213.夜王国の末裔


 ヤヴカ=チースイナは、高貴にして由緒正しい、純粋な吸血種だ。


『純粋』というのは、吸血種同士の婚姻で生まれたことを示す。ただ噛まれて眷属化しただけの、低俗な吸血鬼どもとは格の違う存在だ。


 そして、『純粋な』吸血種一族の中でもチースイナ家の歴史は特に古く、その起源は600年前まで遡る。真祖ツェツェより直々に血を授かり、永遠の夜を生きる資格を与えられた夜王国の貴族だ。


 上位吸血鬼のことを『吸血公ヴァンパイアロード』と称すのも、夜王国の最高爵位が公爵であったことに由来する。


 ……まあ、そんな高貴なる吸血公たちも、魔王国においては、せいぜい伯爵にすぎないわけだが。


「お呼びですか、お父様」


 魔王城の一角。扉のない執務室に霧化して入り込んだヤヴカは、父の険しい表情に(厄介事ですわね)とひと目で察した。


 父・ヴラド=チースイナ。


 彫りの深い顔立ちに夜を染め抜いたような黒髪、くるんとカールした口ひげがトレードマーク。血色が悪く、耳が少し尖っている以外は、人族の30代の男にしか見えないが、齢は400を超え、現存する吸血種の中では最古参と言っていい存在だ。


「……すまない、ヤヴカ。お前にしか頼めぬ儀ができた」


 ヴラドは執務机の上で手を組み、言葉の割に、欠片も申し訳なくなさそうな、ツンとした顔で言った。


「……はい」


 いつものことなので気にしない。ヴラドは、末の娘であるヤヴカを溺愛している、と周囲に言っているが、兄たちに比べて年若く御しやすいため、使い勝手のいい駒と思っているだけではないか、とヤヴカは常々感じていた。


 だが、反抗心を抱いても、反抗できるだけの力が、ヤヴカにはない。兄たちのように出奔することもできない――


「近くに寄れ」


 ヴラドが手招きし、防音の結界を張った。ヤヴカも大人しく歩み寄って、音を遮断する結界の中に身を置く。


「……先の戦で、魔王子ジルバギアスが快勝したことは聞いているな」


 結界を張ってなお、盗み聞きを恐れるように、ヴラドはささやいた。


「はい。あの、腐肉狂いの王子が……」


 腐肉、というのはもちろん死霊王リッチ率いるアンデッドどもの蔑称で、腐肉狂いというのは、それに入れ込んでいるジルバギアスを揶揄した表現だ。


 人族絶滅を掲げている死霊王エンマと、血を吸わなければ存在を維持できない吸血種は、すこぶる仲が悪い。当然、アンデッドの肩を持つジルバギアスも敵対的な存在とみなされていたが――


「うむ。戦勝の褒美として、ジルバギアスがエヴァロティ代官に任じられたそうだ。そして、どうしたことかあの腐肉狂いが、自治区内の人族保護を方針として打ち立てたらしい……!」

「なんと……!」


 これには、ヤヴカも驚いた。


 エンマと仲良くしているくせに、人族を保護? どういう風の吹き回しだ?


「どのような意図にせよ、これは好機だ」


 ギリッ、と鋭い爪の生えた手を握りしめながら、苦々しげに唸るヴラド。


「……我らは常に、血に飢えてきた」



 現在、魔王国内における吸血種の立場は、非常に苦しい。



 吸血種の地位が極めて低く、血の調達が困難だからだ。



「夜王国が、忌々しい聖教会に滅ぼされて幾百年――魔王国に与したときは夜の時代の再来を夢見たものだが……」


 遥か彼方を見つめるような目で、ヴラドは独り言のようにつぶやく。


 真祖ツェツェは聖教会の勇者に討ち取られ、栄華を極めた夜王国は滅んだ。夜王国の貴族たちは散り散りになり、人族社会に身を潜めたが――いかに強大な夜の貴族といえど、日中に活動できないのは致命的だった。


 大人数で動けば、聖教会の執念深い夜狩人ヴァンパイアハンターに嗅ぎつけられ、昼間に襲撃を受ける。組織だった行動はほぼ不可能、少人数での流浪の旅を余儀なくされていた。


 そんな折、西の果てで魔王なる者が魔王国の建国を宣言し。


 かつての栄光を取り戻すべく、吸血種たちはいち早くその元へ馳せ参じた。


 そして初代魔王と交渉し、吸血種を臣下として認めさせたのが――他ならぬヴラド=チースイナそのヒトだ。


「初代魔王の治世は、まだ良かった」


 初めは、順調だった。


 血を飲めば、ほぼ際限なく力を育てられるのが吸血種の強み。さらには霧化や魅了など多彩な魔法が使え、血を操って強力な魔法の武器とすることもできる。


 そして聖教会に追われていた経験を活かして、勇者や神官との戦闘経験がなかった魔族たちに、そのやり口を伝えて情報面でも支援した。


 魔族の戦士たちと歩調を合わせれば、夜間戦闘では敵なしだった。敵兵を屠り、血をすすり、力を得てさらなる敵を屠る。魔王軍とともに行動すれば、昼間に襲われる心配もない。逃亡生活の鬱憤を吹き飛ばすように、吸血種たちは存分に暴れ回った。満月の夜のように輝かしい時代が再来した――


 と、思っていたのだが。


「二代目に変わってからは、このザマだ……!」


 魔王国内で人族が苛烈に弾圧・排除され始め、吸血種たちは血の調達に苦労するようになった。下等種で特に魔力に乏しい獣人たちの血は不味いし、無闇に襲って強制的に血を吸う行為は、国内の治安を悪化させるとして固く禁じられた。


 まだ、吸血種たちが魔王国に多大な貢献をしていれば、話は別だったのだろうが、都合の悪いことに、この頃には吸血種は戦力として振るわなくなってしまった。


 悪魔との契約により、魔族たちがとんでもなく強くなり始めたからだ。


 もはや吸血種の援護は不要だった。むしろ、中途半端に魔族の手柄を奪いかねないとして、疎まれるようになっていた。戦場で生き血をすする姿も意地汚いと蔑まれ、昼間は完全に動けない融通の効かなさも災いした。


 ――初代魔王が倒れたときは不幸なことに早朝だった。現地の吸血種はほぼ全員、棺桶型の寝台でのんきに寝ていたのだ!


 そのせいでどれだけ不興を買ったかわからない。


「しかも……あの忌々しい腐肉どもが……!!」


 死霊王エンマが魔王の配下となり、骸骨馬スケルトンホースのような、多少は日光にも耐性のある、使い勝手のいいアンデッドを供出したのもまずかった。何かと比較されるようになったからだ。


 さらに、夜エルフたちが同盟圏へ浸透し始め、諜報網を機能させ始めたのも、逆風だった。聖教会のやり口や、人族社会の制度に精通していたのも、吸血種たちの強みからだ。


「我らの強みが、何ひとつとして活かせていない……ッ!!」


 ヴラドの額に青筋が浮く。誇り高き夜王国の貴族として、認めがたい現実。



 吸血種は、魔王国において、あらゆる面で中途半端だった。



 日光を浴びれば灰になる。夜間戦闘や潜入は得意だが、上位魔族には敵わないし、若手魔族の手柄を奪う。それに敵地潜入なら夜エルフだってうまくやれる。


 では、それら以外で、どう貢献できるかと問われれば。



 ――血を味わって対象の健康状態を把握し、血流を操って多少の怪我や病気に対処することはできる。


 が、レイジュ族のデタラメな血統魔法【転置呪】のせいで、まったく需要がない。



 ――高度な教養。曲がりなりにも貴族として、吸血種の多くが読み書きはもちろん高度な計算まで可能だ。


 が、当初は誇り高い貴族として書類仕事なんて眼中になかったし、役人として貢献する手がある、と気づいたときには時既に遅く、夜エルフと悪魔とホブゴブリンが三つ巴の争いでポストを奪い合っていた。割り込む余地はまるで残されていなかった。



 ――同盟圏での潜入調査。昼間の隙さえ何とかすれば、霧化や魅了などの能力は、諜報にうってつけだ。


 が、夜エルフと協働しようと打診したところ、断られた。日焼け止めの軟膏を塗っても日光は防げなかったし、なまじ魔力が強いせいで目立つし、何より血を吸わねばならぬ点がどうしようもなく足を引っ張った。下手にヴァンパイアハンターに嗅ぎつけられれば、夜エルフの諜報網まで巻き添えを食う可能性があったからだ。


 しかも、夜エルフが潜入しづらい聖教会や森エルフの領域などは、同じく吸血種も苦手としている。ならば、自分たちだけの方が動きやすいし、手柄も独占できる、と夜エルフが判断するのも無理ないことだ……。



 そんなわけで、吸血種は現在、魔王国にほとんど貢献できていない。



 開き直って魔王城でのんべんだらりと惰眠を貪るわけにもいかず。そもそも、血があまりにも不足していた。聖教会の追手を避けるために魔王国へ与したというのに、結局、大多数の吸血種が同盟圏への潜入を生業とするようになった。


 国境から、夜間に河川や海上を霧化して移動し、同盟圏に潜入。適当にそのへんの人族の血を飲み、家々に押し入っては金品をくすねて、夜が明ける前に魔王国へ帰還し、売り払う。


 ……そう。


 誇り高き夜の貴族は、今やちんけな夜盗に成り下がっている!


 それでも彼らは、相応のリスクを背負って潜入しているだけ、まだマシな存在とも言えた。そんな気概さえない弱小吸血鬼どもの中には、魔王城で管を巻き、転置呪の身代わりで瀕死になった人族奴隷に群がって、ただ血をすするだけの軟弱者もいる。


 そんな連中のせいで、ますます吸血種は他種族に蔑まれているのだ……!


 ヴラドのように責任ある真の貴族や、夜盗・寄生虫のごとき真似を潔しとはしない気骨ある者もいるが、存在と力を維持するには血が必要で、遠慮なく血を吸える人族は魔王国内にはほぼおらず、結果として他種族から血を買わねばならなくて――


「その結果が……これだ!!」


 癇癪を起こしたように、執務机の書類の束をダンッと殴りつけるヴラド。


 それは――調査書だった。魔王城内で探偵の真似事をしているのだ。ヴラドのような老練の吸血種ならば、そして建材に魔力が宿っている魔王城内であれば、霧化して極限まで体を拡散させることで、気づかれることなく潜伏できる。


 そうして魔王城の住民(魔族を含む)の会話を盗み聞きし、書類にまとめて魔王に提出しているのだ。良からぬ企みを事前に察知し、防ぐという建前で――


 これが、魔王国内で、夜王国の末裔がどうにかして手に入れた『職務』だった。


 が、本当に会話は防音の結界の中で行われるし、結界の中にまで入り込むのは、いかに経験豊富なヴラドとて……かなり厳しい(絶対不可能とは言わないが)。


 ゆえに、この調査で事前に察知できる『企み』など、たかが知れていた。他ならぬヴラド自身がそう感じているし、もちろん魔王も同じことを考えているだろう。


 だが、魔王国黎明期における吸血種の貢献を魔王は認識しており、また人族排除の影響で血が足りなくなっていることも把握している。半ば同情心でヴラドたちに仕事を振り、報酬を支払っているフシがあった……


「屈辱だ……ッッ!!」


 鋭い牙を剥き出しにして、怒りに震えるヴラド。かつて吸血公として、下等種どもを震え上がらせた夜の貴族の末路が、これか!!



 いてもいなくてもいい存在、それが今の魔王国における吸血種……!!



「断じて許せん、許容できん、このような状態は!!」

「本当に、その通りですわね、お父様。……それで、自治区のお話なのですが」


 ヒートアップし始めたヴラドに相槌を打ちつつも、軌道修正を試みるヤヴカ。


「あぁ……うむ。話が逸れたな」


 幸いなことに我に返ったヴラドが、咳払いして姿勢を正す。


「魔王陛下が人族排除の方針を、一時的にでも撤回されたのは僥倖だ。人族が身近な存在となれば、我らは再び力を蓄えられる」


 吸血種は、血を飲まねば力を得られない。


 のみならず、その力を維持することができない。


 血が不足すれば、どんどん魔力が弱まっていき、最後には灰と化してしまう。それが、心臓が鼓動し、生殖可能でありながら、吸血種が『アンデッド』と定義されている理由だ。


「とにかく血だ。血が必要なのだ。我らが誇りを取り戻すにはそれしかない……!」


 半ば熱に浮かされたような目で、ヴラドは語る。


 とにかく力だ。充分な血を確保し、力を得なければ魔王国内での地位向上など望めない。


 力を得たとして何ができる? という根本的な問題は解決していないが、このまま惰弱な存在に落ちていけば、現在は夜エルフと同じく一等国民とされている身分が、引き下げられて獣人などと同列になってしまうかもしれない!


 由々しき……由々しき問題だった。


「そこで、自治区への立ち入り許可を、魔王陛下へ願ったのだが……」

「……何か、問題が?」

「陛下いわく、この件は代官たるジルバギアスに一任している、と」


 ヴラドの不機嫌そうな顔。ヤヴカは、猛烈にイヤな予感がしてきた。



 ――なぜ自分が呼ばれたのか。



 噂に聞くジルバギアスのヒトとなりを考え合わせれば。



 ぺたりと頬を撫でる。――母譲りの美貌には、自信があった。



「ヤヴカ。お前にしか頼めない。ジルバギアスとつなぎを取ってこい」

「…………」


 やはりそれか、とヤヴカは思わず天を仰いだ。


 無類の異種族の女好き。それが、ジルバギアスの評価――


「自治区の人族は、扱いとしては獣人よりさらに下、ゴブリンとほぼ同格だが、家畜よりはマシ、という程度らしい。しかし農業や畜産に従事させ生産効率を上げることが目的である以上、無闇な殺害は魔族といえど禁止。無論、我らも同じだ」


 だが裏を返せば――とヤヴカを見据えながら、ヴラドは言葉を続ける。


「――獣人より扱いが下になるということは、それだけ、血の値段も安くなる。好き勝手に飲むわけにはいかんが、購入することは可能だろう、理屈の上ではな。人族の血に報酬を払うなど業腹だが、安全に、少しでも力を得るためにはやむを得まい」


 先ほどの、同盟圏に潜入して血を吸いに行く者たちの話だが、あれも実は安全とは言い難い。国境の国々も警戒を強め、吸血被害が多発する河川沿いや沿岸部は、吸血種対策が充実しており、最悪の場合、勇者やヴァンパイアハンターと鉢合わせて二度と再び帰らない者もいるのだ。


「我らにはあまりにも余裕がなさすぎる。安全に力を補給できる『血の溜池』が必要なのだ」


 そして、エヴァロティ自治区をおいて。


 魔王国内に、そうなり得る都市圏は存在しない。


「ヤヴカ! どうにかして、ジルバギアスを交渉のテーブルに引っ張ってこい。そうすれば細かい話は私が詰める。この際、使


 ――辟易とした。いつもの父のやり口だった。


『どんな手を使ってもいい』などと言いつつ、その目は雄弁に『どんな手でも使え』と語っている――


 命じている。


 こんな父の態度が気に食わなくて、兄たちはことごとく出奔、今は国境で『夜盗』に身を落としている――今も元気にやっているだろうか――


「……わかりました」


 しかし、絶対強者の父に、逆らうことなどできるはずもなく。


 ヤヴカは唯々諾々と、頭を下げるほかなかった……




          †††




 そうして。


 王子が手隙になったところを見計らい。


 ヤヴカは今、ジルバギアスと相対していた。


「――ヤヴカ=チースイナ子爵と申します。以降お見知りおきを」


 スカートを軽くつまんで優雅に礼カーテシーをしながら――


(考えようによっては、これは好機ですわ)


 ヤヴカは前向きに考えていた。


(自治区で血が飲めれば、私だって、もっと力を得られるんですもの)


 そうすれば――父に飼い殺しにされている現状から、脱却できるかもしれない。



 もっと自由に、なれるかもしれない!!



(行ってみたいですわね……同盟圏に)


 ヤヴカは、魔王城生まれの吸血種だった。魔王国の外には出たことがなく、世界の広さをほとんど知らない。


(同盟圏は危険って聞きますけれど)


 勇者や、神官や、ヴァンパイアハンターがうろつき、手ぐすねを引いて闇の輩を待ち構えているという、同盟圏。


 それでも、永遠に弱いまま、父の下で過ごすよりマシだ!


(私は、もっと世界を見て回りますわ……!)


 ――ジルバギアスを交渉のテーブルにさえ引っ張り出せれば、あとは父がどうにかするだろう。


 最初は嫌々押し付けられた役目だが、ここに至って、ヤヴカは自身の自由のために色仕掛けさえ辞さぬ構えだった。


「…………」


 が、ジルバギアスは、何とも胡散臭そうな顔をしている。


「…………」


 ちょっと、たじろぐ。自慢の美貌も、魔王城の夜の貴族たちに、蝶よ花よと持て囃された微笑みも、まったく効果がなかったからだ。


(……まさか、エンマから何か言われてますの!?)


 あンの腐れ女が吸血種の悪口でも吹き込みましたの? だからこんなに手応え、というか反応が悪いんですの?


 笑顔を維持したまま、頭の中で、知りうる限りの表現でエンマを罵るヤヴカだったが――


「ふむ。要件を聞こう」


 不意にジルバギアスが微笑み、腕組みしながら斜に構えた。


 ……目が笑っていない。嫌な感じがした、まるで父と相対しているような……


「恐れながら、我が父ヴラドが、ぜひとも殿下に奏上したき儀があると――」

「ああ、言葉足らずだったな。言い直そう」


 ヤヴカを途中で遮って、変わらぬ笑顔のまま、ジルバギアスは言い放つ。


「お前個人ではなく、を聞こう」

「……え?」

り、俺はエヴァロティ代官に任命され、このところ多忙を極めている」


 ずい、と歩み寄り、顔を覗き込んでくるジルバギアスに、反射的に仰け反って身を引いてしまうヤヴカ。


 そんな彼女の無意識の行動に、ジルバギアスがさらに笑う。


「細々した社交辞令に割く時間が惜しいのだ。ヴラド卿といえば吸血種の代表だな。そしてお前はその娘で、使者だ。であれば本来の要件についても、当然、把握しているだろう。……まさか話し合いもできないを寄越したとは言うまい?」


 ……ヤヴカは、絶句して目を見開いた。


 まさか6歳児に『小娘』呼ばわりされるとは思わなかった。たしかにまだ50にも満たない若輩者ではあるが――相手が魔王子で魔力強者じゃなければ、激昂していたところだ。



 ――いや、それより何より。



 遅ればせながら、状況を理解してゾッとする。



 ジルバギアスを交渉のテーブルに引っ張っていくどころか、気づけば、



「言え。何が目的だ」



 笑顔を消し、ジルバギアスが命じる。



 ヤヴカは反射的に姿勢を正し、口を開いた――



(――どうしますの!?)



 どう言えばいい。想定になかった。考えもしていなかった。



 しかしうだうだ考え込む時間はない、自分がこのまま沈黙すれば、「無能だな」と嘲笑い、ジルバギアスが去っていく様が目に浮かぶようだ――



 時間が惜しいとヴラドとの交渉さえ跳ね除け、ここで無理やり自分に仕掛けてきたジルバギアスが、迂遠な言い回しを好むとは思えない。



 ならば。



「――我ら吸血種の、エヴァロティ自治区への立ち入り許可をいただきたく、お願い申し上げます」



 素早く臣下の礼を取り、ヤヴカは頭を下げて、バカ正直に願い出た。



「……



 緊張するヤヴカをよそに、一転、朗らかに微笑むジルバギアス。



「いいぞ」



 …………。



 あっけなく。



 驚くほど、あっけなく、許可が下りた。



「あ、ありがとうござ――」



「ただし」



 微笑んだまま、ジルバギアス。



「自治区内の人族を傷つけた場合、厳しく処罰する。もちろん吸血行為も含む」



 ――横面を、思い切りはたかれた気分だった。

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