205.無駄な犠牲


「――やってくれるな?」


 魔王は言った。


 人族から知識を搾り取り。


 農奴として使い捨てることを前提に。


 自治区という名の奴隷農場を、俺に運営してみせろと。


『――まあ、仕方があるまい』


 アンテが静かに口を開いた。


『魔王国の最底辺、切り捨て前提の農奴――惨めな生活になろうが、それでも生きているだけマシじゃ。すべて殺処分で、アンデッドに加工されるより希望があろう』


 それは……そうだ。


 ごく僅かとはいえ、自己決定権とともに生存が許されるなら。


 限りなく最悪に近いが、最悪よりは――わずかにマシだ。


『そして、10年、20年が目処ならば、それまでにお主が魔王を超える可能性は、十分にある』


 だから……とアンテは、気の毒そうに、しかし素っ気なく告げる。


『ここは、大人しく受けるべきじゃろ』


 ……もとより断る選択肢はない。俺がイヤイヤ期に突入してみせたところで、魔王が言っていたように、代わりにアイオギアスあたりに投げられて終わりだろう。


 仮に、他の王子が代官になれば、より苛烈で遠慮がない支配になることは確実だ。切り捨て前提だから最悪死滅しても痛くも痒くもない。やる気や知識を引き出すために、多少の手心は加えるかも知れないが……魔族の『思いやり』なんてたかが知れている。


 だが、それは、俺が代官となっても同じ。


 怪しまれずに、人族のためにできることは限られている。


 労働力維持という名目で、最低限の衛生環境や食糧事情を整えるくらいのもんか。それでも怪我人や病人は助けられないだろう。もしかしたら、生き延びているかもしれないバルバラの知己たちも、動けぬ者は切り捨てられ、動ける者は農奴として雑に酷使され、早死していく……それを座視することしかできない……


 しかも、戦争はまだ終わったわけじゃない。一度、自治区が機能し始めれば、他の戦場の捕虜たちが運ばれてきて、新たな農奴として組み込まれるだろう。


 その体制を統括するのが、俺ってワケだ……クソったれ!!


 捕虜たちが大人しく従うかはわからない。だからこそ、どのような『自治』となるか、俺には容易に想像がつく。


 魔王国らしい恐怖政治になるだろう。理不尽な暴力がまかり通るだろう。


 捕虜たちはふるいにかけられ、知識を持つ者、働ける者だけが選別され、それ以外は処分される。20年後の終わりを迎えるまで、理不尽な死に怯えながら、ただただ生かされる――



 確かに……確かに! 即座に殺されてアンデッドに加工されるよりはマシだが!



 これじゃまるで緩やかな死だ……!



 仮に、俺が10年以内に魔王を討ち倒したとして――



 いったい、どれほどが生きながらえ、どれほどが元の暮らしに戻れる……?



「……どうだ? ジルバギアス」


 魔王が再び、問うてくる。


 熟考しているフリをするのはもう限界だ。受ける……しか、ないか……。


『お主が気に病むことはない。……いや、むしろ気に病むがよい。存分に』


 アンテが、敢えて煽るように笑った。


『それが、お主に力を与えよう。勇者でありながら魔王子として、人々を虐げる悪逆の都の主となる――その心の軋みに、禁忌の権能は微笑むぞ』


 それに……と、半ば嘆息まじりに。




『……直接手にかけるよりは、お主もまだ気が楽じゃろ』




 ――――。




『そのぶん得られる力は少ないが、先の戦ほどには、お主が傷つかずに済む……』




 …………。




 なんと言った?




 アンテ。




 今、なんと言った?




『え……?』


 俺の中で、アンテがふるっと身をすくめるような感覚があったが――


 どうでもいい。早く答えろ。お前、今、なんと言った。


『……お主が、傷つかずに済む』


 違う、その前だ。


『そのぶん、得られる力は少ない』


 もっと前。


『……直接手にかけるよりは、まだ気が楽』


 …………。


 形容しがたい――メラメラと、自分の中で何かが燃え上がるような、激情。全身がカッと熱くなった。暴れ回ろうとする身体を、抑えつけるのに苦労する。


 ……俺は。


 自分がどれだけ傷つこうと、構わないんだ。


 確かに、この間みたいに、限界が来て醜態を晒すこともあるだろう。


 だけど、それはどうでもいい。俺が頑張って立ち直れば何とかなる話だ。


 苦しむ覚悟は、できている。


 そして……どれだけ辛かろうと、本来守るべき人々を犠牲にすることも。


 力を得るためならば、魔王を倒すためならば、許容する覚悟も決めた。



 だが。



 同時に、俺は誓ったんだ。



 ――決してその犠牲を、『無駄』にはしないと。



 アンテの言葉で気づいたよ。『直接手にかけるよりは気が楽』、まさにそのとおりだ。。仮に俺が自治区の代官となり、圧政を敷いて人々を犠牲にしたとしても――


 それほど、大量に禁忌の力は稼げない。


 なぜなら俺が直接、手を下すわけじゃないからだ。書類に書かれた数字の羅列――どれだけの人数が傷つき、どれだけの人数がくたばったか、報告されたとしても。


 その胸の痛みは、あまりにもささやかだ。


 犠牲の割に、得られる禁忌の力が


 ――だってそうだろう? 俺は魔王子で、しかもレイジュ族の血統だ。同盟を蹂躙して得た富を、魔王子として享受し、今日という日も美食を腹いっぱい詰め込んで、のうのうと生きている。そして今この瞬間も、魔王国のどこかでは、人族が転置呪の身代わりとなって傷つき、苦しみ、息絶えているはずなんだ。


 それを認識していながら。


 、心苦しく思いながら。


 なあ、アンテ、俺はどれほど力を得ている?


『……それは』


 少なすぎるだろ? 何十、何百という人々の死体の上で、ふんぞり返っていながらだぞ?


 戦場で、身にしみたよ。実際に同盟の戦士たちを斬ってみて、痛感した。



 ――100人を見殺しにするより、1人をこの手で殺した方が、重い。



 自らの手が血に塗れなければ、肉を裂き骨を断つ感触がなければ。


 罪と向き合えない。禁忌を実感できない。


 生々しさに欠けるだけ、禁忌の権能が劣化する。


 だけど……見殺しにした100人が、実際に死んでいるのもまた事実なんだ。


 それなのに、1人を殺した分も力が稼げない。


 ――自分じゃ何もしてないのに、ついでに力が手に入って得をした! だなんて、死んでも言えねえし、笑えねえんだよ俺は。


 なあ、アンテ。


 俺は誓ったんだ。決して犠牲を『無駄』にはしないと。


 これは、明らかに無駄だ。割に合わねえ。実際に失われる命に対して!


 魔王を倒すためなら、犠牲を許容するとは言ったが――



 俺は、こんな犠牲は、許容できない!!



『なら――ならば、どうすると言うんじゃ!』


 悲鳴じみてアンテが叫んだ。


『お主の覚悟のほどはわかった! その身を顧みん無謀さも! じゃが、実際にどうすると言うんじゃ!? 他に手がなかろう!!』


 …………ひとまず代官を引き受けて。


 俺が現地に出向き、捕虜を全員……この手で殺すしかない、か……?


『えぇ……』


 中途半端な犠牲になるくらいなら、俺があますことなく糧に――いや、ダメだな。そんな暴挙に及べば、全員を殺し切る前に、代官を交代させられるだけだ。自治区の計画そのものは進むだろうし、新たな捕虜も入ってくる。そうすればどのみち、人々が犠牲になってしまう。


 さらにその失態で、次の槍働きの機会がお預けにでもなった日には、本末転倒だ。


 だいたい、自治区というアイデアが出てきた時点である意味もう詰んでる。ならばアイデアそのものに手を加える方向で考えた方がいい。もっと、根本から考え直さなければ――


 それに、せっかく明らかになった魔王国の弱点、『食糧事情の悪化』が、自治区によって是正されてしまう問題も手つかずのままだ。


 魔王を倒して、すぐに戦争が終わるわけじゃない。仮にダークポータルを破壊し、新たな悪魔との契約を断てたとしても、すでに力を肥大させた魔族たち、および現世に取り残された悪魔兵との戦いは続くだろう。


 そのとき、魔王国が弱体化していれば速やかにカタがつく。……裏を返せば、万全の状態だと長引いてしまう。


 俺は今、魔王国で最も恵まれた立場にあるんだ。魔王に面と向かって意見できて、その統治に、直に干渉できる立場に……!


 ならば、これを利用せずして何とする。何かいい手立てはないか。犠牲を最小限に抑えつつ、あるいは最大限に有効活用しつつ、怪しまれることなく、それでいて魔王国の弱点にさらなる楔を打ち込める手は――


 考えろ! この持って生まれた、恵まれた頭脳を十全に使って!


 母と教育係から、惜しみなく与えられた知識を今こそ活かせ!!



 ――――――――――――――。



「……ジルバギアス?」


 とうとう、魔王が訝しむような声を上げた。


 ……限界だな。


 俺は、肩の力を抜く。


「いえ、すいません。考えに没頭していました」

「ふふふ。構わんぞ」


 すまし顔の俺に、魔王は愉快そうに笑う。


「――我はお前の『考え』が好きだ。いつも、我の想像も及ばぬことを具申し、驚かせ、楽しませてくれるからな。いったいどのような思考がなされているのか、頭の中を覗いてみたいものだ――」


 よかったよ、お前にその力がなくて。


「して、何を考えていた? ジルバギアス」


 聞かせてくれるのだろう? と机の上で手を組み、魔王が身を乗り出す。


「ええ。まず代官の件ですが……謹んでお受けいたします」

「うむ、それは喜ばしい」

「その上で――」


 俺はペロッと唇を舐め、湿らせた。さて――


「少々、父上とは違った方針で、自治区を管理しようかと」

「ほう? どのように?」



 興味津々の魔王。



 俺はその瞳を見据えて、告げた。



「――人族を、獣人族に次ぐ最下級の、しかし魔王国の国民として遇します」



 自らの方針に真っ向に背く言葉。魔王が軽く目をみはった。



 置物と化していた緑野郎も、「なにィ?」と訝しげな声を上げる。



「そちらの方が、長期的に見て、魔王国のためになると判断いたしました」



 ――さあ、ここからが正念場だ。



 自治区というアイデアを、綺麗に捻じ曲げてやる。



 魔王国のためという建前で、それでいて――



 人々を、としないためにも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る