170.攻略戦開始


 焼け落ちていく故郷の村を――



 いつまでも、いつまでも彷徨い続ける。



 ――そんな夢を、見た気がした。



 目を開けば、天幕の布地が視界に飛び込んでくる。



 薄暗い。入り口の隙間から、わずかに差し込む夕日。



『お目覚めのようじゃの』



 静かなアンテの声。



 ああ……夢見は最悪だが、身体はしっかり休まった。



 寝台から起き上がり、外に出れば、ずらりと並び立つ魔族の天幕。



 黒一色の魔王国旗と、黒地に銀の文様が描かれたレイジュ族の旗がはためく。



 デフテロス王国・首都エヴァロティを臨む高台。



 魔王軍の前線基地に、俺はいた。



          †††



 数日の馬車の旅はじれったく、それでいてあっという間に終わった。


 デフテロス王国西部、占領された辺境都市でひと休憩してから、さらに骸骨馬車を走らせ、この前線基地に到着したのが昨日。


 リリアナは、ガルーニャやレイラたちとともに、辺境都市に置いてきた。


 みんな、一緒に来たそうにしていたな。


 リリアナはひたすら心配そうだったし、ガルーニャも、最近ではすっかりリリアナのお世話係になっているが、もともと俺の側仕えだっただけに渋い顔だった。レイラは言わずもがな、俺の身に危険が迫れば、ドラゴンの姿で助太刀できるのに、とでも言いたげで。


 ――だけど、彼女らが戦火から少しでも遠い場所にいることに、少しホッとしてる自分もいる。


「殿下、お目覚めですか」


 と、天幕の護衛に立っていた、剣聖モードのヴィロッサがひょいと顔を覗かせた。


 昨年のデフテロス王国攻めでは、エメルギアス率いるイザニス族の陣地が、勇者や剣聖たちの奇襲を受けたらしい。


 同じ轍を踏まぬよう、此度の戦では、昼間の周辺警戒が厳とされていた。


「すぐにお飲み物などをお持ちいたします」

「ああ」


 言葉少なにうなずいて。


 ……俺は、緊張を自覚する。


 普段のようにそつなく振る舞えない。だがヴィロッサは気にする風もなく、一礼して顔を引っ込めた。


「……ふぅ」


 俺は首の骨を鳴らし、軽いストレッチで身体をほぐしていく。



 現在、魔王軍の戦力は、レイジュ族とその友好部族からなる魔族戦士団400に、夜エルフ猟兵が800、獣人とオーガからなる昼戦軍団が2万。


 その他、魔族戦士の連れてきた悪魔兵が多数(数百?)、伝令としてイザニス族、工兵的なコルヴト族、糧食冷蔵を担当するヴェルナス族などの人員もいる。



 対する同盟軍は、聖教会の援軍が3000(勇者、神官、剣聖を含む)、人族・獣人族混合の王都防衛軍が1万ほどと見られている。


 王都防衛軍は、デフテロス王国軍の他、近隣諸国・諸侯軍、および魔王国に滅ぼされた亡国の兵士たちの寄り合い所帯だ。民兵まで数に含めれば、2万くらいに膨れ上がるかもしれない。


 その他、ドワーフ連合の戦士や、聖大樹連合の森エルフたちもいるだろう……



「――ジルバ様、お水と軽食です」


 ソフィアが天幕にやってきた。


「ありがとう」


 受け取って喉を潤し、軽く腹を満たし。


 ソフィアに手伝ってもらいながら、身支度を整える。


 護りの魔法が込められたブーツを履き、厚手の布鎧を着込み、鱗鎧【シンディカイオス】に袖を通す。ベルトをしめ、腰にアダマスを吊るし、兵士たちの遺骨でできた篭手をはめ、脛当ても装着。


 最後は、兜だ。


 冬の間にドワーフ鍛冶に依頼して造ってもらった。合金製のフレームにファラヴギの鱗の余りを貼り付けた構造で、軽さと頑強さを両立させている。もちろん白竜の鱗由来の魔法抵抗も完備。


 角に干渉しないよう、側頭部のあたりにスリットが入っているのが特徴的だ。獣人族の帽子や兜に、頭頂部の耳を出す穴が開いているのに似ている。魔族の角の位置は個人差があるので、頭装備はどうしてもオーダーメイドになりがちだ。サイズさえ同じなら、バケツ型でスポッとかぶれる人族に比べると不便だな。


 ――そんなことを考えながら、スリットに角をはめ込むようにして、兜をかぶる。流石はドワーフ製のぴったりフィット。さらに、眉間と頬を隠す面頬を仮面のように装着して、完成だ。



 とんとん、とその場で飛び跳ねる。



 うん……問題ない。



 それにしても、闇の輩のくせして、全身白銀の装備で固めてるんだから悪趣味過ぎて笑っちまうよ。光属性に対する耐性はピカイチだけどな……。


 準備が整ってしまったので、俺は天幕の外に出た。


 夕日は、ほぼ沈んでいる。空だけが名残惜しげな茜色。


 だが、それもじわじわと――闇色に染め上げられていく。


「よーし、戦だー!」

「腕が鳴るのォ!」

「今度こそ大手柄あげるぞー!」


 俺と同じように、天幕から続々と姿を現す魔族たち。


 男も女も意気軒昂、まるでピクニックにでも出かけるような陽気さだ。


 レイジュ族、そしてその他友好部族の戦士たち。心なしか若手が多めであるように見えた。


「殿下!」

「いよいよっすね!」

「アガってきましたよ!」


 と、背後から三馬鹿たち。すっかり凛々しい顔になっちゃってまぁ……


「ああ。流石にちょっと、緊張してきたな」


 俺が冗談めかして言うと、「殿下も緊張なんてするんスか!?」とセイレーナイトが素っ頓狂な声を上げた。


「当たり前だろ。まだ5歳だぞ」

「それを言っちゃおしまいですよ殿下」

「どういう意味だこの野郎」


 軽口を叩きながら、歩いていく。



 野戦陣地の中心部、練兵場も兼ねた広場。準備を終えた兵士・戦士たちが一堂に会する場所だ。


 隊ごとに整列し、几帳面に弓やナイフなどを点検していく夜エルフ猟兵たち。仲の良い者同士で思い思いにたむろする魔族の戦士たち。クヴィルタル以下4名の、俺の家来たちの姿も当然そこにあった。最前線に指示を送っていると思しきイザニス族の伝令。空中に寝転がったり近くの連中とカードゲームに興じたりと、魔族以上に自由な悪魔兵たち。


「いよいよですな」

「ああ」


 クヴィルタルが生真面目に話しかけてきたが、俺もさっきから似たような問答しかしてねえ。



 まあ……この期に及んで、話すことなんてないか。



「――ジルバギアス殿」


 のしのしと重みのある足音がして、振り返れば、恰幅のいい年配の魔族の男が立っていた。シワが深く刻まれた顔、赤みがかった隻眼、転置呪でも癒やしきれなかった聖属性の傷跡が、左目の上を走る。歴戦ベテランの風格を滲ませた戦士――


 ベテラノス=レイジュ侯爵。


 現在、この戦線において、地位と名誉の両面で最高位にある男だ――つまり彼こそが実質的な指揮官。


「初めての戦場とのことだが……お覚悟はよろしいか」


 しわがれた声で、ベテラノスが尋ねてくる。


「はい。全くの普段通り、とはいきませんが、存外落ち着いております」


 俺もまた平坦な調子で答える。俺は王子だが階級は子爵にすぎない。そして魔王国の階級は、戦場での指揮権にも直結する。この場では、俺はちょっぴり特別なだけのいち戦士の扱いだ。


 ……人族の軍隊だったら、王子の俺は後方に引っ込んで指揮を執る(名目上)だけだったんだろうけどな。


 俺自身が手勢を率いて、殴り込みをかけるのが当然とみなされているのが、魔族が魔族たる所以だ。


「よろしい。間もなく攻撃予定時刻だ」


 ベテラノスが空を見上げる。



 ああ――完全に、夜が来た。



 高台から見下ろせば、篝火が煌々と焚かれた人族の陣地も、固唾を飲んでこちらの様子を伺っているように見える。


 彼らも、俺たちが今夜攻め込むことを知っている。昼間のうちに前座の昼戦部隊がひと当てしてるし、何より、数日前にドラゴンたちによって予告の文章が空からバラまかれているからだ。


 普通の戦争なら、降伏勧告になるんだろうが。


 魔王国はそんなことはしない。


 この日に俺たちは攻め込む。せいぜい頑張って迎撃しろ――こんな調子だ。


 ドラゴンたちが空から油壷でもバラ撒いて、市街地に火を放ったら、とんでもない被害が出るんだろうけどな。


 魔王国はそんなことはしない。それで敵が死んでしまったら手柄が減るからだ。



 思わず、拳に力を込めそうになった――同盟軍は必死なのに、魔族どもと来たら、ちょっとスリリングな狩り気分だ。ふざけやがって……!!



「……ふぅ」


 だが、俺がここで憤っても仕方がない。


 本当に――笑えてくるくらい、仕方がないんだ。


「さて、諸君!」


 ベテラノスが声を張り上げると、ざわついていた練兵場が静まり返った。


「……時間だ。これよりエヴァロティ攻略戦に突入する。だがその前に、我らがジルバギアス殿下よりお言葉をもらおう。傾注!」


 事前に打ち合わせはしてあったので、俺も焦ることなく、前に出る。



 夜闇に、ぼうっ、と浮かび上がる、数百、数千の瞳が――



 俺を見つめる。



 第7魔王子、ジルバギアスを。



「とうとう、この日が来たな。エヴァロティ攻略戦だ。……待ちわびた者も多いのではないか?」



 不敵な笑みを浮かべて、俺はじっくりと聴衆の反応をうかがう。



「――かく言う俺もそのひとりでな」



 冗談めかして付け足すと、魔族たちの笑い声が響いた。



「実は魔王陛下よりお言葉をいただいている」



 が、俺の次の一言で、ふたたび静まり返った。



「――存分に武威を発揮せよ。期待している。とのことだ」



 正確には、俺に向けた言葉ではあったが、な。



 だが、ざわっと高揚感が広まっていく、手応えがあった。



「ならば――魔王国の栄えある戦士として。我らがなすべきことは、ただひとつしかあるまい」



 抜剣し、俺は剣槍を天に掲げた。



「エヴァロティを我らが手に! 魔王国の武威を、大陸全土に知らしめようぞ!」



 ――おおおおっ、と魔族の戦士たちが、槍を突き上げて応えた。



 顔見知りの夜エルフの猟兵たちがうなずき、悪魔兵たちも盛り上がって小躍りしている。



 ははは。



 この俺が、魔王軍の士気を鼓舞することになるとはな。



『皮肉なもんじゃな』



 今は――俺に寄り添ってくれるのは、お前だけだな、アンテ。



 ……せいぜい、浮かれるがいい、魔王軍ども。



 盲目的に戦場へ走るがいい。



「――出陣ッ!」



 俺の号令に、「「おおッ!!」」と数千の声が応えた。




 魔王軍の勝利は、デフテロス王国の敗北は、ほぼ必定。




 だが、それでも。




 俺は、俺なりに。




 戦果を挙げてみせる。




「行こう」




 俺は手下を連れて、戦場へ踏み出した――
























 ――同盟に、栄光あれ。













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