197.複雑な事情


『アタシだけ……!? なんで!?』


 バルバラは愕然とした。


『他にももっといるでしょ!? 勇者とか、神官とか!』


 精鋭部隊の面々を思えば、魔族をブチ殺し、魔王国を倒すためなら喜び勇んで協力しそうな奴らばかりなのに。


『それに、ヘッセル! 『前線均し』はどうしたのよ!?』

「アイツは……ヘッセルは、ダメだった」


 思わず気が動転して口調が昔のそれに戻っているバルバラだったが、アレクはそれを指摘せず、ただ物悲しい表情を見せた。


「ヘッセルもさっき呼び出したんだが、ほとんど自我が残ってなかった……」

『自我が……?』

「基本的に霊魂ってのは、時間が経つごとに薄れて消えていっちまうんだ。エルフやドラゴンみたいな魔力強者は、ある程度長持ちするんだが。よほど強い未練や、思い残しがない限り、普通の人族は思考、記憶、理性的な側面から先にどんどん抜け落ちていく」


 ――つまり、それが本当の『死』というわけか、とバルバラは解釈した。冥府への旅立ちを意味するのだろう、と。


 一方でアレクは寂しがるように、それでいてどこか誇らしげに微笑む。


「ヘッセルは、ほら、最初の一撃で俺の部隊を壊滅させたじゃんか。しかも、絶技を連発して、自分に致命傷を叩き込んできた強敵と相討ちに持ち込んで、さ……」


 あれで……もう、かなり満足してしまっていたらしい。


『ああ……』


 確かにあれは大金星だった。バルバラもそれは認めざるを得ない……


「呼び出したけど、もうほとんど夢うつつというか、いまいち話が通じない状態になってた。それでもどうにか語りかけて、俺の正体と目的を明かしたら……笑いながら消えちまったよ……」

『……そっか』


 できることなら――ヘッセルにも別れを告げたかった。バルバラは、ただそれだけを残念に思った。


「あと、聖教会の面々も何人か呼び出したけど、俺を魔族と見るや否や攻撃してくる人がけっこう多くて……光魔法を使おうとして自滅したのが数名」

『うわぁ……』

「光属性持ちじゃなくて、どうにか話を聞いてくれた面々は、俺の目的を明かしたら安心しちゃったのか、そのままみんな消えちまった」

『うぅん……そっか。……シャルは?』

「シャル?」


 小首をかしげるアレク。問いかけておいて何だが、そりゃあわかるはずがない、とバルバラは苦笑した。


『女神官だよ。シャルロッテっていうんだ。アンタに……決死の覚悟で縋り付いて、アタシのために隙を生み出してくれた娘さ』

「ああ……あの人か……」


 遠い目をしたアレクが、ふぅ……と細く長く溜息をついた。


「あれは……凄かったな。鬼気迫るものを感じたよ。俺も実際ヤバかった」

『あそこまでしたのに、魔王子を仕留め損なったのが、アタシの最大の心残りだったんだけどねぇ』


 バルバラの言葉に、多少皮肉な響きが込められていたのも無理からぬことだ。


 もっとも、皮肉の相手はアレクではない。


 ――運命の女神というやつだ。


『でもアンタの正体を思えば、アタシたちが、アンタを倒せなくてよかったのかもしれない……』

「…………」


 アレクは何とも申し訳無さそうで、しばらく黙り込んだ。


『この話はキリがないからやめよう。悪かったね。それでシャルについてだけど』

「……ああ。あの聖属性の隠し玉は凄かった。いったいあれは何だったんだ?」

『何ヶ月も、祈りを聖属性にして込め続けていた、あの娘の想い人の遺灰らしいよ。……第4魔王子エメルギアスに討ち取られ、首だけ返されてきた勇者の、ね』



 ――その瞬間、不意に、アレクのまとう空気がズンッと重みを増した。



『……ッ!』


 アレクの魔力が、禍々しい攻撃性を帯びたのだ。魔力に敏感な霊魂だからこそそれがわかった。空気がひりつくような怒りと憎しみが、直に伝わってくる――


「そうか。あの野郎か」


 表情を消したアレクが、呼吸を整えて、肩の力を抜き威圧感を引っ込める。


『あの野郎』――バルバラは眼前の旧友が、当然、他の魔王子とも面識があることに今さらのように思い至った。


『アンタ、知ってるんだね? あの王子を』

「おう。俺にとっては親父とおふくろ、そして故郷の仇でもある」


 唸るようにしてアレクは言った。


「親父の首を刎ねて高笑いしてた魔族が、まさか兄になろうってんだから、人生何があるかわかんねぇもんだよ」

『……流石にわからなさすぎだね、それは』


 数奇な運命という次元ではない。


「それで――シャルロッテか。名前がわからなかったし、光魔法使いの神官だから、自滅する可能性が高いと思ってまだ呼び出してなかったよ。……試してみるか?」

『……そう、だねぇ』


 バルバラはしばし迷った。


 彼女の願いは――死後、彼と一緒になることだったように思える。それを邪魔しては悪い、という気持ちもあったが、ひょっとするとさらなる仇討ちの機会を喜ぶかもしれず……


『試してみて、くれるかい?』

「わかった。彼女が自滅しそうになったら、どうにか止めてくれると嬉しい。いや、ホント、説得してくれる人がいるだけでもありがたいな……」


 しみじみとつぶやいたアレクが、どす黒い魔力を一瞬で練り上げて、朗々と呪文を唱え始めた。


 ――寒い。そう感じた。


「【――出でよ、シャルロッテ】」


 アレクが闇の魔力の手を、バルバラの背後の『門』に突っ込んだ。


「…………」


 しかし、手を引き抜いた先には、何もなく。


「……もういないみたいだ」

『そっか。じゃあ、向こうで彼と一緒になれたんだろうね……』


 どこかホッとしたようにつぶやくバルバラ。


 うつむいて床を見つめていた彼女は、アレクが何とも複雑な表情をしていたことに気づかなかった。


『じゃあ……ホントにアタシだけ、ってわけだ』

「……そうなるな。獣人の拳聖さんも、ほとんど自我が残ってなかった。というか、『お見事』とだけ言って消えちまって……森エルフ組は、導師様はかなりいい感じで話を聞いてくれたんだが」

『ああ、ルーロイ様だね』


 彼には大変世話になった、もう一度挨拶したかったなぁ、と思いながら、うなずくバルバラ。


「そうそう。だけど光属性持ちにとっては、闇の魔力で魂の殻を補強されるアンデッド状態が、非常に辛いらしくてな……」


 ふと背後を、部屋の隅で見守る娘たちを――彼女たちはそういえば何者なのだろうと、バルバラは今さらのように疑問に思った――気にするふうを見せ、アレクが再び遠い目をした。


「最終的に、森エルフたちは、彼女に浄化される最期を選んだよ」


 ちょこんと床に座ってこちらを見つめていた金髪の森エルフを示し、アレクが沈痛の面持ちでそう言った。


『浄化……というか、彼女は……?』

「ああ、紹介するよ。俺の、本当の意味での仲間たちだ」


 おいで、と娘たちに手招きしたアレクが、森エルフ娘を抱きかかえて連れてくる。


「この娘はリリアナっていうんだ」

「わん!」


 ……わん?


 いや……手足がないっぽいことも気になっていが。


 …………?


「ハイエルフの聖女なんだが、今はワケあって自分を犬だと思い込んでいる」

「わんわん!」

『どういうこと!?』


 ともすれば魔王子の正体より意味不明だ。突っ込まずにはいられない。


『なんでそうなるの!? ワケありすぎでしょ!?』

「いや、本当に色々あったんだよ……」

「きゅーん」


 しみじみとするアレクに、当然のような顔をして、その頬をペロペロと舐めるハイエルフ(?)の聖女(?)リリアナ。バルバラは頭がクラクラしてきた。


「リリアナは、密かに強襲作戦に紛れ込んでいたらしくてな……魔王城で夜エルフに生け捕りにされてたんだ」

『……っ』


 が、続くアレクの説明に絶句する。悲惨な戦場をいくつも渡り歩いてきたバルバラは、夜エルフが森エルフをどう扱うか、嫌というほど目にしてきたからだ。


「……俺は運良く、魔王子の立場を使って、監獄で生かされていたリリアナを見物しに行く機会を作れた」

「くぅん」

「そこで、口八丁と魔法を駆使してリリアナの自我を封印し、『俺のペットにした』という名目で、連れ出すことに成功したんだ」

「わん!」

「……もちろんそのあと魔法を解除したんだが、なぜかリリアナの自我がもとに戻らないままでな……」

「……わぅ?」


 何か言いたげに、腕の中のリリアナを見つめるアレクだったが――


 当の本人は「?(犬なので何もわからない)」という顔で小首をかしげ、ピコピコと尖った耳を動かすのみ。


「この話を本人の前でしても、ご覧の有様だ。……たぶん、あまりにも辛い記憶だから、取り戻したくないんだと思う」

『…………』

「それに、彼女が比較的自由に過ごせているのは、魔法が編めず、逃げ出せないよう手足を封じ、俺のもとでペットとして振る舞っているからなんだ。たとえ自我が戻っても、この生活を続けなきゃいけないなら……」


 戻らない方が幸せかもしれない……というアレクのつぶやきに、バルバラはもう何も言えなくなってしまった。


 ――アンデッドになってまで、魔王軍と戦おうとする自分の身の上をちょっと悲惨に感じていたバルバラだったが、そんな考えは一撃で吹っ飛ばされた。


 彼女よりかは、自分の方がなんぼかマシだ……


『そうか……大変なんだね……』

「わぅ?」


 スンスンと鼻を鳴らしながら、アレクの腕の中、こちらに身を乗り出してくるリリアナに思わず身を引くバルバラ。……彼女の、強い光の魔力と神聖なオーラが、今のバルバラにはちょっと怖い。


「次に……こちらはレイラ」


 リリアナを撫でながら、銀髪に金色の瞳の少女を紹介するアレク。


「はじめまして。レイラと申します」

『ああ、これはどうもご丁寧に。バルバラです』


 ぺこりとお辞儀する少女に、バルバラも礼を返す。なんだかとても常識的な雰囲気を感じる。人ではなさそうだが。


「角を見ればわかる通り、レイラは人化したホワイトドラゴンだ。……ワケあって、彼女の父親を――強襲作戦にも協力してくれた白竜の長・ファラヴギを、俺が殺してしまって……色々あって身柄を預かることになった」


 ゴンッ、と鈍く響いたのは、アレクの頭をはたこうとしたバルバラの拳が、結界に弾かれた音だ。


『アンタ何やってんの!?』


 ホントに何をやっているのか。


 いくら魔王子でも限度があるだろう! 肉親を殺される恨み辛みがどれほどか、他ならぬお前アレクが一番よくわかっているだろうに!


 しかも本人の前で、よくもいけしゃあしゃあと言えたもんだ!!


「いえ、バルバラさん! 仕方がないんです。不幸な行き違いだったんです!」


 あわあわと手を振りながら、レイラがアレクを庇うように前に出る。


「ドラゴン族の裏切り者として追われ、魔王国内に潜伏していた父が、運悪く鉢合わせしてしまった彼を殺そうとしたんです! あ、……アレク、は、自分の身を守ろうとしただけなので、悪くはありません……」


 …………なぜこの娘は、ちょっと嬉しそうに頬を染めているのだ……?


 バルバラは知る由もない。レイラが、ジルバギアスの真の名を、呼び捨てで呼んでみた勇気ある自分を、内心で誇っていたことなど……!!


『そ、それにしても、なんであなたがコイツのもとに……?』

「その、わたしは闇竜たちのもとで飼い殺しにされていたんですが、父が――つまりドラゴン族が魔王子を傷つけた罪を相殺するため、詫びとして献上されたんです」


 煮るなり焼くなり好きにしろとのことで、とレイラはニコニコしながら語った。


「それで――わたしは、アレクのものになったんです……」


 いや……だから……なぜそれで頬を染める……?


「色々とあったが、レイラは俺の正体と目的を受け入れてくれて、協力もしてくれている。……今では本当に、俺にとってなくてはならない存在だよ」


 いつもありがとう、と慈愛を込めて言うアレクに、頬を染めながら、嬉しそうに手を伸ばして、自然と指を絡めたつなぎ方をするレイラ。


 見つめ合うふたり――


 陰のある儚い笑みが、魔王子の美貌にやけにマッチしていて、バルバラはただただ茫然とするしかなかった。



 が、アレク……?


 が、、アレク……?


 が、……、アレク……?



 自分は……自分は、いったい……



 何を見せられているのだ……?



『……?』


 思わず、助けを求めるように残りのひとり、禁忌の魔神なる存在に目を向けるバルバラ。


「…………」


 ある種の狐を思わせる半目状態になっていた禁忌の魔神は、小さく肩をすくめて、お手上げのポーズを取ってみせた。



 魔神を、邪悪で、唾棄すべき存在だと断じていたバルバラだったが、ほんのちょっぴり、親近感を抱くのだった。

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