182.起死回生


 ――魔王子を仕留める策。


 そんなものが存在するならば、バルバラは一も二もなく協力するが。


「と、言っても……何を?」


 シャルの治癒の奇跡のおかげで、ようやくまともに呼吸できるようになった。貪るように息をしながら、バルバラは苦しげに問う。


「これを使います」


 ――懐から、大事そうに何かを取り出すシャル。


 を見て、簡単な説明と、シンプル極まりないを聞いて――バルバラは一瞬、瞑目する。


 シャルが言う通り、本当に一か八かの賭けだった。


 だが……バルバラが馬鹿正直に、正面から攻めかかるより、ほんのちょっぴり勝算がありそうだ。


「……わかった。やってやろうじゃないか!」


 複雑な想いに蓋をして、不敵に笑ってみせようとするバルバラだったが、その表情はどこか痛々しい。


「ありがとうございます」


 シャルもまた、笑みを返すが――同じくらい強張っている。


 ふたりとも、強がっていた。


 でも――他にもう手がない。


「シャル。武運を」

「はい。バルバラさんも……あとは頼みますっ」


 バルバラの治療を終えるやいなや、シャルは駆け出した。


 ――魔王子めがけて。


 導師ルーロイを仕留めんとする魔王子と、それを必死で防ごうとする勇者たち。


 石畳を割って生えだした蔓や、魔法の鎖が何重にも絡みつくが、いとも容易く振り払い、槍を突き込むジルバギアス。


 ああ、またひとり、神官が討たれた。


 導師ルーロイは魔法の使いすぎで限界に近く、辛うじて気力だけで立っているような状態だった。それでもなお、ジルバギアスの呪詛を押し留めている。


 だが、あと数十秒もすれば、そんなささやかな抵抗も終わりを告げ――シャルたちはジルバギアスに蹂躙されるだろう。


「――ッ」


 今すぐにでも逃げ出したい気持ちに、シャルは全力で抗う。引っ込み思案な商家の娘が、こんな対魔王軍戦争の最前線にいるなんて。


 しかも、化け物じみた魔王子に挑みかかろうとするなんて。


 たちの悪い冗談みたいだ。夢なら醒めてほしい、今更のようにそう思う。


 でも、これは夢じゃない。


 どんなに祈っても、願っても、寝ても覚めても――彼女が愛した青年は、勇者は、帰ってこなかった。


 ここで逃げたら。


 に顔向けできない。


 きっとは責めないだろうけど、むしろ怒るだろうけど、それでも。


 途中、誰かが落とした血みどろの盾を拾って、そのずっしりとした重みに面食らいながらも、体の前に構える。



(――お父さん、お母さん、ごめんなさい)



 最後に、故郷で心配しているであろう両親に、心の中で謝った。



(わたし、ここで死にます)



 腹をくくって――魔王子に突撃する。



「――わぁぁァァァッッ!!」


 生まれて初めて、全力で上げる雄叫びは、恐怖と焦りで裏返っていた。


 だがだからこそ、戦場にそぐわない少女の悲鳴じみた叫びが、ジルバギアスの注意を引きつける。


『こんな雑魚がいったい何を――?』とでも言いたげな、怪訝そうな真紅の瞳に射抜かれ、竦み上がりそうになるの必死でこらえた。


 走る。


 突っ込む。


「【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ!】」


 銀色の光をまといながら。


 しかし悲しいかな、神官としての実力は中の下にすぎないシャルの光は、他の面々に比べてあまりに弱々しい。戦闘は不得手で、肉体も貧弱だ。聖属性の身体強化も、恩恵はごくわずか。


 このまま数歩も進めば、軽く槍で薙ぎ払われて即死するだろう。



 そう。



 ――進めば。



(……お願い……わたしに勇気を……!!)



 盾の裏側に隠したを、強く握りしめる。



(あなたみたいな勇気を……!)



 シャルが大事に握りしめているのは――





 小さな、壺。





 愛しの勇者――エメルギアスの本陣に斬り込み、首だけで返ってきた彼の、遺灰を収めた小さな壺だ。



 彼が死んだ、あの日から。



 毎日毎日、祈り続けた。



 数カ月に渡って、一日も欠かさず。



 祈りを込め続けた――!!



 シャルの、魔族に対する怒りと憎しみと、勇者への愛の結晶。



『私の魔力を、聖なる祈りに変えて込め続けました』


 バルバラに説明したシャルの秘策。シャルは付与術エンチャントなんて高等技術は使えないが、この遺灰にだけは、なぜか力が宿った。


『これを使えば、ほんの一瞬だけ――強力な聖なる光を身にまとえます』


 まばたきにも満たない間だろうが、遺灰が数カ月分の聖なる力を放出する。そしてその力の生みの親たるシャルならば、自身の魔力のように再利用できるはず。


『苦痛を軽減する奇跡と、できる限りの治癒の奇跡を自分にかけ続けます』


 斬られようが貫かれようが、死ぬまで魔王子にすがりつき、動きを妨害する。


『聖なる光とわたしの身体で、死角ができるはずです。至近距離から聖属性で焼けば防護の呪文もちょっとは削れます。だから、あとは――』



 ――シャルは走りながら、歯を食いしばり、眼前の魔王子を睨みつける。



 魔王子は無表情ながら、哀れむように少しだけ目を細めた。そうする間にも、勇者の聖剣が槍に叩き折られ、そのまま隣の神官ごと斬り捨てられる。残るは満身創痍の武装神官がひとりと、疲労困憊の導師、そして矢が尽きた森エルフ弓兵のみ。



 最優先目標が導師であることに変わりはないが。



 ついでに仕留めておくか、とばかりに、



 ジルバギアスの槍が、ゆらりと、



 シャルめがけて突き込まれようと――



「――魔王子ィィィィッッッ!!」


 叫びながら、シャルは壺の封印を解いた。


『この魔王子は、彼を殺した魔族じゃない』――それはわかっていたけれど、叫ばずにはいられなかった。


 壺の中身を、ぶちまける。頭から勇者の遺灰をかぶる。


 数カ月に渡って込められた祈りの力が――解き放たれた。


 瞬間、シャルの身体から爆発的に噴き上がる銀の炎。暗い市街地の一画が、真昼のように照らし出された。


「なッ」


 面食らったように僅かに目を見開くジルバギアスだったが、すぐに唇を引き結び、容赦なく槍を突き込んだ。


 シャルが構える、銀色の光をまとう勇者の盾へと。


 盾に宿った聖なる光がほんの僅かな抵抗を見せたが、そのまま呆気なく破砕。槍の穂先がシャルの腕を断ち割り、胸に深々と突き刺さる――!


「――あああァァァァァッッッ!!」


 だが、それでもシャルは止まらない。引き抜かれようとする槍を握り込んで、進み続ける。


 膨大な聖属性の力が、シャルの肉体を無理やり動かしていた。癒やしの奇跡をもってしても抑えられぬ激痛、生命の熱が勢いよく身体から流れ出していく致命的感覚。


 だが、それでも。


 進み続ける足だけは、決して止めない。


「ああああぁぁぁぁぁッッ!!」


 ごぽりと口から血が溢れる。一歩ごとに視界が霞んでいく。


 それでも前へ。前へ! 防護の呪文にぶつかり、障壁ごと魔王子を抱きしめるようにして――すがりつく。


 ここまでやっても、シャルができるのは妨害だけ。


 あとは。


(頼みます――バルバラさん――!)


 薄れゆく意識の中で、叫ぶ。




 、と。




 消えゆく少女の、聖なる光の向こうに。




 浮かび上がる、影。




 女神官の決死の妨害に、ただただ意表を突かれていたジルバギアスが、ハッとして顔を上げる。


 見開かれた赤い瞳に、


 レイピアを構える、


 悲痛な顔の女剣聖が、映り込む。



「――死ねェェェェッ!」



 神速の刃が、穿つ。


 まとわりつくシャルロッテごと、ジルバギアスを。


 シャルの肉体を貫通した刃先は、【英雄復仇】の力と、シャルが遺した聖なる光に輝いていた。



 これこそが、シャルの最期の秘策。



 ――自身の肉体をもって、バルバラのレイピアを『聖剣』と化す。



 防護の呪文が、悲鳴のような軋みを上げて砕け散った。聖なる炎を吹き上げながらまっすぐに伸びる刺突。ジルバギアスは避けられない、そして槍でも防げない、どちらもシャルの遺体が邪魔をするから――



『【――刺突を禁忌とす!!】』



 ――ジルバギアスの中、魔神が全力の呪いを放った。



 おぞましい魔力が、バルバラを絡め取る。



 だが。



 シャルの遺体から立ち昇る銀色の光を、勇者の遺灰を。



 バルバラもまた、身にまとっていた。



 それはあたたかな光を放ち――盾のようなシルエットを宙に描く。押し寄せる魔神の呪いが、ほんの一瞬だけ、防がれた。



 その一瞬。



 神速の突きには、充分すぎる時間だ。



 刃先がジルバギアスの首に――届いた。



 聖属性が込められた一撃が、深々と。



 ズパァンッ、とおおよそ刺突らしからぬ炸裂音を響かせ、ジルバギアスの首がほぼ半分、引き裂かれた。まるで噴水のように噴き上がる鮮血。


「かッハ――」


 吐血しながらも、しかし、ジルバギアスの目は死んでいない。普通なら意識が途絶えてもおかしくない出血なのに。


 ギロッと赤い眼差しが、バルバラを捉える。


 魔神の呪いでほんの僅かに刃先が鈍った。ジルバギアスもまた、その僅かな猶予で首を思い切り逸らせ、本当に致命的な一撃を回避していたのだ。


(仕留めそこなった――!?)


 ぞわっ、とバルバラは背筋が粟立つのを感じた。あれほど頼もしかったシャルの光も、もはや消え失せて、バルバラを守るものはない。


「【清浄なる風よ……!】」


 導師が、絞り出すようにして、最後の魔除けのまじないをかけたが――




 魔王子の闇の魔力は、




 強大すぎた。




 一瞬にしてバルバラの魔除けの加護を蝕み、吹き散らす。



「【転置メ・タ・フェスィ】」



 呪いが、唱えられた。



 ――バルバラの首に、鋭い痛みが走る。



「…………?」



 だが、バルバラは意識を失わなかった。痛みとともに血が流れ、顔が青褪めていく感覚はあるが、思ったほど致命的ではない。



 何より、



「バカなッ……」


 かすれ声で、ジルバギアスが呻く。


 一同は、見た。


 その首の傷が、銀色に光り輝いている。




 ――聖属性の光。




 槍に縋り付いたままのシャルの遺体が、恨めしげに魔王子を見つめている。




 そう、『聖属性』という呼び名で、綺麗な見た目をしているが――




 は断じて、聖なるモノなどではない。




 人類に仇をなすモノを傷つけ苦しめる、呪詛だ。




 そして転置呪は、ただの外傷には万能だが――




 呪いがからめば、その限りではない。




「がぁぁッ……!」


 思い出したように、聖属性の光がジルバギアスの傷口を焼く。いや、麻痺し始めた傷口本来の痛みを、呪いが上回り始めたか。


「……殺せェ!」


 バルバラは血を流しながら、再びレイピアを突き込んだ。失血のせいで身体に力が入らないが、自分がこうならジルバギアスはもっと酷いはず……!


「…………!」


 もはや声さえ出ず、ふらりと飛び退いてレイピアをかわそうとするジルバギアス。回避は間に合わなかったが、篭手や槍の柄がうごめいて髑髏の集合体のような悪趣味な盾を形成、防護の呪文とあわせて刺突を受け止めた。


 カタカタと歯を鳴らす盾の髑髏たち。遅ればせながら、ジルバギアスが装備する白っぽい素材が、全て人骨であることに気づいた。


「バカに……しやがってェ……!」


 どこまでも、人類を! 怒りでバルバラの頭に血がのぼり、ますます出血がひどくなるが、構わない。


 ここで自分が倒れる前に、こいつだけは息の根を止める!


「うわああああぁぁ!」


 満身創痍の武装神官が、己を奮い立たせるように叫びながら斬りかかる。森エルフ弓兵のパルムも、ナイフを抜いて必死の形相で駆けつけた。


 ガツンッ、ガツンッと防護の呪文を叩く。ジルバギアスは失血で顔色を白っぽくしながらも、どうにか聖属性に抗おうと必死だった。途中、武装神官やパルムにも禍々しい魔力を放って、どうにか魔法の発動を試みたらしいが、その首からはボタボタと血が流れ続けている――


「どけッ! その防護を打ち砕く……ッ」


 と、導師が叫んだ。見れば最後の力を振り絞って、魔法の矢をつがえていた。


 バルバラたちが射線から飛び退くと同時、矢が放たれる。


 ――魔王子の腕の盾と、防護の呪文が粉々に打ち砕かれた。


 それを見届けて気絶する導師。



 だがもう充分だ、あとは――!



「これで、終わりだ――!!」



 バルバラが、レイピアをまっすぐに構え、踏み込む。



 魔王子の、苦しげな、物言いたげな瞳を、嘲笑うように――






「【――転置メ・タ・フェスィ】」






 声が響いた。






 魔王子のものとは違う、声が。






 バシャッとバルバラの両腕、肩から下が切断される。さらに胸部にも、深々と傷口が開いた。





「えっ……?」





 腕と胸から溢れ出す血。それがとどめとなって、とうとう身体に力が入らなくなりバルバラは倒れた。





 何が起きたのかわからない。目だけを動かして、見れば――





「アル、バー……」





 ジルバギアスが、かすれ声でつぶやく。





「すいません、殿下! 気絶してましたッ!」





 新たに生えた腕の調子を確かめるように、肩を回しながら。





 灰色の髪をオールバックでまとめた魔族の青年が――





 何事もなかったかのように、立ち上がった。

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