214.飛んで火に入る
――愕然と目を見開く吸血令嬢に対し、俺は傲岸な笑みを崩さない。
どうも、魔族の王子らしく、クソ偉そうに振る舞っているジルバギアスです。死霊王のあとは吸血鬼の相手とはな、えらく忙しいじゃないか。
「そ……れ、は……」
優しくされたと思ったらいきなりビンタされたような顔で、唇をわななかせている吸血鬼の女――ヤヴカ=チースイナ。
何をびっくりしてるんだろうな?
領内に入っていいかと問われたから、代官として許可しただけなのに。
だいたい、俺が人族を保護する方針であることは、自治区について聞いてるなら、当然知ってるはずだよなぁ?
領民を傷つけそうな奴らがうじゃうじゃ入ってこようってんだから、釘を刺すのは当たり前じゃないか。
「俺は忙しいと言ったはずだが」
その一言で察したのだろう、願い出が迂遠すぎたということに。ヤヴカは苦しげに顔を歪め、唇を噛みしめた。鋭い牙が突き刺さり、うっすらと血が滲む――こいつらの血は、俺たち魔族と違って赤い。
『お主も、相手の目的が吸血であることはわかっておろうに』
アンテがくつくつと笑った。
『意地が悪いのぅ』
よせやい、あんまり褒められると照れるだろ。
ちなみに最初から「血を吸わせてください!」なんてほざいてきたら、「人族保護するって言ってんだろ舐めてんのか!」と張り倒すつもりだった。
さあ、吸血鬼のお嬢様はどう出るかな?
おちょくられたと憤慨するか、それとも何か気の利いた返しでも――
「……殿下の貴重なお時間を頂戴しながら、誠に申し訳ございませんっ」
と思いきや、ズバァッとその場で平伏してきたので、意表を突かれた。ドレスが汚れてシワになるのもお構いなし、勢い余ってゴツンと額を地面に打ちつける勢いで。
「どうか我ら吸血種に、人族の血をお恵みくださいませ……! もちろん相応の対価はお支払いいたします……! 伏してお願い申し上げます……!!」
……ほーう。
『高飛車なお嬢様かと思うたが、なかなかどうして思い切りがいいの』
だなぁ。あるいは、それほどまでに吸血鬼たちは行き詰まっているのか?
額を床に擦り付けんばかりに頭を下げて、いったい今どんな表情をしているのか、興味もあったが――
さて。
ここで突っぱねるのは簡単だ。とても簡単だ。
代官としても、勇者としても――街に吸血鬼どもが入り込み、住民の血をすすっていくなど受け入れがたい。
たとえ『殺さずに血をちょっと貰うだけ』と事前に取り決めていても、魔王国内での、そして吸血鬼どもにとっての、人族の命はあまりに軽い。
『ちょっと吸いすぎちゃった!』みたいな軽いノリで、干からびた死体が見つかっても俺は驚かない。
……というか、吸血鬼どもがそんなに簡単に吸血欲求を制御できるなら、今ほど聖教会の目の敵にされてねえんだわ。
魔王国が台頭するまで散々追い回されていたのに。被害者を殺さないよう、ほんのちょっと血を吸うだけに留めていれば証拠も残らず、聖教会が血眼になって探すこともなかったのに。
それでもなお、過去数百年に渡って、血を吸いつくされて干からびた死体が、見つからない年はなかった。ひとたび血を口にすれば興奮状態に陥って、すぐに我を失うから、こいつらは信用ならないんだよ。
あっという間に酔っ払って自制が効かなくなる大酒飲みを、酒樽でいっぱいの倉庫に招き入れるようなもんだぞ? ……といっても、アンテにはよく伝わらないたとえかもしれないが。
『ソフィアに酒蔵番をさせるようなもんじゃろ?』
ああ、よくおわかりで。
『ならばどうする? この女の頭でも踏みにじって追い返すか?』
……そうしたいのは、山々なんだがな。個人的には。
しかし、ただでさえ俺はエンマとのつながりのせいで、吸血鬼と敵対的な魔王子とみなされている。
せっかく向こうが歩み寄ってきたのに、ここで叩き返すような真似をすれば、自動的にそれが最後通牒となるだろう。
今後、吸血鬼勢力を完全に敵に回すことになる。
――俺はいい。こいつらが何十匹寄ってこようがまとめて叩き潰せる。
問題は自治区だ。領内の人族に、よそからの干渉があることを懸念していたが――その筆頭が
仮に被害者が出た場合。俺は死人から証言を得ることができるが、魅了で自意識が著しく損なわれた状態で殺された場合、被害者も自分の最期を把握できていない可能性がある。
いや……むしろ死霊術対策で、魔法や拷問をフルに活用し、精神を壊してから殺すなんて凶行に及ぶかもしれない。
そんなことは……許容できない!
断じて、許容できない!!!
「…………」
恐る恐る顔を上げて、チラッとこちらの様子を窺ったヤヴカが、「ひえっ」と情けない声を漏らし、震えながら元の姿勢に戻った。
俺は、頬を撫でる――いったい、どんな表情をしてたんだろうな?
冷静に考えよう。
ここで下手に突っぱねると、吸血鬼どもを敵に回すことになる。あるいは俺が容赦ない姿勢を見せることで、牽制はできるかもしれないが、修復不能な溝に気づいた他の魔族どもが、行き詰まった吸血鬼をけしかけてくるかもしれない。
魔族の援護を受けた吸血鬼がアホみたいに厄介なのは、聖教会の過去の戦訓でイヤというほど学ばされた。
そうしてみると、吸血鬼どもが自ら、真正面から頼み込んできたのはある意味都合が良かったかもしれない。
厄介な敵となるくらいなら。
――抱き込んで、上手いこと使い倒してしまえ。
幸い、交渉の主導権は俺が握っている。今なら厳しい条件でも通せるだろう。
……それに、最近の吸血鬼ども、国境で強盗まがいのことやってんだろ? エンマから聞いたぜ、夜な夜な河川沿いや沿岸の街に忍び込んでは、悪さをしてるって。
断じて許容できん。
できることなら、吸血鬼どもを全て灰燼に帰してやりたいが――
「……面を上げろ」
俺は考えをまとめ、おもむろに声をかけた。
「……はい」
おずおずと顔を上げたヤヴカが、足元から上目遣いで俺の顔色を窺ってくる。不安げに揺れる紫色の瞳――
「知っての通り、俺は自治区の人族の身分を保障する。これには奴らの最低限の安全を担保し、労働意欲を向上させる狙いがある」
ふんぞり返って、ヤヴカを見下ろしながら、俺は言葉を続けた。
「おそらく、魔王国史上例を見ぬ、人族への善政となろうな。少なくとも20年は、その状態を保つ予定だ。その邪魔立てをするならば、何者であろうと
俺の極めて強い語調、および表現に、絶望的な顔をするヤヴカ。きっと頭ごなしに拒絶されたと思ったのだろう。
待て待て、慌てるな。
「……ところで、一口に身分を保障すると言っても、具体的にどのような手法を取るか、興味はないか?」
俺が冷え切った空気を中和するため、朗らかに微笑みかけると、ヤヴカはビクッとして引きつった愛想笑いを返した。……いま一瞬、こいつの姿ボヤけたよな? 霧化してトンズラしようとした? 諦めからの撤退の判断が早すぎるだろ。
「話しにくい。立て」
「ハイ……」
よろよろと立ち上がるヤヴカ。「もうかえりたい……」と顔に書いてあったが、話はまだ終わってないんだ、諦めるな。
「先行した夜エルフの役人どもが、現地住民の名簿を作成している。このリストに
「……ハイ」
「個人単位で管理するのはなかなか手間だが……その代わり利点も大きい。たとえば住民の数を監視することで、行方不明者が出てもすぐに気付けるし、名前もスムーズに特定できる」
俺は笑顔を消して、まっすぐにヤヴカを見つめた。
「……そして俺は、その名を用いて死者を呼び出すことが可能だ。仮に、
俺より背が高い美女の顔を、下から睨めつけるように。
「いったいどこのどいつが、そんな舐めた真似をしたのか。俺なら特定できる」
……魂が著しく損壊していなければ、な。
だがそんな細かいことより、俺が言わんとしていることを察したヤヴカは、顔色を変える。
「そっ……そのような! そのような無体は、我ら一族、決して……!!」
ブンブンとツーサイドアップの髪を振り乱して、否定するヤヴカ。
「断言できるか?」
「……ッ」
「決して、絶対に、末端の愚か者でさえ。俺と敵対的な魔族の口車に乗せられることもなく、無体を働かぬと。
何かあったらお前のせいだぞ、とばかりに。
「そ、れは……」
ヤヴカは、もはや泣きそうな顔でプルプルしている。「なんで自分が」とでも言いたげな様子だ、ほんの少しだけ気の毒になってきた。ほんの少しだけな。
脅かすのはこのくらいにして、本題に入ろう。
「無論、俺の手勢や、軍より供出された通常戦力も警備にあたり、自治権を持つ人族も自衛は試みるだろうが……エヴァロティ自治区は広大だ。現状では、夜の輩に対して充分な抑止力があるとは言い切れん。何といっても人手が足りんのだ……」
俺はヤヴカに意味深な目を向ける。
「特に、人族が寝静まる時間帯……自治区の夜の守護者たりうる者が、もっと手勢にいてくれれば、とは思わずにおれんなぁ」
「…………?」
どこか空々しい俺のセリフに、怪訝な顔をするヤヴカ。
「ところで先ほどの名簿の話に戻るが、あの名簿に記載されている者は、自身や周囲に理不尽な被害がもたらされた場合、代官たる俺に訴えかける権利を持つ。その訴えが妥当ならば、俺や役人が対処に当たるが――裏を返せば、訴えがない限りは、
――あからさまな行方不明者などを除いて。
「そう……たとえば、だ……寝ている間に、本人さえ気づかぬ程度に血を吸われた、などという被害は」
認識されないならば。
起きていないのと同じ。
「……。っっ!!」
ヤヴカが、目を見開いた。
――夜間、自治区の警備にあたるなら、吸われた本人が気づかない程度の吸血には目こぼししてやる。
俺は、そう言っているのだ。
「で、殿下……!!」
「ただし」
困惑しがちに喜びかけたヤヴカを、ぴしゃりとたしなめるように。
「それで干からびた死体のひとつ、あるいは行方不明者のひとりでも出てみろ。俺の配慮を無下にした報いは、必ず受けさせてやるぞ」
ここまで言っても。いや、ここまで譲歩を見せたからこそ。
逆に自治区で吸いたい放題に血を吸って、同盟圏に脱出する恩知らずも出てくるかもしれない。
そんなことになったら、俺は自分の判断を心底後悔する羽目になる。
羊の群れを守るために犬を飼おうとしたら、実は血に飢えた狼で、羊たちは全滅しましたとさ、なんて寓話にもなりゃしない。
何より、犠牲になった者たちに申し訳が立たない。対策を講じる必要がある――
「そのような、……そのようなことは、決して! 我らが一族が、そのような無体を働くことはないと、お約束いたします……!」
が、驚いたことに、キッと唇を引き結んだヤヴカは、言い切った。
「ほう? 随分と自信があるようだな」
「…………私を」
胸に手を当てて、ヤヴカが今一度、臣下の礼を取った。
「私を、エヴァロティ自治区における、吸血種の監督者としてお認めくださいませ。吸血を自らの意思で制御できない軟弱者は、決して領内に立ち入らせません。血の力と高貴なる責任ある者のみが、自治区の夜の守護者となることをここに誓います」
「言い切ったな。では、その誓いが果たされなければ?」
俺は目を細める。
「お前は、どう責任を取る?」
「……我が牙を。我が血を。我が心の臓を捧げます。殿下へ、対価として差し出すに足るものは、この身をおいて他にございませんゆえ」
絞り出すようにして言ったヤヴカは、ふと思いついたように。
「……それでも不足でしたら、夜王国の慣習に従い、子の責は親へとさかのぼりますゆえ、残りの請求は我が父へとお願い申し上げます」
「……ふふっ。はははははっ」
あまりにもサバサバとした言いように、思わず笑ってしまった。
俺も、それなりに上位の吸血鬼を、責任者としてエヴァロティに置くしかないと考えていた。万が一のことがあれば、ソイツに償わせるしかない、と。自分の命がかかっていれば、必死に監督するだろうからな。
ところが、ヤヴカは自分からそれを提案した。そして自分がその責任者になるとまで言い出した。
ただのお嬢様かと思っていたが、こいつはなかなかどうして……
『気骨があるのぅ』
ああ、まったくだ。吸血鬼にしては、いい根性をしている。
比較的、気に入ったぜ。
「いいだろう。その意気込みやよし。ヤヴカ=チースイナ、お前をエヴァロティの吸血種代表に任命する。エヴァロティに出入り可能な吸血種の選別を、自身の責任において執り行い、自治区の夜間の治安維持に務めよ」
「……はっ! 謹んで拝命いたします」
慇懃に頭を下げるヤヴカだったが、後悔と清々しさが入り混じったような顔をしているのを、俺は見逃さなかった。……ホントに大丈夫だろうな? マジで被害が出たら承知しねえぞ。コイツの人選がしっかりしていることを祈るしかない。
ただ、吸血鬼の(少なくともチースイナ一派が)味方についたのはデカい。
色々と弱点もあるし、魔王国ではイマイチ地味な吸血鬼どもだが……
『夜の貴族』の呼び名は伊達ではない。
こいつらが潜む夜闇を、気づかれずに突破するのは、他種族には不可能だ。
「ヤヴカ。これを」
俺は懐を探り、小さなブローチを手渡した。
「はっ? はい……?」
突然のプレゼントに目を白黒させるヤヴカだったが、ブローチに秘められた強大な魔力に気づき、仰け反っている。
「支度金代わりだ。毒除けのブローチ、定命の者には高く売れるだろう。それで新しいドレスでも仕立てるといい」
ひざまずいたり平伏したりで、すっかりシワだらけの汚れまみれになってしまったドレスを見ながら、俺は言った。
「さすがに役付で無給とはいかんからな。給金や正式な辞令については追って沙汰をする。また、警備にあたる吸血種が、治安維持で成果を上げた場合は、相応に報いるつもりだ。期待しているぞ」
「は、……はい……」
半ば茫然と立ち尽くすヤヴカにひらひらと手を振って、俺は歩き出した。
『……まあ、うまいことまとまった、と言えるかの』
そう、だな。
吸血鬼を招き入れることには若干の不安が残るが、敵対して好き勝手に潜入されるよりは、まだ味方として制御下に置いた方がマシだとは思う。
吸血種代表ヴラド=チースイナの娘が監督するので、万が一のことが起きぬよう、連中も力を尽くすだろう。
そして夜であれば、自治区にちょっかいをかけに来る三下魔族程度なら止められるかもしれないし、もし吸血鬼でも止められないような上位魔族が来たら、それはもう戦争だ。俺も本格的に殴り返すしかないので、吸血鬼云々の話じゃなくなる。
総合的に見て、悪くない結果に収まったんじゃないか。
……まあ、吸血で死者が出なかったとして、血の吸われすぎでちょっと体調を崩す者なんかも出てくるかもしれない。
そういう意味では、少し不満は残るが……その程度の被害なら、まだ我慢はできるだろう。
蚊に刺された程度の被害、と思えば――
我慢くらいは、な。
†††
「…………」
ひとり残されたヤヴカは、ブローチを手に、ただただ放心状態だった。
あの場を切り抜け、自分がまだ五体満足でいることが信じられない、という気持ちだった。
しかし――あれが本当に、正解だったのかはわからない。
父が想定していた、『自治区の人族の血をそれなりの値段で買い取る』、という形から、大きく逸脱してしまったのは間違いない。
しかも、自分の首が、文字通り物理的な首が、かかっている。
「…………」
今一度、手の中のブローチ――強い魔力が秘められた高級品――を見つめて。
ヤヴカは、ファサァッ……と崩れ去るように霧化した。
限界まで拡散して、そよ風に身を任せ、流されていく。
今は、ただ何も考えずに――
あてもなく、漂っていたい気分だった。
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