169.第7魔王子出征


 魔王城、外縁部の城門前にて。


「――準備、完了いたしました!」


 ガルーニャが報告に来た。


 ずらりと並んだ骸骨馬車には、物資が満載されている。


 戦装束を身にまとった各種族の戦士たちと、黒一色の礼服を着込んだ使用人たちが一斉に敬礼した。


 全て、滞りなく終わったらしい。


「それでは、父上、母上」


 俺は背後を振り返る。



 階段の上に寄り添って立つ、ふたりの魔族――



 魔王ゴルドギアスと、大公妃プラティフィア。



「――行って参ります」



 とうとう、この日を迎えた。



 俺、第7魔王子ジルバギアス=レイジュは、これより前線に向かう。



「うむ」


 重々しくうなずく魔王。


「ここに至って、多くは語るまい。存分にその武威を発揮せよ。期待している」


 俺は、黙礼して応えた。


「ジルバギアス」


 一際華々しいドレスで着飾ったプラティは、腕を組みながら、悠然と微笑む。


「朗報を待っているわ。……あなたに、闇の神々のご加護があらんことを」


 幼い息子が戦地へ赴くというのに、落ち着いたものだ。むしろ自信満々で、誇らしげにさえ見える。まあ、涙ながらに見送られるよりマシだな、俺としては。


 俺としては。


「はい。我が名を、魔王国のみならず、同盟圏にも轟かして参ります」


 ……そんな内心は王子の仮面で隠しつつ、俺は勇ましくうなずいて、ふたりに背を向けた。


 馬車へ向かう間にも、様々な視線を感じた。


 おそらく上層階からは、他の魔王子たちが俺を観察しているだろう。


 視界の端に、重装鎧を身に着けた魔族の一団。……ドスロトス族の面々だった。中には当然ゴリラシアの姿もある。


 眩しげに、俺を見守っていた。目礼を返す。


 見送りの夜エルフの猟兵の中には、しれっと紛れ込んだシダールの姿も。なかなか様になっている。アイツも監獄長官になる前は腕利きの猟兵だったって話だしな。


「――――」


 一歩一歩、進むごとに、魔王城での日々が蘇るようだ。


 この場に姿を現すことはできなかったが、最後の死霊術教室では、エンマが物凄く心配そうにしていたのを思い出す。


『気をつけてね。どんなに危なくなっても、諦めちゃダメだよ。本当に最悪の場合は――ボクが助けてあげるから』と、とんでもないことを言われて反応に困った。


 死んでも、エンマが復活させてくれるらしい。最悪のセーフティネットだ。絶対に死ねないと改めて思った。


 クレアは――相変わらず無愛想だったが、よくよく考えれば魔族に好意的なエンマがおかしいわけで、人族の娘としてはごくごく普通の反応と言わざるを得ない。


 俺の不用意な質問のせいで、溝は深まったが、逆に彼女は俺に仮面をかぶらなくなったのだ。『元人族としてはフクザツだけど……ま、頑張ってきたら? 王子サマ』と素っ気なく言われた。


 そりゃあ胸中フクザツだろうさ。惜しむらくは、俺のフクザツな心境を共有できないことだ……


 馬車に乗り込む。先に乗り込んでいたリリアナやレイラが、固い面持ちで俺を出迎えた。


「…………」


 俺も多分、似たような表情かおをしている――クリスタルガラスの窓越しに、ふたたび魔王たちに黙礼した。



 滑るように、馬車が走り出す。



 魔王たちの姿が完全に見えなくなってから、小さく溜息をついて、力なく背もたれに身を預けた。


 リリアナは不安げだし、レイラは何を言うべきかわからないようだ。


 俺も、固い笑みしか返せない。……これから馬車で数日も走れば、もう前線の基地に到着だ。出荷でもされているような気分だった。


 リリアナは、最前線まで連れていくわけにはいかないので――万が一、その存在が露呈すれば奪還される恐れがあるため――既に占領されている、デフテロス王国西部の辺境都市に、レイラやガルーニャ、その他護衛たちとともに置いていくことになるだろう。


 俺としては、正直、奪還されても全然構わないんだけどな。


 しかし周囲がそれを許さない。今やリリアナは、俺の陣営であまりにも大きな存在となっていた。俺が手放そうとしても、夜エルフたちが死守するだろう……



 ――窓の外を見やる。



 城下町の街並みが飛ぶように流れ去っていく。



『我が名を、魔王国のみならず、同盟圏にも轟かして参ります』



 先ほど、俺はこう宣言したが、この言葉に偽りはない。



 俺は、今回の戦争において、容赦なく振る舞うことに決めた。



 同盟の兵士も、勇者も、神官も、剣聖も拳聖も、遭遇すれば無慈悲に殺す。



 俺が彼らを生かそうとしても、結局、他の闇の輩に殺されるだけだ。



 ならば――俺が糧とする。



 戦功を上げ、魔王国での俺の地位を向上させ、魔王国滅亡の足がかりとする。



 禁忌を犯し、力を得るこの機会を、最大限に活かすことに決めたのだ。



 無論、隙があれば――



 魔族の頭数も、減らしていく。



 そこに躊躇いはない。……躊躇っては、ならない。



「くぅん」


 しょんぼりと耳を垂らしたリリアナが、俺の隣にやってきて、頭をこすりつける。


「……あなた」


 レイラが遠慮がちに、俺の手を握ってきた。温かい。


「…………」


 普段なら、俺は笑って、何かちょっとは気の利いたことが言えたと思う。



 だけど、今日という日は。



 まるで石膏で塗り固められたみたいに、顔は強張ったままで、喉から声を絞り出すことさえままならなかった。



 石像のような俺を――



 それでも骸骨馬車は、無感動に、無慈悲に。



 前線へ運んでいく。




          †††




「……行ってしまったな」


 走り去る骸骨馬車の車列に、ゴルドギアスが感慨深げにつぶやいた。


「……はい」


 プラティフィアも、小さくうなずく。


「勇ましい子だ。普通、初陣と言えばもっとこう――心細げな顔を見せるものだが。あの子には当てはまらんな」

「本当に。……本当に、その通りにございますね」


 ジルバギアスは――普段より固くはなっていたが、並々ならぬ覚悟と決意を滲ませるのみで、怯弱な様は一切見せなかった。


 それを頼もしく、誇らしく感じると同時に、ちょっぴり寂しくもある。


「……ジルバギアスが、我が子であることを不思議に思うときがある。おっと、変な意味ではないぞ」


 ゴルドギアスは冗談めかして、


「我が父も大変に破天荒な人物だったが、幼少期の話を聞きかじった分には、あの子よりよほど大人しい。我も、子ども時代はもっと……平凡だった。ジルバギアスの我の強さは、プラティの血だと思うのだが?」

「そう……なんでしょうか。わたしも、あの子に比べれば凡百の魔族ですが」


 プラティフィアは困ったように微笑む。


「あるいはドスロトスの血かもしれません。ジルバギアスは、それこそ物心がついたときには、負けず嫌いでとんでもなく我の強い子でした。……ですが、魔界から帰ってきてから、特に変わったように思えます。見た目だけでなく、あり方が」


 成長ぶりが恐ろしいほどですよ、とプラティフィアもまた、冗談めかして笑う。


「そうだな」


 穏やかな声音で相槌を打った魔王が、そっとプラティフィアの肩を抱いた。


「……だから、あの子はきっと大丈夫だ。心配する必要はない」


 そう告げられて――プラティフィアは目を見開き、敵わないとばかりに苦笑した。



 きっと、ゴルドギアスは気づいていたのだろう。



 プラティフィアが腕を組んで、震える指先を隠していたことに――



 こつん、と魔王が、プラティフィアの角に自らの角を当ててきた。公の場で、親愛の情を示すのは極めて珍しいことだ。


「……はい」


 プラティフィアも、肩の力を抜いて答える。




 それから――名残惜しくはあったが、魔王には政務があるため、その場で別れた。




 プラティフィアは堂々と胸を張り、居住区に戻る。途中、他魔王子の母たちが姿を現しては、めつけるような視線を向けてきたが――それら全てを悠然と見返すと、何も言わずにみな引っ込んでいった。




 そうして自室に入ったプラティフィアは、いつものようにソファに――腰掛けず、そのまま窓際の床に跪いた。



 夜空を見上げる。



 闇の神々の象徴たる月――



「どうか……闇の神々よ……」



 目を閉じて、プラティフィアは手を組んだ。



「我が子を……ジルバギアスを……無事にお返しください……」



 一心に、祈りを捧げる。



 いつまでも。



 いつまでも……。

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