178.跳ねよ一角獣


 ――王都エヴァロティ、市街地南部。


 陥落したシーバーン砦から、魔王軍の尖兵・偵察兵がじわじわと浸透しつつある。


 この辺りは一般市民が多く住んでいた区画で、2~3階建ての家屋が隙間なく建ち並び、曲がりくねった路地が縦横無尽に走ることから、土地勘がなければすぐに方向感覚を失ってしまう。


「来た」


 そして、とある三叉路の家屋に身を潜めていた決死隊の男たちは、月明かりの下、路地にうごめく影に緊張を高めた。


 男たちは夜闇に紛れるため顔に墨を塗りたくり、剣やナイフも光を反射しないよう黒塗りにする念の入れようだった。ここまでしても、夜エルフや魔族相手では夜目のせいで遅れを取りがちなのが辛い。


 奇襲前提なのでこちらは火を灯すこともできない。とにかく不利だ。しかし魔族をことが、彼らの目的ではない――


 路地を走る影は、3つ。


 獣人兵か、それとも夜エルフ猟兵か? ――3つの影は全員、長い棒のようなものを持っていた。月明かりにきらりと刃が光る、それは槍だ! さらにバチィッと炸裂音とともに目を射るような紫電が放たれる。道に仕掛けられていたワイヤートラップが破壊された。


 ……魔族!!


 暗闇の中で、男たちは顔を見合わせ、うなずきあった。


 元衛兵だという男が警笛を口に咥え、隻腕の剣士や退役軍人たちは剣を、王国西部で猟師をやっていたという男は、ゆっくりと弓に矢をつがえる。


「――――」


 緊張の一瞬。


 ガションッ! とバネ仕掛けが作動する音。


「痛ってェ!」


 トラバサミの罠を踏んだ魔族が思わず悲鳴を上げると同時、元猟師が矢を放った。矢尻さえも黒塗りにされた矢は、僅かな風切り音とともに魔族へ迫る。


「ぬっ!?」


 が、魔族の肩に突き立つ直前、見えない壁に当たったかのように弾かれた。防護の呪文――それでも構わない、警笛を咥えていた男がピィ――ッと吹き鳴らすと同時、男たちはそれぞれの武器を手に通りへと飛び出した。


「死ねェ――ッ!」


 斬りかかる。


「フン、不意打ちか! 【足萎えよ!】」


 嘲笑を浮かべ、迎え撃つ魔族の戦士は、夜の闇よりもどす黒い魔力を放つ。呪詛に足を取られてよろめく退役軍人たちに、無造作に槍を突き込んで次々に息の根を止めていく。


「うわああぁぁぁッッ!!」


 半ば恐慌状態で、家屋の中から矢の連射を浴びせる元猟師だったが、祈りも奇跡も込められていない矢は、当然のごとく防護の呪文を貫けない。


「小癪な!」


 トラバサミで足をやられて苛立っていた魔族が、バチィッと再びその手に紫電を閃かせ、家屋に特大の稲妻を叩き込んだ。市街地を揺るがす轟音、人族ひとりを殺すには過大な火力。炭化した元猟師の男が、倒れてパサッと乾いた音を立てる――


「畜生がァ――ッ!」


 あっという間に最後のひとりとなった隻腕の剣士は、それでもくじけることなく剣を振るう。


「――はッ、何かと思えばただの雑魚か!」


 その、並々ならぬ気迫に一瞬ギョッとする魔族だったが、剣士の踏み込みがに収まることを見て取り、余裕の笑みを浮かべた。


「雑魚らしく無様に死ね!」


 槍が唸る。力任せに薙ぎ払う一撃。


 しかし軌道を見切った隻腕の剣士は、身をかがめて紙一重でかいくぐり、がら空きになった魔族の胴へ斬撃を――


 ガツンッ、と固い音を立てて、剣は止められた。魔族の左腕。その手に生成された魔法の氷が、分厚く刃を受け止め、凍りつかせる――


「そぉらッ!」


 そのまま腕を振るう魔族、あまりの剛力に剣士の手から剣がすっ飛んでいった。片腕だけでは、魔族の身体強化に敵わない――さらに氷で覆われた手で、隻腕剣士を殴りつける魔族。


「がッ――」


 肉を打つ鈍い音が響き、剣士は人形のように宙を舞って、壁に叩きつけられた。


「ハハァ、軽い軽い! 死ね!」


 どうにか起き上がった剣士のみぞおちに――無慈悲な槍。ドチュッ、と水気のある音を立て、刃がねじ込まれる。


「ぐっ――おおあああアァァァッ!」


 だが、それでもなお剣士はひるまなかった。。槍に貫かれながら、口から血を吐きながら、腰のベルトからナイフを抜き――


「うおおおおおッッ!!」


 流石に意表を突かれた魔族の右腕をナイフで斬りつけながら、組み付く。


「なっ――このクズがァ! 触れるな穢らわしい!」


 激昂した魔族が力任せに槍を振るい、再び剣士を吹き飛ばした。右腕についた掠り傷に、「チッ」と舌打ちする。


「……よりによって右腕か」


 隻腕の剣士――欠けた右腕を一瞥して、さらに舌打ち。


「よくもやってくれたな! この戦での初の傷が、こんな……このような!」

「お前が間抜けだからだろ」

「そんな雑魚に手傷を負わされて恥ずかしくないのかー?」


 仲間たちに揶揄され「やかましい!」とさらに怒鳴り散らかす魔族。それをよそに隻腕剣士は、よろよろと立ち上がろうと――


「いい加減に死ね!」


 どすん、とその腹に槍が突き立った。もはや声もなく倒れる剣士、だが震える左手を腰のポーチに伸ばし――


 怪訝な顔をする魔族だったが、取り出されたのが警笛であることに気づいて、嘲りの色を深くした。


「おうおう、鳴らせ鳴らせ! 貴様らのような雑魚では手柄にもならんわ! とっとと助けを呼ぶのだなァ!」


 ピィ……ピルルル……と力なく、警笛を鳴らそうとする剣士だが、文字通り虫の息で、ほとんど音が立たない。


「ハッハッハッハ! もっと力を込めんか! そんな音では誰にも聞こえんぞ?」


 隻腕剣士の太ももや腰を穂先で斬りつけながら、哄笑する魔族。仲間たちふたりもニヤニヤと見守っている。


「そぉら、お前が死ぬのと、助けが来るの、どちらが早いか――」




 ヒュカァンッ、と不意に鋭い音が響いた。




「おっ」


 剣士をいたぶっていた魔族が白目を剥く。兜をかぶっていた側頭部から、ぴゅっと青い血が吹き出た。


「えっ」

「なっ」


 ゆっくりと倒れる魔族のかたわら――いつの間にか、誰かがいた。




 月光にきらめく、一角獣を模した兜。




 黒髪の女剣士が、細剣レイピアを手に立っていた。




「姐……御……」


 警笛をポロッと口から落として、隻腕の剣士が、つぶやく。一瞬、そちらに視線をくれた女剣士――バルバラは、しかしすぐに眼前の敵に向き直り、




 その姿が、消える。




「こいつ剣聖ッ」


 ヒュカァンッ、と再び快音が響き渡った。叫びかけた魔族が、レイピアに額を打ち抜かれて絶命する。レイピアを引き抜いたバルバラの鋭い目が、最後のひとりの魔族を捉えた。


「ヒィッ――【紫電ケラヴノス!】」


 顔をひきつらせた魔族は、咄嗟に指先から雷を放つも、


 ふっ、と。


 異次元の加速で消えるバルバラ、稲妻は虚空を貫いた。


 どこへ――視線を彷徨わせれば、傍らに、




 白銀の一角獣。




 ヒュカァンッ、と最後の快音は高らかに。バルバラのレイピアが魔族の眉間を打ち抜いた。


「かはッ」


 ビクンッと痙攣し、仰向けに倒れる魔族。その瞳は、愕然としたように見開かれたままだった。


 ――ドタドタと路地から足音がして、ヘッセルたちが駆け込んでくる。


「終わった、か?」

「ああ」


 短く答えたバルバラは、すぐさま、血溜まりに沈む隻腕剣士へと駆け寄った。


「あ……ね、ご……」

「アンタだったのかい」


 優しい声で、バルバラは彼の頬を撫でた。墨が塗りたくられた顔。


「――あんまりにも男前だったから、気が付かなかったよ」


 バルバラの軽口に、「へへ……」と笑う隻腕剣士。彼は昨年の、勇者たちがエメルギアス本陣へ斬り込みを敢行したあの日、最前線と化した砦で軽口を叩いた顔馴染みだった――


「すぐに治療、を……」


 駆け寄ってきた女神官のシャルロッテだったが、すぐに言葉を失う。剣士の片腕が欠損していることに気づいたからだ。


 欠損を治すほどの奇跡はシャルには使えないし、かといって、導師の貴重な魔力を割くわけにもいかない。現状、即戦力にならない者を、助ける余裕は――


「いい……んで、さぁ……」


 かすかに、ゆるゆると首を振る隻腕剣士。


「最期、に……ひと……仕、事、……でき……よか……」


 バルバラの手を握りながら、ぎこちなく、にやりと笑ってみせようとした男は――


 そのまま、力を失った。


「…………」


 その瞳を閉じてあげ、バルバラは立ち上がる。隻腕の剣士に、そしてこの場で散っていった決死隊の男たちに、一瞬だけ祈りを捧げる。


「……移動しよう」


 皆が無言でうなずき、再び市街地の暗闇へ走り出した。




 ピィ――ッ、とまたどこかで、警笛が吹き鳴らされる。




 魔族の戦士たちが、続々と、押し寄せつつあった。

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