173.地獄の釜


 ――全力で走る。第4砦の防壁に突撃だ。


 簡易陣地から砦までは300歩ほど。その中間あたりに【神話再演】による結界、オーロラのような光の帳が降りている。


「あれは昔、見たことがあります。呪詛や矢を阻む厄介な結界です」


 走りながら、クヴィルタルが落ち着いた声で解説した。


「我々魔族や夜エルフ、悪魔などは、あの結界を通り抜ける際にかなりの抵抗を受け動きが鈍ります。隙が生まれるため狙撃を警戒する必要がありますね」


 そしてチラッと俺を見て、物言いたげなクヴィルタル。


「【刺突を禁ず】」


 俺は制約の魔法を行使し、矢玉に備えた。


「完璧です。では参りましょう」


 もはや光のヴェールは眼前に迫っている。向こう側では、防壁に取り付いた獣人兵が壁をよじ登ろうとしていたり、縄をかけようとしたり、鎧を着込んだ大柄な悪魔兵がふわりと宙に舞い、直接斬り込んだりしている。



 輝くヴェールに――



 触れる。



 俺の存在そのものを拒絶する、強烈な抵抗を感じた。まるで、固めのゼリーの中を突き進もうとするかのような、あるいは無数の小さな手に体の節々を掴まれ、引っ張られるような、不快な感触――


 闇の輩として触れたら、こんな感じなのか。これ、人化したら、獣人たちみたいに簡単にすり抜けられる? いやその前に死ぬな。


 ピゥッ! と風切り音。


 砦の上部から矢が放たれた。


 強い魔力が込められた一撃――しかし制約の魔法に捕らわれたそれは、急激に勢いを失う。


 そして俺の先を進んでいたセイレーナイトの鎖帷子に直撃、シタァンッと肉を打つ音を響かせた。「うげっ」と声を上げるセイレー。


「森エルフの矢だ。殿下に感謝だな、そうでなければ心臓を射抜かれてたぞ」


 もっと頭上に注意することだ、クヴィルタルが冷やかすように言い、「ひぇぇ」と情けない声を上げたセイレーがおっかなびっくり槍を構えながら進む。


 俺も、まとわりつく結界を振り払って、侵入を果たした。


「おおおァ!」

「死ねえェェ!」

「闇の輩に死を!!」


 途端、戦場の喧騒が押し寄せてくる。大人の背丈の3倍はあろうかという城壁の上からは、刃が打ち合わされる金属音と、肉と肉がぶつかり合う激しい戦いの音が響いていた。先鋒の獣人兵たちがすでに乗り込んでいるらしい。


 もう一度、上を見れば、砦の見張り塔で弓を構える森エルフと目が合った。


 美形なので性別はわからない。険しい表情で何やら呪文を唱えている――ゴウッと風の魔力をまとった矢が、次は俺めがけて放たれた。


 森エルフお得意の、風の導きで絶対に命中する矢だ。しかし刺突の勢いが増せば増すほど、【制約】の抵抗はむしろ強まる。あっという間にへなちょこな一撃となった矢を、俺は難なく切り払った。


 森エルフ弓兵がいながら、獣人兵たちは無事なあたり、力を温存していたんだろうな。っていうかよく見たら夜エルフの猟兵が何人か転がってるわ、全員額を射抜かれている。


 ……でも、この威力なら、鎧で受けて大丈夫そうだな。


 それともまだ力を出せるか?


 森エルフ弓兵は悔しげに唇を噛み、顔を引っ込めた。矢の無駄だと悟って次の標的を探しにいったか、それとも俺を油断させて、ドでかい一撃を叩き込むつもりか。


 いずれにせよ、城壁に登るなら今がチャンスだ。


「この壁、どう登る?」


 悪魔兵は重力を無視して、獣人兵たちは壁の凹凸に爪を引っ掛けてホイホイ登っていくが、俺たちは流石にそこまで身軽じゃない。


「普通は獣人兵たちが、縄梯子なり何なりをかけるのでそれを使いますが――」


 城壁から垂らされたロープを何本か示しながら、クヴィルタル。


「――コルヴトの血統がいる場合は、話が別です」


 ズンッ、と魔力を込めて地を踏みしめる。【石操呪コンクレータ】――土中からガガガッと何本もの石柱が飛び出し、相互に支え合いながら、橋とも階段ともつかぬモノを形成した。


「……見事だな」


 思わず、心の底から称賛する。


「ありがとうございます。しかし闇の魔力まじりなので、この結界内では長くはもちません」


 クヴィルタルが話す先から、簡易階段にぽつぽつと草花が芽吹いていく。それらは急激に成長し、花開き、枯れてはまた芽吹いて、と世代交代を重ね、じわじわと石を浸食しているようだ。


「お前たち、先行しろ」

「いや、いい。まずは俺が行く」


 三馬鹿に命じるクヴィルタルを制して、俺は階段に足をかけた。


「――こちとら初陣なんだ。記念に行かせてくれ」


 困り顔のクヴィルタルの返事は聞かず、駆け上がる。――この上に同盟軍がいる。今も獣人兵や悪魔兵たちと戦っている。


 三馬鹿どもに手柄を与える? そんな真似するかよ。




 




 二段飛ばしで階段を登り終えると、陣形を組んだ人族の兵士たちと、獣人兵、悪魔兵が至るところで戦っていた。城壁は幅が5歩もなく狭いが、人も獣人も死体がゴロゴロ転がっており、血でぬめっている。こうしている間にも新たな獣人兵や悪魔兵が侵入を果たし、城壁から飛び降りて下での乱戦に割り込んでいく。


 この匂い。――ああ、鉄みたいで生々しい戦場の風。


 そして俺が姿を現した瞬間、空気が凍りついたような感じがした。


「……魔族が来たぞォ――!」


 誰かが叫び、数百の視線が俺に集中する。「やっとか!」とでも言いたげな獣人兵たち、それとは対照的に憎しみと怨嗟が込められた同盟軍の兵士たちの顔――


「殺せェ――!」

「闇の輩に死を!」

「【悪しき呪いは我らを避けて通る!】」


 くじけるどころか、むしろ戦意と殺意を増した兵士たちが、肩を寄せ合って盾を突き出し、剣を構え直す。


 個々の腕力では勝る獣人兵たちも、前面に押し出された盾と隙間から突き出される剣の連携には歯が立たず、じわじわと斬り伏せられているようだ――


 見事だ。素晴らしい兵士たち。練度も士気も文句のつけようがない。


 ほんの僅かな、瞬きにも満たない時間だったが、それでも俺は彼らに見惚れる贅沢を自らに許した。




 そして。




 魔力を練り上げる。




 俺を中心とした、新たな法則を持つ世界を――




「――【連携を禁ず】」




 制定。




 途端、それまでひとつの生物のように振る舞っていた兵士たちの動きが、目に見えて鈍くなる。


「なっ……!」

「どうしたッ?」

「盾が……!」


 歩調が合わない。盾の隙間が開く。攻防が噛み合わない。互いに肩がぶつかり、足を踏む。身を退こうとすれば背後から押され、攻め進もうとすれば隣が邪魔をする。


 油をさされて滑らかに回っていた歯車が、何本もの杭を差し込まれ、錆びついてしまったかのように、人族の兵士たちの動きはガタガタにされていた。


 彼らも、魔除けのまじないはかけていただろう。


 神官たちの加護も受けていただろう。


 だが、俺の強大な魔力はいとも容易く、彼らの魔法抵抗を貫通した。


「馬鹿なッ!」

「隙ありィ!」

「死ねェ!」

「ぐがァッ」


 その絶好の機会を見逃す獣人兵ではない。何人もの兵士が、盾の隙間を縫った一撃に首を抉られ、血飛沫を上げながら倒れ伏す。空いた穴を、複数の後続の兵士が埋めようとして失敗し、さらに大鉈を振り上げた悪魔兵がそこへ突撃、暴れ回って傷口をこじ開けていく――




 ――させるかよ。




「それは――」




 俺もまた、城壁から飛び降り、馳せ参じる。




「――俺のものだァ!」




 獣人兵たちを突き飛ばし、最前線へと躍り出る――




 間近に見る、兵士たちの顔。




 返り血と汗に汚れ、目は見開かれ、歯を食いしばり、眉根を寄せ――




 訓練の賜物たる連携を、卑劣な呪いに踏みにじられながらも――




 即座にそれを察して個々の力量で敵に対応せんとする――




 非の打ち所がない勇士たち。




 ――あとで死ぬほど謝る。




 ――なんなら死んでからも謝る。




 ――だから今は、このときは。




 俺は獰猛な笑みを顔に貼り付けて、剣槍を、眠れる聖剣を振り上げた。




「【腕萎えよ!】」




 闇の魔力を撒き散らし、兵士たちが掲げる盾をそのまま薙ぎ払う。




 受けきれずに、次々に盾を取り落していく兵士たち。




 そして返す刃で――




「――我が糧となるがいいッ!」




 一閃。




 肉と骨を何度も断ち切る、筆舌に尽くしがたい不快な感触が手を這い上がる。




 胴を、首を、切り裂かれた兵士たちがぱたぱたと倒れ――死んだ。




 彼らの生命の残滓、死体の傷から噴き出した血が、俺の顔にもかかる。




「……ははははははッ!」




 笑ってみせた。まるで残虐非道な魔族の王子みたいに。




 目元に跳ねて、涙みたいにこぼれていった返り血を拭いながら――




 俺は、がむしゃらに、剣を振るった。

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