210.死せる者たち
「我が主エンマより、書簡を預かっております」
眼前、フードを目深にかぶった少女は、うやうやしく手紙を差し出す。
クレアだ。
自我を持つ上位アンデッドとはいえ、無位無官の身。魔王城での地位はゴブリンと大差ない。だからこうして、大人しく猫をかぶっている――
「ありがとう」
礼を言って受け取ると、彼女はスンッと半目になって、俺を見つめてきた。
表情筋が死んでいても、目は口ほどに物を言う。これは、呆れかな? アンデッドごときにも律儀に礼を言う、魔王子に対して。
偽善者に対して。
俺はクレアから視線を剥がし、手紙を開いた。
『親愛なるジルバギアス様――』
一旦、目を逸らす。ちょっと深呼吸してから改めて読み始めた。
『この間は、うっかり上半身の骨を粉砕しそうになってごめんね。戦場帰りで疲れているきみへの気遣いが足りていなかった。本当にごめん――』
そんなノリで始まり、それはもう、逆立ちしてるんじゃないかってレベルで、平身低頭に、ありとあらゆる謝罪と反省の言葉がずらずら書き連ねてあった。
『――そして侯爵への叙爵、およびエヴァロティ代官就任お慶び申し上げます。あっという間に階級でも超えられてしまいました。また、お会いできる日を楽しみにしております』
と、そんな改まった文章で、手紙は締めくくられている。
ふむ……俺が自治区で人族保護の方針を打ち出したことについては、言及なしか。まあ、これだけ謝り散らかしておいて、『どういうこと!?』とか問い詰めてきたら台無しだしなぁ。
「……ん?」
そして気づく。下の方に、めっちゃ小さな文字で追伸があることに。
『追伸 ジルバギアス様の方がボクより偉くなったので、約束通り、足でも何でも舐めます♡』
「んフッぅ」
想定外の文章に、危うくむせるところだった。
クレアが相変わらず、呆れたような目でこちらを見ている。手紙の内容も知ってるんだろうか。
「……えー、我が主エンマから、次回の死霊術の講義をー、如何様にするかお伺いを立てよ、との命令を受けておりまーす」
素晴らしくやる気のない棒読み口調でクレア。こりゃー内容も知ってますわ。
「ン……そうだな」
エンマからは一刻も早くアンデッド作成の応用を習いたいが、自治区の件でも色々と打ち合わせがあるし、今日明日は厳しいから――
「明後日でどうだ?」
「かしこまりました。お待ち申し上げておりまーす」
慇懃に頭を下げ、一礼したクレアは、そのときいつの間にか俺の足元にやってきていたリリアナに気づいた。
「くぅん?」
「うぇっ」
リリアナが発する神々しいオーラに、本能的な恐怖を覚えたか、後ずさるクレア。
「すんすん……」
「あっ、リリアナさん、お邪魔しちゃダメですよー。戻りましょうねー」
鼻を鳴らしてクレアの匂いを嗅ごうとするリリアナを、慌ててやってきたレイラが引きずっていく。「きゅーん」と寂しげな鳴き声が遠ざかっていく……
「……お美しい方々ですね」
どこか冷ややかに、ボソッとつぶやいたクレアは、「それでは」と慇懃に一礼してから足早に去っていった。振り返ることもなく。
……俺が戦場から帰還したことに対して、人族を殺して戻ってきたことに対して、クレア本人からの言葉はなかったな。
当たり前だけど。
『寂しいかの?』
アンテが不意に尋ねてきた。
いいや? むしろ嬉しいよ。「ご無事で何よりです!」だとか「戦勝おめでとうございます!」だとか、その気になればエンマみたいに上っ面な言葉だけで、俺のご機嫌取りだってできるはずなんだ。
でもクレアは、それをしない。俺に対するわだかまりがあることを隠さない。その程度には、彼女の自我が、自由意志が残されている証だ。
俺は……そのことを、嬉しく思うよ。
『お主も……ままならんのぅ』
心底同情するような口調で、アンテは言った。
『……あれがエンマの手下かい?』
部屋に戻ると、バルバラがレイラの腰のレイピアからふわりと抜け出して言った。
『人形作家の呼び名は伊達じゃないねぇ、顔色以外は生きてる人間と区別がつかないじゃないか』
そうか、レイラもチラッと顔を出したから、そのとき一緒に見たわけか。バルバラにとって馴染み深い『アンデッド』と言えば、
「そうだ。ああいう生者に近い外見のアンデッドは、戦場じゃ見ないよな」
『あんなアンデッドが堂々とうろついてるなんて、世も末だねえ。さすが魔王城』
半透明の
それにしても、冷静に考えれば、角も生えてない、耳も尖ってないやつが、普通に魔王城をほっつき歩いていても見咎められないのは面白いな。
……いや、魔族や夜エルフなら闇の魔力を感じ取れるし、獣人に対しては死臭を隠しきれないか。裏を返せば、死臭を身にまとって、顔色を悪く見せる化粧をして、闇属性の魔力持ちなら魔王城に潜入できる――? まあ考えるだけ無駄か。
「あれがエンマ一派の
『死霊王……ってことは、低級アンデッドと違って、生前の自我が色濃く残されているわけだ』
俺の言葉に、不快そうに眉をひそめるバルバラ。
『自らの意思で魔王軍に協力するとは……人族の風上にも置けないね! 魔王を倒した暁には、あいつをお天道様の下に引きずり出してやらないと!』
クレアへの怒りを隠さないバルバラに、俺は悲しくなってしまった。死してなお、魔王軍と戦おうとしているバルバラだ。彼女の怒りは正しい、でも……
「あいつ、俺の幼馴染なんだ……」
念のため、防音の結界を確認しながらの俺の言葉に、バルバラが『えっ』と意表を突かれた顔をする。
「俺の故郷が、第4魔王子に滅ぼされた話はしただろ。俺は、どうにか逃げ延びたけど、彼女はダメだった。最後に見たときは、ゴブリンどもに群がられてて……詳しい話は、本人からは聞いてないけど。散々な目に遭って死んだらしい。そして、エンマに魂を拾われたんだ……」
そうして持ちかけられた。
エンマに協力して自我を保つか。
それとも拒否して低級アンデッドに『加工』されるか――
「選択肢がなかった、と言っていたよ……あんまりにもあんまりな最期だったのに、そのまま『終わる』なんて……とてもじゃないが浮かばれないって……」
『…………』
しばし、絶句していたバルバラは。
『うっ……うぅっ。そんな……酷すぎるぅ! なんで……なんでぇぇぇ。せっかく、幼馴染と再会、できたってのに……あんまりだよぉ……!』
大粒の涙をこぼしながら――流れる先から虚無に還元されていく――さめざめと泣き始めるバルバラ。
『うぅ。うぅぅぅ……!』
同情してくれるのは、ありがたいけど……アレだな。
――明らかに、俺が知る生前のバルバラより、感情の振れ幅が大きい。
感情が制御できていないというか、振り回されているような印象を受ける。彼女を殺してから、それほど時間が経たないうちに呼び出したとは言え、やはり霊界で理性が削れてしまったせいだろうか。
もうちょっと闇の魔力を注入して、魂の外殻を補強してあげるべきかもしれない。
……たとえ、それが。
バルバラの魂を――多少なりとも『加工』することを意味したとしても。
俺は呪文を唱え、闇の魔力を練り上げ、バルバラの魂へと送り込んだ。
『ん……ああ、
スッと涙が引いて、穏やかな表情になったバルバラが
ファラヴギと違い、彼女が光属性持ちじゃなくて、良かった。
俺は、どう答えたものかわからず、ただ微笑んだ。胸が痛い。体の奥底で、何かが軋みを上げている……
『ふふっ』
アンテが、小さく、笑いとも溜息ともつかぬ息を吐いた。
『それじゃ、あんたの幼馴染は、無理やりエンマに従わされてるも同然ってわけだ』
「……そうだと、俺は信じたいんだがなぁ。本当のところはわからない。彼女の魂はエンマに監視されてるだろうし、そもそも、魔王軍の犠牲になったクレアが、魔族の王子なんかに本音を語ってくれるわけがないからな」
『そりゃそうだ』
「……もしかしたらヤケクソになって、『どうにでもなぁれ!』ってノリで、本当に魔王軍に協力して人族を滅ぼすつもりなのかもしれない。油断はできないよ」
『そっか。……それにしても、そもそもの疑問なんだけどさ、アレク』
顎に手を当てながら、バルバラが俺に理知的な眼差しを向ける。
『そもそもなんで、人形作家エンマは、魔王軍に与してまで人族を害することに情熱を燃やしてるんだい? いくら頭がおかしい殺人鬼でも、アイツだってもともと人族なんだろう?』
「ああ、それか……」
狂人だから――の一言で済ませられれば、むしろ楽なんだがなぁ。
「アイツの目的は、アイツなりの
皮肉な口調を禁じ得なかった。
『救済ぃ?』
「アイツは死霊術を極め、霊界の底の底にまで潜ったことがあるらしい。その結果、『冥府は存在しない』という結論に至ったそうだ。霊界で崩れ去った魂は、魔力に還元され、やがて現世に戻り、新たな生命として生まれ変わる。その繰り返し――輪廻の輪はまったくの無駄で、いらぬ苦しみを再生産しているだけだ、というのがエンマの主張だ」
俺の言葉に、バルバラはひたすら困惑している。
そりゃな。急にこんなこと言われたら、誰だってそうなるわ。
「アイツは200年ほど昔、闇属性の魔力を発現したせいで迫害され、この世のありとあらゆる苦しみを味わって死んだ。だから、『生きること』に価値を見いだせないんだ。あらゆる生命活動は、長い目で見れば、苦しみと悲しみを無限に生み出すだけだと
それ以上に、苦しみも悲しみも生み出されない。
アンデッドたちの楽園を、自らの手で築き上げようとしている。
正直、エンマとそこそこ付き合いが長くなってきた俺も、未だにイカれてるとしか思えない思想だ。
何よりも救いがたいのが、これがアイツなりの『善意』に基づいてるってことなんだよな……
『冥府が、ない?』
そしてバルバラは、困惑の極地といった様子で、首を傾げ。
『――あたし、向こうでお父様とお兄様に会ったけど?』
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