192.朝日は昇る


【東城門が破られた】――イザニス族の伝令はそう報告したが、実際には『門が勢いよく開け放たれた』と表現するのが正しい。


 だが、門扉に取り付いていた魔族戦士や悪魔兵を吹き飛ばし、ドワーフ鍛冶戦士団が堰を切ったように溢れ出すさまは、まさに『破られた』と形容する他なかった。


「行けえぇぇぇッッ!」

「どいたどいたァァァッ!」

「道を空けい闇の輩どもッ!」


 斧を、戦鎚を、光り輝く真打ちを振るい、ドワーフ鍛冶戦士団は一丸となって突き進む。防護の呪文をまとった魔族たちが紙切れのように屠られていく。


 瀕死の重傷を負ったレイジュ族が、【転置呪】で傷を押し付けようとするも、全て業物の魔法の鎧に弾かれ、そのまま息絶える。


 まさに死屍累々。


 王都エヴァロティの市街地が突如として青い血に染め上げられる。


「うおおおおッッ!」

「我らも続けぇぇぇッッ!」

「デフテロス王国、万歳ッッ!」


 それに続き、統一的な赤銅色の鎧を身にまとった人族の戦士たちが、ドワーフたちが開いた突破口をこじ開けていく。


 虎の子のデフテロス王国近衛騎士団だ。


 団員全てが貴族の子弟および市井の魔力強者で構成されるこの騎士団は、一般兵の連携力と、勇者・神官に匹敵する魔法抵抗を併せ持つ、人族の中でも異色の集団だ。


「【我ら 神威と王威をもて】」

「【高潔の精神を刃とせん!】」


 炎のように揺らめく光が剣に宿り、近衛騎士団が魔族たちに斬りかかる。勇者の聖属性ほどの威力はないが、防護の呪文を深々と抉る呪詛。それは、デフテロス王国の長い歴史が紡ぎ出した、近衛騎士団に伝わる特殊な魔法だ。


 そして、近衛騎士団が確保した退路を、子どもたちを連れた避難民が駆けていく。さらにところどころに配された森エルフたちが早駆けの魔法をかけ、盾を持った一般兵がそれに追随し、王都脱出を命じられた貴族の跡継ぎたちが、護りの魔法を行使しながら彼らを導いていく。


「逃げるか、雑魚どもが!」


 王都脱出。ここに至って魔王軍もその意図を察した。


「【足萎えよ!】」

「【腐れ落ちろ!】」

「【燃え尽きろ!】」


 魔族の戦士、そして悪魔兵が悪しき呪文を唱え、獣人兵は石を握って振りかぶり、夜エルフ猟兵が弓を引き絞った。


 一斉に放たれる。


 呪いが、投石が、矢が、王都から逃れんとする人々へ殺到する――


「【我ら 人民を護るため】」

「【我が身を盾とせん!】」


 ザッ、と一斉に盾を構える近衛騎士団。彼らの背後に、陽炎のような人影が次々に幻出し、巨大な盾を構えた騎士の像を形作る。


 ――歴代の近衛騎士団員たちだ。


 彼らの魂と、想いが織りなした魔法。


 王城にいまだそびえる【聖大樹】が祝福するように鳴動し、よりくっきりと輪郭をなす幻影の騎士たち。


 彼らの盾の壁が、悪意ある魔法を遮断する。


 礫や矢を弾き飛ばし、人々を守る――!


「小癪なァッ!」


 しかし人族ゆえの限界か、強大なる魔力には抗しきれない。呪いの炎が光の盾を食い破り、その背後の一般兵ごと近衛騎士を火達磨に変える。また、針の穴を通すような夜エルフ猟兵の狙撃が、巨大な盾と盾の隙間を縫い、走る避難民や森エルフの魔導師たちを容赦なく射抜いていった。


 ピゥッと髪の毛が逆立つような風切り音を立て、ああ、またひとつ、黒羽の矢が、母に手を引かれる少女に突き立たんと――


「うぐぅッ!」


 寸前で、盾を構えた兵士が身を呈し、防いだ。盾を打ち砕くほどの一矢、あるいは射手は、弓聖に迫りつつある強者だろうか。


「おじちゃん!」

「大丈夫だ! 早く逃げなニーナちゃん、あとで追いつくから……!」


 走りながら振り返って手をのばす少女に、ニッと笑ってみせる兵士。しかしその口の端を、たらっと血が伝う。盾を貫いた矢は、そのまま胸に突き立っていた。


 だが――兵士は倒れない。


 少女から視線を引き剥がし、その場に仁王立ちして、ほとんど原型を留めない盾を掲げる。今もなお背後を走り続ける民たちを庇うために……!


「チッ」


 そして件の矢を放った夜エルフ猟兵は、それを見て舌打ちした。確実に仕留めた、と思った一矢を邪魔されて、プライドを傷つけられたからだ。


「…………」


 酷薄に目を細め、次なる矢をつがえる夜エルフ。


 敢えて、仕留め損なった少女に狙いを定めた。自分を邪魔してくれた兵士に、あの小娘の断末魔の叫びを聴かせてやる――そうだ、そのまま真っ直ぐに走れ――次の盾の隙間に、差し掛かったところを――今だ!


「馬鹿野郎」


 が、まさに矢を放とうとした瞬間、つぶやき声とともに頭をゴンッと小突かれた。狙いがぶれ、矢が明後日の方向に飛んでいく。


「何をしやがるッ!」


 思わず苛立ちマックスで食ってかかった夜エルフは、声の主を見て目を丸くする。



 ――不機嫌そうに、顔をしかめた若い魔族。



 嫌になるくらい見覚えがあった。第7魔王子ジルバギアス=レイジュだ!


「アッ……殿下……ッッ!」


 ただの魔族でもヤバいのに、よりによって夜エルフ一族に大恩ある王族に暴言を吐いてしまい、もともと病的なまでに白い肌が、さらに蒼白になる夜エルフ。


「と、とんだ失礼を……!」

「そういうのはいい。ガキ狙ってる暇があるなら、敵の戦士を狙え、戦士を」

「もっ、申し訳ございません!!」


 慌てて、兵士や近衛騎士に矢を放ち始める夜エルフ。それを見届け、鼻を鳴らしてから、ジルバギアスは王都防衛軍に視線を移した。


 いや――王都脱出軍とでも呼ぶべきか。明らかに計画的な動きだが、全軍が離脱しているわけではないらしい。その証拠に王城の抵抗はまだ続いているし、【聖大樹】の結界も健在で、脱出軍を援護するように次々に魔法が飛んできている。


 王城にも、それなりの戦力が残されている証拠だ。


 こうして眺めている間に、避難民はあらかた離脱したらしく、城門から次々に吐き出されていた人の列が途絶える。


 ――オオオオッ、とさらに響く雄叫び。魔王軍側の悲鳴が、激しい剣戟の音で押し潰される。


「さぁかかってこいッ、魔王軍!」

「死にたいやつから前に出なァ!」

「テメエらの槍をワシのコレクションに加えてやる!!」


 見れば、ドワーフ鍛冶戦士団が引き返してきていた。脱出軍の先導は近衛騎士団に任せ、殿しんがりを務める心づもりらしい。


 斧から放たれる魔力の刃、ハンマーが叩き込む遠隔打撃、そして強固極まりない鎧の魔法抵抗、魔族たちも攻めあぐねている。殿としてはこれ以上の適任はいまい。


 魔王軍を威嚇しながら、避難民たちの足取りに合わせ、じりじりと後退していくドワーフたち――


「ああっ、貴様は!」

「業物だッ!」

「こんなところにいやがった!」


 と、そんな緊迫した状況でも、彼らは目ざとくジルバギアスに気づいた。


 まあ無理もない、夜明けの薄明かりの中でも、白銀の鱗鎧はよく目立つ。


「よう! また会ったな」


 ひらひらと手を振ったジルバギアスは――


「――フィセロ、だ!」


 一言、その名を告げた。


「何、じゃと」


 一瞬、足さえ止めて目を見開くドワーフたち。


「フィセロ! フィセロ=ドン=テクニティスか!?」

「生きとったんか、あの野郎!!」

「あやつの作なら納得じゃぁぁぁッ!」


 大盛り上がりで絶叫しながら、後退していくドワーフたち。


「はは、有名人だったんだなぁ」


 ジルバギアスは思わず笑っている。


「だが、あやつの専門は鎧のはず……!」

「剣は別人じゃないか!?」

「おい、その剣は!? 誰の作なんじゃ!?」

「くそぅ、フィセロの作ならもっと見たい!」

「近づいてこい! もっと見せろーッ!」

「というか、かかってこんかい!!」


 やんややんやと騒ぎながらも、遠ざかっていくドワーフたちに、今一度ひらひらと手を振るジルバギアス。


「……追撃されずともよろしいので?」


 いつの間にか、近くに来ていたベテラノスが尋ねた。


「……あまり大きな声では言えないんだが」


 ジルバギアスは声を潜め、その白銀の鱗鎧を撫でつける。


を手に入れるにあたり、件のドワーフ鍛冶に誓いを立ててな。身につけている間はドワーフに手を出せんのだ」

「ははぁ、そういうことでしたか」


 あまりにものんびり構えるジルバギアスに、納得してうなずくベテラノス。


「それに……わざわざ追いかけずとも、獲物はまだ残っているからな」


 ジルバギアスは笑みを深め、振り返って仰いだ。




 ――そびえ立つ王城と、光り輝く巨木を。




          †††




「……行った、か」


 王城、最上部。主塔の展望台。


 脱出軍を見送ったオッシマイヤー13世は、腰のベルトを寂しげに撫でながら、小さくつぶやいた。


 その身辺は、年配の近衛騎士団員と、王国重鎮たちで固められている。みな、大なり小なり傷を負っていて、怪我ひとつないのはオッシマイヤー13世ぐらいのものだった。


「ドワーフ戦士団には、いくら感謝してもしきれぬ」

「勲章の用意をしなければなりませんな」


 オッシマイヤー13世の声に、大臣のひとりが真面目くさって答え、一同は思わず笑みをこぼした。


 主塔に籠城してから、しばらく経つ。階下の扉は大臣の魔法で封印され、扉の前では勇敢な兵士たちが守りを固めてくれているが。


 果たして、魔族相手に、どれだけもつことか……。


「……さて、諸君。とうとうこれを開けるときが来た」


 足元の小箱から、大事そうに酒瓶を取り出すオッシマイヤー13世。


「おおっ! それが陛下秘蔵の……!」


 家臣たちも盛り上がる。


「うむ。『アーリエン・ビーミ』の35年ものだ……」


 アーリエン・ビーミ――それは王国西部の、とある穀倉地帯の名産物。麦から作る強い蒸留酒だ。


 瓶を掲げて、懐かしそうに目を細める前王の姿に、しかし家臣たちは言葉を失ってしまう。


 35年もの――


 それが、オッシマイヤー13世が即位した年のものだと、付き合いの長い彼らにはすぐにわかったからだ。


「……よくぞ、今日まで保管されていたものですな。自分なら我慢できずに、途中で開けておりましたぞ!」

「……違いない! アーリエン・ビーミほどの銘酒を寝かせておくのは、なかなかに忍耐力が試されますな!」


 しかし、何も気づかなかったふうを装って、家臣たちは笑う。


「どれほどの美味か、楽しみでなりませんぞ、陛下!」

「早く乾杯いたしましょう!」



 ――階下が騒がしい。魔王軍が迫っている。



「うむ、うむ。急かすでない」


 酒瓶を抱えたオッシマイヤー13世は、厳重な封が施されたキャップをつついて、残り少ない魔力で呪文を唱えた。



 はらりと、封が落ちる。



「さあ、みな、盃を持て」



 オッシマイヤー13世直々に、大臣たちのグラスに、透明な酒を注いでいく。



「そなたらもだ。遠慮せずともよいぞ」



 そして、元近衛騎士団員たちにも、同じように盃を勧めた。



「なんと……光栄です、陛下」



 騎士団員たちは嬉しそうに笑い、グラスが足りない者には、兜にたっぷりと注いでやった。



 最後に、オッシマイヤー13世は自らのグラスに、僅かな酒を一滴まで注ぐ。



「……諸君らと、この一時をともに出来たことを、光栄に思う。ありがとう」



 ――みな、笑っていた。家臣たちも、オッシマイヤー13世も。怪我のせいで青褪めた者も、涙をこらえる者も。みなが、笑っていた。



「デフテロス王国に」



 大臣のひとりがグラスを掲げた。



「オッシマイヤー陛下に」



 近衛騎士たちもそれに続く。



「得難き家臣のみなに」



 オッシマイヤー13世も、また。



 ああ……地平線の果てから昇る朝日が。



 グラスに射し込んで、きらきらと輝く。



「そして……若者たちと、人類の未来に、乾杯!」



 乾杯!! と唱和する。



「オッシマイヤー14世と、デフテロス王国の民に、幸あれ……!」



 そうして、みなで飲み干した。



 素晴らしく香り高い、人生で一番の、最期の美酒を――



 グラスの中の太陽の輝きを、希望の光を。



 逃すまいとするかのように――。





          †††





 ――その日、王都エヴァロティ王城に、魔王国の黒旗が翻った。




 王都攻め開始からたった2日という、早すぎる陥落だった。




 国王オッシマイヤー13世以下、王国重鎮たちは、主塔に籠城したのち自刃。




 栄えあるデフテロス王国の歴史は、ここに幕を閉じることとなった。




 ……しかし王位の正統後継者を示す宝剣は、オッシマイヤー14世および王都脱出軍とともに、王国東部へと逃れた。




 各貴族家の跡継ぎと、首都に残されていた子どもの大半も脱出に成功。




 近衛騎士団も戦力を維持している。




 希望は、残された。




 だがそれは同時に、オッシマイヤー14世率いる、デフテロス王国亡命政府の苦難の道のりの、幕開けだった――

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