211.都合のいい幻
地の底まで続くような、果てしない階段――
何段あるのか数えようとして、毎度、途中でうんざりしてやめてしまう。クレアに連れられ、ようやく長い階段を降りきった俺は、重装スケルトンたちに守られた扉をくぐり、死霊王の宮殿へと足を踏み入れた。
「――ジルバギアス様っ」
扉の向こう、待ち構えていたエンマが芝居がかった仕草で振り返る。
今日は、装飾品は控えめだな。それぞれ見覚えがある指輪とネックレス。寒色系の服装で地味に決めている。
「この間は……本当に、大変な失礼を……!」
わざとらしく、しなを作ったエンマは――
つっ、と一筋、涙を流した。
おお……予想通り、泣く機能を追加してきたか!
「…………」
俺は無言で間合いを詰め、エンマの頬に手を添えて、そっと指で涙を拭った。
「えっ、ジルくん?」
虚を突かれて目を白黒させるエンマをよそに、指先で涙――のように見える透明な液体をこすり合わせてみる。サラサラしているな。ただの水か、これ? 塩味がするのか、舐めてみる勇気はさすがになかった。なんか身体に悪そうだし……
それにしても、想像以上によく仕上げてきたというか、自然に涙を流したな。どういう仕組みになっているんだろう?
俺は無言で、至近距離からエンマの目をじっくりと覗き込む。
「じっ、ジルくん!?」
声を上擦らせたエンマが身を引こうとしたので、腰に手を回して動きを封じる。
「じっとしてろ。お前の顔がよく見えないだろ」
「ひゃい……」
相手が後ろめたいのをいいことに、強めの口調でささやきかけると、なんか思ったより素直におとなしくなった。これでゆっくり観察できるな!
バルバラのためボディを用意しようとしているから、今までとは少し見る目が違うというか、新鮮な感じだ。エンマのボディは、見本としては最上級。
こうしてまじまじと観察すると、顔の造形はもちろん、まぶたや瞳の動きまでよく再現してあって感心する。体温は一切ないけど、頬のしっとりとした肌質は、造り物とは思えないほど真に迫っていた。
「きれいだな」
人体工学的な意味で。
「ふぇ」
ぽかんとした表情のまま固まったエンマは、息絶える寸前の獣みたいに、その眼球だけをギョロギョロと蠢かせていた。
……唯一、このガラス玉じみた瞳だけには違和感を抱くけど……それ以外は、パッと見では生きた人間と区別がつかないほどの出来栄えだ。
それでいて、パワーもスピードも兼ね備えている。やはり人類史に名を残すレベルの大罪人だけあって、その技術力は大したもんだな……!
「…………」
気づけば、エンマは目をギュッとつぶり、なんか唇を尖らせていた。何やってんだこいつ。
「おほんッ」
と、クレアがわざとらしく咳払いしたので、俺はパッとエンマから離れる。いかんな、技術的探究心のあまり肉薄しすぎてしまった。これじゃまるで、俺が死体にまで興味津々な変態魔王子みたいじゃないか……!!
『半ば事実だと思うんじゃが……』
作り方には興味あるけど、エンマのボディそのものはどうでもいいんだよ!
「あぁん……」
何やら悩ましげな声を出したエンマが、残念そうにしながら、乱れてしまった前髪を整えている。俺は、ちょっとバツが悪いというか、気まずい感じがしたので、それをごまかすようにクレアにもニコッと微笑みかけた。
が、完全に虚無の顔をしていた彼女は、そのままグルンと白目を剥いてみせた。
くっ、やはり死体にまで興味津々な変態魔王子だと思われちまったか……!?
「……すまないな、エンマ。思わず見惚れてしまった」
「いっ、いや、もちろんいいんだけど……その……」
挙動不審に、指先をいじいじさせたエンマは。
「そのっ……ボク、そんなきれいだった? 見惚れるくらい……」
「ああ。すごくきれいだった」
涙の流し方が。
「今でも、お前が輝いて見えて、目が離せないくらいだよ……」
よくよく考えれば、こいつのボディは、かの『人形作家』の技術の粋だ。そういう意味では、お宝の山と言っても過言ではない。だからキラキラして見える。死霊術的にも人体工学的にも、目が離せねぇよ……!
「ふぇ、エヘ、エヘヘ……」
俺の称賛に「光栄だよ!」と応える的確な表情がなかったのか、無表情のままクネクネし始めるエンマ。動きとしては、完全に土中から引っ張り出されたミミズのそれだが、挙動の滑らかさは特筆に値するな……
そんなワケで、無事にわだかまりも解消して(というか俺が怒ったフリしてただけだったし)、いつもどおりの死霊術の講義が始まった。
テーマはもちろん、アンデッド作成の応用編。
これまで俺が実践してきた死霊術のように、死体に魂を宿して終わり! ではなく、効率の良い魔力運用、魔力を物理運動に変換する筋組織、諸々の防腐処理やそれに関連する薬品類、骨格や関節の強化方法などなど、多岐にわたる『アンデッドづくり』の技術を学んでいく。
一部、
「……そういえば、さ」
講義の合間に、俺はさり気なくエンマに話を振った。
「実は、戦場でもちょっと死霊術を使ったんだよな」
「へえ! 何か役に立ったかい? それなら『先生』として、それに勝る喜びはないけれども」
「ああ、とっても役に立った。ちょっと戦場の
俺は何食わぬ顔で。
「もっとも、
――嘘は言っていない。恐ろしいほどに。
俺のためにテーブルに出されていた茶菓子を、口に放り込んだ。甘い。ちゃんと味がする。だから大丈夫。
「ああー、それは残念だねぇ。忌々しい聖教会め……」
「その過程で、ちょっと興味深い話を聞いたんだ」
顔をしかめるエンマに、俺は純粋な好奇心のみを浮かべて、問うた。
「『向こう』で、もう10年以上前に死んだ家族と再会した、って言ってたんだ」
バルバラの話を聞いてすぐに、彼女の父と兄の呼び出しを試みたが。
反応は一切なかった――
「『冥府は存在しない』って話じゃなかったか?」
「――ああ。何だぁそんなことか」
にっこりとエンマが笑みを浮かべる。おいおい。心底くだらないと言わんばかりの口調が、表情とまるで合っちゃいないぜ。
「ボクもね、数え切れないほどの魂を呼び出して、うんざりするほど似たような話は聞いたよ。でもね、
それに、と肩をすくめて言葉を続けるエンマ。
「ボクは、一緒に死んだパパにもママにも会えなかった」
死んでも苦しいままだった、とつぶやく。
「冥府があるなら、なんで死んだあとまで、ボクの魂は痛みと憎しみで苛まれなきゃいけなかったんだい? ボクだけじゃない。クレアや、他の同志たちだってそうだ」
……研究室の隅で本を読んでいたクレアが、ページをめくる手を止める。
「冥府があるなら、すみやかに、安らかに誘われるべきだろう?」
それは、そうだ。
なぜバルバラは亡き父と兄に再会できて。
エンマたちはそれができなかったのか?
バルバラとの違いを考えるなら……生への執着、は何か違うだろうし。死んだときに理性的だったかどうか、か? わからないな。情報が少なすぎる……
……まあ、それを言うなら、俺だって親父やおふくろと再会できてないわけだが。
『お主は特殊じゃからの。生まれ変わる過程で、そもそも霊界を経由しとらん』
と、アンテが横から言った。
――霊界を経由していない? どういうことだ?
『簡単な話よ。お主の魂は、カニバルの捕食の権能により魔王に喰われた。要は胃袋の中におったわけよ。それでも、完全には消化されることなく、出てこれるほどに魂が頑強だったのは、驚愕の一言じゃが』
お主は曲がりなりにも神に抗ったわけじゃからな、とアンテ。
それだけ復讐心が、魂の核が強かった、ってわけか……。村が滅んで以来、魔族を殺すことだけを考えて、心の支えにして生きてたもんなぁ。
文字通り復讐心が、俺という存在の芯になっていたんだ……。
「そもそも、ボクが見てきた霊界の底には、何もなかったんだもの」
物思いに沈む俺をよそに、エンマは鬱々とした口調で話し続けている。
「あのときの絶望を、キミにも教えてあげたいくらいさ。もしも本当に冥府があったなら、死者の楽園があったなら、どれだけ良かったか……!!」
見に行っても、死者の楽園はなかったから。
自らの手で、現世に作ることにした――
しかし、これはエンマがそう主張しているだけなので、完全に信頼できるわけではない。自分の目で確かめようにも、俺はまだ幽体離脱なんてできないしな。
『その上、我まで霊界に入れんのは予想外じゃったのぅ』
それだよなぁ。
――バルバラの証言で、『やはり冥府はあるのでは?』という疑いが出てきて。
魔力で構成された体を持つ悪魔なら、霊界を探索できるのではないか、という話になった。
なんか嫌な感じがする、と乗り気じゃないアンテを、どうにかなだめて、ちょっとだけ霊界に入ってもらおうとしたんだが。
霊界に手をねじ込むことさえできなかった。世界の法則が、厳然と、アンテという存在を拒絶したのだ。
『我は、というか、悪魔はこの世界にとって異物じゃからのう』
うぅむ、とアンテはうなるようにして言う。
『霊界はおそらく、
アンテの幻想が、眼前、テーブルの上に現れる。
ごろんと寝転がって頬杖を突き、呆れた目でエンマを眺めている。
『この女……
フフッ……と冷笑。
『我ら魔神でさえ、死ぬことはあるというのに。生と死は、異なる世界にさえ、神にさえ通用する強力な概念じゃ。それを、人の身で理解しようなどと、おこがましいにもほどがあるとは思わんかったのか……』
アンテの哀れむような視線に――
エンマは、気づくことはない。
「――ま、ボクがいくら言っても、確たる証拠を差し出せるわけじゃあないからね。一番いいのは、ジルくんが自分の目で確かめることなんだけど」
無詠唱で、【霊界の門】を開くエンマ。
「生者は、肉体と魂の結びつきが強すぎるからねえ。幽体離脱の修行はしてる?」
「寝る前に瞑想したりしてるけど、できる気がしなくて困ってる」
「まあ何十年もかかるって話だからね……魔族ならあっという間だろうけどさ!」
あははっ、と明るく笑うエンマ。
くくくっ、と喉を鳴らすアンテ。
『だいたいおかしいとは思わんのかのぅ、この女。人族ごときがロクな呪文も唱えず簡単に開ける、この【門】とやら――』
ぐるぐると渦巻く魔力を、指差して、嗤う。
『こんな簡単に穴が開く薄皮1枚で、生と死が隔てられておることが、おっかないとは思わんのかの? 我が創造主なら、もっと厳重に隔離するじゃろな。冥府が現世に溢れ出さんように。せっかく生まれた世界が、台無しにならんように――』
ごろん、と転がって俺の方に向き直り、アンテは肩をすくめた。
『ま、とはいえ、冥府が『ある』とは断言できん。冥府は『ない』とは断言できんのと同様に。結局のところ――』
わからない。
と、いうことだけが、わかる。
「――そういえば、さぁ」
エンマが、ふと思い出したように俺を見やる。
「話は変わるんだけど、ジルくん、代官に任命されたんだよね。改めておめでとう」
それで――小耳に挟んだんだけどさぁ――とエンマは。
「なんでも、自治区では、人族を保護する方針なんだって? そしてその施策の発起人が、ジルくんらしいって聞いたんだけど」
エンマは、変わらず、笑顔だった。
明るくて、きれいな、
お人形さんみたいな、
――作り物の笑顔。
「それって、ホントなのかな?」
ガラス玉みたいな瞳が
俺を見据えている。
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