166.研がれた剣


 ――デフテロス王国、首都エヴァロティ近郊。


 とある砦の個室で、女神官が祭壇へ祈りを捧げていた。


 シャルロッテ=ヴィドワ。


 それが彼女の名前だ。そこそこの商家に生まれ、そこそこに愛されて育った。兄弟姉妹が多すぎて、引っ込み思案な彼女はあまり目立っていなかったのだ。


 だが――成人の儀で、聖属性を発現してから人生が変わった。両親は家の誇りだと大喜び、あの日の夜は、人生で一番長く両親と話をしたかもしれない。今までほとんど無関心だったのに調子がいいものだ、と思ったのをよく覚えている。


 とはいえ、読み書き計算など、基本的な教養は身につけさせてくれたので感謝しかない。神官候補として聖教会の教導院に入り、治癒の奇跡や魔法について学び、同盟軍の治療部隊に編入されて――現在に至る。


 本来、戦いに不向きな治療部隊は、前線のはるか後方にいるものだ。シャルロッテもそうだったが、魔王軍の破竹の進撃により、『後方』が『最前線』に変わってしまい、傷つき倒れていく者を見捨てて自分だけ逃げることもできず――そのままだ。


 引っ込み思案で押しの弱かった自分が、最前線に居座っていると知れば家族は仰天するかもしれない。


「…………」


 犠牲になった民たちのために祈る。散っていった勇士たちのために祈る。


 二度とは帰らない仲間たちの顔を思い浮かべていると、コンコン、と自室のドアがノックされた。


「シャル、いるかい」

「はい。どうぞ」


 ドアが開き、いかにも姉御肌な黒髪の女剣士が、ひょっこりと顔を覗かせる。


 ――剣聖『一角獣』バルバラ。世にも珍しい女剣聖だ。彼女とも、なんだかんだで付き合いが長くなってきた。


「邪魔するよ。特別配給があってね」


 バルバラは何やら袋を引っ提げて来ていた。


「シャルと一緒に食べようと思ってさ」

「それは……お気持ちはありがたいのですが、ぜひバルバラさんだけで召し上がってください」


 私はお腹空いてませんから、と笑う痩せ気味のシャルロッテに、バルバラは困ったような目を向ける。


「そうは言っても、シャルは働き詰めじゃないか。寒いのに食が細かったら、病気になっちまうよ。一緒に食べよう」

「でも……」

「そうじゃないと、コレ全部ここに置いて帰るからね」


 それでもいいのかい、と芝居がかって眉を跳ね上げて見せるバルバラに、シャルロッテも観念して苦笑した。冗談めかしているが、以前、本当にそのまま置いていかれたことがある。


「じゃあ……ご一緒します」

「それでいいのさ」


 ニヤリ、と笑うバルバラと一緒に、小さなサイドテーブルを挟んで座った。シャルはベッドに、バルバラは部屋にひとつしかない椅子に。


「今日のお恵みに感謝を……」


 テーブルの上に置かれた袋に手を付ける前に、シャルは祈りを捧げた。普段はそこまでしないであろうバルバラも、お行儀よく座って待っている。……あまり待たせると悪いので、シャルはそこそこで切り上げた。


「いただきます」

「今日のは豪勢だよ」


 袋の中身は、サラミがまるごと1本に、小さなチーズとクラッカー、さらにドライトマトと味付け用のハーブ塩まで。


「これスープにすると美味いんだよ。頼めるかい?」

「はい、もちろん」


 小鍋に水を注ぎ、シャルロッテは火と光の魔力を吹き込んだ。たちまち沸騰した湯に、バルバラがスライスしたサラミやドライトマトを放り込んでいく。


「ははーっ! この頃は冷え込むからねぇ、温かいスープが沁みるんだ……」


 スープの香りを胸いっぱいに吸い込んでご満悦なバルバラに、シャルロッテも儚く微笑んだ。



 以前は――常に魔力を限界ギリギリまで消耗していた。



 魔法を私用なんて、とてもじゃないができなかった。



 だけど最近は余裕がある。



 治癒の奇跡が必要な者は、あらかた快復するか、死ぬかしたからだ。



 窓から外の景色を見下ろせば、立ち並ぶ簡素な墓標と、しんしんと降り積もる雪が目に入った。この部屋は、神官用の上等なものなので窓ガラスがはまっているが、一般兵や平民は雨戸を閉めるか紙を貼るかしただけで、隙間風に震えているだろう。


 今年の、デフテロス王国の冬は厳しい。


 西部の穀倉地帯を根こそぎ占領され、王都近郊の森も魔王軍の支配下にある。食料は少なく、暖を取るための薪木を拾いに行くことさえできない。王都の路地には西部から避難してきた難民がひしめき、みながみな、飢えと寒さに苦しんでいた。


 聖教会の援軍が来てくれたのはよかったが、同盟圏からの補給が滞っているため、かえって頭数が増えて負担になっている。配給も切り詰めざるを得ず、避難民や王都の住民の間で争いが起きているとも聞く。


 魔王軍は、そんな同盟軍の苦労をせせら笑うように、ゴブリンや獣人の昼戦部隊を展開するのみで静観している。かと思えば、時折威力偵察を放ってこちらの防衛戦力を試すような動きも見せる。


 決して気は抜けない。だから兵士たちは即応体制にあり、結果として配給も多めで飢えずに済んでいる。


 自分のような神官や勇者、剣聖といった特殊技能者も、優先して配給を受けられるので餓死とは無縁だ。


 だが……優先度の低い一般の傷病者や、避難民は……


 今こうしている間にも、ひっそりと、息を引き取っているかもしれない――


「……せっかくのスープが、冷えちまうよ」


 と、バルバラの穏やかな声に、シャルロッテはハッと我に返った。


「すいません。ぼんやりしちゃって」


 小さく笑ったシャルロッテは、カップに注いだスープに手を付ける。


 温かい――そう思った。だけど、味がよくわからなかった。


「ああ~~~……ホントに、温かいものが口にできるだけでありがたいことよ。美味しいねえ」


 対するバルバラはそうでもないようで、スープをじっくりと味わい、サラミやビスケットをかじっては幸せそうにしている。


「…………」


 そんな彼女を見ながら、ふやけて浮かんだドライトマトを口に含んでよく噛むと、なんだかちょっと塩味がして美味しい気がした。


 しばし、もそもそと食事が続く。会話らしい会話はなく、バルバラが美味い美味いと言ってるだけだった。


「……この間、補給部隊が到着しただろう?」


 スープがなくなったあたりで、バルバラが窓の外の雪を見ながら、改まって話を切り出した。


「物資の受け渡しも終わって、明日明後日には後方へ引き返すんだと。雪が深くなってくるから、これが今年最後の補給になるだろうって言ってた」

「…………」


 今年最後……いや、わかってはいたことだ。


 しかし医療担当の神官として、ある程度の物資の流れを把握しているシャルロッテは暗澹たる気持ちになった。……どう考えても、足りない。さらに切り詰めることになるのか……。


「なあ、シャル。親御さんとも長いこと会ってないんだろう? 補給部隊と一緒に、ここを離れたらどうだい?」


 穏やかな口調で、バルバラは問いかけてきた。いつも山猫みたいに鋭い目が、今はまるで子猫でも見守るように優しげだった。


「……いえ、私は残ります」


 シャルロッテもまた、穏やかな笑みを浮かべて、ゆるゆると首を振る。


 まるで凪いだ湖のように落ち着いていた。それでいて、確固たる意思をにじませていた。……どうしようもないくらいに。


「どうしても、かい」


 神官でありながら剣豪のような佇まいのシャルロッテに、バルバラも諦め半分で、溜息をつく。


「シャルには防衛が命じられてない。むしろ引き返すように言われてるんだろう? まだ間に合うんだよ、シャル。


 裏を返せば――バルバラの眼差しに、悲痛なものが混ざる。


「……それでも、です。気遣ってくださってるのはわかりますし、それを無下にするようで申し訳なくもあるんです。けど……それでも、やっぱり」


 シャルロッテは、自室の小さな祭壇を見やった。


「――みんなを置いていけません」


 遺灰の収められた、小さな壺を。


 かつてシャルが想いを寄せたひとの、ただひとつの形見。


「…………」


 痛いほどの沈黙。


「……まあ、わかってはいたんだけど、ね」


 バルバラが、自嘲するように小さく息をついた。


「シャルがいてくれるのは、正直、心強いんだけどさ。でも……彼も……」


 物言いたげに、遺灰の壺を見つめるバルバラだったが、結局言葉にはしなかった。


「……ちゃんと、ものだけは食べておくんだよ。恵まれない人々のことを思って、心苦しいのはわかるけど」


 表情を厳しいものに改めるバルバラ。


「それでもいつでも戦えるよう、万全の状態に保つ、あるいは近づけるのがアタシらの義務だからね」


 バルバラは剣聖である前に、貴族の出身でもある。商家の娘のシャルロッテとは、明らかに違う重みが、その言葉にはあった。


「……はい」


 真剣な顔で、うなずくシャルロッテ。見つめ合ってから、バルバラは陰のない顔でにっこりと笑った。


「それじゃあ、ごちそうになったね。また来るよ」


 ぽんぽん、とシャルロッテの肩を叩いてから、鍋などを片付けて部屋を出ていく。


「…………」


 シャルロッテは無言で、再び祭壇に向き直り、祈りを捧げ始めた。


(……きっと)


 遺灰の壺を見つめながら、思う。


(……あなたは、『なんで逃げないんだ!』って、怒るんだろうな)


 責任感が強くて、最期までみなのために命を賭して戦った――彼。


 仇討ちなんかより、自分が生き残ることを望んでいるんだろう、とは、バルバラに言われるまでもなくわかっていた。



 ――それでも。



 遺灰の壺を手に取って、シャルロッテはそこに口づける。



「向こうでまた会えたら」



 今さらのように、ぽろっと涙がこぼれた。



「いっぱい、叱ってね」



 ――ぜんぶ聞くから。






 しんしんと、雪が降り積もる。






 王国の地は、冬に閉ざされていく。

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