172.戦場のしらべ


 ――エヴァロティ最西端、ニーバン砦。


「始まったようですね……」


 砦中心部の『祈りの間』にて、森エルフの女魔導士がピクッと長い耳を揺らした。


 太陽が大好きな森エルフらしく、こんがりと日焼けしているが、ストレスと重責のせいかゲッソリと頬がこけており、とてもじゃないが健康的とは言えない顔つきの、やつれ気味な女エルフだった。


「……我々も、我々にできることを、しましょうかねえ」


 同じく疲れ気味で、細面なエルフの男魔導師が間延びした声で答えた。


 その隣では、長命種でありながら、目元に深いシワを刻んだ老エルフが、無言でうなずく。


 此度の戦いでは最大の激戦区になるであろう、ニーバン砦には、3名もの『導師』――ほぼ最高位のエルフ魔導師――が控えていた。もともと魔力強者な森エルフの中でも選りすぐりの、ハイエルフに匹敵するほどの実力者たちだ。


「…………」


 老エルフが、ローブの胸元から1本の生木の枝を取り出した。


 細面エルフが何事か床に語りかけると、石畳がひび割れて地面が露出する。


 そこへサクッと枝を差し込む老エルフ、さらに女魔導士が、そっと両手を差し出すと、手のひらからこんこんと清浄なる水が湧き出した。


「~♪」


 まるで観葉植物にじょうろで水やりでもするかのように、鼻歌を歌いながら水を注いでいく女魔導士。


 切迫した状況にはまるでそぐわない、子守唄のように呑気で穏やかなメロディ――


「~~♪」


 ゆったりと体を揺らしながら、低い声でハミングし、それに合わせる細面エルフ。指先で文字や模様でも描くような動作は、まるで指揮者のようだった。


「…………」


 そしてふたりの歌声に合わせ、老エルフが見えないハープでも爪弾くかのように、空中で情熱的に指を踊らせる。


 ぐわん、と空間が歪むような感覚――


「……!」


 祈りの間の隅で控えていた神官たちは、全身総毛立つのを感じた。魔力にとされる人族の自分たちでさえ、肌で触れるかのように知覚できる――



 高位の森エルフたちは、魔法を



「「「【神話ミトロジア再演・レプリカ聖樹サンクタ・萌芽ナティヴィタス】」」」



 魔導師たちが唱和し、枝が太陽のような暖かな光の波を放った。広がっていく――壁や天井さえも突き抜けて、どこまでも。



 砦から放たれた光の柱はそのまま見事に芽吹き、半透明に輝く大樹となって枝葉を茂らせていく。そして、ニーバン砦に呼応するように、残り5つの砦からも同じような光の大樹が芽生えた。



 夜の闇を打ち払う、煌々と輝く巨木――



 エヴァロティの6方位の砦全てに、エルフの森の奥地にそびえるという、光の神々の威光を色濃く残す【聖大樹】を模した光柱が展開された。それらは互いに共鳴し、邪悪なる呪いを退け、悪意あるものを弾き返す大規模な結界を形成する――



「ありがてぇ……!」


 頭上に展開される、まるでオーロラのような光の膜を眺めながら、ニーバン砦城壁で、剣聖ヘッセルは心の底から感謝の祈りを捧げた。


 これのおかげで、魔族の呪いにも夜エルフの矢にも怯えずに済む。ヘッセルが大剣を肩に担いでスクッと立ち上がると、すかさず夜エルフ猟兵の矢が雨あられと飛んできたが、光の膜に触れるや否や、まるで見えない妖精にいたずらされたかのように、ひょろひょろと螺旋を描いてあらぬ方向へ飛んでいってしまった。


 おおーっ、と周囲の兵士たちも感動の声を上げて立ち上がる。


(……あとは、これがどれだけもつか、だな)


 再び、頭上の光の膜と輝く大樹を見上げるヘッセル――その瞳に滲む想いは、まさに純粋な『祈り』としか言いようがなかった。


「ようし! せっかく魔導師のみなさんが頑張ってくだすったんだ。次ァ俺たちの番だよな、そうだろ野郎ども!?」


 ヘッセルの呼びかけに、おおおッ、と兵士たちが答えた。


「いいぜ、その意気だ! 俺も張り切って防衛すっからなー見てろよ!」

「張り切りすぎて、城壁まで『ならす』のは勘弁っすよー!」


 兵士の誰かが茶々を入れてきて、「馬鹿野郎!」とヘッセルも笑って返す。



 ――『前線ならし』のヘッセル、それが彼の剣聖としての二つ名だ。



 あまり何かを守る戦いには向いていない男だが――だからこそ乱戦では真価を発揮する。


 だからこそ、最大激戦区となるニーバン砦に割り当てられた。


「こちとら常に細心の注意払ってンだよ! 俺の繊細な剣捌きに見惚れるなよ!」

「誰が見惚れるかーっ!」

「一度でも何も壊さなかったことがあんのかーっ!」

「やァかましい!! ……来るぞ!」


 軽口を叩いていたヘッセルも、光の膜の向こう、簡易陣地からわらわらと飛び出してくる獣人兵や悪魔兵の姿に表情を引き締めた。


 兵士たちも引きつったような真顔になり、それぞれの手に飛び道具を構える。


「射撃用意! …………放て!」


 兵長の掛け声と同時、ガヒュンッと金属質な音が何重にも響いた。


 城壁に取り付こうとしていた獣人兵たちの多くが、避ける暇さえなく風穴を穿たれて血溜まりに沈んでいく。


 反射神経の塊みたいな猫系の獣人兵が、こうも呆気なく討ち取られるとは――それどころか、何らかの防御魔法を展開していたらしい悪魔兵も、そのまま胸の中心を撃ち抜かれ、魔力を撒き散らしながら爆散した。


 何も聞こえないが、敵陣に動揺が走っている――そんな気がした。


「すげぇな……ドワーフってのは」


 装填急げー! と歯車を足で回すような、妙な構造の巻き上げ機を使い始める兵士たちを見ながら、ヘッセルはただ感心しきりだった。


 兵士たちが手にしているのは、金属製の強弓を横向きにして、別の木枠に十字型に固定したような飛び道具だった。


 昨年、ドワーフが発明したものらしい。その形状から仮に『クロスボウ』と呼ばれている。聖教会の援軍と一緒に、試作量産型がいくつか届けられた――数は少ないので、主にニーバン砦にしか配備されていない。


 構造は複雑だし整備も生産も大変だし、再装填にめちゃくちゃ時間がかかるので、魔族や夜エルフたちが拾っても、わざわざ使わないであろうシロモノだ。


 というか、夜エルフなら筋力で、森エルフなら魔法で、もっとお手軽に威力のある矢をぽんぽん放てる。


 だが――裏を返せば、人族でも手間暇をかければ、夜エルフ並の矢が放てるというわけだ。もちろん、これを人族に向けられれば脅威だが、元から夜エルフの矢に悩まされていたので、結果は変わらない。


「これで連中も、ちょっとは攻め込むのを躊躇って――」


 と、ヘッセルが言いかけたところで、簡易陣地から獣人兵の第二陣が飛び出す。


「――クソッ、命の扱いがかりィな連中はよォ!」


 思わず毒づき、担いだ大剣を握り直すヘッセル。


 戦端は、まだまだ、開かれたばかりだった。




           †††




 どうも、一丁前に演説をぶったはいいが、今はえっちらほっちらと駆け足しているジルバギアスです。


 戦争でいちばん大切なことって何か、知ってるか?


 それはちゃんと走れることだ。


 戦うためにはまず、移動しなきゃいけない。ちゃんと予定通りの時刻に、予定通りの場所に、戦力が『ある』ってのが本当に大事なんだ。みんながみんな王子様じゃあるまいし、ご丁寧に馬車で目的地まで運んでもらえるなんてことは、滅多にない。


 そしてどんなに強い戦士でも、その場にいなけりゃ意味がない。


 だから戦士は自分の足で走るしかないんだ。


「間もなくですな」


 ちょいと壁の隙間から外を覗き見て、クヴィルタルが言った。


 ガチャガチャとやかましい具足の音を立てて、俺麾下8名の魔族戦士隊は舗装された道を走り続ける。


 ――王都エヴァロティをぐるっと半包囲する形でブチ抜かれた半地下道だ。物理的にも魔法的にも堅固な石壁で補強されていて、安全に移動できる。


 人族だったら、何百人もの人手で何週間もかかって掘るような穴も、コルヴト族が数十人もいれば、数日でできちまうんだから、ホント魔力強者はよォ……


 連中が穴掘るの上手すぎて、魔王戦役が始まって以来、地下にまで護りの結界が行き渡っていないタイプの要塞は全て時代遅れで使えなくなってしまった。


「見えてきたか?」


 何とも釈然としない内心を押し殺し、俺は平静を装って尋ねる。


「はっ。第4砦です」


 正式名称がわからないので第4砦(仮)だが、ともあれ、エヴァロティは6つの砦に取り囲まれている。魔王軍の陣地に面している西側(第1,2,3砦)に最も防衛戦力が集中していると考えられるため、当然、こちらの『一軍』も西側に当たることになっている。


 ……え? 守りが弱い部分を集中的に叩かないのか、って?


 叩かないんだなコレが。だって人族ごときに、そんな弱点を探るような真似したら魔族の恥じゃん? という理屈らしい。


 それで、魔族が最初から体を張るなら文句ないんだけどな。防衛戦力を消耗させるために、まずぶつけられるのは獣人部隊や悪魔兵、ゴブリン兵なんかだ。無駄に散らされていく雑兵が気の毒でならねえよ……


 それはさておき。


 ペーペーの新人に過ぎない俺ことジルバギアス子爵は、二軍三軍扱いのため、守りが比較的手薄であろう南部や北部を担当することになったワケだ。


 それにしても……


 俺もチラッと壁の隙間から顔を出し、砦に生えた光の巨木を眺める。


 ……【神話再演】かぁ。久々に見たな。


『ド派手な魔法じゃの』


 あれ、エルフの森の聖大樹の枝を切り取って、枯れる前に持ってこなきゃいけないから、おいそれと使えないらしいんだよな。


 それを6本も使うとは、デフテロス王国の滅亡は、森エルフにとってよっぽど都合が悪いようだな……


『なぜじゃ?』


 まだ間にいくつか小国があるけど、ぼちぼちエルフの森に魔王国が接しかねないからだと思う。


 国境が接しちゃったら何が起きるかなんて、だろ?


『夜エルフどもが放火パーティーしそうじゃの~』


 そういうこと。


「殿下。あちらの砦です」


 と、クヴィルタルが立ち止まり、改めて指で示した。全力で走ったのに汗ひとつかいていない。息は上がっていないが、汗だくな三馬鹿たちとは大違いだ。


「…………」


 俺は一周回って、無感動になりながら、を眺めた。オーロラみたいな光の膜に覆われた、石造りの要塞――


 すでに、獣人兵や悪魔兵による攻撃は始まっているらしい。



「――こうして眺めている時間がもったいないな。行くぞ」



 俺は全身に魔力をみなぎらせ、アダマスを剣槍に変形させながら言った。



 ……すでにちらほら、城壁から引きずり落とされた人族の死体が見える。




 




 




「……あれは、俺のだ」




 唸るような、絞り出すような俺の独り言に、クヴィルタルが「頼もしいな」とでも言わんばかりにニヤリと笑った。




「では参りましょう、殿下。色々と訓練では脅かしましたけどね……戦場は、楽しいですよ」




 そう言って笑うクヴィルタルと部下たちは、紛うことなき上位魔族だった。




 ああ、そうだろうな。




 格下を狩ってばかりのテメーら魔族はよォ……!!




「それは楽しみだ」




 俺もまた、獰猛に笑う。もはや隠しもせずに――




「【我が名は、ジルバギアス=レイジュ】」




 ぐわん、と自分の体が何倍にも膨れ上がるような感触。




「【――我が仇敵に終焉をもたらす者なり!】」




 うぉ……とアルバーたちが気圧されたような、引きつったような声を上げる。




「その意気です。さあ殿下! ようこそ戦場へ!」




 ――『ようこそ』?




 こちとら『ただいま』だよ。




 魔族どもの笑い声を聞き流しながら、俺は陣地から身を乗り出した。




 踏みしめる。




 ああ、忌々しくも懐かしい、




 人と魔の――戦場だ。

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