196.影の救世主
『なっ……何のつもりだ貴様!?』
バルバラが素っ頓狂な声を上げてしまったのも無理はない。
戦場であれほど無慈悲に、容赦なく振る舞っていた魔王子が、突然平伏して額を床に叩きつけながら謝ってきたのだ。
意味がわからない。しかも、なんかドラゴンっぽい娘や四肢のない森エルフっぽい女に加えて、悪魔娘までもがそれを見守っている。
どういう状況だ、これは。いったい何が起きている……!?
「…………」
しばらく、平伏したまま石のように黙り込んでいたジルバギアスだが、やがて体を起こし、バルバラの目を見つめながら再び口を開いた。
「俺の名前は……アレクサンドル。元勇者だ」
――想定外の名が飛び出して、バルバラは固まってしまった。
『アレ、ク……?』
魔王子の腰の、古びた聖剣に目を留める。
まさか。
『不屈の聖炎……?』
アレクサンドルとは、
「……覚えていてくれたのか……」
魔王子が、泣きそうに顔を歪める。あのアレクなら、忘れようがない。忘れるはずがないだろう!
だが、信じられないし、理解できない。なぜ魔王子がアレクの名を騙る!?
『でも、アンタ、ジルバギアスって自分で……!』
「それも事実なんだ……話せば長くなるんだが」
どう説明したものか、とボリボリと頭をかくジルバギアス。その妙に人間臭い所作は、冷然とした魔王子の容姿とあまりにも不釣り合いで、それがますますバルバラを困惑させた。
「……7年前の魔王城強襲作戦で、魔王にブチ殺された俺は……だいたい5年前、気がつけば魔族の王子に生まれ変わっていたんだ」
遠い目をしながら、ジルバギアスは語り始めた。
『…………』
バルバラは、警戒心をあらわにしつつも、注意深く耳を傾けている。あまりに状況が理解不能なので、とりあえず黙って話を聞いておこう、という気になったからだ。
「それで……まあ色々あって現在に至るわけだ」
『……いや途中を端折りすぎだろ!』
が、思わずつっこんでしまう。説明がそこで終わるとは思っていなかった。
『もうちょっと、こう……あるだろう!? 語るべきことが!』
「色々あったけど、それほど語るべきことがねえんだよ! 気がついたら魔族の赤ん坊になってて、自分が第7魔王子ジルバギアス=レイジュであることがわかって、中身が人族ってバレないように必死でおとなしく赤ちゃんしながら、母親の大公妃やら知識の悪魔やらの教育を受けつつ、今日までやり過ごしてきたんだ……!」
疲れ果てたように、がっくりと肩を落としながら、ジルバギアス。
この語り口。どこか間の抜けた調子。バルバラが知る『アレク』のそれに限りなく近いものだったが……だからこそ信じがたい。
『アンタが、本当にアレクだってんなら』
腕組みしながら、試すようにバルバラは問う。
『最後に、アレクがアタシに送った手紙の内容は?』
ハッとして顔を上げるジルバギアス。
「………………手紙とか送ったっけ」
…………。
こいつ、なぜかは知らんが、やはりアレクの名を騙っているだけでは……? 許しがたいぞクソ魔族ッ!! 死者を愚弄して何が楽しい!?
「いやいや待て待て待ってくれ、前世の記憶が曖昧なんだ!!」
憤怒の形相に変わりゆくバルバラを、わたわたと手を振りながらなだめようとするジルバギアス。
「魔王子として経験を積めば積むほど、前世の思い出が色褪せちまうんだ! あっ、手紙ってのは、強襲作戦のときに最後に送ったやつか!? 何人かにまとめて送った気はするけど、中身までは……ちょっと……」
額に手を当てたジルバギアスは、「うーん……!」とうなりつつ必死で記憶を掘り起こそうとしている。
「内容は……悪い、思い出せない……けど、バルバラには金貨を送った……と思う。たぶん」
――その言葉に、バルバラの、半透明な肩から力が抜けた。
『……そう、かい』
そこは……覚えている、というわけか。手紙の話題で金貨が出てくるのは普通ならおかしい、つまり、正確に言い当てた
「あっ、そうだ。俺が俺であることの証明なら、これが一番手っ取り早い」
と、ポンと手を叩いたジルバギアスが、不意に腰の鞘から古びた剣を抜き払った。
「【――目覚めろ、アダマス】」
どくん、と色褪せた刃が、脈打ったように感じる。
閃光。
『ああ……ッ!?』
なまくらのようになっていた聖剣が、真の姿を取り戻す。だが――眩しい! 眩しすぎる! バラバラは身の毛のよだつような
「あっ! 悪い……【眠れ、アダマス】」
怯えるバルバラに、すぐにバツの悪そうな顔をしたジルバギアスが、聖剣を封じて、ぱちんと鞘に納めた。
「…………」
『…………』
沈黙。ジルバギアスも、バルバラも。
バルバラは、衝撃のあまり言葉を失っていた。戦場であれだけ頼もしく感じていた聖なる光を――よりによって、自分は恐れてしまった。
今の自分が
生々しく浮き彫りにされてしまった――
だが、同時に理解した。あの剣の銘を知っていて、かつドワーフ製のそれが持ち主と認めたということは、つまり。
『本当に……アレクなんだね。アンタは』
生まれてきてしまったことを詫びるような顔で、ゆっくりとうなずく――アレク。
でも。
それなら。
なおさらわからない。
『なんで……アタシたちを殺した?』
ぽつんとつぶやくような問いに、アレクがギュッと目をつむる。歯を食いしばり、その手にギリッと力がこもる――
「……俺の目的は、魔王国を滅ぼすことだ」
地の底から響いてくるような低い声で、アレクは言う。
……ああ。この顔。この表情。瞳に燃える憎しみの炎。
容姿こそ似ても似つかないが――こいつは、アレクだ。
間違いない。
「魔族の王子として、俺は禁忌の魔神と契約を結ぶことに成功した」
『禁忌の、魔神?』
「クソ強い悪魔のことだ。そこに本人がいる」
背後を親指で示すアレクと、その言葉を受け、「ふむ。我こそが禁忌の魔神よ」とふんぞり返る悪魔娘。
あれが……『魔神』? 確かに大層な威圧感はあるが……『神』……?
バルバラが想像するモノとはあまりにもかけ離れた、俗っぽい姿に当惑する。
「初代魔王が契約したのが、捕食の魔神カニバル。そして俺が契約したのが、禁忌の魔神アンテンデイクシス」
訝しげなバルバラをよそに、床を見つめながらアレクは続けた。
「――契約により、俺は禁忌を犯せば犯すほどに、力を得られる」
暗い部屋に、やけに空恐ろしく響く、アレクの言葉。
『禁忌、を――』
勘のいいバルバラは、たったそれだけで理解してしまった。
アレクが何をしようとしているのか、
「俺が
暗い目のまま、アレクは言う。霊魂と化したバルバラにならわかる、強大な魔力を揺らめかせながら。
「強襲作戦のとき、俺の力じゃ魔王に歯が立たなかった。だが、今の俺なら。いつかは必ず、魔王に手が届く……!」
それまで。その次元に至るまで。
禁忌を、積み上げようというのか。
夢物語で終わらせない、説得力があった。バルバラを含む最精鋭たちが力をあわせても、結局、今のアレクに敵わなかったのだ。
自分たちが頑張るより、アレクの方が
彼が自分の立場を最大限に利用しようとしていることは察しがついた。誰も魔族の王子の中身が、人族の勇者だなんて思わない。バルバラだってそうだった。
だから容赦なく、躊躇なく、人族にも刃を振るい――魔族たちを油断させる。
その上で、かつての同胞に手をかけるという禁忌をもってして、膨大な力を得たということか……!
恐ろしいほどに合理的だ。
だが、それでは……それではあまりにも……
『アレク……!』
唇をわななかせたバルバラは、魔王子と化した戦友を見つめてから、その背後の、禁忌の魔神なる存在をキッと睨んだ。
「ふふ……」
身の毛のよだつような退廃的な笑みを浮かべた魔神が、極彩色の瞳で見つめ返してくる。この世の全ての混沌と、背徳を煮詰めたような瞳の色……
もはや実体など存在しないはずのバルバラをして、全身が鳥肌立つような感覚に襲われた。
『貴様ァ……!』
なんてことを。なんてことを、アレクにさせた!!
こいつは、そんなことが……平気でできる男じゃない!!
『……ッッ!!』
だが――歯を食いしばるバルバラは、罵倒の言葉を飲み込んだ。飲み込まざるを得なかった。
それらを全て承知の上で。
アレクがここまで、突き進んできたことを悟ったからだ。
皮肉にも、バルバラたちに絶望をもたらした
人類の、ただひとつの希望の光でもあったのだ……。
『アタシ、たちの、死は。無駄じゃ……なかったんだね……?』
絞り出すように、すがるように、バルバラは問うた。
「ああ」
力強く、重々しく、瞳を燃え上がらせながら、影の救世主はうなずく。
「無駄じゃない。俺が、無駄にしない……ッ!」
ああ……という、溜息にも似た声が、バルバラの口から漏れた。
確信があった。こいつなら、やれると。
ちょっと間の抜けたところや、すっとぼけたところがあっても、戦場でこの上なく頼りになった
きっと、大丈夫だ。
あの光り輝く聖剣を、いつか必ず、魔王に突き立てるのだろう、と――
安堵した。そして、あまりにも想像を超えた事態、情報の連続に、頭の芯がジンとしびれたような感覚があって、力が抜けきってしまって、そのまま消えてしまいそうになった。
だが。
『――お前にはまだ、やるべきことがある』
先ほどの、父と兄の言葉が蘇り、バルバラはかろうじて踏みとどまる。
そうだ。そもそもの疑問があった。
『……事情は、だいたいわかった。それで?』
気合を入れ直し、稀代の勇者にして、若き魔王子を見据えた。
『わざわざアタシにそれを説明して、何の意味があるんだい?』
いったい自分に、何の用がある。
ただ謝るだけに呼んだ、そんなはずがないだろう?
「……魔王は、俺が殺す。魔王子どもも、俺が殺す」
かつての勇者時代のように、歯を剥き出しにした凶暴な
「その他、魔王国の屋台骨を内側からへし折ってやるつもりだ。そうすりゃ魔王国は勝手に傾いていくだろうが……それでも1日で滅び去るわけじゃない。その他の上位魔族、アンデッド、悪魔に夜エルフ――魔王国には殺すべき相手が多すぎる。俺だけじゃ
はっ、とバルバラは笑った。……いかにも、
「俺は死霊術を学んでいる。お前をアンデッドとして現世に留めることは、可能だ。何年後、何十年後になるかはわからないが、きたる日に備えて――」
ふたりの視線が、まじり合う。
「俺に協力してくれないか」
自分に何ができるかはわからない。
アンデッド化したら剣聖の力だって失われるかもしれない。
――それでも。
このまま、終われるものか!
『その話、乗った』
バルバラは笑った。
花が咲くように艶やかに。
研ぎ澄まされた刃のように、凄絶に。
「……ありがとう。そして、重ね重ね、すまない」
今一度、平伏して頭を下げるアレク。
『よしなよ。アンタとアタシの仲じゃあないか。それに、今さら謝られたって、もう遅いんでね!』
「……返す言葉もない。本当に……」
『だから、魔王をブチ殺す前に倒れたら、承知しないんだからね』
「……ああ!」
力強く、うなずくアレクだったが。
「はぁ……しかし、これでひとり、か……」
どこか安堵したように肩の力を抜きつつも、疲れを滲ませて溜息ひとつ。
『え? ひとりって、何が?』
バルバラが小首をかしげると、アレクはバツが悪そうに――
「……俺が殺した人たちを、可能な限り呼び出して謝ったんだが……」
チラッ、とバルバラの背後に目を向けるアレク。
振り返れば、骨や、剣や、武具や毛皮が、床にこれでもかと積まれていた。
『えっ』
そして、今さらのように、自分の足元にも、先祖伝来の一角獣の兜が置かれていたことに気づく。
「……まともに会話可能で、かつ話を信じてくれて、最後まで消えなくて、アンデッド化が可能で、話を受けてくれたの……バルバラだけだった……」
『え゛っ』
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