206.方針転換


「――ふむ」


 眉をひそめる魔王。失望――いや、何かを懸念している? そんな表情だ。


「……な」


 思わずといった様子で、テーブルに残されていたティーカップに手を伸ばし、それが空であることに気づいて、もとに戻しながら魔王は言った。


「これまでのお前の言葉は、一言でハッとさせられる何かがあった。だが今回ばかりは、まるで意図が見えん」


 どこまでも静かに、わずかに首を傾げて魔王は問う。


「――何を考えている?」

「主な狙いはふたつあります、父上」


 俺は神妙な顔で語り始める。


「ひとつは、究極的には効率化です。人族に限った話ではありませんが、何者も希望がなければ生きていけません。これまでの奴隷とは違い、自治区ではある程度、自発的に人族が動き、生産活動に従事することが望ましいです。強制労働ではなく、人族の強みを活かすためには、建前程度でも生存と未来への希望を残した方が良いと判断しました」


 要は、絶望のどん底でやる気ゼロな連中を無理やり働かせるより、将来への展望をチラつかせて自発的に動くよう仕向けた方がいい、って話だ。


「それは、そうであろうが」

「レイジュ領でも、似たような人族の運用をしています。転置呪用の家畜扱いの奴隷以外に、奴隷用の物品を生産する職人一族や、楽団といった技能奴隷が存在します。それら技能奴隷が大人しく従っているのも、明日の生活が担保されているからです。この制度に近いものを、自治区にも適用したいと考えております」


 つまり、魔王国の『国民』といっても、限りなく奴隷に近い存在だ。


「扱いとしては、ゴブリンよりちょっとはマシ、といったところでしょうか。要は、魔王国の資産のいち形態であり、魔族を含む上位国民が、野良犬を狩るような気軽さでは手出しができないようにしたいのです。これには、支配される人族側への安全の担保という側面もありますが、レイジュ族との折衝を容易にする狙いもあります」

「ふむ。というと?」

「レイジュ族は、転置呪用の健康な人族を自前で生産・確保することで、魔王国内の治療を一手に担っていますが、それによって発生する『治療枠』の制限は、レイジュ族への過度な負担を防ぐと同時に――」


 俺はチラッと横を見た。緑野郎コイツの前で『利権』って言葉は使えねえ。


「――レイジュ族の、国内での立ち位置をより強固なものとしています」

「そうであるな」


 非常に遠回しな俺の表現に、魔王も苦笑している。


「しかし自治区の登場で、少しばかり……ややこしいことになりかねません。魔族が自治区に入って適当な人族を連れていき、レイジュ族に突き出して『自前で身代わりを用意したから割安で治療してくれ』などと言い出したなら……1件や2件ならまだしも、そんな連中が殺到したら……」

「うむ……」

「そういった事態を避け、またレイジュ族とのトラブルを回避するためにも、一応は国民という扱いにすることで、自治区の人族を手出し無用の存在としたいのです」

「……なるほどな」

「遊び半分に殺されたり、誘拐されることはない、と理解すれば、人族どもも少しは安心して働きましょう。そのまま役に立てばよし、20年と言わず子々孫々まで使い倒してやればよいのです」


 むしろ――と俺は言葉を続けた。


「俺としては、なぜ、父上が頑なに人族の殺処分にこだわられているのか、わかりかねます。獣人と違い穀物だけでも生きていけるのですから、魔王国の需要に合致する都合のいい労働力では?」

「……か」

 

 俺の問いかけに、魔王が何かに気づいたようにうなずいた。


「お前と我の間で、人族に対して認識のズレがあるようだ。なまじレイジュ族が人族をうまく運用しているだけに、こうなったのだろうが……」


 ふぅむ、と息を吐いた魔王は、どこか困ったように俺を見つめる。


「……人族の扱いには、細心の注意が必要なのだ、ジルバギアス。レイジュ族も奴隷の反抗心を摘み取り、その牙を完全に抜き去るまで、長い時間を要した。即座に治療が可能なレイジュ族でなければ、その過程で無駄な死者を出していたであろうよ」


 それは俺も知っている。里帰りしたときに色々と話は聞いたからな。脱走や反乱は朝飯前、野草や糞便、金属の錆なんかから毒薬を調合したり、隠し武器を作ったり、かなり長いこと反抗していたらしい。


 その反乱分子を丁寧に丁寧に、時間をかけて潰していった結果が――今の、家畜化されたレイジュ領の奴隷たちだ。


「その今でさえ、転置呪用の奴隷には、神経質なまでに監視がつけられている。普通の家畜とは比にならん手間暇をかけて、ようやく安全に繁殖させられるのが人族だ。だが自治区は、お前の言うレイジュ領と違い、人口が桁違いなことになる。レイジュ領のような監視体制はとてもではないが構築できん。となれば奴らは――群れた人族は、必ず何かをしでかすぞ」



 魔王は険しい顔で、俺に言い含めるように。



「――率直に言うが、我は人族を



 思わぬ告白に、俺はもちろん、隣で聞いていたエメルギアスさえ唖然とした。


「言い換えれば、人族を高く評価している。敵としてな」

「……父上が人族を!? そんな、奴らなんて、父上にとってはせいぜい羽虫のようなモノでしょうに!」


 素っ頓狂な声を上げるエメルギアス。


「――その『羽虫』に刺されて死んだのが、我が父、初代魔王ラオウギアスだぞ」


 だが、魔王の返しに、絶句する。


「最強の魔王が、よりによって人族なんぞに殺された、という事実を直視したくないからか、年長の者も、その死に様についてはあまり多くを語らないが……」


 魔王は、ありし日を思い浮かべるように、遠い目をした。


「我が父は、戦場で不意を打たれた。死体の山に身を潜めていた勇者に、背後から剣を突き立てられたのだ。みなが勇者を、卑怯者と糾弾し、罵る中で、我は空恐ろしいものを感じていた」


 なぜならば――


「勇者が隠れていた死体の山は――他ならぬ我自身が、その前日に築いたものだったからよ。聖教会の部隊を丸ごと薙ぎ払い、まとめて焼き尽くした――はずだった」


 しかし、勇者は。


「その中で、満身創痍、全身が焼き焦げていながらも――生きながらえていた。その上で、ただひたすら息を潜めていた。丸一日、ろくな治療も受けず、探知されぬよう魔法も使わず、飲まず食わずで、だ! そこにたまたま、視察に訪れた父上が近づいたのは、不幸な巡り合わせだったとしか言いようがないが……」


 今でも昨日のように思い出せる、と魔王はつぶやいた。


「……それでも解せぬ。勇者の魔力は、そのへんに転がっていても気づかないほどに弱々しいものだった。だのに、父上へ斬りかかった瞬間、信じられぬほどの聖属性を身にまとい、父上の防護の呪文を完全に打ち砕いた。……剣聖でもなし、いったい何をどうやったのか、さっぱりわからん。当の勇者も、そこで力尽きて息絶えたゆえ、結局詳しいことはわからずじまいだ。あれは……まさに、真の意味での、奇跡としか言いようがなかった」


 わかるか? と、魔王は、俺とエメルギアスをジッと見据えた。


「ここまで極端な例ではないにせよ、熟練の戦士であれば、似たような経験のひとつやふたつはあるはずだ。お前たちにもないか? まったく惰弱で、取るに足らぬ相手と軽んじた人族が、思いもよらぬ手を使ってきて、ひやりとさせられた経験は」


 そこまでいって、ふと、俺に目を留める。


「まあ……初陣のお前には、ないかもしれんが」

「いえ」


 俺は、思わず首を撫でた――バルバラの一撃――


「危うく、首を獲られかけました。一突きで殺せる、と侮った相手のせいで」


 思い出す。その契機となった、あの女神官の決死の突撃――まるで噴火のような、凄まじい聖属性の発露を。


 あるいは、初代魔王に致命傷を与えた偉大なる先輩勇者にも、似たような切り札があったのかもしれない――


「ならば、我が言わんとしていることもわかるはずだ」


 魔王が身を乗り出して、俺を見つめながら語る。


「人族の恐ろしさとは、単純な魔力の多寡ではない。何をしでかすかわからぬ、その不気味さよ。ドラゴンもドワーフも、エルフも獣人も、それぞれ強みがあるが、ゆえに次の行動が読みやすい。だが人族は当てはまらぬ。ドワーフのように武具を作り、夜エルフのように毒も使い、獣人のように物の理を極めたかと思えば、森エルフのような魔法使いもいる。聖属性などというおぞましい魔法もある……そのうち、追い詰められた人族が、ドラゴンのように吐息ブレスを吐き始めても我は驚かんぞ」


 ――元人族としては、「無茶言うな」以外の感想が思い浮かばなかった。


「弱く、取るに足らぬ存在であるはずなのに、想定外の事態を引き起こす――戦場で番狂わせが起きたなら、それは十中八九、人族の仕業よ」


 父上が倒れたとき、我は心に誓ったのだ、と魔王は言う。


「我は決して、人族に対し油断せぬ。レイジュ族ほどの徹底した管理がかなわぬならば、この地より可能な限り排除するべきだと考えている。だからこそ、あの狂った元人族のアンデッドに伯爵位まで授けたのだ」


 目的が合致するからな、と魔王。……地味に狂人扱いされてんぞエンマ。まあ俺も異存はないが。


「……そういえばジルバギアス、お前が生まれる前に、空から勇者どもが降ってきたこともあったな。アレには度肝を抜かれたわ、まさか決死隊を我が城に直接送り込んでくるとは……」


 おっ、俺たちの強襲作戦には、さしもの魔王も肝を冷やしたか!?


「幸い、お前のペットの聖女以外は取るに足らん雑魚ばかりだったが」


 なんだァ? テメェ……


 ジルバギアス、キレ――かけたが、グッとこらえる。肝心の魔王に、何ら痛痒を与えられなかったのは事実だからだ。


 ……あのときは、まだ。


 まだ、な。


「話が逸れたな。ともあれ、お前の問いに改めて答えよう。我が人族に対し、厳しい姿勢で臨むのは、連中が決して油断ならぬ相手だからだ。『放っておけば何をしでかすかわからぬ』まさにその一言に尽きる。全く隙間のない金属の箱の中に厳重に閉じ込めても、穴さえ開けずに、いつの間にかするりと抜け出して、我らの首筋に毒針を突き立てんとする――そんな『羽虫』だ、連中は」



 魔王は、忌々しげに語る。



 ――その『羽虫』に乗っ取られた息子の前で。



「……まあ、とはいえ、大多数はそこまで厄介ではないのだがな。しかしごく稀に、とんでもない個体が生まれることもある。そんな害虫を、わざわざ国内で好き勝手に繁殖させたいと思うか、ジルバギアス? 今回に限ってはまだ、農業や畜産の知識を学ぶという目的があるが、それさえ済めば、絶滅させたいと願う気持ちは、お前にも理解できると思うがな」


 ふん、と鼻を鳴らした魔王は、俺に皮肉な笑みを向けた。


「お前が慈悲深く、連中の自治と生存を認めたとして、だ。自分たちの好きにできるとわかれば、連中はお前に感謝するどころか、必ず牙を剥くぞ、ジルバギアス。執拗にお前の隙を探り、思いもよらぬ方法で逆襲してくるだろう――」



 



 俺だったら、必ずそうする。



「お前の自治区で、お前が生かしてやった人族どもが、小癪にも反旗を翻す。それでもいいのか?」



 小馬鹿にするような魔王の問いに、俺は。



 



「――ええ、構いません!」



 魔王が、キョトンとした。



「むしろ、どんどん反乱してほしいと思いますね!」



 緑野郎も「は?」と間抜けな声を出す。



「実は、これこそが『本命』――ふたつめの狙いなのです、父上」


 机の上で手を組みながら、俺は努めて冷静に話しだした。


「魔王国は、ひとつ、大きな矛盾ジレンマを抱えていますよね? 今すぐの話じゃなく、百年後、二百年後に表面化するジレンマを」


 俺の謎かけじみた問いに、魔王が唇を引き結ぶ。


「それは?」

「――戦場の枯渇」

「……!」


 ピクッ、と魔王の口の端が引きつった。


「『魔王建国記』――初代魔王おじいさまの著書に書かれていたとおり、我ら魔族はこの激しすぎる闘争心を、国外へ向けることでどうにか『消化』しています。だからこそ、一気呵成に攻め滅ぼすことがないよう、進軍速度を抑えてまで、戦争を続けているわけですが――」



 魔王国が、極めて強大な侵略国家である限り。



 いつか必ず、この壁にぶち当たる。



「――ですが、大陸全土を制圧してしまったら?」



 この地を侵略し続けた結果。



 魔王国と相対する敵が。



 侵略すべき国家が。



 ――消滅してしまったら?



「我ら魔族は、この闘争心を、どこへ向ければいいのでしょう?」



 平和になって、大陸が統一されて。



 一番困るのは、実は、魔王国だ。



【聖域】でいがみ合い、内輪もめで殺し合っていた時代に、逆戻りしてしまう。



 そうならないための対外戦争、侵略戦争だった。



 だが。それらが失われてしまえば。



 槍働きの機会を、爵位を上げるための戦功を、どうやって確保すればいい――?



「……


 ぞわ、と鳥肌立って、目を見開く魔王。


、お前は……!」


 絶句している。どうやら気づいたらしいな。俺の言わんとしていることに。


「……?」


 緑野郎はまだピンと来ないらしく、ただ困惑していたが。



「――そうです。自治区に反乱を起こさせ、それを制圧すればいい」



 戦場がなくなって困るなら。



 戦場を生み出してしまえ。



 俺は、そう進言している。



「人族を絶滅させる? そんなもったいない! 連中にはぜひ生き延びてもらいましょう、牙を研いでもらいましょう。未来の、槍働きの機会を求める魔族たちが、思う存分に狩り殺せるように。それこそが人族の生きる意味、そして人族を活かす道なのです、父上」

「……しかし……」

「『何をしでかすかわからない』、ですか?」


 俺はフフッと軽やかに笑った。


「他ならぬ、父上が仰っていたじゃないですか。『すべてを思うままに支配しようとするのは、我ら魔族の悪い癖だ』と。完璧に制御しようとするからこそ、失敗するのです。そうではなく、ある程度自由にさせることで、我らに望ましい方向へと誘導しましょう」


 俺は両手で、四角い箱の形を作ってみせた。


「『全く隙間のない金属の箱に閉じ込めても、穴さえ開けずにするりと抜け出す』と仰ってましたね。それは、です。では逆に、あえて、箱に最初から小さな穴を開けていたら?」


 最初から、『出口』を設定していたら――?


「羽虫も、自ずとそこから這い出てきましょう」

「…………」

「あるいは……そうですね。完全なる暗闇の中で、好き勝手に飛び回る羽虫を素手で掴むのは至難の業でしょう。ならば」


 俺は手を伸ばし、テーブルの中央、ゆらゆらとロウソクの火を揺らす燭台を引き寄せた。


「希望の光を与えようではないですか。さすれば、羽虫どもが群がりましょう。それが夜明けを告げる太陽の光ではなく、偽りの灯火であることに気づきもせずに――」


 そうして、手元に飛び込んできたところを――


「握り潰せばいい」


 ジュッ、とロウソクの火を揉み消した。


「…………」


 細く白い煙を上げるロウソクの芯を、ジッと見つめながら、魔王は黙り込む。


 やがて、魔王が、指先から微弱な魔力の塊を放った。


 ポッ、とロウソクに再び火が灯る。薄暗い部屋の中、ゆらゆらと揺れる明かりに、魔王の青肌と獅子のたてがみのような金髪が、濃い陰影を描く――


「――具体的には、どのような方策を?」


 真顔で、魔王は尋ねてきた。


「自治区とはいえ、規模としては小国のそれです。大臣以下、高度な実務を担当する役人は夜エルフや悪魔、ホブゴブリンなどが占めることになるでしょう。しかし現場の小役人や、治安維持を担当する衛兵は人族に任せます。その際、衛兵には限定的な武装を許します」


 ある程度、自由にさせる。


「無論、衛兵を束ねる隊長や、小役人を統括する者は魔王国側の人員です。それらの人員に監視をさせ、衛兵隊には『魔王国に対する反逆者』の取り締まりもさせます。もっとも、検挙される者はいないでしょうがね。『みな魔王国に忠誠を誓っている』という報告が上がるでしょう――」


 だが、それは裏を返せば。


「衛兵隊、および衛兵たちと密接に連絡を取り合う者たちこそが、反乱予備軍です。加えて、市街地や一般市民も夜エルフなどに監視させますが、あえて、一部の区画では監視の目を緩めましょう。人族はそれを敏感に察し、監視が最も緩い場所に、反乱に備えて物資などを集積させるはずです」


 魔王は目を閉じ、黙って耳を傾けている。


「物資の集積場所がわかれば、仮に反乱が起きても、その規模や蜂起の『流れ』などは大まかに予想がつきます。そうですね、たとえばエヴァロティならば、王城の壁も取り壊してしまいましょうか。平和と人族への信頼の証、とでも称して。落とすには容易く、守るには厳しい、そのような城に――」


 反乱軍が立てこもるには、あまりに不向きな拠点に変えてしまう。


「肝心なのは、父上、希望を与えることです。わかりやすい希望を。何者も、希望がなければ生きていけません。裏を返せば――目の前に希望があれば、それに縋らずにはいられない」

「……税などはどうする?」

「自治区の税は、魔王国内の獣人よりも少し重い程度に留めます。余った分は人族の好きにさせましょう。繁殖大いに結構、将来の首級が増えますからね。それでも頭数が増えすぎた場合は、税を重くするなり過酷な労役を課すなりすれば、反乱が起きる時期もある程度制御可能です」

「……肝心の食糧生産は?」

「人族を自由にさせつつ聞き取りを行い、現場で使える知識の収集に努めます。数年を目処に農業教本として、国内の獣人たちへの頒布を目指したいですね。自治区では穀物より、畜産を優先させたいところです」


 俺はペシペシと、魔王に読ませられた資料を叩いた。


「ここまで激化した家畜泥棒合戦が、一朝一夕におさまるとは思えません。その間、国内の獣人には、家畜の飼料となる麦や豆の生産に勤しんでもらいましょう。それを自治区へ輸送し、泥棒の心配がない安全な環境で家畜を育て、魔王国に送り返す形を取ります。できれば今後も魔王国の領土が広がるごとに、そこを自治区として、食肉の生産拠点としていきたいですね」


 そうして家畜の奪い合いが沈静化するまで持ちこたえる――




 と、いう建前だ。




 俺の、真の目的のキモはここにある。家畜泥棒合戦で魔王国内の畜産がゴタついている間に、食肉生産を国外の自治区へ、大なり小なり依存させてしまう。


 してしまう。


 魔王国内の獣人たちも、自治区から来た家畜を、すべて食べつくしてしまうような真似はしないだろう。きっと、自分たちの手で繁殖させるだろうが。


 いざというときは、、生活を営むようになる。


「――自治区で反乱が起きれば、食肉の供給が途絶えるのではないか?」


 魔王がそれを懸念するのは、当然のこと。


「そうならないため、自治区が複数ある状態が望ましいのです。いや、多ければ多いほどよい。どこかが反乱を起こしても、別のどこかから充分な家畜が供給されるように。また、一斉蜂起を防ぐため、自治区の間には魔族の各氏族の領土を置き、相互の行き来は極めて限定的なモノとします。……完全に禁じないのは、先ほど言ったように、あえて小さな穴を開けてやるためです」

「それでも、一斉蜂起の危険はつきまとうが」

「自治区間の結束を揺さぶる方策はいくつもあります。これは夜エルフが得意とする領域でしょうが、一部を優遇し、あるいは一部を冷遇し、相互にいがみ合わせることで足並みを乱すことは容易です。人族は、結束すれば厄介ですが、ひとたび足の引っ張り合いが起きれば、それは醜いものですよ」

「……まるで見てきたように言うな」


 おっと、やべっ。


「夜エルフの諜報員たちから、その手の話は飽きるほど聞きましたゆえ」

「なるほど、お前は連中と親しかったな。納得だ」

「いずれにせよ、自治権の剥奪などをちらつかせ、さらなる圧力をかけることも可能です。足の引っ張り合いを煽る手管は、夜エルフたちが知り尽くしているでしょう」

「うむ……」

「実際問題、物理的な距離の関係上、示し合わせての蜂起は難しいと思います。それに、仮に起きたところで聖教会主導の一大反攻作戦よりは小規模でしょう」

「それは、そうだろうな」


 魔王も小さくうなずいている。


「であれば、さほどの危険性はない、か」


 ……と、魔王は言っているが。


 実は、これには穴がある。魔王には見えない穴が。


 自治区同士の結束を乱す。どこかが反乱を起こしても鎮圧は容易。そして反乱中も別の自治区が変わらず供給を続ければいい。



 ――だが、これらは。



 すべて、魔王国が、であることを前提にしている。



 夜エルフのいやらしい手法で、相互にいがみ合い、反感を煽られたとして、だ。



 ――そこで、魔王が倒れたら?



 ――魔王国の支配体制が、根本から揺らいだら?



 いくらいがみ合っていても、律儀に家畜を出荷し続ける奴はいねえよ。それこそ、一斉に反旗を翻すだろう。



 そうすれば、自治区からの供給を前提にしたバランスは崩れ去り、魔王国内の食肉はあっという間に枯渇する。というより、供給が絶たれるという不安から、再び家畜泥棒が横行するようになるだろう。



 そして、獣人や夜エルフたちが消化しきれない、穀類の山だけが残される――



「……いかがでしょうか、父上」



 俺は改めて、魔王に是非を問うた。



「…………」



 再び目を閉じ、腕を組んで、考え込んだ魔王は。



「……此度の献策は、これまでの魔王国の方針を根本から揺るがしかねないものだ」



 影響が、あまりに大きすぎる。



「ゆえに、即断はできん」



 ――だが、と魔王は続けた。



「一考の価値はある。極めて、大きな価値がある」



 晴れ晴れと、笑っていた。肩の荷が少し軽くなったとばかりに。



「よかろう。お前が試金石となれ、ジルバギアス」



 ゆったりと背もたれに身を預け、現魔王ゴルドギアス=オルギは告げる。



「お前が望むままに、エヴァロティを治めるがいい。そして、とくと見せてもらおうか――お前が言う、人族の活かし方とやらをな」



 ニッと口の端をつり上げた魔王が、表情を引き締めた。



「ジルバギアス=レイジュ」



 ハッ、と俺は背筋を伸ばして立ち上がる。



「そなたをエヴァロティ自治区の代官に任命する」

「謹んで、拝命いたします」

「――魔王国の未来を、見せてみよ」



 俺は。



 笑顔で、答えた。



「――全力を、尽くします」



 見せてやるよ。



 羽虫のあがきを。





 清々しく笑い合う俺と魔王を――





 エメルギアスだけが、言葉もなく、ただ呆然と見守っていた。





 そうしてエヴァロティ暫定自治区の方針は定まり、ひとまずのところ、人族の無駄な犠牲は避けられた。





 今日から俺は、第7魔王子にして魔王国伯爵、および魔王国立死霊術研究所長兼、エヴァロティ暫定自治区代官ジルバギアス=レイジュ(6)だ!!

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