199.陥落の余波


 ――デフテロス王国、落つ。


 王都エヴァロティが3日ともたず陥落した、との報は大陸全土を駆け巡り、人魔の陣営を問わず、少なからぬ衝撃をもたらした。


「エヴァロティが……たった3日で……!?」


 デフテロス王国と国境を接したとある小国。王冠がずり落ちそうになるほど、狼狽を見せたのは丸顔の老人。


 トリトス公国君主。


 ツギワイヤ4世だ。


「陛下、こちらを……」


 額に汗を浮かべた政務官が、親書を手渡してくる。旧交あるオッシマイヤー13世の流麗な筆跡――ではなく、荒々しくも力強い字体。


 形式的な挨拶はそこそこに、王都陥落の流れが切々とつづられ、王都脱出軍および難民受け入れの要請がなされていた。


 最後には、『オッシマイヤー14世』の署名――


「……そうか。あやつは倅に王位を譲り、国とともに果てた、か……」


 ツギワイヤ4世の手に力がこもり、書状がくしゃっと折れ曲がる。


「……さらなる援軍の要請かと思えば……まさか滅亡の報せとは……!」


 デフテロス王国はもうダメかもしれない、などと数日まで悲観していたのが、まさか楽観だったとは。


 聖大樹連合森エルフと聖教会の大規模な支援があってもなお、魔王軍の大攻勢を前にたった3日ともたないとは――。


「国境には難民が殺到しております……」


 政務官の小太りの男が、額の汗をハンカチで拭きながら言った。


「陛下……いかがいたしましょう?」


 ツギワイヤ4世の指示を仰ぐ政務官の顔には、『もう限界だ』と書いてあった。


 トリトス公国とて、これまで隣国の窮状に見て見ぬ振りをしてきたわけではない。山がちな小国ゆえ援軍を出すのは厳しかったが、避難民の受け入れ、資金援助に食糧援助などを可能な限り続けてきた。


 しかし、もう限界なのだ。節制に節制を重ね、王宮のロウソクなど往時の3分の1にまで切り詰めるほど資金をやりくりしているが、これ以上の難民受け入れは、自国の民を圧迫しかねない……!


 かといって、突っぱねることもできなかった。国境を封鎖しようとも難民は流れ込んでくるだろうし、最悪の場合、彼らが野盗と化して国境の村々を襲うかもしれず、それを排除すれば、すでに自国に引き受けたデフテロス難民を刺激しかねない。


 どちらを取っても地獄。苦渋の選択を迫られたツギワイヤ4世は――


「手厚くもてなせ」


 ――しかし即断した。


「食糧不足を引き起こしかねませんが」


 のちのち自国民に餓死者が出るかもしれんぞ、いいんか? と念を押す政務官。


「東部の商売人ごうつくばりどもを呼べ。最悪、国宝のすべてと宮殿の土地を抵当に入れても構わん、どうにかしてカネを引っ張って食糧を買い集めるのだ」


 口調こそ苦々しかったが、ツギワイヤ4世の表情に迷いはない。


「我らは難民の受け入れで手一杯。戦う余力などこれっぽっちもない、という建前で次の『会議』を乗り切る……!」


 唸るようにして言うツギワイヤ4世。



『会議』――それは魔王国と接した国々の非公式の話し合いの場。



 魔王より突きつけられた宣戦布告を、『どの国が受け持つか』を決す、血の流れぬ戦場だ――



 魔王国は北部、東部、南部と3つの戦線を展開しているが、それぞれの戦線で常に1国にしか攻め込まない。しかし魔王国が定めた期日までに、いずれかの国が宣戦布告を受けて立たない場合、隣接する全ての国に魔王軍が雪崩込んでくる。


 その方が、魔王軍の負担は大きいはずなので、同盟軍も幾度となく全ての戦線での同時反攻を試みてきたが――


 これまでのところ、全て失敗に終わっている。そして同盟の疲弊ぶりに対し、魔王軍は被害を出しながらも、これっぽっちも勢いを鈍らせない。


 それならばまだ、1国ずつ相手取って、時間を稼いだ方がマシ――そういうことになった。というか、同盟の余力的にもそうせざるを得ないのだ。その方が防衛戦力も1国に集中させるだけで済むし、他国もその間に持ち直すことができる。


 幸か不幸か、それで手薄になった他国に、魔王軍が攻め込んできたことは1度たりともない。


 魔王軍は、戦争を楽しんでいるのだ。まるで遊戯ゲームのように。


 そしてデフテロス王国が倒れた今。彼の国の滅びを嘆く暇もなく、次なる『戦場』を決める会議が催されるは必然――


「マイヤーの倅が、避難先に我が国を選んだのもそういうことよ」


 ここでツギワイヤ4世の判断に話が戻る。


 オッシマイヤー14世が、わざわざ小国のトリトス公国に逃げ込んできたのは、何も亡き父とツギワイヤ4世が親しかったからだけではない。より力のある他国に比べても、ここが最も安全だと踏んだからだろう。


 なぜなら、『戦場』の受け持ちを後回しにされる公算が高いからだ。


 難民の受け入れに手一杯で戦う力が残っておらず、魔王国に攻め込まれたらひとたまりもない――トリトス公国はその姿勢を貫くし、実際、攻め込まれたらひとたまりもないだろう。数日もつか怪しい。他国の援助があってもなお。


 しかしその数日を稼ぐため、他国に押し出されて、生贄にされてもおかしくはないのだが――それを許さないのが聖大樹連合、森エルフたちだ。


 トリトス公国の背後、山脈の向こうに広がる森林は、彼ら聖大樹連合の領域に接続している。トリトス公国が倒れれば、あとは国家とは名ばかりの、山岳民族と獣人の部族連合国家しか存在せず、魔王軍がほとんど何の抵抗もなく、聖大樹連合に攻め入れるようになってしまう。


 夜エルフと、悪名高い放火魔――もとい、第2魔王子『火砕流』ルビーフィアを擁する魔王軍の侵攻は、森エルフたちにとって悪夢以外の何物でもない。


「だからこそ、我がトリトス公国が最後の防壁であり続けられるよう、森エルフたちは必死で他国を援助する――そうせざるを得ん」


 より正確に言うならば……そのようにツギワイヤ4世が仕向ける。


 弱者には、弱者なりの立ち回りがあるのだ。……情けなくは思う。自国の力で魔王軍を跳ね除けられたらどれほど爽快か。


 だが、そうはならないのだ。


 ならば自国の滅びが少しでも遅くなるよう、全力を尽くさねばならない。


 亡き友、オッシマイヤー13世もまた、そうしていたように――


「……忙しくなるな」


 床の絨毯を眺めながら、ぽつん、とつぶやくツギワイヤ4世は、十も二十も老け込んだように見えた。


「しかし、マイヤーの倅も、手土産は持ってきたそうだ――デフテロス国宝の数々、資金の足しにしてくれと書いておる。可愛げがあるわ」


 気を取り直して、政務官に書状を渡しながら、ツギワイヤ4世はニヤッと笑ってみせた。


「それは……助かりますね」


 ぎこちなく微笑み返す政務官。彼もまた、滅びに抗う者のひとりだ……


「各地の砦の貯蔵を切り崩し、ひとまずは食糧の分配を執り行え。お主に、宝物庫の鍵を預ける。万事、良きに計らえ」

「はっ。各所と調整に入ります」


 額の汗を拭きながらも、足早に退室していく政務官。


 その背中を見送り、ツギワイヤ4世は深々と玉座に身を預けた。そして壁にかけた大陸の地図を眺めながら、きたる会議に備え、戦略を練り始めた――




          †††




 一方その頃、魔王城、とある一室。


 ――骨を組み上げ、毛皮と牙で装飾した、いかにも野蛮な闇の神々の祭壇。


 その前にひざまずき、一心不乱に祈りを捧げる魔族の女がいた。



 大公妃プラティフィアだ。



 手を組み、目を閉じて、ただひたすらに祈り続けている。ジルバギアスが出征してからというもの、暇さえあればずっとこの調子だった。


 神々に捧げる香が焚きしめられた私室には、大公妃の強大な魔力が渦巻き、まるで邪教の神殿のような、禍々しくも厳かな空気が満ちている――


「――奥方様! 奥方様!」


 しかし不意に、その静寂が打ち破られた。ノックしてから、返事も待たずに私室のドアが開け放たれる。


 プラティフィアの配下のうち、そんな無礼な真似ができるのは――


「――エヴァロティが陥落しました!」


 ひょいと顔を覗かせたのは、【知識の悪魔】ソフィアだった。


「ソフィア?! なぜ!?」


 目を丸くするプラティフィア。なぜ息子についていった悪魔がここにいるのか。


「飛竜便に同乗させてもらい、一足先に戻って参りました」

「ジルバギアスは!?」

「ご無事です。しかも相当な大戦果、ではありました――」


 少しばかり口ごもるソフィアだったが、執事服の懐から封筒を取り出した。


「書状をお預かりしています。詳しくは、こちらに」


 ――ドレスを振り乱して立ち上がり、ひったくるように受け取るプラティフィア。余裕の仮面も吹き飛んでいたが、相手がソフィアであればこそだ。


 封を破るのももどかしいとばかりに、【虚無槍レピダ・スキアス】の魔力の刃で端を切り飛ばし、手紙を引っ張り出す。


「ああ……!」


 文面に並ぶ魔族文字――それが見慣れたであることに、まず安堵する。


 いつものような、軽妙な語り口でつづられるエヴァロティ攻略戦の顛末に、安堵の笑みを浮かべていたプラティフィアだったが、やがてその顔が強張った。


「全、滅……」


 唖然としてソフィアを見やると、知識の悪魔は、それを肯定してうなずいた。


「クヴィルタルたちが……」


 ――にわかには信じがたい。アルバーオーリルをはじめとした若手組と違い、戦場慣れした古強者だったというのに。


 手紙を読み進めれば、敵精鋭部隊の先制攻撃で壊滅し、戦いの最中でジルバギアス自身も手傷を負った、とあった。


「あの子も、負傷したの」

「はい。首に、聖属性の傷痕が残っておいででした」


 ソフィアが、自分の首の半分をつっと指でなぞって見せて、思わずプラティフィアの顔から血の気が引いた。……ソフィアの仕草が正確であるならば、即死してもおかしくない傷だったし、ソフィアのそれはまず間違いなく正確だからだ。


「大丈夫、だったのよね?」

「はい。『レイジュ領でルミアフィアと決闘したときの経験が活きた』と笑っておいででした」

「…………」


 女傑と名高いプラティフィアも、これには絶句する。


「……大物ね、あの子は」


 わたしと違って、とどこか自嘲気味に笑うプラティフィア。


「……個人的には、敢えて明るく振る舞っておられるような印象を受けました」


 ソフィアが少しためらいがちに言う。「……そう」とつぶやいて瞑目するプラティフィアだったが、やがて大きく息を吐いた。


「あなたも、ご苦労だったわね。あの子はいつごろ戻る予定なの?」

「まずは後方のリリアナやレイラたちと合流されるはずです。そこで1日はゆっくり過ごされると思いますので、おそらく帰還は4日後になるかと……」

「わかったわ。我が一族もかなりの痛手を負ったとは言え、過去に例を見ない早さの王都陥落。あの子が戻ってきたら、盛大に祝ってあげないといけないわ」


 大公妃らしい余裕を取り戻して、ソフィアに笑いかけた。


「――忙しくなるわね。ソフィアも補佐をお願いね」

「はい」


 心得ております、とばかりにうなずくソフィア。


「では、諸々の資料作成に移ります」

「ありがとう」


 そして、そそくさと退室していく。帰還して早々、ろくな休みもなく仕事に取り掛かるのだから、本当にご苦労なことだ。肉体的な疲労がない、悪魔ゆえの勤勉さ――あれにはタフな魔族も敵わない。


 ふと、思い出したように、プラティフィアは祭壇を振り返った。


「……闇の神々よ。ありがとうございます……!」


 ひざまずいて、心から感謝の祈りを捧げた。話を聞く限りでは、かなり危ない場面もあったようだが、あの子は無事に帰ってくる――!!



 祈りは届いたのだ……!



 ひとしきり祈ってから、プラティフィアは机に向かい、筆を手に取った。



 息子が大活躍したのは喜ばしいが、家来の全滅は痛い。



 手配すべきことが山のようにあった。彼らの貢献と活躍次第では、死後の特別昇級を申請しなければならないし、諸々の報奨や遺族への弔慰金なども――



 ――遺族。



 手紙をつづろうとしたプラティフィアの手が、はたと止まった。



 クヴィルタルはもとより、アルバーオーリルや、セイレーナイト、オッケーナイトといった若者たちの顔が蘇る。



 彼らにもまた、母親がいることに。



 今さらのように、思い至った。



 自分の息子は、無事に、生きて帰ってこれたが――



「…………」



 筆を手に取ったまま、プラティフィアは、しばらく動くことができなかった。

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