189.誓いと約束
『俺は、あの鎧を身に着けている間、ドワーフを決して傷つけない。』
――魔王国第7魔王子、ジルバギアス=レイジュ
†††
思わぬドワーフ鍛冶戦士団との鉢合わせに、魔王子の足が止まる。
「ぬうぅぅォォアアッ!」
その隙を逃さず、先頭のドワーフ戦士がハンマーを振りかぶった。
無論、ただのハンマーではない。ドワーフの鍛冶師の魂が込められた『真打ち』。
肌で感じた。
「でェアァァ――ッッ!」」
先祖伝来のバトルハンマーを、全力で振り下ろすドワーフ戦士。
10歩の間合い。
当然のように、
ガァンッとすさまじい衝撃が全身を襲い、防護の呪文がたった一撃でガラスのように砕け散る。
「オオオオオゥゥゥッ!!」
続いて、雄叫びを上げた別のドワーフ戦士が、ぎらぎら輝く斧を横薙ぎに振るう。
不可視の斬撃が、駆ける。
「ッ!!」
だが魔族であればこそ、魔力で知覚する。まともに受ければ死ぬ。槍の柄、遺骨が巻き戻るようにして、左腕に髑髏の集合体のような盾を形成。
受け止める。……いや、もたない! 一瞬にして髑髏の盾が引き裂かれ、不可視の斬撃はそのまま、勢いを減じることなくジルバギアスに食らいつく――
が。
その身にまとう鱗鎧【シンディカイオス】が、白銀の鱗が、光り輝いて斬撃を――防ぎ通す。流石に衝撃までは打ち消せず、よろめくジルバギアス。その背後、身体に遮られなかった両側の石壁にビシィッと真一文字の切れ目が走った。
「なんじゃと!?」
「耐えた!?」
最高級の魔法武具の一撃がしのがれ、驚きが隠せないドワーフたち。ジルバギアスもまた、思わず白銀の鱗を撫でた。
(これは……本当に大した鎧だ!)
ジルバギアス自身が強大な魔力を誇るとはいえ、まさか真打ちの一撃を受けても傷ひとつつかぬとは。他種族が手に入れられる武具の中では、最上級と言っていい。
そして、ドワーフを傷つけぬ誓いを立てたジルバギアスに、
「あれは相当な業物だぞ!」
「同族の作か!?」
「あの輝き……ホワイトドラゴンの鱗と見た!」
殺意はそのままに、ドワーフ
「――おい、魔族! その鎧はどこで手に入れたッ!?」
兜の奥、ぎらぎらと目を輝かせて尋ねてくるドワーフ戦士。
まさか、戦場でそんな問いを投げかけられるとは思わず、意表を突かれるジルバギアス。だがドワーフたちはその隙をついて襲いかかるでもなく、臨戦態勢でじりじりと距離を詰めながらも、律儀に答えを待っていた。
(ホント
ほんの僅かに、口の端が歪む程度の笑みだったが。
「魔王城。腕のいい鍛冶師に作らせた」
どのみち手出しはできないのだ。我ながら悠長だな、と思いつつも答える。
「ドワーフか!?」
「当然」
「名は何という!?」
鼻息も荒くにじり寄るドワーフたち。流石に答えに詰まった。ここでフィセロの名を出せば、彼の不名誉になるのでは、と思ったからだ。不倶戴天の敵に良質な武具を供給した、裏切り者の汚名を着せることになるのでは、と――
「貴様らが卑怯にも人質を取り、我らが同胞を働かせておることは知っておる!」
口角泡を飛ばしながら、戦士のひとりが叫んだ。
「だからそいつが仕事をしたのは
「そして
「只者ではないぞ! まさか
「馬鹿な、
思わず苦笑する。そして、これだけドワーフたちを夢中にさせるほど、この鎧が素晴らしいものだとわかって嬉しかった。
――ドワーフに手を出すことは、できないな。
こんな愉快な連中を。それにこの鎧は、きたる魔王子や魔王との戦いで、必ずや力になってくれるだろう。誓いを破るわけには――
『――殿下! 万が一、誓いを破ったらどうなるんスか?』
不意に、無邪気な青年の声が響き、ジルバギアスは雷に打たれたように硬直する。
ああ――あれは、そうだ、お調子者のあいつが、特訓でプラティフィアにボコボコにされたときの――
『そりゃあもちろん、この鎧の魔法の力が色褪せて、鱗を寄せ集めただけのガラクタになるだろうよ』
そう答えたジルバギアスに。
『はぁ、そりゃあ一大事だ!』
真面目な青年がわざとらしく驚き。
『そんな業物がガラクタになっちまうなんて、いただけませんね!』
お調子者の弟がそれにのっかり。
『ドワーフ族が出てきたら――』
彼らの兄貴分の、灰色髪のあいつが、ドンと胸を叩いた。
『――俺たちに任せてくださいよ!』
そう言って、槍を掲げて――ハハハハハ、と無邪気に笑って――
『ドワーフ族は殺すに惜しいし、交戦を避けるのが無難だろうが……閉所で鉢合わせたらお前たちに任せよう』
――確か自分はそう答えて、苦笑した。
先祖伝来の真打ちで武装したドワーフ戦士団に、
「うぅ……っっ!」
顔面蒼白で、ヨロヨロと後ずさるジルバギアス。吐き気がした。耳を押さえても、笑い声は止まらない。
いや、むしろ……どんどん……大きくなっていく。めまいがする。ぐわんぐわんと足元が揺れるような感覚――
「どうした!? その職人の名は!?」
「なんぞ、様子がおかしいぞ?」
「…………
わなわなと震える魔王子を前に、目配せし合うドワーフたち。
「……
誰かがボソッとつぶやいた。
浮ついた空気が消し飛び、鍛冶師たちが戦士団に様変わりする。
「――ぬぅんッ!」
斧が、真打ちの傑作が、再び振るわれた。今度は不可視の刃ではなく、
「ッ!?」
誰かに喝破されたかのように、ハッと顔を上げ目を見開くジルバギアス。幅広かつ重厚でありながら、カミソリのように鋭い斧の刃が、するりと首へ差し込まれる直前に剣槍を掲げて、防御する。
ガキィンッ! と凄まじい衝撃に手から聖剣が吹っ飛びそうになったが、どうにか持ちこたえた。
「なァッ!? なんじゃその刃ッ!?」
先祖伝来の真打ちの斧が、見るからに貧弱な古びた刃に受け止められ、あんぐりと口を開けるドワーフ鍛冶戦士。
驚くのも無理はない。だがこれは、魔王の槍とまともに打ち合って、それでも折れなかった不屈の聖剣だ――
「穂先……いや、剣か!?」
「鎧はまだわかるが、あれはいったい!?」
「どうなっとるんじゃ!? 見たい! 知りたい!」
ドワーフたちの熱が、一段と高まる。
「うっ……!」
だが、彼らに構う余裕はないとばかりに、ジルバギアスはくるりと背を向け一目散に逃げ始めた。
「逃げたぞ!? 追えーッ!」
「それでも魔族かーッ! 戦えーッ!」
「その鎧と剣、検めさせろーッッ!」
ズドドドドッとその後を追い、狭い階段の入口に殺到して、渋滞を起こすドワーフ鍛冶戦士団。
「待てぇぇぇいッ!」
どうにか一番手で守衛室を飛び出したドワーフが、逃げる魔王子の背中に向けて、「ふんッ!」とハンマーを振り下ろした。
すでに十歩以上離されているにもかかわらず、当然のように、不可視の打撃が叩きつけられる。
バァンッと防護の呪文を打ち砕かれ、もんどり打って倒れる魔王子だったが、すぐに立ち上がって脇目もふらずに逃げ続ける――
「待てえええ!!」
「クソォ、追いつけん!」
「惰弱だぞォ、それでも魔族かーッ!」
ガシャンガシャンと甲冑を鳴らしながら、ドスンドスンと走るドワーフたちだったが、いかんせん、足が遅い。
と、そのとき、遠くから轟音が響き渡り、城全体が揺れる。
「むッ!?」
「これは……西門が破られたか!?」
狭い通路で足を止め、顔を見合わせるドワーフたち。
「……こうしてはおられん、東門だけは死守せねば!」
「戻れッ! 戻れッ!」
「クソぅ……業物の鎧が……剣が……!」
「ええい、諦めろバカモン!」
ハンマー使いのドワーフは仲間に頭を小突かれながらも、未練がましく通路の奥を見やったが――
すでに、魔王子の姿は、闇に呑まれて消えていた。
†††
『殿下! 俺たちに任せてくださいよ!!』
――やめろ。
『俺たちが代わりに戦いますから、殿下!』
――やめろ!!
『なんで、戦わせてくれないんですか? ねえ、殿下?』
――やめろッッ!!
『なんでですか、殿下……なんで……』
無邪気な声が、だんだんと、おどろおどろしい響きに変わっていく。
『なんで――俺を――俺たちを――』
「やめろぉぉぉぉぉぉッッッ!」
絶叫しながら、ジルバギアスは逃げ続ける。
階段を、見張り塔を駆け上がった。
少しでも、地の底から響くような声から、遠ざかりたい一心で。
『なんでですかぁぁぁ殿下ぁぁぁぁなんでぇぇぇぇぇぇぇ』
だが、最上部の櫓にたどり着いても、なお声は止まらない。耳鳴りのように響く。耳鳴りのように響く――!
「ああああぁあぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!」
槍を放り捨て、両耳を押さえて叫ぶジルバギアス。
その血走った目が、床のあるものに留まった。
――破壊して回ったクロスボウの、短い矢だった。
「あああぁぁぁッ! うわあああぁあぁぁぁあッッ!」
溺れる者が藁にすがりつくように。
それを拾い上げたジルバギアスは、何の躊躇いもなく、自分の耳に突き刺した。
「ああぁぁぁッ! やめろッッ!! やめろぉぉぉぉぉッッ!!」
何度も、何度も。両耳を抉る。どろどろと青い血が溢れ出す。
だが、それでも。
『なんでですかぁぁぁぁ、殿下ぁぁぁぁぁぁ』
声は、止まらない。
「やめろ…………やめてくれ……ッッ!」
両耳を押さえて、その場に座り込み、力なく首を振るジルバギアス。
「頼む……やめてくれぇぇぇぇ……」
ぼたぼたと、その耳から流れ落ちる青い血が――
床の上、惨殺された人族の兵士たちの赤い血と混じり合って。
どこまでもどす黒く、染まっていった。
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