176.抗う者たち
シーバーン砦の早すぎる陥落に、同盟軍全体が動揺した。
普通なら、砦が陥落しても、それが情報として確定するまで伝令が走るタイムラグが発生する。しかしこの戦場には【神話再演】の結界があった。聖大樹の頼もしさが大きかっただけに、その消失というあまりにもわかりやすい敗北のしるしは、人々に想像以上の心理的打撃をもたらした。
「嘘だろ……ジューンの野郎……」
そしてニーバン砦で奮戦する剣聖『前線均し』ヘッセルにとっても、それは思わず手が止まるほどの衝撃だった。
ジューン――19歳にして物の理を超越した、若き剣聖の名だ。
顔を合わせたのはたったの数回だが、兵卒上がりながら剣に真摯で、将来が楽しみな青年だった。
シーバーン砦に配備されていたのは、ジューンをはじめとした若手の英才たちと、経験豊富な神官が多数、森エルフの上位術士、森エルフ弓兵、そして歴戦の兵士たちだ。ベテランと新人がバランスよく配され、量的にも質的にも充分な戦力があった。あの辺りに攻め込んでくるはずの中堅どころの魔族相手なら、かなりいい線を行くだろうと言われていたのだ。
だが……
シーバーン砦の結界が、消えた。砦中心部、祈りの間まで踏み込まれたということは、最前線で戦っていた者たちも無事では済まされまい。若手の勇者も、ジューンも、戦死した可能性が極めて高かった。
あの、若き天才剣士が……
これから経験を積んでいけば、人類の希望になり得た存在が……。
もちろんヘッセルとて、楽観主義者ではない。全ての砦が陥落せずに持ちこたえるとは思っていなかった。
それにしても早すぎる。聖大樹の枝が有効な数日間はどうにか耐えしのぎ、魔族の頭数を極力減らしてから、市街戦に持ち込んでさらに戦力を削る――そういう予定になっていたのに。
そのとき、またジューンと肩を並べて戦えたらいい。そう思っていた。それまでに自分が戦死していなければ。
しかし結界の一角が崩されてしまった以上、正面突破にこだわらない魔族や、その他一般戦力が、シーバーン砦方面から王都に雪崩込んでくるだろう――
「ハハハッどうした人族ども! 顔が青褪めているぞォ!」
と、新たに壁を乗り越えてきた筋肉質な悪魔兵が、嘲笑いながら肉切り包丁のような武器を振り上げる。
「やかましい!」
ヘッセルは横薙ぎに大剣を叩き込んだ。咄嗟に、肉切り包丁で受け止めようとする悪魔兵だったが、スコォン! と小気味良い音を立てて包丁が真っ二つにされる。
「あ゛あ゛ッ!?」
そしてそのまま、胸から上をヘッセルの大剣に両断された。ぐら、と力が抜けて傾く下半身を、蹴り飛ばして壁の向こうに落とすヘッセル。
ボォンッ、と魔力を撒き散らして悪魔兵の死体が弾け飛び、跡形もなく消滅する。
「へっ、死に場所を汚さねえのが悪魔唯一の美点だな」
軽口にも、いつものキレが出ない。周りの兵士も笑わない。
やはり、シーバーン砦陥落の衝撃が抜けきらなかった。
(戦況はどうなってるんだ……!?)
遥か後方、篝火が各所に焚かれた王都の街並みをチラッと見やる。まだ無事だが、いつ火の手が上がってもおかしくない。
司令部はどうしている? シーバーン砦に予備戦力を向けたのか、それとも再奪還は厳しいのか?
(わからねえ……!)
伝令はまだ来ていないし、よしんば来たところでヘッセルにまで知らせが来るかはわからない。ヘッセルは剣聖だ。現場指揮官の真似事はしているが、基本的に対魔族の決戦兵器であり、ひと振りの剣そのものだ。
指揮官から「あの魔族の首とってこい!」と命令を受け、「ウッス!」とブチ殺しにいくのがその役割だ。そういう意味では勇者に似ている、かつての戦友も同じようなことを言っていた――詳しい戦況を聞く必要もないし、それで何か判断を下す権利も、能力もない。
だがそれでも、こういうときは無性に気になる。
自分に何かできるわけではないが、何が起きているかくらいは知りたい――
「はァ、雑念雑念」
――これ以上は考えても仕方がない。ペシペシと頬を叩いて、ヘッセルは目の前の戦いに集中した。
今のところ、魔王軍の猛攻を前面で受け止めるニーバン砦は、かなりしぶとく戦えている。
序盤の魔族の一斉攻撃を、導師3名という最高戦力でしのぎきれたのがデカい。
「【腐れ落ちろ!】」
「【弾け飛べ!】」
「【恐慌せよ!】」
今も、壁の下から時折魔法や呪詛が飛んでくるが、老エルフ導師の魔除けの加護により普通に盾や剣で防げている。
ヘッセルは、序盤の獣人兵や悪魔兵の斬り込みにはいち剣士として対応し、剣聖の力を伏せておいたため、満を持して魔族の戦士が乗り込んできたときに、まとめて複数名を仕留めることに成功した。大戦果だ。
さらに――
ドヒュンッ、と空気を抉る音を立てて、砦の上部からゾッとするほどに美しい青く輝く流星が放たれた。
いや、流星ではない。
魔法の矢だ。
ニーバン砦の【聖大樹】の結界を抜けて、戦場に踏み込んできた魔族が頭を丸ごと吹き飛ばされ即死する。
「おおーッ!」
「やったぞ!」
「さすがは導師様!」
打ち沈んでいた現場の空気が、少しは持ち直した。
森エルフ導師が見張り塔で睨みをきかせているのだ。魔族でさえ防ぎきれない必殺の一矢。夜エルフ猟兵が何度か狙撃を試みていたが、片っ端からもうひとりの導師に
今、城壁の下にいる魔族たちは、序盤の一斉攻撃で壁に貼り付いたまではよかったが、あの狙撃のせいで下手に身動きが取れなくなってしまった連中だ。
(導師ってスゲーなぁ……)
ヘッセルは畏敬の念を抱くと同時に、感謝した。ハイエルフに匹敵するほどの実力者、と言われるだけのことはある。
ただ――導師たちの魔力も無限ではあるまい。高度な結界の魔法を使った上で、今もこうして戦い続けているのだ。いつ限界が来てもおかしくない。
(せめて、魔除けの加護だけでももたせてくれりゃあな)
あとは俺たちで何とか頑張るんだが、とヘッセルは思う。導師たちの奮闘により、今のところ、ヘッセルの現場では大きな損害は出ていない。
まだまだ戦える。交代しながらなら、数日は。
「…………」
やはり、背後が気になった。自分たちが持ちこたえても――そんな思いが。
もしも、導師のうちひとりでもシーバーン砦に配されていたなら、こんなに早くは陥落しなかったのだろうか……
「ええい!」
やめやめ。不毛すぎる。戦でタラレバは禁物だ。第一、導師が3名揃っていなかったら、ニーバン砦が早々に陥落していたかもしれない。
現状で、とにかく魔族に被害を与え続けるしかねえんだ。
「よっし、殺るか!」
気分を持ち直し、ヘッセルは近くの兵士に声をかける。
「お前ら、俺が合図したら、これ引っ張ってくれや」
差し出したのは――ロープ。
先端は、ヘッセルの腰に巻き付けられていた。
「えっ、まさか……今ですか!?」
「おう。だって丁度いいのがいるだろ?」
動揺する兵士に、小声で、壁の下を示してみせる。
「わっ、わかりました」
「おう、それじゃ」
ヘッセルは大剣を肩に担いで、壁からやおら身を乗り出した。
見下ろすと――壁の下で身を寄せていた魔族の戦士たちのひとりと、目が合った。
「――は?」
落下してくるヘッセルに、目を丸くする魔族――
「あばよッ!」
ヘッセルは大上段に得物を振りかぶり、
大地が、割れる。
縦に。壁に添うように。
亀裂が走る。ヘッセルの刃が明らかに届いていないところまで、何十歩にも渡り。
当然、壁の真下で待機していた魔族も、悪魔兵も、獣人兵も、全て真っ二つに切り裂かれた。
「よっし、壁は無事か!?」
ドチャッ、と縦に真っ二つにされた魔族の死体に着地しながら、まず最初に防壁を確認するヘッセル。――幸い、壁からぴったり数歩のところを切断したため、傷ひとつ入っていなかった。
「……何だアイツ!?」
「剣聖だ! 斬り込んできた!」
「殺せーッ!」
と、射程外の連中、および辛うじて生き延びた奴らが、動揺しながらも襲いかかってくる。ヘッセルは「頼む!」と叫び、腰のロープをクイクイと引っ張った。
「そーっれ!!」
壁の上で待機していた兵士たちが、綱引きのように全力でロープを引く。ヘッセルは壁を駆け上がり、夜エルフの矢を大剣を盾にして弾いて、どうにか無事に戻ることに成功した。
「ハァッ、ハァッ……魔族ども、3人は仕留めたぜ」
「おめでとうございます……けどやっぱ無茶ですよこれ!」
「ああ、大丈夫だ。当分やらねえ」
肩で息をし、汗を滝のように流しながら思わず膝をつくヘッセル。先ほどの一撃、ヘッセルの切り札と言っていいが、大剣を全力で100回素振りするくらい疲れるのだ。連発はできない。
平地でアレを使うと、文字通り敵軍を一刀両断できるのだが、味方を巻き込む可能性もあるので危険極まりない。壁上から魔王軍を迎撃するのにも向いていないんじゃないか、と思っていたが、導師が狙撃で睨みをきかせてくれていたおかげで、上手くハマった。
(けど、当分、魔族どもはコッチの砦には来ねえかもな)
兵士に水筒を渡してもらいながら、ヘッセルは思う。
ニーバン砦は守りが固い。魔族の戦士にもかなりの損害を与えている。となれば、流石の魔王軍も正面攻めをやめるかもしれない。
その推測に基づけば――ヘッセルや導師といった戦力も、また――
果たして、ヘッセルの予想通り、間もなくニーバン砦方面は魔王軍の攻撃が弱まり始めた。
それとほぼ同時に、司令部より、ヘッセルに新たな命令が届く。
【シーバーン砦の奪還は困難】
【市街地に魔王軍侵攻の恐れあり】
【剣聖ヘッセル、精鋭戦力と合流し、これを迎撃せよ】
――望むところだ。
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