことだ。


 現状、捕虜たちは組分けされており、あるグループが騒ぎを――つまり反乱などを――起こせば、別のグループもまとめて殺されることになっている。だから、下手に身動きが取れない。


 今はまだ、そのときではない……今はまだ。


 もっと機会を窺わねば……。


 天窓から差し込む太陽の光を眺めながら、せいぜい従順な表情を取り繕って、闘志を隠す。


(……イザベラさんとニーナちゃん、無事に逃げられたかなぁ……)


 気がかりなのが、戦友の妻とその娘だ。王都の脱出を試みたが、果たして無事なのだろうか。落伍していないだろうか。あまりにも手持ち無沙汰なので、どうしたってそのことを考えてしまう。


 捕虜の全員を把握できているわけではない。もしかしたら、ニーナたちも囚われているのかもしれなかった。


 仮に捕虜の中に姿が見えなければ、逃げ切れたのか、あるいは――


「…………」


 不吉な考えを、首を振って追い払う。自分は、できる限りのことをした。あとは、光の神々の加護を祈るのみ……



 ……と。



 バタンッと勢いよく広間の扉が開かれ、大柄な悪魔兵がノシノシと入ってきた。額に一本角を生やした、毒々しい紫肌の悪魔。あからさまに物騒な闇の輩の来訪、広間にも緊張が走る――


「この中で、代表者は?」


 捕虜たちを見回した悪魔兵が、ごろごろと岩が転がるような大声で問うた。


「…………」


 周囲の視線が、タフマンに集中する。


 タフマンは、そこそこ実戦経験があるだけの、ただの一兵卒だ。が、タフマンより上の立場の人間はほぼ戦死してしまったし、この部屋に押し込まれた軍人の中では指折りの歴戦兵だし、何より、一番元気だった。


「……俺だ」


 仕方なく立ち上がって、タフマンは答えた。


「よかろう。ついてこい」


 クルッと背を向けて、さっさと歩き出す悪魔兵。蛮族風の鎧を身に着けた筋骨隆々の悪魔だったが、尻にはくるんとカールした豚のそれに似た尻尾が生えており、吹き出さないよう堪えるのは、それなりの精神力を要した。


 獣人兵に小突かれるようにして広間を出て、悪魔兵についていく。


(いったい何だぁ……?)


 とうとう処刑の日か? と思ったが、そういう雰囲気でもなかった。王城の上層、そして中心部に向かっている気がする。


「……いったい何の用事が?」

「黙ってついてこい、下等生物。現場で説明がある」


 振り返りもせずに悪魔兵。尻尾を思い切り引っ張ってやろうかと思ったが、丸腰なのでやめた。


 しばらく歩いて、立派な扉の前で、悪魔兵に「入れ」と顎をしゃくって促される。警戒しながら入ると、そこはどうやら――いわゆる謁見の間というやつらしかった。一兵卒にして平民のタフマンには、まるで縁がなかった場所だ。


 夜エルフ猟兵に、手荒な身体検査を受ける。もちろん寸鉄どころか木片ひとつさえ身に着けていないので、早々に解放される。


 謁見の間には、獣人兵や夜エルフなど魔王軍関係者の他、同盟側の人々の姿もちらほらあった。


「おお、あなたは」


 中でも、やつれ気味の神官は、タフマンを治療してくれた見習い神官だ。


「ご無沙汰してます、神官様」

「いえ、自分は見習いですので……お元気そうで何より」


 魔王軍関係者の冷ややかな視線を浴びて、神官見習いは肩身が狭そうだった。


 ――が、それでも生かされている。聖教会の人員が。それだけでも、なかなか信じがたいことだ。おそらく本人もそう感じているからこそ、やつれ気味なのだろう。


 その他、包帯まみれの負傷兵や元軍人と思しき中年男性、どう見ても貴族関係者の威厳ある老人など、面子も様々だった。みな、自分と同じように急に集められたのだろう、所在なさげに立ち尽くしている――


「……これで全部か?」


 と、謁見の間の隅の方で羽ペンを片手に書き物をしていた、神経質そうな顔のゴブリンが問う。


(――神経質そうな顔のゴブリン!?)


 思わず、タフマンは二度見してしまった。ゴブリンが服を着てるし、ペンを持ってるし、しかも何かを書いているだと!?


「……何をじろじろ見ている、人間!!」


 と、ギザギザの歯を剥き出しにして、威嚇してくるゴブリン。


(めっちゃ流暢に喋るな!?)


 ギーとかガーとか鳴く以外は、片言しか話さないはずのゴブリンが……!? タフマンが困惑していると、見習い神官がくいくいと袖を引っ張って、「あれはホブゴブリンです……」とささやいた。


(ホブゴブリン……!?)


 ゴブリンの上位種がいるらしい、とは聞いたことがあったか、あれが……!?


「ふむ。揃ったようだな。では話を進めるか」


 いかにも傲慢そうな顔つきの夜エルフが、後ろ手を組んで、前に進み出る。


「聞け、同盟の者たちよ。……いや、汎人類同盟の諸君」


 もったいぶった口調で話す夜エルフに、みなが目配せをした。『元』……?


「諸君らの処遇について、恐れ多くも魔王陛下の御下知を伝える」


 …………!!


 否が応でも緊張が高まる。自分たちの命運が、ついに……!


「魔王陛下は、元デフテロス王国領を、ここエヴァロティを中心に『エヴァロティ暫定自治区』として再編されることを決定された」


 ――自治区。


「諸君らには、栄えある魔王国の最低位の『国民』として、ある程度の自治が許されることとなる」

「なッ……」


 唖然としていたのは、貴族関係者と思しき老人だ。この言葉を真に受けて無邪気に喜ぶ者など、ひとりもいなかった。


 全員が身構えている。


(何が狙いだ……!?)


 いったい何を考えているんだ、魔王!!


「……ふん」


 静かに、警戒して次の言葉を待つタフマンたちに、夜エルフが鼻を鳴らす。



「そして自治区の代官として、我らが偉大なる第7魔王子、ジルバギアス=レイジュ殿下が就任される」



 ……それ見たことか。



 その名を知らぬ者はいない。



 代官が、よりによって、この王都を攻め滅ぼした張本人だと……!?



「ありがたくも王子殿下より直々に、諸君らにお言葉がある。偉大なるジルバギアス様の御威光にひれ伏すがよい。また、その後は質疑応答にも応じられるとのことだ」



 ニチャッと粘着質な笑みを浮かべる夜エルフ。



「――くれぐれも、殿下には失礼のなきよう。諸君らだけではなく、自治区に住まう者たち全員の命運がかかっているのでな」



 フッフッフ、ケッケッケ……と、謁見の間に魔王軍の者どもの笑い声が響く。



(マジかよ……!!)



 図太さに定評のあるタフマンも、さすがに冷や汗をかいた。



 謁見にも、王侯貴族にも縁がなかった、しがない平民にすぎない自分が……まさか魔王子なんかと!



(クソッ、武器がねえ……!!)



 反射的にそう思ってしまうあたり、やはり図太い男ではあった。



 とはいえ、もはや自分の命だけで済む話でもなし、ここはひざまずいて大人しく、話を聞くことにした。



 ――謁見の間、奥の扉が開く。



 絨毯を踏みしめて、足音が近づいてくる――



 前方の玉座に、腰掛ける。



「面をあげよ」



 ……年若い声。



 顔を上げたタフマンは、目の当たりにした。魔王子の姿を……



(あれが、魔王子……!!!)



 なんて若さだ。肌が青くて、角が生えただけのガキじゃねえか……!



「【我が名はジルバギアス=レイジュ】」



 が、途端、吹き荒れる暴風のような威圧感に、怖気が走る。



「【第7魔王子にして、エヴァロティ暫定自治区代官なり】」



 かつて、オッシマイヤー13世のものであった玉座に悠々と腰掛け、冷笑を浮かべる魔族の美少年。



 エヴァロティの新たな主・ジルバギアス=レイジュが、その真紅の瞳で捕虜たちを睥睨していた。

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