177.『精鋭部隊』
――市街地で魔王軍を迎撃する。
新たな命令を受けたバルバラは、伝令の兵士とともに、人気のない夜の市街地を走っていた。王都外縁部の避難は既に完了している。戦えない一般市民は全て、王城や中心部の教会などに身を寄せているはずだ。
市街地は既に戦場と化した。この場に残っているのは防衛軍と――もしかしたら、既に侵入を果たした魔王軍のみ。
中心部にほど近い区域はまだ安全なはずだが、油断はできない。バルバラは抜身のレイピアを引っ提げて、鋭い眼光で周辺を警戒しながら移動し続けている。
幸いなことにバルバラはまだ五体満足だ。防壁では魔族とも交戦したが、首尾よく3名仕留められた。戦果としては上々と言えるだろう。
「――よう、また会えたな」
と、途中で、同じ配置転換命令を受けたらしい、ヘッセルと出くわす。大剣を肩に担ぎ、ヒョイと手を挙げて。――ちょっと疲れていそうだが、彼もまた無傷だ。
「あんたかい」
にやりと笑って、バルバラはヘッセルの肩をこつんと叩いた。
「お互い無事だったみたいだね。思ったより早い再会だったけど」
軽口を叩いたが、意図していたほど軽い響きにはならなかった。
「…………」
お互い押し黙り、走りながらもシーバーン砦方面を見やる。
「……噂の剣聖のボウヤってのはさ、確かあっちの配属じゃなかったっけ」
「……ああ」
重々しくうなずいたヘッセルは、「生きてりゃいいんだが」と、自分もあまり信じてなさそうな口調で、ボヤくようにしてつぶやいた。
せっかくの若き才能が――とバルバラも苦々しい気持ちになったが、表情にまでは出さなかった。ヘッセルと同じように。
「そちらの方は?」
代わりに、ヘッセルの傍らを走る細身のエルフを見やる。
「俺たちの命の恩人だよ。導師様だ」
「……聖大樹連合の導師、ルーロイです。よしなに……」
森エルフらしく日焼けはしているが、疲れ気味なローブ姿の男が、間延びした声で挨拶する。
「剣聖のバルバラと申します、こちらこそどうぞよろしく」
これは失礼があってはならん、とばかりに、バルバラも走りながら精一杯丁寧に返した。疲れ気味なのも納得だ、聖大樹の結界なんて高位魔法を使った上で、最前線のニーバン砦で魔族と戦い続けていたのだから。
それにしても、バルバラたち人族が必死こいて走っているのに、導師ルーロイだけは、ふわふわとまるで風にでも運ばれるような軽い足取りだった。やはり自分たちとは別次元の存在なのだと思い知らされる。
「導師様までいらしてくれるとは、心強いね……しかし、ニーバン砦から抜けても、大丈夫なので?」
「まあ大丈夫だろうって話だ。導師様たちのおかげで、魔王軍にけっこうな被害が出たからな。向こうもビビったのか、攻撃の手がかなり緩んだ」
ヘッセルが答える。もちろんそれがただの
少なくとも、いち剣聖であるバルバラが口を出す領域の話ではなかった。それに、市街地を突破されたらどのみちヤバい。
「すごかったぜ。導師様の魔法の矢で何体の魔族が頭を吹っ飛ばされたか」
「あれは、同僚のやつですねぇ。僕は夜堕ちの掃除に徹してましたよ」
年月を経た木の
『夜堕ち』というのは、夜エルフのことだ。一部の森エルフは、残虐極まりない闇の輩に堕した連中を、同じ『エルフ』呼ばわりすることを嫌っている。
「なるほど」
迂闊に夜エルフとは言えないねぇ、と思いながら、バルバラは相槌を打った。
「おかげで、そこそこに力を温存できているので、これから皆さんを援護できればと思います」
「ありがとうございます、導師。おかげでアタシらもまだまだ戦えそうだ」
「導師様たちがいなけりゃ今ごろどうなってたか。ホントにありがてえよ」
「いえ、現場で踏ん張ってくださってる、皆さんあってのことですからねぇ」
剣聖たちに褒められても、ルーロイは相変わらずの調子だった。
「それに――我々も森を守らねばなりませんから」
だが不意に、その瞳に強い光が宿る。空気が引き締まったような気さえした。
「…………」
守らねばならないものがあるのは、バルバラたちとて同じだ。デフテロス王国の民はもちろん、亡国の貴族であるバルバラの関係者の多くは王都エヴァロティに残ったままだし、ヘッセルだって戦友から友人知人まで、多くの知己がいるはずだ。
「あっ、ここで曲がってください!」
と、ここまで黙っていた伝令の兵士が、小さな路地に入って手招きする。
「向こうの道はもう
一見、普通の通りにしか見えないがつまりそういうことなのだろう。防衛軍もただ魔王軍の侵攻を待っていたわけではない。色々と仕込みがある――
それから、曲がりくねった路地を進み、前線基地代わりの邸宅に入った。
「揃ったな。着いて早々悪いが、現時点での情報を伝える」
邸宅のホールで、指揮官の老兵士がみなを見回す。導師ルーロイを筆頭に森エルフが数名、バルバラやヘッセルのほか顔見知りの剣聖や拳聖が数名。さらに、聖教会の勇者や神官たちの姿もある。
「シーバーン砦を制圧したのち、獣人兵や夜エルフ猟兵の強行偵察はあったが、今のところ魔族は確認されておらず――」
その中には女神官シャルロッテの顔もあった。ぺこりとお辞儀してくるシャルに、指揮官の話を聞きながら目礼を返し、バルバラは複雑な想いを噛み殺す――
「――そして、シーバーン砦を陥落させたのは、エヴァロティ侵攻軍の旗頭、第7魔王子ジルバギアス=レイジュだそうだ」
が、指揮官の言葉に、そんな感傷など吹っ飛んだ。
ざわ、とホールがどよめく。
「なんで魔王子なのに、正面から攻めてこなかったんだ……」
「魔王子は複数いるが、7番目の王子が確認されたのは今回が初めてだ」
勇者のひとりの疑問に、指揮官が答える。
「おそらく初陣なので、真正面からぶつかるのを避けたのだろう。それに魔族としてはかなり『若い』との情報もある……詳しくは彼女から」
指揮官に促され、弓を背負った森エルフのひとりが一歩前に出る。
「森エルフ弓兵のパルムです。……シーバーン砦で魔王子と交戦しました」
ホールが恐ろしいほど静まり返る。みな彼女の言葉に全神経を集中させていた。
「ジルバギアスは魔族でありながら、人族の子どものような容姿でした。おそらく、成人前かと思われます」
――成人前。ということは15歳より下か。マジかよ、と誰かがつぶやく。
「しかし、その魔力は恐ろしいほどに強く、ハッキリとはわかりませんでしたが……伯爵級から侯爵級といったところでした」
となれば、かなり上位の魔族だ。魔法がからっきしなバルバラにはいまいちピンと来ない情報ではあるが――下位だろうが上位だろうが、剣聖にとってはどのみち魔法が致命的なため――神官や森エルフたちは苦々しげな顔をしている。
「どんな魔法を使っていた?」
別の勇者の問いに、パルムの無表情が苦しげに歪んだ。
「ハッキリ確認できたのは闇属性の呪詛のみです。あとは……申し訳ありませんが、よくわかりませんでした。物理的・魔法的に極めて強力な防御と、数百の兵士を加護の上からまとめて阻害する何らかの呪詛、そして、手傷を相手に反射するような魔法を使っていました」
「………………」
ホールの沈黙の質が、さらに変わる。
より重々しく、寒々しく。
「具体的に説明しますと、自分が全力で放った矢が、子どもがいたずらで棒を投げた程度にまで減衰されてしまう結界……と思しき魔法。勇者や剣聖、兵士たちの動きがぎこちなくなり、全く連携が取れなくなるような魔法。そして、剣聖に切断された右腕が、砂時計の砂が舞い戻るようにしてくっつき、逆に剣聖の右腕が切断されるような魔法です」
――剣聖。バルバラとヘッセルの視線が交錯した。
「剣聖の身体に極めて強大な闇の魔力が絡みついていましたので、おそらく受けた傷を相手に反射するような魔法ではないかと推測しました」
「なんだよそりゃ……」
無茶苦茶じゃねえか、と若い勇者が呻くようにして言う。
「つまり、だらだら戦わず一撃で仕留めなきゃならんというわけだ……いつものようにな。その他には、何か?」
金色の毛並みの犬獣人の拳聖が、落ち着いた声で尋ねた。
「ジルバギアスは8名の供を連れていました。うち1名はコルヴト族と思しき土魔法を使い、2名は火魔法で呪い混じりの炎弾を、さらに1名が雷を――」
パルムがかいつまんで説明する。……彼女の言葉が正しければ、シーバーン砦は、王子を含めてたったの9名の魔族に落とされたことになる。
「――以上になります」
「質問いいか?」
ヘッセルが挙手。
「はい。どうぞ」
「シーバーン砦の他の面々は、どうなった?」
遠慮がちに、だがどうしても聞かずにはいられなかったらしい。
「上級戦闘員で……逃げ切れた、のは、自分だけです」
パルムが、唇を噛みしめる。
「勇者殿も、剣聖殿も、神官の方々も、魔導師も……全員、討ち死にされました」
「そう……か。すまない、辛いことを聞いた」
「いえ……」
ゆるゆると首を振るパルムだったが、自分だけ生き延びてしまった彼女の心苦しさは、察するに余りあった。
やはり、駄目だったか――
バルバラは、ぽっかりと胸にまたひとつ穴が空いたような気がした。直接顔を合わせたことはなかった若い剣聖も、幾度となく言葉を交わした戦友も、みな……
「……ありがとう。貴重な情報が得られた」
と、導師ルーロイが口を開いた。
「これも、きみが生き延びて、証言してくれたからだねぇ。きみの言葉は、聖大樹の果実にも値するほど価値あるものだった。改めて、きちんと戻ってきてくれてありがとう、パルム」
「…………はぃ」
くしゃっと顔を歪めるパルム。
「そして、シーバーン砦で散っていった勇士たちのために、祈ろう……」
――しばし、みながそれぞれの形で、死者たちへ祈りを捧げた。
「……と、いうわけだ。何にせよ、第7魔王子はかなり手強いと見ていい」
ぱん、と手を叩いて、指揮官の老兵士が再び話し出す。
「年若いからといって、全く油断ならん相手だ。こういった手合は。泥沼に引きずり込んで殺すに限る」
あまりにも真面目くさった調子で言うので、本気なのか、軽口なのか、バルバラは判断に迷った。
「市街地外縁部には、ありったけの罠を仕掛けてある。また、我らの決死隊も身を潜めており、現在各所で魔王軍の露払いと交戦中だ。おそらく、そろそろ魔族どもも、しびれを切らして乗り込んでくる頃合いだろう……」
シャンデリアのろうそくの灯りが揺れる中、チラッと壁掛け時計を見やる指揮官。
「――魔族の姿が確認でき次第、決死隊が派手に音を立てて合図を送る手はずになっている」
魔族の前でそんな真似をすれば、生きては帰れまい。
ゆえに決死隊。
だが、それでも。
「そのときが、きみたちの出番だ」
指揮官が、みなを見回す。
「連中の出鼻をくじき、魔王子を討ち取ってくれ。――頼む」
ザッ、と勇士たちが、それぞれに敬礼を返す。
――市街地外縁部で、派手な笛の音が鳴り響いたのは。
それから、程なくしてのことだった。
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