193.竜娘は想う


 ――あの人が出征して、3日。


 前線より遥か後方の都市、とある静かな邸宅で、レイラたちは落ち着かない日々を過ごしていた。


 湖畔に佇む屋敷。元はデフテロス王国貴族の別荘だったらしい。


 堅固な砦や城塞都市に比べるといかにも開放的だが、その実、ジルバギアスの私兵となった腕利きの夜エルフ猟兵たちが警備にあたり、蟻の子1匹通さぬ厳戒態勢が敷かれている。


 そう――蟻の子1匹通さぬ構えだ。


 外からも、中からも。


「御二方の身に何かがあっては、殿下に顔向けできませんので……」


 と、夜エルフを代表して、メイドのヴィーネは言っていたが。


『ジルバギアスの愛妾』扱いで、壊れ物のように大事に『保管』されるのは、思った以上に息が詰まる経験だった。


 それでも、レイラはまだいい。


 魔族を除けばこの場で最強のドラゴン族で、ある程度自由に出歩ける。


 ただ、四六時中、夜エルフに囲まれ、ジルバギアスの存在もないリリアナは、気の毒なくらいに元気をなくしていた。


(でも……当たり前だよね)


 レイラで言えば、闇竜たちに取り囲まれて、『ジルバギアスのつがい』扱いで上辺だけ取り繕って、うやうやしくもてなされるようなものだ。……想像しただけで気が滅入る。


 いや、洞穴でただ飼い殺しにされていたレイラと違い、リリアナは文字通り地獄の責め苦を与えられていたわけだから……それより酷いだろう。


 レイラはできるだけ、昼間の明るい時間帯に、リリアナを屋敷の外に連れ出すようにしていた。遮光マントを羽織って遠巻きに警備する夜エルフたちには、いい迷惑だろうが。


 彼らの存在を遠ざけられる時間が、今のリリアナには必要だと感じたからだ。


「すっかり温かくなってきたね」

「にゃー」

「わぅ」


 昼下がり、湖を望むベンチに腰掛けたレイラがつぶやくと、両隣に腰掛けた(あるいは寝転がった)ガルーニャとリリアナが、気の抜けた返事をする。


 リリアナがリラックスタイムなのは当然として、ガルーニャも両足をだらしなく投げ出し、ぐったりとベンチに身を預けていた。


 もともと、ジルバギアスの護衛兼緊急時の身代わりとして側仕えになったのに、今ではすっかりリリアナのお世話係および愛猫(?)という立ち位置になってしまい、前線にさえ連れて行ってもらえなかったのが相当堪えているらしい。


みーは、リリアナの護衛じゃないんだけどにゃー」と、普段めったに口にしない愚痴までこぼしていた。


 ……リリアナがちょっとしょんぼりしていたので、慌てて「リリアナが嫌いになったワケじゃないにゃ、もちろん」と付け足していたが。


(……本当に、ぜんぜん時間が経たないな)


 膝枕状態のリリアナの頭を撫でながら、レイラはぼんやりと湖面を眺める。


 竜の洞穴にいたときも毎日が苦痛で仕方がなかったが、今のこの時間――ジルバギアスの帰還をただ待ち続ける日々は、それに輪をかけて苦しかった。


『……戦場で、もし万が一のことがあったらどうしよう』


 不吉なことなんて考えたくもないのに、どうしても、心配になってしまう。


「…………」


 レイラの膝枕でくつろいでいるように見えるリリアナも、時折、物憂げに目を開いて景色を眺めており、内心穏やかでないらしいことがうかがえる。


(レイジュ族だから、滅多なことはない、とは思うけど……)


 普段はリリアナに頼り切りな回復も、自力でこなさなければならない。……『頼り切り』と言っても、実戦形式訓練から夜エルフの治療に至るまで、ありとあらゆる傷を引き受けまくっていたので、転置呪の腕前に関しては、誰も疑ってないが。


(でも……人族を、犠牲にしなきゃいけない……)


 ……そのことを考えると、胸が痛む。


 レイラと、リリアナしか知らない秘密。



 ――あの人の正体。



 もしも傷を負って、それを癒やすために人族を犠牲にしなければならなくなったらどれほど苦しいだろう。


 いや、そもそも戦場に出ているのだ。あの人は、覚悟を決めていた。いつか魔王を倒すために、同族を犠牲にする覚悟を。


 いったいどれほどの苦しみが、彼の魂を苛むのか――


 が、もはやあの人ひとりしかないレイラには、想像もつかない。


「ご主人さま、どうしてるかにゃー」


 メイド服のスカートをすそをパタパタと蹴り上げながら、ガルーニャが言った。


「今ごろ人族をばったばったと薙ぎ倒してらっしゃるのかにゃー……あ、昼間だからお休み中かにゃ」


 ジルバギアスにあわせる必要がないので、すっかり昼行性に戻ったガルーニャ。


「……そう、だね」


 レイラは、曖昧にうなずくことしかできない。


 こと、戦争の話題になると反応しづらかった。いつも仲良しなガルーニャも、どこか距離を感じてしまう。



 ――ガルーニャにとって、人族は憎むべき敵。



 白虎族を戯れに狩り殺し、苦しめ続けた仇なのだ。



 だから、ジルバギアスが人族を殺すことに、何ら痛痒を感じない。いや、むしろ、せいせいしている。


「…………」


 だから、レイラの心は冷えてしまう。このの存在なのだ、と思ってしまう。



 ――ガルーニャには感謝している。



 あの人に詫びの印として献上されて、心身ともに弱りきっていたとき、親身に接して緊張を解してくれたのは、他ならぬガルーニャだった。


『おやつちょっとわけて上げるにゃ!』

『レイラ! 一緒にお風呂行かにゃーい?』

『メイド服がほつれたりしたら、あのヒトに頼めばいいにゃ』


 日常的なことから、メイドの仕事のあれこれまで、手取り足取り教えてくれた。


 今、自分がジルバギアス一党にこれだけ馴染めているのも、ガルーニャの存在があってのことだ。



 でも……。



「あーあ、みーも実戦行きたいにゃあ……ご先祖さまの仇討ちがしたいっ」


 ボヤいたガルーニャがぴょんと立ち上がり、その場で格闘技の型の練習を始めた。型、と言っても、爪で急所を抉り、拳と蹴りで骨を折り砕く、極めて獰猛なもの。


 ――『敵』を、殺すための技術。


「ご主人さまに連れて行ってもらえるようには……拳聖にでもならないとっ」


 そう言って、真剣に、物の理に挑むように拳を振るい続けるガルーニャは――



 どうあがいても、人族の敵だった。



「…………」


 レイラは何も言わずに、ガルーニャから目を逸らす。


 あの人の――ジルバギアスの、真の目的。


 それが成就するとき、ガルーニャはどうなってしまうのか。


 


 ……いや、考えるまでもない。あの人の敵は、レイラの敵。


 ならば、自分は――


「――あっ」


 不意に、小さく声をあげたレイラに、ガルーニャが手を止める。


「? どうかしたかにゃ?」

「……ううん、何でもないの。」


 レイラは、笑ってごまかした。


「ただ、ちょっと湖に魚が跳ねたように見えて」

「えっ、お魚ー?」


 ガルーニャが目を皿のようにして、風に揺れる湖面へ目を凝らしだす。


(そっか、この痛み、なんだ)


 白虎族の友人をよそに、レイラはそっと胸に手を当てた。



 ガルーニャとの、避けられない未来を思い描くと、ちくりと痛む。



(この痛みを――)



 何百倍、何千倍にも強めたら、きっと。



(あの人の――)



 気持ちが、ほんの少しだけ、理解できた気がする。……。



 レイラは儚く微笑んで、胸をそっと撫でた。



 この痛みを、忘れまいとするように。



 ……あるいは、愛しむように。





「――ん」


 と、ガルーニャが振り向いた。


 見れば屋敷の方から、遮光マントを羽織った夜エルフのメイド、ヴィーネが急ぎ足でやってくるところだった。


「みんな! 今夜、殿下が戻ってくるって!」

「えっ、もう!?」


 ヴィーネの知らせに、ガルーニャがビンッと尻尾を立て、素っ頓狂な声を上げる。リリアナもムクッと身体を起こした。普段はめったに、夜エルフの言動には反応を示さないのだが。


「終わった、んですか……? それとも――」


 あまりにも早すぎる帰還に、むしろ不安が強まるレイラだったが――ヴィーネは微笑んだ。


「殿下はご無事。エヴァロティは陥落したとのことよ」


 かくいうヴィーネも連絡を受け取ったばかりなのだろう。少し興奮気味だった。


「殿下は獅子奮迅のご活躍で、勇者や剣聖など多数の首級をあげられたと――」


 ずきん、と胸の奥が痛む。


「――でも、予定よりも早く陥落した代わりに、魔族の方々の被害も、想定外の酷さだったそうなの……」


 と、ヴィーネは表情を曇らせる。


「殿下の家来の……クヴィルタル様や、アルバーさんたちも、その……」


 彼女にしては珍しく、口ごもり。


「…………全滅した、って」


 その言葉に、レイラたちは息を呑んだ。


 レイジュ領での出会いを経て、冬の間中、付き合いがあった魔族たち。特にあの人が『三馬鹿』と呼ぶ青年たちは、魔族とは思えないほど友好的で、目下の者たちにも偉ぶることもなくみなに慕われていた――


 レイラも、幾度なく言葉を交わしたことがある。


 そんな彼らが……


「全滅……」


 空恐ろしげに、つぶやくガルーニャ。


「…………」


 レイラもまた、恐ろしい感覚に襲われていた。




 全滅。




 そして、想定外の魔族の被害。




 それは――ひょっとすると――、




 何か、ただならぬことが起きた。そんな予感があった。




 ――そして、それは正しかった。

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