181.第7魔王子
――勇者の腕が、盾ごと砕け散った。
祈りが何重にも込められた盾が、まるで役に立たない。
「ぐゥ――ッッ!!」
歯を食いしばり、苦痛の呻きを漏らす勇者。槍を突き出した魔王子は冷めたような哀れむような顔。
馬鹿にして――! と
魔力が全く知覚できないバルバラにも、この魔王子の異常さは伝わってくる。
威圧感が、存在の重みが、尋常ではない。
みなが等しく感じているであろう――
だが。
それでも。
尻尾を巻いて逃げ出す奴は――この場にはいない!!
「【母なる聖大樹よ――我らに力を!】」
背後から、導師ルーロイの高らかな声が響き渡る。
「【大地の慈悲をもて 傷よ 癒えよ】」
地面がふわりと燐光を発し、腕を失くした勇者の出血が止まった。
いや――それどころか、新たな腕が生えてくるではないか!
「――おおおォォォッ!!」
両手で聖剣を握り直し、即座に魔王子へ斬りかかる勇者。バルバラもそれに合わせてレイピアを突き込んだ。拳聖も、他の勇者たちも続く。
「ほう、やるな導師」
バルバラのレイピアを槍で弾き返し、拳聖に呪詛を飛ばして妨害しながらも、感心したように言う魔王子。勇者たちの斬撃もことごとく防護の呪文に阻まれているが、だからといって攻撃の手を止める理由にはならない――!
「――――♪」
背後から、導師のハミングが響いてくる。心を奮い立たせるような、勇ましい旋律が、魔力を伴って――
「【
ルーロイの詠唱とともに、みなの剣に、爪に、光が灯る。
ヘッセルの亡骸が握りしめたままの大剣もまた、まばゆい光を放っていた。
――それは、犠牲となった仲間の遺志。
仇敵を討ち倒す力を与える、神秘の光。
バルバラたちに、決意がみなぎった。
(私たちは――)
眼前の魔王子を、睨みつける。
(――負けない!!)
光り輝く武器を振り上げ、より苛烈に、魔王子を攻め立てる――!
「【魔王子ジルバギアスの名において】」
ズグンッ、と。
魔王子からおぞましい魔力の波動が放たれた。
「【――連携を禁忌とす】」
制定。
「――!?」
バルバラは困惑する。身体が強ばるような感覚があった。バルバラだけではなく、みなの動きが途端にぎこちなくなり、一致団結して叩き込もうとした攻撃が不協和音を生んだ。
互いの距離感がわからない。阿吽の呼吸で意思疎通を図れていた戦友たちが、まるで馴染みのない赤の他人のように感じられる――
(これが、パルムが言っていた連携阻害の呪い!)
バルバラは悟った。自分が受けてみて、初めてその厄介さを痛感した。なんと陰湿な呪いか――
「そおら!」
そして、一瞬の間隙に滑り込むようにして、魔王子の槍が唸った。首を刈る一撃、反射的に盾で防ごうとした勇者が先ほどの威力を思い出し、代わりに聖剣で防がんとする――
ゴガァンッ、と砲丸が城壁に激突するような轟音。
勇者の手から聖剣が弾き飛ばされ、槍の穂先がそのまま胴体を
血と臓物を撒き散らしながら、崩れ落ちる勇者――即死だ。
「お前――よくもォォォ!」
残されたバルバラたちの武器が、より強く光り輝く。犠牲が増えれば【英傑復仇】の力も高まるが、だからといって――
「――各自、自由に戦えッ!」
と、導師が叫んだ。
「【忌まわしき呪いは我らを避けて通る!】」
そして、清らかな魔法により呪いが打ち払われた。が、即座にジルバギアスが禍々しい魔力を放ち、呪いが上書きされる。
それでも、『自由に戦え』という言葉の意味は、伝わった。
「はァッ!」
バルバラは戦友のことを頭から追い出して、ただひたすらに、眼前の魔王子に痛撃を叩き込むことに専念した。
これなら身体が自由に動く! みなも好き勝手に魔王子へ挑み始めたようだ。互いに手足がぶつかったりするが気にしない。王子に休む暇など与えぬとばかりに、とにかく攻撃を畳み掛ける。
「おおァァァァァッ!」
突く。突く。突く。剣聖の絶技をこれでもかと連発する。
バルバラのレイピアが光り輝いていた。まるで鋼鉄の壁のような手応えだった防護の呪文に、刃が食い込む感触があった。
導師の魔法が効いている。さらに勇者の聖剣と、拳聖の打撃もそれに加わり、張り巡らされた防護の呪文がガリガリと削られていく。
バルバラたちと、一般兵たちの大きな違い。
それは連携だけでなく、個の実力も兼ね備えていることだ――!
「まったくよくやる――」
歯を食いしばり、それでも笑いながら、魔王子がバルバラたちの背後を見やった。
その視線の先には――導師。
『やはりお前が要だな』
そう言わんばかりに。
ズンッ、とジルバギアスの存在感が、膨れ上がった。一転攻勢、莫大な魔力をほとばしらせて踏み込む。人族の少年程度の小柄な体躯に、巨獣の如き突進力。
「させるかあァッ!」
ジルバギアスの狙いが導師であることを察し、拳聖が立ち塞がるが――
「【格闘を禁忌とす】」
拳聖ひとりに限定して押し寄せた濃厚な呪詛が、導師の魔除けの加護を塵芥のように吹き散らした。
「ぐぬゥ――ッ!」
「【清浄なる風よ!】」
すかさず導師が解呪したが、その一瞬の隙は大きい。
「シッ!」
鋭く息を吐きながら、ジルバギアスが槍を突き出す。喉元に迫る穂先――だが寸前で硬直から脱した拳聖はしなやかに体を反らせ、間一髪で回避。その金色の毛並みの下、鋼の如き筋肉が盛り上がる。
「――かァァァァァッ!!」
お返しとばかりに、石畳を踏み込みで割りながら、途方もない力が込められた拳の一撃を叩き込んだ。
巨大なクリスタルが砕け散るような音とともに、ジルバギアスの防護の呪文が破壊される。
そして、それでもなお拳は止まらず、光り輝く爪が首筋を抉り取らんと――
「ッ!!」
咄嗟に掲げた槍で防御するジルバギアス。容赦なくその柄をへし折る。
得物をやった――これでトドメだ! と二の拳を突き込もうとした拳聖は。
「――?!」
信じられぬものを見た。
折れた槍、その穂先としていた剣を
惚れ惚れとするほど流麗な太刀筋で、首筋に刃を滑り込ませてくる――
(なんと――見事な――)
その思考を最期に、拳聖の首は断ち切られた。
邪魔は消えた、とばかりに魔王子の真紅の瞳が、導師ルーロイをスッと見据える。
しかし。
宙を舞う拳聖の首に――
血を滴らせる、古びた聖剣に――
バルバラの視界が、赤く染まった。
「お前がァァァッ!」
より一層、光り輝くレイピアを構え、憤怒の形相で踏み込む。
「その
――背中を、力強く押されるような感触があった。
空気が、爆ぜる。
轟音とともに、水蒸気の尾を引く神速の刺突がジルバギアスへと襲いかかった。
無詠唱で再展開された防護の呪文を――光り輝くレイピアが穿つ。
貫く。
突き進む――――!!
「死ねェッ!」
鎧に守られていない、最も防御が薄い首元。
レイピアは、届いた。
青い肌に――鋭い刃が滑り込んでいく。
致命の一撃――ここで息の根を止めて――!!
が、ガツンッという衝撃とともに、刺突はそこで止められた。
いや、止まったのはバルバラの体だ。ジルバギアスが左手で、折れた槍の柄を突き込んできたのだ。辛うじて胸部の鎧が石突を受け止めたが、凄まじい衝撃で装甲が凹み、肺の空気が絞り出される。そしてまるでボールのように弾き飛ばされ、壁に叩きつけられるバルバラ。
それでも、レイピアが抜けたジルバギアスの首元から鮮やかな青の血が噴き出す。殺れる! このまま――! 盾を失った勇者が雄叫びを上げて追撃を――
どろりとした闇の魔力が。
勇者をとらえ、その身にまとう魔除けの加護を一瞬で蝕み尽くした。
「【
ブパッ、と勇者の首から鮮血が噴き出す。
「――!?」
魔王子の手に握られた、古びた聖剣が――唸る。
「かっ――ハッ――」
――衝撃で呼吸もままならず、立ち上がれないバルバラは、それを食い入るように見つめることしかできなかった。
血が滲むほど強く握りしめたレイピアが、【英傑復仇】により輝きを増す――
(そんな……あんなの、無茶苦茶じゃないか……!!)
バルバラは胸の内で叫ぶ。ジルバギアスの出血が、あっさりと止まっていた。
話には聞いていた。自らの傷を敵に押し付けるような魔法を使うと――だから即死させねばならないと!
だけど!!
そんなの無茶だ! 簡単に死んでくれるほど弱い相手じゃない。かといって生半可な傷をつけたらそれがそのまま返される!
(私のせいで……死んでしまった……!)
勇者の亡骸を見つめ、罪悪感と、とてつもない絶望に襲われる。あんな化け物相手に、どうやって戦えというのだ……
そして――その化け物と、目が合った。
爛々と輝く赤い瞳が、すっと細められ――動けないバルバラにとどめを刺そうと、こちらへ踏み出し――
ひゅぅぅぅん、と。
風切り音とともに、矢が飛来する。それはバルバラでさえ何かが『違う』とわかるほどに、強烈な魔力を秘めていた。
「ッ!」
矢が直撃し、防護の呪文にヒビが入る。ジルバギアスが驚いて見れば、導師ルーロイの足元から光り輝く木が生え、反り返って生ける弓と化していた。
再び、魔法の矢が放たれる。まともに受けるわけにはいかず、槍で切り払うジルバギアス。ルーロイは次々に矢を放つが、その額からは汗が流れ落ち、苦しげな表情を隠すこともできなくなっていた――
ジルバギアスが、ルーロイへと目標を変え、再び駆け出す。
「通さねえぞォォォッ!」
残った最後のひとりの勇者が、聖属性をほとばしらせながら魔王子の前に立ち塞がった。森エルフのパルムも横合いから矢を射掛けて、ジルバギアスの気を少しでも逸らそうと必死だ。
残された戦力は彼らに加え、熟練の聖教会神官が数名、そして――
「バルバラさん!」
ジルバギアスの注意が逸れた隙に、女神官シャルロッテが駆け寄ってきた。手早く歪んだ胸甲を取っ払い、癒やしの奇跡で胸の傷を癒やしてくれる――
「「【
神官たちの光の鎖を、相変わらず紙のように引きちぎる魔王子。
「死ねええええェェ!!」
勇者が迎撃。さらに神官のうち、白兵戦も可能な武装神官たちが聖属性に燃える剣で斬りかかるが、果たして何秒持つか――
早く自分も行かねば。
シャルの治癒の奇跡が、こうももどかしい……!
「――バルバラさん、聞いてください」
そのとき、手から癒やしの光を放ちながら、シャルが小声で言った。
「一か八かですけど」
復讐に燃える目で、バルバラを見つめる。
「あの魔王子を、仕留める策があります。……手を貸してください」
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